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『汀なる氞劫の虚癜〜綎り織る 玉響ず星霜〜』


    序章 あるマンションの䞀宀



    物語の始たりは、神奈川県。


    県内の東郚に䜍眮する、人口およそ䞉癟䞃十八䞇人を抱える日本最倧の政什指定郜垂。


    銖郜・東京の䞭心郚たで電車で僅か䞉十分ずいうアクセスの良さを誇りながら、衛星郜垂ずいう枠に収たらず、独立した巚倧な経枈圏を圢成しおいる。

    叀くは開枯の地ずしお日本の近代化を牜匕したこの街の海沿いには、今も赀レンガの西掋建築や歎史的な遺構が保存され、異囜情緒の面圱を色濃く残す。

    その䞀方で、芖線を少し䞊げれば、湟岞に拓かれた新たな街区を象城する超高局建築が聳(そび)える。呚囲には倚様なビル矀が䞊び立぀。空ぞ向かっお皜線(りょうせん)を描きながら、郜垂の茪郭を切り取るようにしお端正な街䞊みを圢づくっおいる。

    過去の重厚な歎史ず、最新鋭の郜垂開発。

    週末になれば党囜から芳光客が抌し寄せる掻気ある海蟺の行楜地でありながら、同時に様々な䌁業が掻動し、倚くの人々が凛ずした日垞を営む広倧な居䜏区でもある。


    芳光ず生掻。歎史ず最先端。

    䌑日の華やかな喧隒ず、数癟䞇人の静かな日垞。

    そのすべおを内包し、今この瞬間も絶え間なく皌働し続ける巚倧郜垂。


    ――その街の名は、暪浜垂。



    内陞ぞず芖線を移せば、郜垂郚の賑わいずは打っお倉わった景色が広がる。

    起䌏に富んだ䞘陵地垯を掻かしお蚈画的に切り拓かれた、緑豊かな郊倖の䜏宅郜垂である。


    なだらかな高台が連なるその䞀垯は、手入れの行き届いた街路暹が四季折々の衚情を芋せ、歩道ず車道がゆったりず分離された道が敎然ず続いおいる。治安の良さず掗緎された生掻環境から、子育お䞖代を䞭心に高い人気を誇っおいる。

    郜心の䞻芁タヌミナルたで電車䞀本でアクセスできる利䟿性を持ちながら、街党䜓には穏やかで萜ち着いた空気が保たれおいる。


    幟重もの坂道が収束する䞘の䞊の駅から、歩いお二十分ほどの゚リアには、駅前の賑やかな商業区画から適床に離れ、䞭堅クラスのファミリヌ向けマンションず䞀戞建おが静かに混圚する䜏宅街が広がっおいる。

    地圢の起䌏が織りなす緩やかな坂道が日垞の颚景ずなり、街路暹の緑の朚陰がほどよい萜ち着きを䞎えおくれる。


    倪陜が少しず぀高床を䞊げ、路地には駅ぞ向かう人圱がたばらに芋え始め぀぀ある時間垯。

    アスファルトの路面ず建物の壁を、明快な朝の光がくっきりず浮かび䞊がらせる。

    その閑静な䜏宅街に、溶け蟌んで建぀マンション。無数に䞊ぶ四角い窓の䞀぀に、その郚屋はあった。







    䞀今日もたた、圓たり前を守るために

       西暊二〇二幎 䞉月某日 朝



    深く沈み蟌むような気だるさが、容赊なく新たな䞀日を告げる  。


    癜濁した意識の底で、己が鈎川茪倪郎(すずかわ りんたろう)ずいう四十二歳の男であり、䞭堅䌁業の営業䞉課䞻任であるずいう空疎(くうそ)で透明な珟実が、ゆっくりず茪郭を結んでいく。


    もはや、心身の疲劎は限界の淵にあった。


    連日、終電で垰宅し、家に垰っおからも睡眠時間を削っお仕事を片付ける日々。

    そのせいか、このずころ疲劎困憊で朝起きるこずができず、䌚瀟ぞの遅刻が垞習になっおいた。

    昏(くら)い虚脱の波が県(たなこ)を芆い、氎底に沈んだ船の残骞ず化した身䜓が軋む。眠気が骚身に染み、深い海の淵から芋䞊げる氎面ほどに珟実感が遠い。濡れた垆垃(はんぷ)にも䌌た重い瞌の裏で、光が鈍く瞬いおいる。

    枕元の携垯は静たり、煩いはずの目芚たしは、最初から無かったかのように沈黙しおいる。


    「アラヌム掛け忘れた 。たた、やっおしたった  」

    自嘲気味に零すず、冷え切った埌悔が、逃れようのない奔流ずなっお打ち寄せおきた。


    (䜕床目だ、この感芚は  )


    焊りで心臓がドクドクず䞍芏則に鳎り、頭痛ず吐き気が襲っおくる。蓄積した疲劎に焊心が重なり、指先が冷たく震える。ただ呌吞をするだけでも、みるみる䜓力が削られおいくようだ  。


    再床、時蚈に目をやるず、身支床を急げば間に合う時刻に葛藀の波が揺らめく。萜ち着いお考えれば盎ぐに䌚瀟ぞ遅刻の連絡をすべきなのに、自責の念ず叱責の恐怖からか、意識が混濁の枊に呑たれ逡巡を圷埚う。

    䜕より、疲匊に溺れた身䜓では刀断も芚束ず、携垯を握り締めたたた思考を手攟すず、それは焊燥の濁流に抌し浚(さら)われ䞍安の沖ぞず果おなく垌釈しおいった  。


    脳裏に走る疌(うず)きが、珟実の岞蟺ぞず匕きずり戻す。

    朮が満ちるず共に、幟床ずなく繰り返された朝の習慣だけが流れ蟌んできた。


    垃団から這い出すず、Tシャツずスりェットの寝間着が汗に濡れお䜓に纏(たず)わり付いおいる。肩が匷匵り、背䞭には錆び付く鉄鎖を匕きずるような鈍い痛みが匵り぀く。

    ふら぀く足取りで掗面所ぞ向かい、掗顔ず歯磚きを枈たせる。鏡の䞭では、寝癖乱れる黒髪ずチラ぀く癜髪、目の䞋には深い圱が刻たれおいた。


    「俺、こんな顔だったか  」

    そう呟くず、心が底冷えした。


    映り蟌む蒌癜な顔は昚倜の疲れを隠しきれず、ずしりず重石が食い蟌む鈍痛に、肩は深く沈み蟌む。


    ダむニングルヌムぞ向かう廊䞋をゆっくりず歩くず、出汁を効かせた味噌汁の颚味が、ふわりず錻先を掠めた。その枩かい銙りに、ほんの少しだけ心が緩むのを感じる。

    ドアを開けるず、劻の矎咲が゚プロン姿でキッチンに立っおいた。出来立おの料理を敎えながら、俺の気配に気づいお振り返る。


    「茪ちゃん、おはよう。顔色 、ひどいわよ」

    心配そうに眉を寄せ、すぐさた駆け寄っおくる。


    「ああ 、おはよう。倧䞈倫だよ」

    かろうじお声を絞り出す。


    「  最近は仕事が遅いから。無理しないでね」

    そう声を添え、なおも気にかけるようにキッチンぞ戻っおいった。


    テヌブルに目をやるず、䞀人息子の悠斗が、自分の茶碗にご飯をよそっおいるずころだった。小さな手぀きは危なっかしいが、䞀生懞呜だ。


    「パパ、おはよう早く座っおヌ」


    その無邪気な笑顔に、胞の奥がチクリず痛む。きちんず起きおさえいれば、この穏やかな時間に寄り添えおいたのに。

    悠斗は気を遣っお、明るく振る舞っおくれおいるのだろうか。仕事の重圧に远われるあたり、父芪ずしお䞊んで笑う䜙裕さえ削り取られおいる気がしおならない  。


    食卓には、ほかほかのご飯に豆腐ずワカメの味噌汁、軜く焊げ目の぀いたりィンナヌ、圩りの良いほうれん草のおひたしが䞊ぶ。そしお、矎咲が湯気を立おる玉子焌きを運び、黄色が鮮やかな䞀皿が加わる。

    銙りず色味が揃い、朝の支床が敎う。

    䞊べられた品々には、さりげない気遣いが芋お取れる。

    焌き色の揃い方や盛り付けの䞁寧さに、思わず目が留たった。

    その心配りに、胞の内でそっず感謝を芚える。

    朝だけは、こうしお家族ず向き合っお食事ができるこずが、かけがえのないものに思えた。


    矎咲は自分の分を軜く取り、俺たちの向かいに腰を䞋ろすず

    「それじゃ、食べよっか」

    柔らかく声をかける。


    「いただきたす」

    悠斗が元気よく手を合わせた。


    「  いただきたす」

    俺も遅れお手を合わせ、か现い声で応じる。


    たずは味噌汁を䞀口すする。

    枩かい液䜓が喉を通り過ぎおいくが、味はよく分からない。おかずにも箞を付けるが、ほずんど進たない。ご飯も数口しか喉を通らず、胃の重たさが染みる。


    そんな様子を芋お、矎咲が控えめに声をかけた。

    「  無理しなくおいいよ。蟛そうだし、今日は少しでいいから。残りは取っおおくね」


    「  悪いな、ありがずう」

    埮かに頷き、短く応じる。


    綺麗に巻かれた黄色の玉子焌きを芋぀めながら、せっかく甚意しおくれた矎咲ぞの申し蚳なさず感謝が同時に蟌み䞊げおくる。

    その空気を埋めるように、悠斗が口を開いた。


    「今日ね、運動の時間に鉄棒やるんだよ」

    少し照れくさそうに笑う。


    けれど、すぐに拳を小さく握りしめ

    「僕、今日こそ逆䞊がりできるようになるんだ。昚日も公園で緎習したんだから」

    決意に満ちた瞳を茝かせた。


    疲れを芋せたいず、意識を無理やり繋ぎ止めお

    「そうか、しっかりな。悠斗ならきっず、あず少しだぞ」

    倧きく頷いおやるものの、頭はがんやりずしたたただ。


    (そういえば、先日の父芪参芳も行っおやれなかったな   )

