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Photo bymajigireinagaki

壊れないためのあの手この手

    ねこつう

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    ■

    私は、体が滅茶苦茶痛い病気を患っています。
    私が、痛みと不眠による疲労で、精神的に壊れないためにやっていたあれやこれやの話です。

    このときは、本当に危なくて、
    痛み止めの薬を朝に一日分全部飲んでしまったり、
    (一日に何日分も飲んだりとかはしませんでしたが)
    安易な結論に飛びつこうとしたり、
    長く続く痛みと疲労は、死ぬ病気でなくても、
    こんなに恐ろしいことになるのかと思いました。

    ■

    まだ、猛暑で散歩がしにくいのが、困ります。
    散歩といっても歩く散歩ではなく、自転車でゆっくり走ります。
    時速8kmくらいのとてもゆるいスピードで、走ります。
    膝がよくないので、長い距離を歩くのは厳しいのですが、自転車ならできたのです。
    それから、私は普段から体に力が入り過ぎているので、リラックスする方向のリハビリがいいのですが、なかなか、プールなどではないと、それは難しい。

    自転車なら、ガチガチだと、運転できないし、いろんな所にも注意を向けられる。
    私が住んでいる所は田舎なので、植物がたくさんあって、楽しいし、見ていてリラックスできるものが多い。
    そういう面がありました。

    ■

    自転車に乗りが軌道に乗るまでは、とても大変でした。
    歩くのも10分から始めたり、股関節が固まり過ぎて、
    スタンドを足で動かしにくかったり。

    とにかく、酷い痛みと精神的混乱で、本当に正気を失いそうになるので、
    何か対処を考えなければならない。
    体を動かして衰えていかないようにする。できることを増やしていく。
    それも大事なのですが、精神的に耐えられなくなってくるのです。

    最初やってみたのは頭の中にあるものを外に出すことでした。
    ノートに書くこともありましたが、書ききれなかったり、
    指もあまり調子がよくない時期もあったので、
    小さなレコーダーに話を吹き込んでいました。

    ■

    それは、自分の感じたこと、考えたことだったり、
    症状だったり、いろいろな内容でした。
    内容が長過ぎたり、きつすぎたりするので、
    他人に話せなかった。
    誰にも話しきれないことを抱えていたので、
    たまらない気持ちでした。
    奇妙ですが、レコーダーを握りしめていると、
    少しうとうとできたりしたのを覚えています。
    好きなタイミングで話しかけられる存在がいる
    ということで、少し安心したのかもしれません。

    ■

    結果的にですが、そういうことをやっていたお陰で、
    頭がまとまらなくて、
    会話がきつかったのですが、
    「話す」ということの訓練になっていったような気がします。

    ■

    ほかには、言葉による暗示みたいなことも、随分やっていました。
    これは、私の半自伝的作品の「カタストロフィ・マップ」でも、少し書いたのですが、漫画の台詞などを自分に言い聞かせていました。

    「誰にも見えておらぬ道を探すのだ。必ずどこかに、答えに辿り着く入口がある」
    (原泰久 キングダム より)


    「人は脳や心臓が止まったときだけが”死”なんじゃないと思うの
    諦めたときも”死”だと思うの」
    (たむらあやこ ふんばれ、がんばれ、ギランバレー より)

    漫画だとキャラやストーリーがあるので、
    気持ちを乗せやすかったのかもしれません。

    これを、必死にやっていました。

    説明しにくいのですが、いろいろな言葉で無理やり何か
    核というか中心みたいなものを作ってまとめておかないと、
    精神的にバラバラに崩れそうな凄く嫌な感覚があったのです。
    あれは、なんともいいがたい感覚です。
    それが起こらないように、随分、自分のことを文字にしました。

    あれがほどけてしまうと、戻ってこれないような気がしましたので
    そこは、本当に頑張りました。

    ■

    あと、これは、もっと初期の頃にやっていたものですが、
    掌(てのひら)で何かを触るというのをやっていました。
    スマホやパソコンを触るときのように、指先ではなくて、掌。
    布団であったり、カーテンであったり、自分の衣服だったりを、掌で触っていました。
    そうすると、痛みや感覚が乱反射してたまらない状態の時に、
    少しだけ、そちらに意識がいって、マシになるのです。

    ■

    あと、地図を見るなんていうのもやっていました。
    とにかく痛過ぎて、何かに気を逸らさなくてはいけないのですが、
    かわいい動物の動画ですら受け付けない状況でしたので、
    本なんか、もっと読めないし、
    音楽も刺激があり過ぎてダメ。
    それこそ、掌で何かを触るとか、レコーダーに何か話しかけている
    というようなことで、紛らわすしかないのですが、
    それも限界があります。
    そんなときに、トイレに入ったときに、壁に地図が貼ってあるのに気づきました。
    これは、見ていても大丈夫でした。

    ■

    どうも、
    「意味があり過ぎる刺激だと脳みそが処理しきれなくなってくる。
    でも、目を閉じるとか、天井の模様とかだと、意味が無さ過ぎるので、
    自分の体に意識がいってしまって、
    苦痛で正気が無くなりそうになる」
    ということらしくて「地図」なら、意味はあるし
    でも、地図には、そんなに脳みそが処理しきれないほどの情報
    とくに感情を揺さぶるものがない。
    それがよかったみたいです。

    ■

    最後に。
    「聞く」というのは、ラジオでリハビリしたようなことを以前話しました。
    でも、リハビリというより、そこから離れられなかったというような所があります。
    どういうことかというと、常にどこかで「投げ出したい」という気持ちが沸いてきてしまうので、
    何か、自分がのめりこむ刺激を与えていないと、危なかった。
    危ないから、何か、聞く、読む、作業する、ということをし続けて、
    その危険な気持ちから、目を背ける必要がありました。
    当時は、なぜ、こんなに、のめり込んでいるのかわかっていませんでしたが。

    家族にも、なんで、そんなに夢中になっているのかと、よく言われました。
    そして、他人にもエネルギッシュだと言われたり。


    背水の陣のエネルギーじゃない形。
    背水の陣のエネルギーは、無理な力です。
    その場しのぎで歪んでいく力というか。

    そうじゃない生き方が、
    必要なのだと思いますが、
    なかなか、そこに移れないでいます。

    最後まで読んでいただいてありがとうございました。

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    三つのことをやらせていただいてます。 ◆声劇・ボイスドラマのシナリオ書きやボイスドラマ製作 ◆散歩中に見つけた植物のご紹介 ◆持病の療養に関するエッセイ執筆 何屋かわからない雑多な場所になっていますが、 サイトマップで分類しているので良かったら覗いてみてください。☺

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