
ワインバーの壁を塗りに行ったら、そっち系事務所の扉を開けていた話
昔、友人に頼まれて、ワインバーの内装を手伝いに行ったことがあって「新しく店を作るから、壁に色を塗ったりするの手伝って」と言われた。
指定された住所に向かうと、入口はしっかりしていて、まだ看板がついていない真っ白な建物があった。
というか、あとで見てみたら、窓すらついていない。
でもその時の私は、何も不思議に思わなかった。
新しく作る店なんだから、まだ何もついていなくて当然だ。
改装前の物件なのね、くらいの認識だった。
私はそのまま門を開け、階段を上がっていった。
すると、上のほうからドタドタドタッと、強面でカラフルな柄シャツを着た男性たちが十人ほど降りてきた。
え、なぜ、いい年の男たちがそんなに焦っているのだ。
私はワインバーの壁を塗りに来ただけなのに、目の前には「今日は壁を塗りましょう」ではない空気の男性たちがたくさんいる。
その時はまだ状況を理解しておらず、普通に聞いた。
「えっと、あの……○○くんいますか」
すると、二、三人同時に、
「うちの組には、そんな男いない」
と食い気味に返ってきた。
うちの組……?
組。
その言葉を聞いても、私はまだ何もわかっていなかった。
建設会社って、○○組みたいな名前のところがある。
私はワインバーの内装を手伝いに来ていたので、てっきりそういう工務店か何かの人たちなのだと。
場所を間違えたのか。
それとも苗字なら通じるかなと思い、
「んーでは……△△さんはいますか?」
と聞いたら、
「だからいない!」
と、強い言葉で追い出される形になった。
「ごめんなさい……」
と言って、なんか何も納得いかないまま、首をひねりながら、後退りするように階段を降りた。
すると、どこからともなく友人が現れて、
「ここ、ここー」
と、隣の建物を指さした。
隣だった。
私が入ろうとしていたのは、ワインバーになる予定の建物ではなかった。
そのあと、友人に聞いた。
「隣の建物って、何なん」
友人は、何でもないことのように、
「ああ、あそこは、そっち系の事務所やで」
と言った。
その瞬間、さっきまでの映像が全部つながった。
看板がない。
窓がない。
入口が妙にしっかりしている。
強面の男性たちが十人ほど降りてくる。
「うちの組にはそんな男いない」と言われる。
私は、ワインバーの壁を塗りに来たテンションで、完全に、そっち系の建物の扉を開けて、敷地に入り、ドスドスと階段を登ったのだ。
私は雑に間違えたのではない。
与えられた情報をもとに、かなり丁寧に間違えていた。
けれど、無知というのは怖い。
そして、無知というのは、妙な無敵状態にも入る。
知っていたら絶対に門なんて開けなかったし、階段なんて上がらなかった。
でも何も知らなかったので、私はただの本当の迷子だった。
たぶん向こうの人たちも、一瞬だけ混乱したと思う。
敵なのか。
客なのか。
何かの関係者なのか。
それとも本当にただの迷子なのか。
結果として私は、たぶん「ただの迷子か、ほんとうのアホ」と判断され、追い出されたんだと思う。
その後、さらによくわからないことが起きた。
友人は、その事務所の偉い人に気に入られているらしく、店の前で普通に声をかけられていた。
「店いつできるんや、ボウズ」
みたいな感じだった。
私はその横で、さっき間違えて入ろうとした場所の主のような人が、友人と普通に話しているのを見ていた。
そのあと、その人たちは大名行列のように移動し、高級車に乗り込んでいった。
私は心の中で、ただただ、ひいいいいいい、と思っていた。
こういう世界が、現実に本当にあるんだな。
後日、友人からお礼としてキーホルダーをもらった。
何のキーホルダーかよくわからないまま、サイズ的にもちょうどよかったので自転車の鍵につけて使っていた。
あとから、それがその事務所のマーク入りのものだと知った。
無知というのは、本当に怖い。
私はそのキーホルダーをつけた自転車で、普通にスーパーへ行ったり、日常を走っていた。
何も知らない一般人というのは、時々とんでもない場所を素通りする。
あの頃の私は、情報量が少なすぎて無敵だった。
人生には、あとから考えると冷や汗が出るのに、その瞬間はなぜか何もわかっていない出来事がある。
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