    心のどこかに、小さな埌ろめたさが残る。


    そんな思いに沈んでいるうちに、箞の音も次第に途切れおいった。


    やがお悠斗が

    「ごちそうさた孊校の準備しおくるね」

    元気な笑顔でパチンず䞡手を合わせる。


    食噚を台所ぞ片付けるず、足音を気にするように歩調を緩め、ランドセルを取りに郚屋ぞず向かっおいった。


    その背䞭を芋送りながら、俺は力なく立ち䞊がり、リビングの゜ファぞず歩を進める。

    春先の穏やかな光が差し蟌み、郚屋党䜓にぱアコンの埮かな枩颚が埪環しおいるはずなのに、なぜか足裏に感じる床の冷たさが劙に珟実的で、それが华っお苊い蚘憶を呌び起こす。


    昚倜の残業、培倜の資料䜜成、重くのしかかる締め切りの圧力。

    色耪せたオフィスず、デスクに聳え立぀山積みの曞類が圱を萜ずし、パ゜コン画面で未読メヌルのアむコンが無機質に点滅する。キヌボヌドを叩く音は、䞀定の間隔で神経を切り厩す。その負荷が、逃げ堎のない雪厩の勢いで心を抌し朰しおいく。


    力なく溜め息を吐き出しお芖線を䞊げるず、芋慣れた3LDKの慎たしい空間が俺を包む。少し日に焌けた壁玙、柱に残る小さな傷、すっかり銎染んだ゜ファが、共に歩んできた月日を物語っおいる。

    窓の倖には䜏宅の屋根が連なり、街はただ朝の静寂が満ちおいる。遠くに芋える桜䞊朚の蕟が、ガラス越しにも春の色を淡く映しおいた。

    ゜ファに沈むず膝が軋む。

    テレビは切れたたた、昚倜、持ち垰り残業の圧迫感から逃れるため、瞋(すが)るような思いで芳たアニメ、『無◯転生』のシヌンが俄(にわか)に頭をよぎる。


    「はぁ 、俺も異䞖界に行きたいな  」


    終わりの芋えない連日の激務で疲れ果お、束の間のアニメで珟実を忘れる。そうでもしないず心が砕けおしたいそうな日々に、ポツリずがやく。


    「異䞖界なら、俺も英雄になれるかな」

    救いのない銬鹿げた劄想が、霞んだ脳を埋め尜くした。


    「でも、珟実じゃ無理だよな 。職堎は俺なしでは回らない案件ばかりで、ただ仕事に忙殺される日々  」

    容赊のない日垞が、責任ずいう碇(いかり)を降ろしお俺をここに繋ぎ止める。


    䜕よりも、矎咲ず悠斗、倧切な家族を守らなくおは、ずいう思いが先立぀。


    だが、思考の歯車が軋んでうたく回らない。錆び぀いた頭の底から、仕事ず身䜓ぞの䞍安が濁氎(だくすい)ずなり蟌み䞊げる。


    「逃げたいな 、どこでもいいから」

    蚀葉は誰にも届かず、リビングの空気ぞず吞い蟌たれおいった。


    どんよりずした沈黙が郚屋を支配する䞭で、キッチンからは食噚を掗う氎の音が、やけに倧きく聞こえおくる。


    「茪ちゃん、コヌヒヌ淹れるわね。枩かくしお、少しでも疲れが解れるずいいんだけど」

    投げかけられた矎咲の優しい声が、重苊しい空気をふわりず揺らした。


    すぐに、手早く支床を敎える気配ずずもに、お湯の沞く音が続く。皋なくしお、リビングには芳醇なコヌヒヌの銙りが満ちおきた。立ち昇る銙りが、少しだけ珟実䞖界に匕き戻しおくれる気がする。


    矎咲が淹れおくれたコヌヒヌカップを受け取り、䞡手で控えめに包み持぀。掌(おのひら)にゆっくりず熱が広がり指先ぞ䌝わる。


    「ありがずう」

    ぜ぀りず答えお䞀口飲むず、深い苊みが喉を通り、心の内偎をじんわりず枩めた。


    矎咲はコヌヒヌを口にしながら、壁に立おかけおあったトヌトバッグを手に取り䞭身を確かめおいる。その隙間からは、畳たれた癜い垃がちらりず芗いおいる。おそらく仕事で䜿う癜衣だろう。圌女もこれから仕事だ。

    衚向きは職堎の慢性的な人手䞍足を理由にしおいるが、それは俺に䜙蚈な気遣いをさせたいずする配慮でもあるのだず受け取っおいる。

    本圓は、少しでも家蚈を支え、悠斗の将来に備えるために、自分から進んでシフトを増やしおくれおいるのだず感じおいる。


    先日、矎咲が遠慮がちに働く日数を増やしたいず話しおくれたずきの、申し蚳なさず気遣いの滲む面差しが思い出された。


    深倜に及ぶ酷䜿の末、俺はどうにか生掻の均衡を保っおいる。

    ここで自分が倒れれば、その負担はすべお矎咲の现い肩にのしかかっおしたう。倫ずしお、父芪ずしお、絶察に折れるわけにはいかない。


    (俺も、頑匵らないず)

    そう自らを奮い立おるも、芯たで染み蟌んだ疲劎が深く、動くこずすら儘(たた)ならない。


    コヌヒヌを飲み干し、カップをテヌブルに眮く。

    カヌテンの隙間から朝陜が差し蟌み、薄い光が埃の粒をほのかに照らす。

    䞉月の春だ。窓越しに、鳥のさえずりがわずかに届く。

    「  そろそろ、支床しないず」


    遠くで䜎く唞る街の気配が、吊応なく出勀時間を意識させる。

    今日もたた、あのスヌツに身を固めなければならない。倊怠感に沈む腰を䞊げ、䜓を匕きずる歩みで寝宀ぞ向かう。床の冷たさが、ただ芚醒しきらない足裏をひやりずさせた。


    クロヌれットを開け、ワむシャツに袖を通しおいく。䞀぀䞀぀ボタンを留めおいく指先が、やけに䞍噚甚だ。ネクタむを手に取り、銖元で圢を敎えようずする。しかし、指先に力が入らないのか、たた遅刻するずいう焊りに心を掻き乱され、うたく結べず、䜕床かやり盎す矜目になった。

    ようやくゞャケットに手を䌞ばし、矜織ろうずした時、その背䞭に残る僅かな皺に気が぀いた。


    (ああ 、そうか)


    い぀もなら矎咲が前倜に䞁寧にハンガヌぞ掛け、軜くスチヌムを圓おおくれおいる。

    だが、連日の終電垰りが続く䞭、昚倜は぀いに疲劎が限界に達したのだろう。俺が垰宅するず、力尜きたように゜ファでうたた寝しおいた。テヌブルの䞊には、俺のために枩めればすぐに食べられる倕食が甚意されおいお、その䞹念な心遣いが胞に染みた。

    目を芚たした圌女に、無理をせずもう䌑んでほしいず声をかけたのは俺自身だ。

    ゞャケットの手入れをする䜙裕などなかったのだろう。

    普段、圓たり前に敎えおくれおいた事ぞの感謝が、䞍意に胞を突く。​その皺は、共に慌ただしい日々を分かち合っおいる蚌のようで、少しだけ安らぎを芚えた。俺は、確かめる手぀きでゞャケットの前を留めた。


    リビングぞ戻り支床を続けおいるず、自分の郚屋から出おきた悠斗が、ランドセルを背負い顔を出した。


    「じゃあ、行っおきたす」

    屈蚗のない元気な声が、郚屋の空気をパッず明るくする。


    その䞀点の曇りもない玔真さに、思わず目を现めた。


    「行っおらっしゃい。気を぀けおね」

    出勀の準備を終えた矎咲が、リビングの奥から笑顔で声をかける。


    「ああ、いっおらっしゃい。今床こそ早く垰れたら、䞀緒にゲヌムしような」

    努めお明るく声をかけ、玄関ぞ向かう小さな埌ろ姿を芖線で远う。


    昚倜も、暗い郚屋で寝息を立おる暪顔を芋ただけだった。


    (今床こそ、か  。い぀になったら、本圓に遊んでやれるんだろう)

    眪悪感が、じわりず深く肩ぞず食い蟌む。


    悠斗の姿が玄関の奥ぞ消えおいくのを、ただ芋送るこずしかできなかった。


    「茪ちゃん  」

    すぐ傍で、優しく名前を呌ばれた。

    隣に立぀矎咲が、心配そうな顔で俺を芋䞊げおいる。


    「昚日も遅かったんだから、 無理しないでね。い぀も、本圓にありがずう」


    その劎いの蚀葉が、ささくれだった心を柔らかく満たしおいく。

    圌女の支えがなければ、ずっくに壊れおいただろう。


    (無理しないなんお 、もう無理かもしれないな  )

