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ROCK ON 意馬心猿!『荷風を盗んだ男』の波紋。最終回【吾輩 ハ 伊庭心猿 ノ 孫猿 デアル】⑤

    【本記事は創作大賞2026オールカテゴリ部門応募作、全5作品の5作目です】

    命日と名前、写真での顔以外はほとんど知らない父のことを、知りたいと思い始めたのはほんの数年前、還暦が迫ってからのこと。

    急にこんなことが、ナゼキニなる?

    だがしかし、キニなるものはキニなるので、そうだインターネットがあーるじゃないか、とばかりに検索をかけてみることにしたのです。

    するともっと面白いことがわかり、私の祖父はかの文豪、永井荷風作品の偽物を売っちゃって、荷風にド叱られたというじゃああーりませんか!

    これは、私がインターネットを通じて己のルーツをたどる、ドキュメンタリー=笑撃の実話de R

    吾輩は伊庭心猿の孫でSaru①~④はこちらのマガジンに。

    真坂先生(仮名)の大予言


    亡き父は新聞記者、とはいえ、私がこの世に「こんにちは」して半年後に父はこの世に「さようなら」してしまったので、受け継いでいるのは血のみ、これだけである。

    写真すら、物心ついたころには隠されていた父の、形見のようなものがあるとすればモンブランの万年筆だったが、これすら失くした私、とーちゃん、メンゴ。

    そして、父はその頭の良さを見込まれて、俳人・伊庭心猿こと猪場毅の養嗣子となったわけであるが、伊庭心猿は言語学者でもあった。

    ここで、不思議(と思いたい)お話がある。

    あれは、私が小学校4年か、5年生の頃である。

    夏休みの自由研究で、私は物語を1冊のノートに書いて提出した。

    理科的な実験を思いついたものの、うまくいかず、思い付きで、というか、誰に見せるつもりもなく書いていた「お話」で、お茶を濁そうとしたのだ。

    ところが、この「お話」が、波紋を呼ぶ。

    担任ではなく、よそのクラスの教師、おそらく学年主任という立場の先生だったと思うが、その方にいたく気に入られちゃったのである。

    なぜよそのクラスの先生が、私のノートをみた?という気持ちと、突然、体育館の舞台へあがって、ノートを読めという指示を受け、心の中は意馬心猿。

    クラクラしながらなんとか読み終えると、その先生=真坂先生が、マイクを握りしめこうおっしゃった
    「小幡さんは将来、偉大な作家になるでしょう!」

    ええ?冗談じゃない、そんなものになってたまるか!

    というのが、その時の正直な感情de R

    今でも、その時の体育館に差し込んだ光に踊る埃の様子や、その光が当たった、真坂先生のなぜか誇らしい、晴れ晴れとした表情をくっきり覚えている。

    予言者ヨハネさながらの立ち姿であった
    (うそ。ヨハネさんみたことなき)。

    大人になって、全世界に向けて文章を書くようになるとは、お釈迦様でも知らぬ存ぜぬ、シルベーヌ(byブルボン)。

    真坂先生は、見抜いていらっしゃったのであろうか。

    記者の子に生まれて


    今回で最終回の本連載であるが、もっと書いていたかった。

    祖父について書かれた本も読み終えていないし、父の書いた記事も見つけていない。

    何より、この連載の第1回で言及した、細川護熙氏に向けての手紙もまだ書いていない。

    父の話を聞いてみたいが、覚えているかどうか、それよりも、本当に家に来たのか、まだ推測の域を出ていない上に、こればかりはご本人に確認するしかない、おなじところをぐーるぐる、というわけで結局手紙を書かないことには何も始まらないのである。

    手紙も、どこの馬の骨ともわからない人間からのものを、確実に読んでいただけるかどうかもわからない。

    私はどうして記者を目指さなかったのだろうか、それより、どうして父は記者に?というのが実は最大の謎だ。

    祖父が亡くなったのが昭和32年。

    父が昭和13年生まれなので、18、9歳で心猿が亡くなり、歌集を出したということか。

    外語大卒と聞いているので、大学入学後に心猿が亡くなっている。ということは、外語大進学は心猿の希望?何より、外語大を出ていて新聞記者、というのが腑に落ちない。

    ただ、私の名前を決めるときに、これからは国際社会だと「グローバル☆コミュニケーション」を意識していたようだから、海外で取材をしたかったのかもしれない。

    私は、外国の言葉への興味も飽くなきものがある。


    血のつながり、というものは、不思議。

    つながっていなくても、受け継がれるものもあるという、不思議。

    自分が生まれ、祖父の年も父の年も超えても、まだ生きていなければならない不思議よ。

    吾輩は伊庭心猿の孫である


    ところで、第一回冒頭部分、
    「お宅の猿はよく働くの?」
    の言葉は、書いてある通り実際に私のことをそう表現されたわけですが、正確には”言われて”はいません。

    最初に書いた通り、相手とは会ったこともなく、私はその存在すら知らない人でしたから。

    ナゼ、会ったこともない人にそんな言葉を向けられたのか、今でも理解しがたいことですが、その相手とは夫の不貞相手でした。
    (この件に関しましてはまたいずれ)

    「猿呼ばわり」されたことで、はじめ私は、深く、ブラジルまで掘り下げたいほどに傷つきました。

    だがしかし!(尾崎豊風)

    この後、私が、悪いことしたけど、文豪に一目も二目も置かれる存在だった、伊庭心猿の孫であること。

    大好きだった祖母も、同じ申年だったこと。

    これらの事実を知るにつれ、屈辱的な「猿呼ばわり」を、誇りと尊厳をとり戻すものへと昇華していったのde R

    サルで結構!高笑い、だ。

    このことを私が知るためには、この人の「助言」が必要でした、ありがとう。

    吾輩は、意馬心猿な機才・伊庭心猿の孫である。

    還暦まで、あと2年。

    意馬心猿、本来の意味は、煩悩や欲望のために心が乱れ落ち着かない様子のこと。

    しかし、私は落ち着いている。

    だが、その精神は、野生馬のように暴れまわり、猿のように叫ぶ。

    私が人生で歌い継いできた、ROCKそのものだ。

    今後も意馬心猿でGOだ。


    最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!
    第1回から第4回まではマガジンに収録済みです↓


     
     
    昭和に生まれ、昭和に育ち、昭和の内に成人した小幡リアンです。現在6つのブログを運営中。ブログには書けない、より個人的な思い出や毒舌な本音を有料限定の『裏メニュー』として綴っています。

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