
東京に置いてきた自己肯定感とアボカド【創作大賞2026】
アボカドを美味しいと思えるまで。
私は東京に置いてきた自己肯定感を、地元で20年かけて回復させた。
今なら、キラキラした東京でもアボカドを食べられるかもね。
やっと無能じゃなくなったと思えるようになった私の、
嫌いな食べ物はアボカドです!と言うようになった話。
当時、私は真四角の豆腐のような建物の中にある白を基調とした部屋で働いていた。全員お揃いのユニフォームに白衣を着用し、時折入る部屋には、入口の下駄箱の上に名前の書かれたルミネスバッジが置いてあるような職場だった。西新宿の本社から遠く離れた場所にある田舎のこの建物に配属された数人の同期は、偶然にも全員女子だった。
出会い?そんなものはなかった。
九州の田舎から上京して、ほんの少しの本社研修が終わると、東京都の隅っこにある田舎の建物に通うことになった私は、自分の田舎に毛が生えたような環境で過ごしていた。
同じ建物に通う同期のほとんどは、この場所が東京都であることを忘れていたし、私はそこが東京であることに興味もなかった。
私の仕事は、人間が生命の営みによって生み出してしまった、バグを含む有機物をコントロールすること。
バグを起こす人間の生命体としての営みを少しでも長らえさせるため、叡智を結集し、人間が作った無機物でその有機物を操作する――そんな最終的な目標に向かっていた。
都会に憧れのない私には勤務地が東京都である必要は全くなく、田舎であったことはむしろ好都合だった。
ある日、田舎の建物に通うだけの技術職20代女子を不憫に思った本社勤務の総合職の同期たちが、新宿で行われる「異業種交流会」に誘ってくれた。
普段は全身ユニフォームに着替えるため、ほぼ部屋着のような服で出勤している技術職チームの私たちは、多少のオシャレをしてワクワクしながら電車に乗り込み、大都会へと繰り出した。
私はとにかく、「どんな美味しいものが食べられるのか?」「ビールはあるのか?」「終電までにデザートは出るのか?」と心配事が尽きず、そもそも同期たちが言っている「異業種交流会」と比喩されているイベントは何か?という疑問は頭をよぎらなかった。
開催地が新宿であることも、「遠いな」くらいの感想しかなかった。
キラキラした本社勤務の同期と合流し、例の異業種交流会へ向かう。
会場で「ビールある?」と聞く私に、「え?ビール?」ときょとんとする営業部のキラキラ同期。
少しの疑問を抱きつつも、私はキラキラ同期たちの横で、運ばれてくる素敵なお料理にキラキラした目を向けていた。
聞いたことある名前の会社名を言う男子がテーブルの向かい側に並び、キラキラ同期の幹事に促されそれぞれ自己紹介をした。
ポケモンのジム戦バトルみたいだ…
しばらくしてトイレに向かいながら、もしこれがポケモンバトルならテーブルの向こうに並ぶ有名企業は何タイプなのか、あの企業の必殺技は何なのか……そんなアホらしい妄想をする私。
すると、喫煙室から出てきた男子たちが笑いながら言い放った。
「女はアボカドとエビ食わせときゃいけるっしょ?」
「だいたいの女はアボカド好きだもんね」
さっき食べたエビと一緒にサラダに入っていた、あのむにゅむにゅした緑色の何か。
あれか?あれのことか?
そして「いける」とは何を指すのか?
全く慣れることのない男子の標準語にも多少の気味悪さを感じながら、同じくらい気味の悪いむにゅむにゅした黄緑色の食べ物として、アボカドは私の頭の中にしっかりインプットされてしまった。
それ以降、私はアボカドを食べなくなった。
なぜならアボカドを食べたら「いける女」になるからだ。
残念ながら、私は都会の異業種交流会に参加し標準語を喋るキラキラ男子が思い描く「いける女」ではない。
私は、この出来事から堂々と胸を張って「嫌いな食べ物はアボカドです」と言うことにした。
非常に残念だ。遺憾だ。
こんなしょうもない出来事でアボカドの美味しさを知らないまま、私は20年もの間アボカドと無縁になった。
だが私は今、土曜の朝、アボカドを食べている。
美味しい。しかも栄養価も高い。塩とオリーブオイルだけでゆで卵と食べることを好む。
もっと早くアボカドの美味しさに気がつけばよかったな……とは思わない。
この20年間は、私にとってひっくり返るくらい価値観が変わる期間だったし、アボカドを美味しいと思える精神状態まで回復するのに必要な時間だった。
20年前の私はその後、仕事に打ち込みすぎて、あんなに楽しかった仕事が楽しくなくなり、私の地元の田舎とさほど変わらないと思っていた東京の田舎も、やはり東京だったと気がついて急にあのアボカドのように嫌いになり、そして私には何もできないという無能感だけが私に襲いかかってきた。
ある日、あの豆腐のようなフォルムの建物の職員通用口で重い体を引きずりながらタイムカードを押したのにロッカーにさえもたどり着くことができず、そのまま退出のタイムカードを押しただけで家に帰ってしまった。
そのうちあの建物に近づくこともできなくなった。
しばらくして私は東京の隅っこで無能になったのではなく、もともと無能だったのだと思い込んだ。
あのときの私は無能だった。
あまりの無能さに愕然とした私は、人間的な生活を送ることができなくなった。
事態を重く見た職場の上司が病院に行くことを勧めてくれた。
そして私はあんなに楽しかった仕事をやめ、キラキラした大都会・東京から地元に戻った。
両親は心配しながらも喜んでくれたが、私は人間らしい生活と自己肯定感や自尊心、そしてアボカドを東京に置いてきてしまった。
そんなアボカドを食べられるようになるまで、20年もの歳月がかかった。
本当に、長かったな。
この間、私は結婚をして、2人の子供に恵まれた。そして、地元で楽しく子育てをしてきた。
優しいパートナーに支えられながら、子供たちのためにと必死に過ごすうち、私はいつの間にか「人間的な生活」を取り戻していた。
振り返れば、この20年という時間は、私が人間として普通の生活を送るための「リハビリ期間」だったのかもしれない。
まるで、幼い子供が物心ついて、一歩ずつ自分としての精神的な成長を遂げていく。そんな不器用で、愛おしい子供たちの成長の過程を隣で見守りながら、私は私をもう一度生き直していたのだ。
アボカドが食卓に馴染むようになった今、アボカドを美味しいと思って食べる私はようやく、20年前の自分を優しく許せる気がした。