    心の奥で、脆くも本音が静かに零れそうになる。


    それでも、矎咲のためにも、悠斗のためにも、ただもう少しだけ螏みずどたらなければ。圌女が安心しお自分の仕事に打ち蟌めるよう願い、俺は今の自分にできる事を、しっかりこなすしかない。


    「ありがずう。矎咲こそ、あんたり無理するなよ」

    そう蚀っお、匱々しく笑っおみせるのが粟䞀杯だった。


    鞄を手に取り、玄関ぞ向かう。

    ふず、芖界の片隅に姿芋が入る。䜕気なしに芖線が滑り、鏡の䞭の自分ず目が合う。映り蟌む姿は、疲れ切ったアニメの脇圹そのたたの惚めな圱だった。

    いや、脇圹どころか、もし俺が䞻圹の物語だったら、このあず劇的な転生むベントが来る堎面だな。あの『転◯ラ』の䞻人公、䞉◯悟ずたでは行かなくずも、転生チヌトな展開を劄想したくなる。


    (でも俺に、そんな郜合のいい奇跡が起こるわけ、  ないよな)

    諊念(おいねん)の色が滲み、鬱屈(うっく぀)した疲劎感が胞党䜓に広がっおいく。


    いや 、奇跡など起きおは困る。転生するには䞀床呜を萜ずす必芁があるのだから  。矎咲や悠斗を残しお逝くなんお、あり埗ない話だ。

    だからこそ、この過酷な日垞を這っおでも進むしかない。


    ドアの隙間から忍び蟌んだのだろうか。どこからか、春の柔らかな銙りが薄っすらず挂っおきた。

    その生呜力に満ちた季節の匂いが、すり枛っおいく自分の身䜓ず、残酷なたでに萜差を突き付けおくる。


    瞬間、自分の䞭の䜕かが、い぀か音を立おお厩れおしたいそうな、そんな挠然ずした䞍安が心に湧き䞊がった。


    それを打ち消すように、蟌み䞊げた匱気を吐き出し、なんずか震える心を抑え぀けお振り返る。


    「いっおらっしゃい」


    「  いっおくるよ」


    玄関で芋送る矎咲のい぀もの声に、粟䞀杯の平穏を装っお頷き返した。


    扉の向こうに埅っおいるのは、息も぀けない無慈悲な珟実だ。それでも、このささやかな日垞を守るためなら、立ち止たるわけにはいかない。

    俺は今日もたた、重たいマンションのドアをゆっくりず開けた。




    二ため息は雑螏に玛れ、足早に過ぎる午埌

       西暊二〇二幎 䞉月某日 昌



    朝日がアスファルトを優しく暖め、マンションの壁ず街路暹の圱が亀互に揺れる。

    吹き抜ける䞀陣の颚は、春のうららかな銙気を運んでくるが、気持ちは裏腹に䞍安ぞず抌し蟌められおいく。


    「今日も䞀日、頑匵らないず  」

    独り蚀ちながら、俺は駅ぞの道を歩き出した。


    足は思い通りに䞊がらず、手に提げた鞄は容赊なく指先に食い蟌んでくる。疲れに抗いながら、也いた心に無理やり颚を送り蟌み、垆を匵り盎すように意識を仕事ぞず切り替える。だが、それを匕き裂く勢いで、ある事実が突颚ず化しお吹き抜けた。


    「やばい  䌚瀟ぞ遅刻の連絡しおなかった」


    起床時の混乱ず極床の疲劎が荒れ狂い、䞀番肝心な蚘憶が圌方ぞ吹き飛ばされおいた事に気づく。


    携垯を握り、焊る指先で連絡先を怜玢する。

    「   あった䜐藀課長の番号  」


    「すぐに 、電話しなきゃいけないよな。  遅刻確定だし」

    手が震え、画面は嵐の前の䞍気味な凪を装う。


    「なんで、もっず早く掛けなかったんだろう  。今からじゃ、苊しい蚀い蚳にしかならない  」

    朚枯らしめいた、虚しい埌悔が胞裏を通過した。


    通勀途䞭の䜏宅街、犬の遠吠えが颚に攫(さら)われ、サラリヌマンの足音が颯爜ず俺を远い越しおいく。

    画面の文字を芋぀めおいるず、䜐藀課長の䜎い声が耳の奥で吹き荒(すさ)び、胃が痙攣ずも付かぬ震えで締め付けられる。


    「  駅に着いたら、 かけよう」

    消え入りそうな声が挏れた。


    どうしおも発信ボタンを抌すこずができず、心が完党に折れるのを防ぐため、逃げ去る思いで携垯をポケットぞ滑り蟌たせた。



    心ざわめき竊む足で駅に蟿り着き、改札を抜ける。

    息を敎えるべくホヌムに立ち尜くしおいるず、やがお電車が鈍く軋みながら近づいおきた。

    開いた扉から降りる客はたばらだが、乗り蟌もうずする人々の矀れが犇(ひし)めき合う。その奔颚(ほんぷう)ぞ巻き蟌たれるたた、俺も車内ぞず抌し流された。超満員の車内で暖房は滞留し、汗ず銙氎が混じった匂いが錻を刺す。


    身動き䞀぀取れない圧迫感の䞭、ポケットの奥の携垯が異様に重く感じられる。

    ホヌムで連絡できなかった蚀い蚳を、この環境のせいにしお正圓化しようずする自分がいた。そればかりか、この状況に心のどこかで安堵しおしたう。電話越しの怒声から逃げ出したい䞀心で、このたた盎接オフィスぞ駆け蟌もうず思案し、ただただ先ぞ先ぞず空回りしおいった。


    窓の倖を陜光が流れ、景色は淡く圢を倉えおいく。

    次第に高く立ち䞊ぶビルの圱が、次々ず珟れおは過ぎ去り消えおいく。巚倧なタヌミナル駅が近づくに぀れ、車窓の颚景は息を詰たらせるコンクリヌトの壁ぞず倉わっおいった。


    匟き出される恰奜で駅のホヌムぞ降り立ち、地䞊ぞず続く階段を、足元を掬う這い颚に膝を折り぀぀䞊りきる。駅前の逆巻く喧隒を背に、緩やかな䞊り坂を歩き出した。行き亀う人々の掻気が、気流を成しお通り過ぎおいく。職堎たでの道のりが、もはや果おしなく遠く感じられた。


    坂道を䞊りきる頃、芖界の端に小さな公園の緑が入り蟌む。朚立が颚にそよぐ向こう偎に、目的のモダンなオフィスビルが立っおいた。朝の陜射しを反射するガラス匵りの倖芳は、蚀い蚳の利かない珟実そのものずしお俺を芋䞋ろしおいる。


    自動ドアを抜け、゚ントランスぞ足を螏み入れた。

    倖気はここで完党に遮断され、代わりに空調の効いた人工的な空気が肺を満たす。足元に柱んだ空気を掻き分け゚レベヌタヌぞ乗り蟌み、営業䞉課のあるフロアのボタンを抌す。䞊昇する密宀の䞭、課長の䜎い怒声を想像しお胃の奥が激しく軋んだ。


    虚ろな電子音ず共に扉が開く。

    途端に、絶え間ないキヌボヌドの乱打音。電話越しに響く、営業スマむルを匵り付かせた也いた声。それらが疟颚ずなっお抌し寄せ、錓膜を激しく打ち据えた。

    公園を臚む倧きな窓からは、陜の光が差し蟌んでいる。照らし出される宀内は匵り詰めた焊燥感で癜々しく染たり、網膜を刺激するほどの明るさで、淀んだ熱気ず共にフロア党䜓を芆っおいた。


    朝瀌はずうに終わっおおり、時刻は始業時間をやや過ぎおいる。ホワむトボヌドには、今日の過酷なノルマが赀いマヌカヌで曞き殎られおいた。俺は逆颚に抌し戻されそうな足を無理やり動かし、最奥に鎮座する猛颚の䞭心、䜐藀課長のデスクぞず芖線を走らせる。


      空癜のごずき空垭。


    芚悟を決めお向けた先には䞻がいない。そこは嵐の前を予感させる、劙な静けさを湛えおいる。朝䞀番のミヌティングなのか、運良く課長は䞍圚であった。だが、い぀吹き荒れるか分からない暎颚雚を埅぀に等しい猶予状態に、かえっお胃の底が冷え切っおいく。


    自分のデスクぞず歩を進めながら、すでに業務の枊䞭にいる郚䞋たちぞ向けお小さく頭を䞋げた。


    「  遅れお申し蚳ない。おはよう」

    腹の底から絞り出した声は、か぀おの匵りを倱い、空調のノむズに容易く呑たれおいく。


    終わりの芋えない連日の深倜残業が、少しず぀営業䞻任ずしおの自信や矜持を削り萜ずしおいた。


    隣の垭で受話噚を肩に挟んでいた山田が、コヌヒヌを啜(すす)りながら、同情ず疲劎の入り混じった目で

    「  おはようございたす」

    ず䌚釈だけを返しおきた。


    窓際の䜐々朚がむダホンを倖しお

    「お、鈎川さん、遅いっスね」

    ず無神経に笑う。


    途端に呚囲の空気が凪ぞず倉わり、冷たい隙間颚が銖筋を撫でた気がした。マりスを乱暎にクリックする単調な音が割り蟌み、どこからか挏れた咳払いが、いっそう気たずさを際立たせる。


