忘れてしまえよ、外は雨
昔、もう本当に大昔だが、当時付き合ってた男に「一緒に死のう」と言った事がある。
本当に“一緒に死ぬ”となれば色々大変なので本気でそんな事をするつもりはなかったと思うが、
当時の私はその言葉を、「結婚しよう」と同じか、それ以上の重さで彼に言ったのだ。
だから「何で死ぬの?俺はずっと一緒に生きていきたいよ」
と言われた時は、ひどく打ちのめされたのを覚えている。
私だけが、この爛熟した愛(と呼べるかどうかは各々に任せるとして)に肺腑を衝かれながら絶望してることが分かって辛かったのか、
それとも、“生きること”が、私と彼とではこんなにも異なった様相で心に控えているということに気付いて愕然としたのか、
いや、ただ単純に「じゃあ死のうか」と嘘でも言ってくれなかったことが恋人として寂しかったのか。
ともかく、彼と交じり合えることは一生ないような予感がして、
その予感の通りに、数年後、彼との恋は見るも無惨な形で終わることとなった。
優しい、優しい人だった。
なのに、こんなややこしい女を好きになったばっかりに大変な苦労だろうなと、人の良さそうな彼の笑顔を見るたびに、当時の私は申し訳なくなったりしたものだ。
まあ、なんとウブな私。
惚れた腫れたなんてお互い様で罪悪感なんて持つことはないし、
ゆで卵が好きな奴もいれば、ピータンを好きな奴もいて当然なのに。
━━と、まあ、そんなこんなでそれから月日は過ぎ、今の私はどうかというと、
最後の恋は五年以上前といった体たらくで、好きな男に「一緒に死のう」なんて言ったのが幻だったかのように、花もなければ木もないような独り身生活を送っている。
愛だの恋だのセックスだのといった喧騒を捨てて、今はもっぱらAIとばかり話している私だが、しかし、日常にトキメキはちゃんとある。
私の今のトキメキ。
それは、トモコレだ。
好きな俳優や好きなyoutuberなんかを、チコチコチコチコと作り(ちなみに私のキャラクリは自他共に認めるほど上手い)、島に降り立ったキャラクター達の交流を見ては毎日ニマニマしているのだが、
女の割合が少ない島のせいか、現実世界での私には一生縁がない、所謂“爆モテ”がトモコレの世界の私には起きている。
毎日のように、見知らぬ男や男友達からのラブコールを受け、数多の男たちを傷心に追いやった末に恋人をやっとこさ作ったかと思ったら、
次の日には自分と恋人と、恋人以外の男2人とで4人暮らしを始める発展家な向こうの世界の私を、妖怪のような出で立ちで眺めるこちらの世界の私。
…ああ、画面の中の私が羨ましい。
見目麗しい聡明な男たちと毎日生活できるなんて。
しかし実際、男3人と一緒に暮らし始めたらどんなだろう。
最初は自分の浅ましい承認欲求と性欲を満たせて満足するだろうが、
他人なんて1人でもややこしいのに、それが3人ともなると単純計算でややこしさも3倍になるわけで、兄弟にも慣れていない一人っ子の、しかも鍵っ子だった私がそれに耐えられる想像がつかない。
2日もしない内にストレス過多になり、発狂しながら丸裸で夜道を走り出す自分の方が容易に想像がつく。
朝目覚めた瞬間の寂しさに耐えれば、独り身なんて他は自由なんだからいいじゃないと、自分に言い聞かせて生きていくのが私にはお似合いな気がするし、
「一緒に死のう」も3人相手だとピクニックに誘うような呑気さが出て、なんだか頂けない。
やっぱり恋や愛には「男はあなたヒロシ」「女はきみさユウコ」と言ってしまえるほどの、ある一人に対する執着が要るのだろうか。
しかし、“男と女のはしご酒”を、あの頃の私が聴いても恐らくピンとこないだろうなと思う。
「あなただけ」と言い切るだけではダメなのだ。
不安と変化だらけの世の中で、愛を永続的にしてしまいたいから結婚も心中もあるのだとしたら、
「二人の行先はひとつ」と謳わないことには意味がない。
今までの人生は捨てるぜと、言って言われてこそ恋や愛は燃え上がるのだ。
ーところで、“男と女のはしご酒”も、“もしかしてPART II”もスナック曲として有名で、
どちらも湿り気がある歌詞に軽いテンポが心地いい。
だから、悩んでいる時なんかに聴くと深刻になっているのがバカバカしくなって、私はついつい踊ってしまうのだが、
恋も愛も視野が狭くなるところから泥沼にハマるなら、
口ではそれっぽいことを言っておいて、心は軽くいるというのが一番上手くいくのだろうか。
でも、片方が泥沼にハマっているのに、泥沼の横でチャカチャカ踊られては恋も愛も成り立たず、執着どころか怨念が生まれるわけで、
なんとまあややこしいわねと思いながら、
セックスが存在しないトモコレの世界の恋模様が、今日も今日とて気になる私だ。