
三日くらいずっと泣いていたい
二ヶ月ほど働いていたホスピスの契約が一旦終わったので、別のホスピスに移ることになった。
私が働き始めてから、片手の指で数えられるくらいの人が去っていった。
何気なく日々関わっていた人たちが、一人、一人と、この世界から消えていくのは、やっぱり少しひんやりとした気持ちになる。
普段は、努めて気持ちの中に線を引いている。
理屈では、理解しているし、できるだけ感じないようにしている。
それでもあと数日で自分もここを離れると思うと、妙に緩んだ気持ちから、いつもははねつけて見えないようにしてしまっている、関わる人たちへの情のようなものを思い出させられる。
生きている人も、亡くなった人も。
実際に手のひらで触れて、声をかけたぶんだけ、それがただの仕事の出来事であっても、否応なく、同じくらいの何かを私は、その人たちから受け取ってしまっている。
だから本当は、三日くらい泣き続けたい。
そんなに深くも知らないはずなのに。
関わるということから逃れられず
触れた温度だけはいつまでも消えない。
それを愛と呼んでもいいのかは知らない。
それでもやはり愛しいと思ってしまう。
どこにも伝えることもないままに、溜まっていく灰だけが白く積もる。
介護の仕事は、まるで感じないようでいて、実はすごく感じることが多いから、日頃は感じないような顔で、淡々とやっているんだけれど、結局のところ身体的に日々接触して関わる限り、そこには理屈では捉えられないような愛着のようなものが育ってしまう。
それをなんと呼ぶのかは私は知らないけれど、だからと言ってそれをその人たちに直接告げたこともないし、告げても驚かれるだろう。
だからそのぶん日々のケアの中で、丁寧にその人が痛まないように、できる限り楽なように、大切に扱われていると感じられるように、手を動かすようにしている。
と同時にこれは多分私の投影じゃないだろうか、といつも考える。
この人がいま、してほしそうなことは、私の気持ちをうつしてしまっているだけじゃないだろうか。
言われたそうなことは私が言いたいだけのことじゃないだろうか。
一つ一つを精査しながら、出してみたり、出さなかったり。
わずかな隙間から覗く、その人の意思のかけらを、少しでも拾って、少しでも多く叶えたいと思いながらも、それができない瞬間も多くて、いつも自分で反省する。
反省したとて、それはその人のためになるわけでもなく、ただの自己満足でしかないのだろうけれど、できる限り誠実にいたいと思いながら、それは誰のためなのだろうかとまたぐるぐるとする。
新しい場所も、あたりまえだけどみんな死に向かっていく。
そこにいく前に、三日くらい、ずっと泣いていたい。