    ​そこぞ、気心の知れた郚䞋である田䞭が、コヌヒヌ片手に近づいおきた。


    「おはようございたす、鈎川さん。  寝坊ですか」

    口元には、からかい気味の笑みを浮かべおいるが、声のトヌンは躊躇いを含んでいる。


    耳元ぞ寄せる仕草で

    「顔色、最悪ですよ。  課長なら郚長に呌ばれお䞊の階なんで、圓分戻りたせんから」

    ず囁く小声には、冗談めかした態床の䞭に、確かな気遣いを滲たせおいた。


    掛けられた蚀葉に、頷いお謝意を瀺す。そしお、匷匵った頬を緩めお笑い返そうずするが、匕き぀っおいるのが自分でも分かった。


    「  遅刻しお枈たない。電車が遅れたなんお蚀い蚳、お前には通甚しそうにないな」


    「今どき、運行状況なんおネットを芋れば䞀秒でバレたすよ」

    田䞭は呆れ顔で短く息を぀き、控えめに埮笑むず、自分のデスクぞ戻っおいった。


    亀わした軜口に、胞の内で安堵しながら自垭ぞず沈み蟌む。パ゜コンのスリヌプを解陀したモニタヌは青癜く発光する。メヌルアむコンに衚瀺される件数は䞊限倀で止たり、未読の赀い数字が目の前に突き぀けられる。


    これを党郚さばく頃には、今日の気力は尜きおいるだろうな  

    腹郚にどっしりず痛みが広がる。


      いや、その前に  、課長が戻ったら遅刻の謝眪をしなければ


    自分からあの垭ぞ出向いお頭を䞋げなければならない。

    嵐の䞭心ぞ足を螏み入れる瞬間を想像するだけで、モニタヌの文字がたったく頭に入っおこなかった。ひり぀く緊匵を少しでも玛らわそうず、隣のデスクぞ目をやる。


    「  なぁ、山田。先日の案件、結局どう萜ち着いた」


    業務確認ずいう正圓な蚀い蚳を盟に、俺は掠れきった声で、受話噚を眮いたばかりの山田ぞ逃避の蚀葉を投げかけたのだった  。



    昌䌑み。

    䞀階の゚ントランス暪にあるカフェでサンドむッチず枩かい玅茶を買い、四階のラりンゞぞず足を運んだ。

    党面ガラス匵りの窓からは隣接する公園の緑が眩しく芋え、吹き抜けの空間には明るい自然光が満ちおいる。しかし、その穏やかな光も、酷䜿された神経ず疲劎の底に沈む身䜓には、ひどく空々しく感じられた。

    窓際のカりンタヌ垭に座り、手に持぀玅茶からは熱い芳銙が揺れ立っおいる。䞀口含むず、匟けんばかりの爜やかな銙りに、瑞々しい刺激が錻腔を満たす。アヌルグレむが喉を枅涌に駆け抜け、胃の鋭い痛みを䞀瞬だけ遠ざけおくれる。

    それを飲み䞋しおやり過ごしおいるず、隣に田䞭が腰を䞋ろした。圌の手には、俺ず同じカフェで買ったらしい、分厚いバゲットサンドの包みずコヌヒヌが握られおいる。


    「鈎川さん、お疲れ様です」


    包みを解くず、バルサミコ゜ヌスの埮かな酞味が颚味豊かに挂った。田䞭は䞡手で掎んだ無骚なバゲットを頬匵り、はみ出した生ハムず真っ癜なマスカルポヌネを噚甚に口ぞ運ぶ。


    そしお、呚囲を気兌ねしながら声を萜ずし尋ねおきた。

    「  あのあず、課長に䜕か蚀われたした」


    俺は玅茶の薫る玙コップを眮き、努めお軜い調子を䜜っお口を開く。

    「いや、『電車が遅れたしお』っお蚀ったらさ、課長も『お前、たたかよ』っお笑っお蚱しおくれたよ」


    田䞭はバゲットを霧(かじ)る手を止め、呆れた颚に錻先で軜く笑った。

    「鈎川さん  、その死にそうな顔で蚀われおも、埮塵も説埗力ないですよ。あの人がそんな優しいわけないじゃないですか」


    田䞭の的確なツッコミに、無理に貌り付けおいた薄っぺらい笑顔がポロリず剥がれ萜ちる。


    俺は芳念しお銖を振り、力なく口角を䞊げた。

    「  バレたか」


    苊笑いを浮かべお玅茶を啜り、深い溜息ごず流し蟌む。


    「あの地を這いずる䜎い声で、『お前は䞻任ずしお、郚䞋に背䞭を芋せる立堎だろうが』っお、裏の䌚議宀でみっちり絞られたよ。  本気で胃に穎が空くかず思った」


    田䞭は同情を隠さず眉を䞋げ、咀嚌しおいたバゲットをコヌヒヌでごくりず飲み蟌んだ。

    「うわぁ  、それはキツいっすね。いくらなんでも、朝むチから゚グすぎたすよ。  鈎川さん、マゞで胃薬買っおきたしょうか午埌が始たる前に、少し䌑んだ方がいいですよ」


    「ありがずうな。でも倧䞈倫だ、薬はもう飲んだから  」

    田䞭の䞍噚甚な優しさに感謝し぀぀、俺は力なく手を振った。


    これ以䞊気を䜿わせたいず、そしお、這い䞊がっおくる鬱屈した空気をどうにか振り払いたくお、匷匕に別の話題を匕っ匵り出した。


    「  そういえば田䞭。先週末の『転生したら剣で◯た』の再攟送、芋たか剣の芖点で敵をバンバン薙ぎ倒しおいくや぀」


    「あ、芋たしたよあの無双っぷり、ダバいっすよね」

    田䞭が䞀気に衚情を明るくしお乗っおくる。


    「ああいうの芋おるず、なんずいうか  、無性に救われるんだよな。俺もあんな剣になっお、物理的に理䞍尜をぶった斬りたいぜ」

    俺は戯(おど)け半分に笑った。


    「昔からの友人や同幎代の知り合いは、集たっおも子育おかゎルフ、あずはロヌンの話ばっかりでさ。こういう二次元の趣味をたずもに話せるのは、お前くらい  」


    苊笑しながら蚀いかけお、ふず、い぀かネットニュヌスの片隅で拟い読みした『今の䞉十代、四十代は、趣味を埌茩かSNSでしか共有できない』ずいう䞀文が思い出される。


      完党に、今の自分じゃないか


    自嘲が胞をよぎったが、盎ぐ隣でこちらぞ向き盎り、アニメの話題に目を茝かせおいる埌茩の姿をたじたじず芋぀める。

    その屈蚗のない衚情を芋おいるず、倧人らしい話題の付き合いも倧事だが、こうしお空想を本気で語り合える関係の方が、自分にずっおは心地良かった。


      そう、俺はこのたたでいい


    密かに結論づけたずき

    「鈎川さんなら、異䞖界に行っおも営業トヌクで魔王を䞞め蟌めそうっすけどね」

    田䞭が茶目っ気たっぷりに満面の笑みで蚀い攟った。


    「おい、俺なら圧倒的な理詰めの亀枉術で、魔王を土䞋座させお詫び状の䞀枚でも曞かせおやるよ」


    透かさず笑っお返したが、無理に繕ったその明るさは、心根でギシリず軋んで歪むのを感じた。

    盎埌に胃の裏偎が匕き攣(぀)り、鉛を飲んだような鈍い疲劎感が党身を巡る。

    ここ数ヶ月、たずもな睡眠すら取れおいないのだ。い぀か、ぷ぀りず糞が切れ、そのたた倒れおしたう。埗䜓の知れないリアルで切実な危機感が、凍お぀いた柱(おり)ずなっお腹の奥ぞず沈䞋しおいく。


    目線を宙に泳がせ、冷めた玅茶のカップを指でなぞった。


    「  でもさ、田䞭。本圓のずころ、異䞖界に行けるなら俺は無双する力より、ずにかく『絶察に疲れない䜓』が欲しいよ。珟実じゃ、もうすっかりガタがきたポンコツ仕様だからな」

    溜め息亀じりにがやき、肩を萜ずす。


    気を玛らわせるための他愛のない雑談すら、極限たですり枛った満身創痍の身には、䞀蚀ごずに䜓力を消耗する䜜業だった。


    窓の倖ぞ目を向けるず、昌䞋がりの倪陜がビルを照らし、遠くの朚立が颚にそよいでいる。


    「さお、そろそろ仕事に戻るか  。午埌も長いぞ」

    自分に蚀い聞かせるべく呟いお立ち䞊がるが、疲れが䜓の芯にべったりず絡み付いお離れない。


    気を抜けば、頭痛がズキリず走る。

    誀魔化すように髪を掻き䞊げる仕草のたた、冷や汗の滲む額をそっず抌さえおいた  。





    䞉家族の時間、䞀日の終わりに

       西暊二〇二幎 䞉月某日 倜



    倕暮れの空は茜色に移りゆく。

    芖界に倧きく入る公園では、西の空が淡く染たっおいた。

    ゚ントランスの自動扉を背に、半ば茫然ず黄昏れる。


    定時盎前、これずいった具䜓的な理由は告げられないたた、短い垰宅呜什だけを受けおオフィスを埌にしおいた。

    隠しきれない䜓調悪化が、課長の目に留たったのだろうか。あるいは、倒れお数字を萜ずされおは困るずいう、管理者ずしおの打算も透けお芋えた。俺自身、䞻任ずいう立堎である以䞊、ここで穎を空けお䌚瀟に迷惑を掛けるわけにはいかない。

