メインコンテンツへスキップ
見出し画像
Photo bytyawonigosu

最後まで聞かない男 | 会話泥棒の父


    父には困った癖がある。


    人が話している途中で割って入り、
    いつの間にか自分の話にすり替える。

    そんな人を「会話泥棒」と呼ぶらしい。

    私の父はその道のプロである。


    相手の話が終わらないうちに自分の話を始める。

    人の話は、自分が話し始めるきっかけでしかない。


    仕事の話をしていても
    家族の話をしていても
    いつの間にか、主語は父になっている。

    堪らず無言になっても、「黙って聞いている」と解釈するようだ。

    ようやくこちらが続きを話す気力を取り戻す頃には、
    父はもう、話し終えた満足で軽くイビキなどをかいている。

    父にも共に暮らす人がいるので、
    会話に飢えているわけではなさそうだ。
    父は、何に飢えているのだろう。


    父の父、つまり私の祖父はとにかく大酒飲みだったらしい。

    大卒ということで、一人娘だった祖母の婿養子に選ばれたが、
    祖母の父が築き上げた財産を食いつぶしてしまった。


    雑役のような仕事もしていたが昼夜を問わず飲み続け、
    激しい夫婦喧嘩を繰り広げていたそうだ。

    三人きょうだいの「みそっかす」だった父は
    両親の喧嘩が始まると、近所の家に助けを呼びに走っていた。


    唯一はっきり憶えている父親との思い出は、
    昼間から浅草の安い飲み屋に連れて行かれたこと。


    大鍋にグツグツ煮えているモツを
    「うまいから食ってみろ」と言われ
    込み上げる吐き気と格闘しながら食べたそうだ。


    起きている祖父を最後に見たのは、当時八歳の父だった。
    ある日「外で遊んでおいで」と、祖父が珍しく小遣いをくれた。
    父は喜んで受け取り、靴を履きに玄関へ向かった。
    ふと振り返ると、祖父はコップ一杯の白く濁った液体を
    一気に飲み干しているところだった。
    そして畳の上にごろりと横たわり、やがて大きないびきをかき始めた。

    「寝たのだな」と思い、父は遊びに出た。


    しかし目を覚ますことはなく、三日後に亡くなった。

    祖父は戦地で負傷した帰還兵でもあった。
    写真は一枚も残っていない。
    父の記憶では、色白で彫りの深い顔立ちだった。
    こめかみには、銃弾がかすめた傷跡が残っていたという。



    中学を卒業後、父はすぐに家を出て働き始めた。
    23歳で結婚。翌年には独立して自営業一筋。

    がむしゃらに働き、30代で家を建てた。

    望んでも手に入らなかったものを、自分の子には惜しみなく与えた。

    子供達に惨めな思いは決してさせまい。
    それが家庭を持った父の至上命題であり、
    「甲斐性がある」ことが最大の誇りであった。


    そんな父も75歳になり、いよいよ商売を畳むことになった。


    どうだ!


    黙っていても、父の全体から声がする。


    どうだ?


    答えのない問いが、父の動力なのだ。


    これからも私の話は遮られ、父の話が割り込むだろう。
    それでも聞ける話は今のうちに、たくさん聞いておこうと思う。


    _____________________________________________

    ※編集後記

    この記事を書くにあたり、父に電話取材をした。

    話題はあっちへ飛び、こっちへ飛ぶ。

    私が自分の話をしようものなら、
    ものの数秒で父の話になっていた。

    実りある取材ではあったが、通話を終えた私はぐったりだった。

    会話泥棒のほうは、バリバリの現役である。

     
     
    近視+乱視+老眼。 エッセイ、創作短編、写真。 映画や読書の感想文。 それから保護猫との生活記録。 2026年 写真・イラスト投稿コンテスト #夏の1コマ 優秀賞 よろしくお願いします☺️

    あなたへのおすすめ