
嵐が大好きだった(大好き)
気付けば、人生の半分以上を嵐のファンとして過ごして来た。
大好きな嵐が、2026年5月31日、活動に幕を降ろした。
6月1日以降の世間からのあふれんばかりの賞賛と、あちこちから聞こえて来る『国民的アイドル』との言葉を聞きながら私は考えた。
『国民的アイドル』とは、なんだろうか?
固有名詞を出さないように気をつけながら、最近流行りのあるアイドルグループの話をしたい。
先にことわっておくと、特別ファンというわけではないが、好意的な目では見ていた。
飼い猫の闘病中、いつ消えてしまうかわからないほど細くなった愛おしい命の火を前に憔悴しきっていた頃、YouTubeで彼らの最新曲のMVを見た。
率直に、「様子がおかしい」と思った。(すごく褒めています)
様子がおかしくてトンチキで、でも本人たちめちゃくちゃ全力で楽しそうで。歌詞もハチャメチャだけど極限にハッピーで。
精神的に限界な頃だったけど、なんか元気が出てちょっと笑っていた。母にも奨めて、「元気出るから」とMVを見せた。
これだなぁ。と思うのである。
アイドルは、別に完全無欠な美貌の持ち主じゃなくてもいい。(最低限人好きのする容姿は必要だけど)
歌やダンスがめちゃくちゃに上手くなくてもいい。
ただ、疲れた時・つらい時・しんどい時。
ああ誰か助けてほしい。と思った時に
「元気をもらえる」存在であること。
結局はそれに尽きるのではないだろうか。
そんな風に思った時、私の頭に浮かんで来るのは、バラエティ番組で何より先に自分たちが楽しんでいつでもケラケラ笑っていた嵐の姿だった。
そしてその5人が5人で歌う歌が好きだった。
重なる声の響きが好きだった。
5人の笑顔に、歌に、何度も救われてきた。
本当に楽しかった。
一緒に何度も笑った。
ファンでいる間、本当に楽しくて幸せだった。
人生でつらかったこと、へこたれそうになったことも何度もあったけど、そのたびに嵐が元気をくれて救ってくれた。
嵐のファンでいられて本当に幸せな人生だった。
胸を張ってそう言える。
ところで『国民的アイドル』って、実は当該ファンがわざわざそうは呼ばない気がする。
いやわかんない、呼ぶのかな。
少なくとも私は嵐を国民的アイドルと呼んだことはない。
特別大ファン!というわけではない、ある程度外側にいる人がそう呼んでくれているような気がしている。
当該ファンとしては、その呼称にちょっとむずむずするまである。(内野にいる人がそう呼ぶの、ちょっと気恥ずかしくないですか?)
嵐を『国民的アイドル』にしてくれたのは、そういう、『ファン』よりはちょっと外側にいるたくさんの人たちなのかもしれない。
ファンからではなく、外から与えられる称号。
次世代の『国民的アイドル』がいつか生まれたとき。
その周りにはきっと私みたいに幸せなファンがたっっっっっくさんいるのだろう。
これからもそんな経験をする人がたくさんいてくれたらいいなぁと思う。
だってほんとに幸せだったから。
昨今は本当に流行りの流れが早いし、きっと嵐もすぐに過去のものになると思う。『国民的アイドル』と呼んでくれていた少し外側の人たちは、すぐに嵐から興味をなくすだろうな。
けど、それでいいなーとも思う。
本人たちもコントロール出来ないくらい文字通り嵐の中にいたような日々から、これからは少し距離を置いて、それぞれの"大切"を噛み締めたい。
嵐~!
私の人生を彩ってくれて、本当に本当にありがとう。
色々あったけど、結局どう転んでも私にとって嵐がいちばんなんだなって身にしみました。
きらきらの思い出を宝箱にしまって生きていくね。