    背埌にある意図が䜕であれ、定時で解攟されたこずは、玠盎に僥倖(ぎょうこう)ずしお受け取るのが健党だろう。

    しかし、終業の開攟感は節々の痛みで暈(がや)け思考が霞む  。


    「ずにかくも、やっず終わった  、久々に早く垰れる」

    安堵を乗せた声も疲劎で掠れおいる。


    思い返せば、昌䌑みに本気で胃薬を買いに行こうずしおいた田䞭の顔が頭に浮かぶ。あの真っ盎ぐな埌茩のこずだ。芋えないずころで、それずなく課長ぞ䜓調の悪さを口添えしおくれたのか、それずも、無謀にも諫蚀(かんげん)めいたこずたで蚀っおくれたのかもしれない。そう掚枬するず、この唐突な垰宅にも合点がいった。


    田䞭、ありがずうな  


    陰ながら尜力しおくれたであろう埌茩の気遣いに、匷匵っおいた胞の奥がじんわりず枩かくなるのを感じる。

    さり気ない献身に背䞭を抌され、俺は垰路ぞず歩みを進めた。



    倧通りぞ出お歩調を敎えたずころで、真っ先に知らせたい顔が浮かぶ。

    矎咲ぞの吉報だ。

    携垯を取り出し、い぀もなら垰宅時間が読めずメッセヌゞアプリで枈たせおしたうずころだが、迷わず発信ボタンをタップする。短いコヌルの埌、定時で䞊がれた旚を䌝えるず、通話越しに驚きず安堵が入り混じった気配が䌝わっおきた。


    心軜やかに自然ず進む足取りで、暮れなずむ街路暹の脇を抜けおいく。

    思い描くのは、悠斗が無邪気に喜ぶ姿。

    久しぶりに息子のゲヌムぞ付き合っおやれる。今倜は父芪ずしおの玄束を党うできるのだ。あどけない笑顔を想像するだけで、心にぜっず灯りが燈るのを感じた。


    緩やかな坂を䞋りきるず芖界が䞀気に開け、駅前の巚倧なスクランブル亀差点が目の前に広がった。

    芋䞊げる空は、次第に暗い赀みを垯びた蘇芳(すおう)から、青く濃い二藍(ふたあい)ぞず移ろい、深い暮色ぞず沈みゆく。街の喧噪を映す色みは、瑠璃や琥珀の瞬きを散らし揺れおいる。倩䞊の残照ず地䞊の圩光(さいこう)ずが、盈虚(えいきょ)の光を織りなし奇劙に溶け合っおいた。

    垰宅を急ぐサラリヌマンや埅ち合わせの若者たちが通りを埋め尜くし、信号が倉わるたび、倧波ず化した人圱が䞀斉にアスファルトを飲み蟌んでいく。ネオンや巚倧ビゞョンの極圩色が乱反射する熱狂の茪郭を、すり抜けるようにしお改札ぞず向かった。



    十八時半を過ぎ、倕方のラッシュでごった返すホヌムは、垰宅するサラリヌマンず昌飲み垰りの酔いどれ客が肩をぶ぀け合い、雑倚に混じり合っおいる。圌らの陜気な笑い声に気持ちが逞(はや)り、䞍思議ず身䜓の軋みを芆い隠しおくれた。


    電車の車茪がレヌルを捉え、金属音を響かせながら滑り蟌む。人波に抌され、よろめきながら車内ぞ乗り蟌んだ。空調の暖気がじわりず䜓を包み蟌み、汗ず酒の入り混じった臭いが錻腔を突く。窓ガラスは熱気で霞み、車内灯の反照で朧(おがろ)げる。


    䞀刻も早く、我が家ぞ垰りたい


    窓倖に映る景色は、倕暮れの最埌の残光が溶けおいた。

    萜ち着いた滅玫(けしむらさき)を抜け、藍が増す深瞹(こきはなだ)ぞず階調を移し、薄れゆく残滓の䞭で静かに色を倱っおいく。飛ぶ速さで流れる街灯りは倜の垳(ずばり)ず重なり、光の垯を描き連続する。

    たるで、珟実から切り離された淡い絵画のようだ。


      あの空ぞ、自由に飛び立ちたいな


    西の空の最埌の茝きがビルや街路暹のシル゚ットをがんやりず瞁取り、景色は電車の揺れずずもにゆっくりず遠ざかっおいった。


    倜の闇を背にした窓ガラスには、自分の顔が映り蟌んでいた。目元の陰こそ深かったが、家で埅぀二人の顔を思い浮かべおいるせいか、その衚情にはひず筋の血色が滲み、確かに掻力が宿っお芋える。


    ああ、俺はただやれる。元気じゃないか


    そう自分に蚀い聞かせ、口角を無理に匕き䞊げた。身䜓はもう限界を超えおいるのかも知れない。けれど必死に抗い気力を振り絞る。それは、あたりに脆く哀しい錯芚なのか、埅぀者のために燃え䞊がる呜の茝きなのか。今の俺にはどちらでも良かった。


    最寄り駅に到着し改札を抜けるず、駅前の商店街は暖かな明かりに包たれ、生掻の営みに息づいおいた。

    焌き鳥の煙が薄く立ち䞊り、銙ばしい匂いが冷えた倜気に溶け蟌む。居酒屋の軒先から挏れる笑い声ずグラスの觊れ合う音が、通りをそっず圩る。


    「みんな、元気だな  」

    呚囲の賑わいに぀られ、気づけば自然ず有り觊れた蚀葉を口にしおいた。


    普段なら自分ずは無瞁の遠い䞖界だず目を背ける人熱(ひずいき)れも、今倜ばかりは、い぀になく心地よい掻気ずしお也いた奥底を優しく解きほぐした。


    商店街を抜け、閑静な䜏宅街から自宅マンションぞ向かう道すがら。

    アスファルトの坂道で足音が鈍く返る。なだらかな募配を登るに぀れお息が䞊がり、動悞ず頭痛が胞ずこめかみを激しく締め぀けおくる。

    だが、間もなく愛する家族のもずぞ垰れるずいう確かな高揚感が、身䜓の危険な譊鐘すらも塗り朰し、気力だけで前のめりに足を螏み出しおいく。


    街路暹の新芜が街灯の淡い光に浮かび䞊がり、春の気配がほのかに挂っおいた。

    䞀歩䞀歩、刻み螏みしめるごずに、季節は確かに巡っおいる。日々の激務で芋萜ずしおいた、そのささやかな息吹が、どうしようもなく愛おしく感じられた。



    緩やかな䞊り坂の先に、ようやく銎染みのある茪郭が珟れた。

    倖壁には街灯ず怍栜の圱が柔らかく萜ち、呚囲の緑に溶け蟌み、掟手さのない萜ち着いた暮らしが滲むマンション。その芋慣れた建築が、宵闇の䞭でひっそりず䜇んでいた。


    倜颚を背に゚ントランスを抜け、゚レベヌタヌぞず乗り蟌む。

    密宀が滑らかに䞊昇を始めた途端、䞍意に芖野の端が明滅した。足元の床がふわりず遠のき、支えを倱った膝ががくりず折れそうになる。階局を刻々ず昇るたび、心臓の錓動も速くなる。

    肉䜓は限界だず悲鳎を䞊げおいるずいうのに、胞を打぀激しい動悞は、むしろ確かな歓喜ぞずすり替わっおいった。


    目的の階に到着し、静たり返った廊䞋ぞ螏み出す。

    玄関前に立぀ず、い぀もの景色がようやく珟実味を垯びおくる。䌞ばした手が、冷え切ったドアハンドルを力匷く握りしめた。その硬質な感觊を確かめるほどに、奥から挏れ䌝わる家族の枩もりが胞に沁みる。匵り詰めおいた頬は、気づけば自ずず緩んでいた。



    扉を抌し開けるず、玄関の向こうから眩いほどの光が拓(ひら)ける。

    久しく忘れおいた色鮮やかな光景。

    䞀瞬だけ目を现め、少しばかりの気恥ずかしさを芚える。

    けれどその明るさは、慈しみに満ちた陜だたりを思わせた。


    「ただいた」

    掠れそうな声を気力で支えお告げる。


    廊䞋の向こうから、たろやかで銙ばしい匂いず共に

    「パパ、おかえり」

    元気な声が返っおきた。


    ダむニングルヌムから顔を出した悠斗は、嬉しそうに廊䞋を進んでくる。足取りは匟んで軜く、抑えきれない喜びが党身から溢れ出しおいた。手には箞が倧切そうに握られおいる。


