
年賀状とコミュニケーション
息子の小学校の担任の先生から、毎年年賀状が届く。
先生が毎年変わるのだが、それでも丁寧に届く。
先生、お休みに入ってもいろいろ気遣いありがとう。
そして、こちらとしてもその期待には応えたい。

今年はこれ。
昭和がにじみ出てしまうのは、親の年齢ゆえに仕方がない。
子供も高学年なので、日々多少の反抗もされる。
それに対し「昔はいい子だったのに」なんてことは言わない。
子供自身、今までの思考ではどうもうまくいかない事柄が多いと感じてくる。
打ちつける世の中の波が今までとは違うなあと、薄っすら気づく年頃である。
これからもっと、生きる時代に靄がかかってくるのは否めない。苦しいのは子供自身だ。
そこですぐ「親のサポートは…」なんて思考に陥る方が多いと思うが、病気の人の痛みがわからないように、どうやったって分かり合えないものだと思っている。
上から目線でアドバイスしようものなら、子供がどんどん遠のいてしまう。
ここからは親の平常運転のみである。
親自身が元気で、外に向けて楽しいことを考えることが大切だと思う。
それと、同じ悩みを持つ仲間を見つけることも、少し心の安心に繋がるかもしれない。
何かトラブルが起きることがあれば、親の変化が重要になってくる。
なかなか親は変われない。ゆえに厄介だ。
以前、フリースクールの施設長さんから「挨拶しない親が挨拶してくれるようになったら、子供の顔色がどんどん変わっていった。前向きになった。」という話を聞かせてもらった。
実用書を読んで、知識を詰め込むことが大切なのではない。
親自身に小さな変革を起こすことが大切なのだと知った。
他にコミュニケーションの手段として「音読カード」なるものが小学生にはある。
インスタ、Xやブログなどでは、音読カードにかわいいイラストを書いて提出したプリントを写真にとって載せている方々がいる。
私も同じ部類の人間である。
まず、イラストを書くことによって、子供が毎日音読を頑張ってくれるという効果がある。
クラスの友達も、音読カードを見て「いいな~」なんてうらやましがってくれたりする。「お前の母ちゃんスゲーな」なんて言ってくれる子もいる。
子供に一つ武器を持たせることになる。
他に、実は先生も楽しみにしているということがある。
絵には人間が出る。
もしかしたら先生と趣味が一緒で、話が盛り上がるきっかけにもなる。
そうなると、面談の時などには、お互いにリラックスしながら話し合える。
悪い効果はほとんどない。
しかし、学年が上がるほど、先生の返事も簡易になる。
ハンコ一つポン、で終わりである。
こちらも、長々と何もない日常から拾い上げる出来事を文字にするより、ハンコで終わらせたいのに…。
くやしいので3倍にして返そうと思い、一昨年から地道にハンコを作りためている。
うちはコレ。





※学校の音読プリントまんまを掲載できないので、別紙にしました。ごめんなさい。
以前、面談の時、「息子さんが宿題ファイルを出さない時は、催促していいですか?」と先生から言われた。
「もちろんです」と私。これで先生のチェックが子供に対し定期的に入るので、宿題や忘れ物がしにくくなり、息子へのプレッシャーも掛けられるルートが出来上がったと私は思っている。
特別待遇である。
宿題の家庭のチェックなんて、毎日「OK」一言で用事は足りる。
しかし、子供がどんな子かを知っていても、親がどんな人間かなど、先生も知る由がない。
何かトラブルがあった時、相手がモンペかもしれないと思うと、先生も胃が痛い。
何かトラブルがあった時だけ「先生なんだから、何とかしてください」なんて都合の良いこと言う親への対応も、結局最低限だ。
先生だって人間だもの。
昔のように、大々的にPTAの飲み会が開かれることもないので(逆に開かれても嫌だったりする)、下々のPTA会員は小さなコミュニケーションを大切にしていかなければならないと思っている。
私は決して意識高い系ではない。
ただ、これしかできないのである。
仕事もきちんとしてないし、PTAの飲み会では「無職です」と言うと、他の保護者に背を向けられる珍事も起こったりする。
それでも、自分の欠落も愛せるようになって、初めて満たされていくのではないか、と思っている。