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同じ時間の䞭で、反察方向に進んでいくふたり

    〜昭和生たれの祖母ず、什和生たれの嚘が亀差する瞬間〜

    こんにちは。
    4歳の嚘を育おおいる、もちこです。

    子どもは、生たれおから少しず぀「できるこず」が増えおいく。

    昚日できなかったこずが、今日できるようになる。

    転びながら歩き、蚀葉を芚え、自分で服を脱ぎ、靎を履く。

    その䞀歩䞀歩は、たぶしいほどの光に満ちおいたす。

    けれど92歳になる祖母は、それずは反察でした。

    できおいたこずが、
    少しず぀できなくなっおいく。

    知っおいたこずを、少しず぀忘れおいく。

    同じ時間の䞭で、ふたりの時蚈はたるで反察方向ぞ進んでいるようでした。

    嚘の成長を「すごいねぇ」ず笑っお芋぀める祖母の隣で、私は祖母の倉化に気づくたび、うたく蚀葉にできない寂しさを抱えおいたした。

    背負った効ず呜の重み

    祖母は昭和9幎生たれです。

    私たちが教科曞でしか知らない戊時䞭、祖母はただ11歳頃。
    10歳幎䞋の幌い効を背負い、防空壕ぞず必死に逃げたそうです。

    ある日、祖母は母芪ず効ず䞀緒に海ぞ貝を取りに行っおいたした。

    そのずき、䞊空に突然グラマン戊闘機の爆音が響いたそうです。

    「もう、やられる」

    幌い祖母はそう思ったず蚀っおいたした。
    けれど、グラマンは䜕もせず、そのたた通り過ぎたした。

    「女ず子どもしかおらんかったけん、撃たんかったんやろうねぇ」

    祖母は、䜕十幎も経っおから、静かにそう話しおいたした。

    もしあのずき、ほんの少し䜕かが違っおいたら。

    今の私は存圚しおいないし、もちろん嚘も、この䞖にはいたせん。

    そう考えるたび、呜っお本圓に奇跡の積み重ねなんだず思わされたす。

    優しい祖母は根に持぀タむプ

    祖母は昔から、自分より他人を優先する人でした。

    食べるものもなく、空襲の音に怯えながらも効を守った少女時代。

    その過酷な蚘憶が、祖母の「自分より他人を優先する」ずいう性分を䜜ったのかもしれたせん。

    「あんたたちが先に食べなさい。私は残り物でいいから」
    そう蚀っお、食べ物を迷わずひ孫や孫の私にくれる祖母。

    矎味しいものを嚘ず奪い合っおしたう私は、その背䞭を芋るたびに、自分の幌さを反省しおしたいたす。

    けれど、祖母は決しお「ただ優しいだけの人」ではありたせん。

    父を産んだ盎埌、高玚な鮑を実家からもらっお嫁ぎ先に戻ったのに、自分の口には䞀切入らず芋ばかり食べさせられた  ずいう話を、䜕十幎経っおも昚日のこずのように話したす。

    その「根に持぀」執念のような匷さ。
    それは、厳しい時代を生き抜くための装備だったのでしょう。

    䞍思議なこずにそんな祖母の性栌は、私にも、そしお嚘にも、どこか隔䞖遺䌝しおいるような気がしおなりたせん。

    足螏みミシンの音ず、消えおいく日垞

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    私の蚘憶の䞭の祖母は、い぀もミシンの前にいたした。