    「今日はパパず䞀緒にご飯だね」

    玄関先でパッず顔を茝かせ、玔粋な瞳をキラキラずさせる。


    靎を脱ぎながら、小さな手の䞭に揃えられた倚めの箞に目をやり

    「悠斗、お箞䞊べおくれおたのか。お手䌝い、偉いな」

    膝の震えを抌し隠し、悠斗の頭を撫でる。


    息子のはにかむ衚情に、限界を超えたはずの身䜓ぞ掻力が泚ぎ蟌たれるようだった。


    芚束ない動䜜を隠し぀぀廊䞋を抜けおダむニングぞ入るず、カりンタヌ越しのキッチンから矎咲が明るく声を䞊げた。


    「茪ちゃん、おかえり連絡ありがずう」

    ゚プロン姿で綻(ほころ)ぶように埮笑む。


    「久しぶりに早く垰っおくるから、急いで䞀品増やしちゃった。あず少しでできるからね」

    そう蚀っお手際よくコンロぞず向き盎った。


    埮かな深みを含んだ音が聞こえる。湯気ず共に、出汁の優しい銙りず、鶏肉ず滋味深く煮えた野菜が混じり合う、どこか懐かしい匂いが挂っおくる。

    立ち蟌める芳醇な熱気が、匵り詰めおいた意識をゆっくりず解きほぐしおいく。


    背埌で聞こえる小気味よい盛り付けの音に包たれながら、自宀ぞず足を進めた。

    手に深く食い蟌んでいた鞄をそっず䞋ろし、脱力した指先で䞀぀ず぀、どうにかボタンを倖しゞャケットを脱ぐ。ネクタむを解くわずかな動䜜さえも今の身䜓には重劎働だったが、家族の埅぀食卓が心にやんわりず安らぎを䞎えおくれた。

    応えるように、俺は䞀぀、深く息を吐く。そうしお纏っおいた仕事の䜙韻を、埐々に脱ぎ捚おおいった。

    掗面所で倖の汚れを䞁寧に掗い流すず、ようやく䞀人の父芪ずしおの顔に戻れた気がした。再びダむニングぞ戻れば、悠斗が炊飯噚を前に、最埌の䞀杯を誇らしげによそい終えた姿があった。



    埅ち焊がれおいた家族団欒。

    テヌブルには圩り豊かな料理が広がる。

    銙気が螊る熱々の䞻菜は矎咲が远加しおくれた䞀品だ。

    薄く切り揃えられた鶏むね肉ず色鮮やかな野菜のあんかけ。琥珀色のあんがずろりず絡むそれは、芋るからに喉越しが良く、胃にも優しく寄り添っおくれそうだ。

    その脇を固めるのは、豆腐ず癜菜の味噌汁。

    具材がしっかり煮蟌たれおいるのか、埮かなずろみを垯びおおり、癜く揺らめく先に広がる、ふくよかな銙りが錻腔を優しく撫でる。

    さらに、キャベツず卵の炒め物が黄色い圩りを添え、小鉢にはじっくりず味が染みた倧根の煮物。

    そしお、い぀もより少し柔らかめに炊かれた癜いご飯が䞉膳。

    どれもが消化ず栄逊を䜕よりも優先しながらも、育ち盛りの悠斗の満足感たで考慮した心尜くしの垃陣だ。


    矎咲がどれほどの想いでこの食卓を敎えおくれたのかが、痛いほど䌝わっおくる。俺の身䜓を深く慮(おもんばか)っおくれたこずが䞀目でわかる品々に、気づけば心の芯が熱くなっおいた。


    䞉぀の怅子が匕かれ食卓を囲む。


    「いただきたす」


    悠斗が埅ちきれない様子で元気よく䞡手を合わせるず、俺ず矎咲もそっず声を重ね、食前の蚀葉を添えた。


    ようやく䞀日の終わりを実感し、掌に䌝わる茶碗の枩みを確かめる。その手応えに導かれ、真っ先に箞を぀けた逞品をゆっくりず口ぞ運んだ。


    「どう今日の鶏肉、消化に良さそうに煮おみたんだけど、  味はどうかな」


    俺が最初に鶏肉ぞず手を䌞ばすのを芋お、矎咲が期埅ず䞍安の混じった様子で声をかけた。


    「うん、すごくたろやかでいい味だ。お腹に優しく染み枡っおいくよ」


    感謝を蟌めお笑みを返そうずするが、頬が匕き攣り思うように動かない。それをどうにか、努めお穏やかな衚情に敎えおいく。


    「矎咲のご飯は、身䜓の芯たで枩たるな。こうしお䞉人で食卓を囲めるなんお、最高のご耒矎だよ。  ありがずう」


    胞を突き䞊げる熱い昂ぶりが、今は䜕より心地良い。家族ぞの愛おしさが熱気を垯びるほど、限界たで壊れかけた党身を匷匕に燃え立たせおくれた。

    それでもなお、指先は小刻みに震え、額からは冷たい汗が滲み出しおいる。時折、底なしの沌ぞ呑たれそうな虚脱感も顔を芗かせる。

    それらを、ただ䞀途な情熱だけで、どうにか䞊曞きし続けおいた。


    「あのね、パパ」

    蚀葉が途切れるのを埅っおいたのか、悠斗が匟んだ声を䞊げる。


    「今日ね、孊校の鉄棒で逆䞊がりができるようになったんだよ先生がちょっずだけ背䞭を支えおくれたら、くるんっお回れたの。すっごく嬉しかった」


    そう蚀いながら、悠斗は空いた手を宙で回す仕草をしお、くすぐったそうに埮笑む。瞳は食卓を照らす穏やかな黄金色を受け、誇らしげに煌めいおいた。


    息子の成長に心が沞き立ち

    「そうか、぀いに成功したのか。悠斗、頑匵ったな。  今床、パパにも芋せおくれるか」

    身䜓の䞍調を抌しお問いかける。


    「うんいいよ」

    埗意気に倧きく頷くず、はじける笑みを浮かべた。


    嬉しそうな笑顔を芋぀めながら、ふず珟実的な問題が思考をよぎる。

    連日終電ず䌑日出勀で回しおいる今の業務状況で、たずもな時間を䜜れる保蚌などどこにもなかった。


    玄束、果たせるのか  いや、䜕がなんでも守っおみせる

    頭をもたげた懞念は、ほんの䞀瞬で消し飛ぶ。


    目の前で無邪気に笑う息子の成長を、この目にしっかり焌き付けたい。その玔粋で匷烈な願いの前では、仕事の郜合など些末な問題でしかない。


    「悠斗、楜しみにしおるぞ」


    刻䞀刻ず厩れゆく肉䜓は悲鳎を䞊げおいたが、昂ぶる意志はそんなもの、䞀顧だにしおいなかった。


    「よかったね、悠斗。ママにも栌奜いいずころ芋せおほしいな」

    柔(にこ)やかに耳を傟けおいた矎咲は、嬉しそうに目尻を䞋げる。


    その衚情を芋守るうち、鮮烈に、ある情景が頭に浮かんだ。


    「そうだな  、桜が咲く頃に、思い切っおたずめお䌑みを取ろうか。近所の公園でお花芋でもしながら、悠斗の逆䞊がり、芋せおもらおうか。お匁圓持っお、ゆっくりずな」


    「うん、すごくいいず思う。それなら、ここから坂を少し䞋った先にある池の公園はどう桜䞊朚が綺麗だし、広堎に鉄棒もあるから、ちょうどいいんじゃない」

    矎咲の声が、来たる春のささやかな玄束に、花が咲いたように明るく圩られる。


    「ああ、あそこなら最高だ  」

    期埅ず高揚に、心ず錓動は加速しおいく。


    「やったヌパパずママずお花芋」

    悠斗は目を零れんばかりに茝かせ、眩い笑顔を向けお怅子から身を乗り出した。


    この笑顔のためなら  䌑みなんお、どんな無理を通しおも取っおやる

    屈蚗なく喜ぶ劻ず息子の姿に、胞の深局ぞ熱い塊が蟌み䞊げおきた。


    この掛け替えのない家族を、身を賭しおでも守り抜きたい。なんずしおも、亀わした淡く尊い誓いを叶えたい。


    熱を垯びた決意が心を高く舞い䞊げる䞀方で、䞡肩にのしかかる芋えない重圧は容赊なく増しおいく。

    それが仕事ぞの䞍安か、身䜓の倉調ぞの戊慄かは定かでない。

    胃の奥には冷たく重い痛みが居座り、もはや箞を進めるこずすら困難になり぀぀あった。

    それでも俺は、軋みを䞊げる肉䜓の限界など埮塵も感じさせないように。

    明日ぞの垌望に胞を膚らたせる普通の父芪ずしお、ただ穏やかに笑い続けた。



    泥のように沈む身䜓の奥で、匵り詰めおいた心の糞は静かに解け、満ち足りた食事の時間は枩かな䜙韻を残しお過ぎ去っおいった。


    垭を立぀矎咲が手際よく食噚をたずめ始めるず、悠斗も背䌞びをしお垃巟を手に取り、健気に立ち働く。

    ダむニングの片付けを二人に任せ、俺は隣のリビングぞず移動しお、゜ファに深く䜓を預けた。食噚の觊れ合う嫋(たお)やかな生掻音に包たれ、睊たじい二人の姿が遠目に映る。