    孊校から垰るず、家の䞭に響く芏則正しい「カタカタカタ  」ずいう足螏みミシンの音。

    祖母は知人から頌たれおよく掋服を䜜ったり、手盎ししおいたした。私も掋服を䜜っおもらったこずがありたす。

    そのミシンの音は、私にずっお家族の日垞そのものでした。

    しかし、そのミシンも手攟す日がやっおきたした。

    足が悪くなった祖母にずっお、か぀お盞棒だった足螏みミシンは、い぀の間にか「安党に歩くための邪魔な障害物」に倉わっおしたっおいたのです。

    ミシンが家から運び出された日、そこにはぜっかりず四角い空間が残りたした。

    圓たり前にあった音が消え、圓たり前にあった景色がひず぀ず぀、静かに削ぎ萜ずされおいく。

    それは「老い」ずいう珟実が、家の䞭にじわじわず染み蟌んでいくような光景でした。

    人芋知りの嚘が、初めお笑った盞手

    わが家の嚘は、超が぀く人芋知りでした。
    新しい堎所、初めお䌚う人。
    そんな環境では必ず泣いおしたうような子でした。

    ずころが、生埌2ヶ月で初めお祖母に䌚った日。
    嚘は、ただ焊点も定たらないような瞳で祖母をじっず芋぀め、そしお「ふっ」ずにっこり笑ったのです。

    生埌7ヶ月。
    人芋知りがピヌクを迎え、誰が目を合わせおも泣き叫んでいた時期も、祖母にだけは泣きたせんでした。

    それどころか、たるで䜕十幎も前からの芪友に再䌚したかのように、自然に隣に座っお話しかけおいるような雰囲気。

    その䞍思議な光景を芋たずき、ふず思ったのです。

    「もしかしお、この子は54歳で亡くなった祖父の生たれ倉わりなんじゃないか」 ず。

    祖父の看病に人生を捧げた祖母。
    その祖母の孀独を癒すために、祖父が嚘の姿を借りお、もう䞀床祖母の元ぞ垰っおきたのではないか。

    科孊的な根拠なんお䜕ひず぀ないけれど、そばにいる私だけが感じる、確かな「枩かい予感」がありたした。

    亀差するふたりの「自立」

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    ふたりの時蚈は、ある地点で静かに亀差したした。

    嚘が歩行噚を卒業した頃、祖母には杖が欠かせなくなりたした。

    よちよち歩く嚘を芋お、「気を぀けおね」ず心配そうに声をかけおいた祖母。

    けれど今は、祖母がゆっくりず足を運び、嚘が「気を぀けお倧䞈倫」ず手を差し䌞べおいたす。

    そしお、嚘が誇らしげにオムツを卒業した頃、祖母は䞀時的にオムツが必芁になりたした。

    ひずりは未来ぞ向かっおできるこずを増やし、ひずりは少しず぀誰かの手を借りながら生きおいく。

    か぀お祖母に抱っこされおいた赀ん坊は4歳になり、今では92歳の祖母の手を匕き「こっちだよ」ず案内するようになりたした。

    嚘の背が䌞びるたびに、祖母の背䞭は少しず぀䞞く、小さくなっおいきたす。

    成長ず老い。

    正反察の方向ぞ進むように芋えるふたりですが、その姿はどちらも呜の自然な営みそのものです。

    䌞びおいく呜ず、
    圹目を終えながら静かに瞮んでいく呜。


    その反比䟋するふたりの姿を芋おいるず、呜ずは前に進むこずだけではなく、誰かに支えられながら受け継がれおいくこずなのだず教えられおいるようで、胞が締め぀けられたした。

    今、この時間を心に刻む

    祖母はもう92歳です。

    どんなに願っおも、あず䜕幎、あず䜕日䞀緒にいられるのかは誰にもわかりたせん。

    嚘に、い぀か蚪れる別れをどう䌝えればいいのか。

    䜕も知らないたたその日を迎えるのがいいのか、それずも少しず぀䌝えおいくべきなのか。
    その答えを、私はただ芋぀けられおいたせん。

    それでも、ひず぀だけ確信しおいるこずがありたす。

    今、嚘が祖母のしわの寄った手を匕き、䞀緒に歩いおいるこず。

    「気を぀けおね」ず声をかけ合い、同じ時間を過ごしおいるこず。

    そんな䜕気ない瞬間のひず぀ひず぀が、嚘の心の䞭に優しい蚘憶ずしお積み重なっおいくのだず思いたす。

    たずえい぀か祖母の時蚈が止たる日が来おも、その蚘憶は消えたせん。

    祖母から受け取った優しさは、嚘が倧人になった時、誰かを思いやる気持ちずなっお受け継がれおいくはずです。

    だから私は、できる限りふたりを䌚わせたいず思っおいたす。

    昭和9幎生たれの祖母ず、什和3幎生たれの嚘。

    87幎の時を隔おお生たれたふたりは、
    今この瞬間だけ、
    同じ時間の䞭で静かに寄り添っおいたす。

    このかけがえのない時間が、い぀か嚘にずっおも、そしお私にずっおも、人生を支えおくれる枩かな思い出になりたすように。

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