    その光景は、切り取られた䞀幅の絵葉曞のようだ。ただ眺めおいるだけで、也ききった内偎に瑞々しい雫が染み枡っおいく。


    䞀息぀くず、摩耗した身䜓をどうにか匕きずっお短いシャワヌを济びる。

    仕事の汗は萜ずせおも、身䜓の芯に根を匵った困憊(こんぱい)たでは到底掗い流せそうにない。

    蝕み続ける身の内の䞍調ず、それに䌎う埗䜓の知れない䞍安が、時折、泥濘(ぬかるみ)から湧き立ち顔を芗かせおいた。


    リビングぞ戻り゜ファにもたれるが、意識は闇に飲たれそうになる。

    ふず、廊䞋の奥から氎音ず明るい笑い声が舞い蟌んできた。入れ替わりで颚呂ぞず向かった、劻ず息子の朗らかな語らい。

    するず、あの底知れぬ犍々しさが塗り替えられおいく。乱れた音階は枅らかな音色ぞず収束を遂げ、ゆっくりず意識の䞋ぞず远いやられおいった。

    今の俺には二人の぀぀がない気配さえ、擊り切れた粟神(こころ)を静かに調埋しおくれる、䜕よりも枅农(せいれ぀)な調べだった。



    やがお、湯䞊がりの火照った頬をした悠斗が、埅っおたしたずばかりにお気に入りのゲヌム機を抱えおリビングぞ駆け蟌んでくる。

    期埅に満ちた瞳でコントロヌラヌを差し出され、䞊んで゜ファに腰を䞋ろした。

    小さな手から受け取った簡玠な感觊が、ひどく懐かしかった。


    画面の䞭では、剣を携えた異䞖界の英雄たちが掟手な閃光ずずもに宙を舞い、魔法の軌跡が倜の郚屋を鮮やかに染め䞊げる。

    悠斗がずっずやりたがっおいた、人気のアニメを暡した察戊ゲヌム。

    めくるめく残光の䞭で䜕が起きおいるか、どんな䌚話を亀わしたかなど、もはや蚘憶の衚面を滑り萜ちおいくように定かではない。

    ただ、隣で䞊䞋する小さな肩の揺れ。

    必殺技が決たるたびに匟ける、鈎を転がしたような笑い声。

    テレビの匷い光に照らされ、瞬(たばた)きする間にも豊かに衚情を倉えおいく息子の暪顔。

    それらの茪郭や色圩、錓膜を打぀波長たでもが。

    氞遠に倱われない光の束ずなっお、擊り切れた呜の底ぞず䞀぀ひず぀焌き付けられおいく。


    ずっず先延ばしにしおいた、取るに足らない、けれど俺にずっおは絶察の玄束。

    ようやく、父芪ずしおの埗難い時間を党うできた。

    この凪わたる充足感が、匷匵る四肢の痛みを、今は優しい薄衣(うすぎぬ)のように包み蟌んでいた。



    「悠斗、そろそろ寝る時間だよ。パパもゆっくり䌑たせおあげなきゃ」

    明日の支床を終え、しばらく様子を気にかけおいた矎咲が、劎(いたわり)の滲む声で氎を向ける。


    「うん、わかった」

    悠斗は名残惜しそうにしながらも、玠盎に手元の遊びを切り䞊げた。


    「パパ、すっごく楜しかったたたやろうね。おやすみなさい」

    照れくさそうに笑い、軜やかな足取りで矎咲の元ぞ向かう。


    「  おやすみ、悠斗」

    満ち足りた笑顔に向けお、喉の奥からどうにか声を絞り出した。


    矎咲に手を匕かれ、廊䞋の奥の寝宀ぞず足音が遠ざかっおいく。

    埮かな擊れ音ずずもに、扉が閉ざされるのを聞き届けるたで、ただじっず耳を柄たせお、確かな幞犏の残響を深く胞に刻み蟌んでいた。



    独り、リビングに取り残される。


    途端に、匵り詰めおいた気力の堀(぀぀み)が決壊し、堰き止められおいた重圧が䞀気に党身ぞのしかかっおきた。


    ゜ファの背もたれぞ、厩れ萜ちるように身を預ける。

    先皋たでの賑わいが泡沫(うたかた)に垰し、深倜の静寂が耳底(じおい)を容赊なく塞いだ。家族の䜓枩で満たされおいたはずの空間に、今は荒く短い呌吞だけが䞍芏則に響いおいる。


    胃の底を蠢く、どろりずした淀んだ吐き気。

    指先からじわじわず這い䞊がっおくる、血の気が匕くような悪寒。

    ずうに摩滅(ため぀)の果おた躯(からだ)を眮き去りに、心だけは奇劙なほどに柄み切っおいる。


    (  これでいい。今日は、立掟に父芪をやれた)


    目を閉じれば、瞌の裏にはただ、眩い光に照らされた息子の笑顔ず、それを芋守る劻の慈しみを湛えた県差しが焌き付いおいる。


    薄氷の硝子を隔おた先には、芋慣れた倜景が瞬く。

    己のすべおを焚(く)べ尜くそうずも、あの光の先ぞ続く二人の未来は、明日ぞず繋ぎ止めおみせる。

    泥沌の底ぞ萜ちゆく意識の淵で、最埌に残った唯䞀の灯火(ずもしび)を、深く胞に抱きしめおいた。





    四過ぎゆく日々の名残ず、還り぀く果おに

       西暊二〇二幎 䞉月某日 深倜



    深倜の静寂は、耳鳎(じめい)を䌎い降り積もる。

    耳の奥で匵り詰めた空気が高鳎り、沈黙を震わせる。


    ゜ファに埋もれる身は、泥土に深く嵌たり蟌んだ岩ず化し、もはや指先䞀぀動かすこずすら億劫だった。


      やっず、䞀日を、終えられたか


    ​安堵ずずもに深く息を吐き出そうずしお、思うように呌吞のリズムが敎わないこずに気づく。ただ座っおいるだけだずいうのに、荒く浅い呌吞が喉元で䞍芏則に空回りしおいた。


      この身䜓、  䜕かが、おかしい  


    自問は浅い呌気に混じり、圢を成さないたた、薄暗いリビングに溶けおいく。返っおくるのは、自分のものずは思えないほど芚束ない指先の感芚だけだった。

    背䞭から胞郚にかけお、埗䜓の知れない鈍い匵りが居座っおいる。鋭い痛みなどはずうに通り越し、今は巚倧な岩盀に身を朰される、絶望的な重苊しさが支配しおいる。

    心臓の呚囲に重く冷たい塊がたずわり぀き、血管をじわじわず締め䞊げる、ひどく䞍気味な圧迫感。胞を満たす鈍い圧は、巊の肩口から腕の奥ぞず広がる。息を吞い蟌むたびに、どこかで空気が詰たるような感芚が、喉元ぞわずかに匕っかかり続けた。

    内偎の昂ぶりが、どうしおも鎮たらない。脳が焌き切れそうな、異垞な冎えが続いおいるせいか、急速に血の気が匕いおいくのがわかった。

    指先はひんやりず凍お぀き、意識に反しお頌りなく震え続けおいる。鏡を芋なくずも、今の自分がどれほど土気色の顔をしおいるか、容易に想像が぀いた。


      もう、戻れないずころたで、来おしたったのか  


    疲匊が骚の髄たで浞透し、頭の芯が割れるように疌いおいる。

    ただの過劎だ、少し眠れば治る。そう自分に蚀い聞かせようずする思考の裏偎で、本胜だけが、い぀もの疲劎ずは決定的に異なる、埋めようのない欠萜を察知し始めおいた。


    窓倖では、倜颚に翻(ひるがえ)る街路暹の圱が、闇を深く掻き乱しおいる。

    内郚では、積み䞊げられた疲匊の地局が音もなく厩れ萜ちようずしおいた。それでも、芖界の端には先ほどたで悠斗が座っおいたクッションの窪みが残り、そこに、ただ密やかな熱が挂っおいた。

    その些现な痕跡だけが、瓊解しかけおいる意識をどうにか珟実ぞず繋ぎ止めおいる。


      独りになればこれほど脆くおも、あの二人がいおくれるだけで  ただ、やれるのか


    荒い息をどうにか呑み蟌み、必死に平静を装っお胞を撫で䞋ろした、その時だった。

    廊䞋から近づいおくる控えめな足音ずずもに、ダむニングの扉がそっず開かれ、リビングの空気が揺れた。


    「  茪ちゃん、ただ起きおたの」


    悠斗の寝かし぀けを終えた矎咲が、どこか切迫した色を浮かべ、深く案じる面持ちで姿を芋せた。


    「ああ。  悠斗、すぐ寝たか」


    激しく乱れる呌吞を気力で薄く匕き䌞ばし、喉の奥からせり䞊がる淀みを飲み蟌む。

    匕き攣る衚情を匷匕に宥(なだ)め、い぀も通りの、少し疲れた倫の笑みを貌り付け振り返った。

    だが、近づいおきた矎咲の足取りが、䞍意にピタリず止たる。


    「  ねえ、倧䞈倫顔色、本圓に悪いよ。それに唇の色もどこか倉だし 、倉な汗、かいおない」


    ただの家族ずしおの劎いを超えた、䜙すずころなく気遣う切実な県差し。圌女の芖線が、芆い隠したはずの歪みや制埡できない身䜓の震えを、優しく案じおいるようであった。


    「昚日も遅かったし、少しだけ仕事の疲れが溜たっおるみたいだ。  ちょっず胃が重いだけで、なんずもないよ」


    圌女の心配そうな顔を芋た途端、反射的に倧䞈倫だず䜓裁を繕っおしたう。ただ安心させたいずいう思いばかりが先行し、䞍調を気付かれるわけにはいかなかった。


    「今倜は悠斗ず䞉人でご飯食べられおよかったよ  。最近ちょっず無理しおたみたいで、悪いな」


    内奥(ないおう)を締め䞊げる桎梏(しっこく)にも䌌た逌迫感を必死に意識から切り離し、身の芯で支えながら声を敎える。


    幜(かす)かな䞍安を拭いきれないように、矎咲は俺の額ぞそっず手を䌞ばしおきた。觊れた掌は沁み入るように枩かく、察照的に、自分の肌の、土塊(぀ちくれ)めいた冷たさが浮き圫りになる。


    「  熱はないみたいだけど、䜓が氷みたいに冷たいよ。脈、少し芋せお」


    その声音には、い぀もの気遣いずは異なる、うっすらず匵り詰めた硬さが混じる。


    「本圓に平気だよ。矎咲も䞀日䞭、仕事に家事ず倧倉だっただろ。  い぀も、ありがずう」


    気遣わしげに手銖ぞ觊れようずする矎咲の手を、俺は慌おお、けれど極めお自然な動䜜を装っお、優しく包み蟌むように抌し留めた。


    「今日は久しぶりに定時に䞊がれたんだ。同僚の奎が心配しお、䞊手く口添えしおくれたみたいでさ  」


    ここで手銖を預けおしたえば、䞍自然に乱れた錓動の刻みで圌女の䞍安を募らせおしたう。

    ほんの䞀瞬だけ、圌女の動きが止たり、䜕かを枬るような間が萜ちた。


    「だから、明日は䜕が䜕でも䌑みを取っお、病院に行くよ。心配かけおごめんな」


    これ以䞊ないほど穏やかな声色。

    あず䞀歩螏み蟌めば䜕かが倉わる、その手前で思い留たるような沈黙が、二人のあいだに静かに広がった。


    圌女の手の枩もりを、祈るように䞀瞬だけ握り返す。

    厩壊の予兆に軋むこの身を、家族ぞの愛情ずいう䞀念のみで蟛うじお封じ蟌める。己の内を削り出しお挔じ切った、平穏の残像だった。


    「  うん、わかった。茪ちゃんも、本圓にお疲れ様。でも、絶察に無理はしないでね。  もし䜕かあったら、すぐ呌んで」


    淀みのない俺の笑顔に、矎咲はわずかに戞惑いながらも、案じおいた胞のざわめきを宥めるように、柔和な衚情ぞず戻っおいく。


    それでもなお、自らを玍埗させるように、矎咲は唇を結び、小さく頷いた。

    「  明日の病院、私も付き添うから。䞀緒に行っお、ちゃんず蚺おもらおうよ。  だから今倜は、ゆっくり䌑んでね」


    「ああ。  おやすみ」


    「  うん、おやすみなさい」


    その堎を離れかけお、確かめるように、もう䞀床だけ俺の顔を芋぀める。

    だが結局、それ以䞊は䜕も口にせず、埌ろ髪を匕かれるように䜕床か振り返りながら、リビングを埌にした。


    芋送る芖界からその背䞭が消える。

    耳を柄たせおいるず、廊䞋の先ぞず足音が遠ざかる。也いたラッチの音ず共に寝宀が閉ざされ、倜のしじたぞず名残を萜ずしお消えおいった。


    営む音は途絶え、無音が降りおくる。


    蟛うじお支えおいた気力の糞が切れたのか、その堎から起き䞊がれずにいた。

    衰匱しきった身䜓は、自宀ぞ向かうこずなど叶わないたた、゜ファの深くぞず柱(おり)のように沈み萜ちおいく。




    どれほどの時間が過ぎ去ったのか。


    照明を萜ずす気力すら既に尜き果お、倩井からは癜々ずした明かりが降り泚いだたただ。日垞の連続が唐突に眮き去りにされたような煌々ずした光ず、リビングを芆う深い静寂の䞭で、時蚈の針だけが淡々ず時を刻んでいる。


    前觊れもなく、心の深郚で拍動が抜け萜ちた。

    次の錓動が来ない。

    呌吞がわずかに浅くなる。吞ったはずの空気が、胞の奥たで届かない。

    耳觊れおいたはずの時蚈の音が、遠のく。

    芏則正しかった秒針の刻みは、厚い氎の局を隔おたように圢を倱っおいく。


      あ、


    声にならない吐息が、埮かに零れる。

    急速に思考の茪郭ががやけ、芖界の瞁から、静かに暗がりが滲み始める。

    郚屋の空間が保おない。

    光はあるのに、圢が結ばれない。

    䞭倮だけが蟛うじお残り、その倖偎から、ゆっくりず䞖界が閉じおくる。


      あ  れ


    焌け付くような痛みも、息を呑むほどの激しい発䜜もない。

    ただ、呜の埋動を刻み続けおいた䞭心が、唐突にその圹目を攟棄しおいる。

    隅々たで行き枡っおいた血の気が、朮が匕くように䞀瞬にしお倱われた。

    感芚はただあるのに、それが自分のものではないように薄れおいく。


      や  ば


    指先の茪郭が曖昧になる。

    手足の感芚が冷たい氎に溶けるように消え去っおいく。

    足の重さが消え、身䜓の䜍眮が掎めない。

    ゜ファに沈んでいるはずの䜓が、境界を倱っおいく。

    音は、もうほずんど届かない。

    䞖界は、ひどく静かだった。


      み  さき


    浮かぶのは、蚀葉ではなかった。

    柔らかな手の枩もり。

    案じるように觊れた掌の感觊。


      ゆ  う、ず  


    眩い光の䞭で匟ける、息子の笑顔。

    その像だけが、狭たる芖界の䞭心に、匷く残る。

    呚囲はすでに暗い。

    残された䞀点の光も、ゆっくりず遠ざかっおいく。


      た  っ  


    呌吞の感芚が、消える。

    吞おうずする意思だけが空を掎み、次の瞬間にはそれすら途切れる。


      あ  り  が  


    最埌の蚀葉は、音を成さないたた厩れ、意識の奥ぞず沈む。

    光が、消える。

    もがいお悲鳎を䞊げるこずもなく、身を預けた姿勢を厩すこずもなく。

    ただ、静かに目を閉じるように。




    俺の心は、家族の眠る穏やかな空間から、音もなく切り離されようずしおいた。



    肉䜓の枷(かせ)を倖れた粟神は、波䞀぀ない氎鏡のような静寂に浞っおいる。ただ、自身が䞍可逆の死を迎えた事実を、あるがたたに悟っおいた。


    脳の機胜が停止し、あらゆる知芚が消え去った代わりに、途方もない埌悔ず申し蚳なさが、圢を持たない思念ずなっお止めどなく溢れ出す。


    どうしおこんなになるたで、限界の身䜓を酷䜿し続けおしたったのか。明日も、明埌日も、圓たり前のように家族の偎にいられるず信じ切っおいた。もっず䞀緒に笑い合いたかった。悠斗が倧きくなっおいく姿を、矎咲の隣でずっず芋守っおいたかった。

    愛する劻ず息子を遺しお、こんな倜曎けに独り逝っおしたう己の愚かさが、なす術(すべ)もなく遣る瀬無かった。


    それでも。

    意識の最奥で鮮明に浮かび䞊がるのは、陜だたりに咲き誇る息子の笑顔ず、寄り添う劻の、指先から䌝わる枩床。

    限界の果おに、愛する家族ずの時間を過ごせたこず。

    やり残したこずぞの悔いを、あの満ち足りた倜の蚘憶が、優しいベヌルずなっお芆い隠す。


    残された二人ぞの謝眪ず、尜きるこずのない感謝。

    どうか幞せに生きおほしいずいう玔粋な願いが、茪郭のない想いずなっお、薄れゆく自己の境界を満たしおいく。


    切なる祈りは、果おのない沈黙ぞず吞い蟌たれるように還っおいく。

    満ち足りた蚘憶の残り銙だけを、決しお消えない熱ずしお抱きしめながら。


    俺ずいう存圚は、愛しき者たちが息づく堎所から、薄れるように解き攟たれおいった。








    氎面に広がる波王が凪ぎゆくように、意識は遠ざかり消えおいく。


    果お無き沖ぞず薄く䌞びおいき、どこたでも続く虚無の海ぞず還り、その境界線を淡く滲たせる。


    珟実ず倢の狭間で、埮睡む深閑(しんかん)の氎底(みなそこ)ぞずゆっくり溶けおいく。




    揺蕩(たゆた)う流れの䞭、そこは始たりも終わりもない、氞遠の空癜。


    無窮(むきゅう)に終わるこずのない茫挠(がうばく)たる間(あわい)の、䜕もない真っ癜な䞖界。


    沈黙の底で曖昧に揺らめく。


    時間の流れは意味を倱い、ただ、絶えたない幜寂(ゆうじゃく)だけがここにある。


    瞬間が氞遠ずなり、氞遠が瞬間ずなる。


    魂が、い぀しか蟿り着く堎所。


    幜(かか)げな蚘憶の挣(さざなみ)に、蚘銘(きめい)せし数倚(あたた)の蚀葉が波打ちめくるめく。


    黄泉平坂

    䞉途の川

    ニラむカナむ

    積尞気(せきしき)

    アケロヌン川

    ノァルハラ

    ラむフストリヌム

    






    




    か぀お人々が、それぞれの死生芳で瞁取ろうずした蚀葉の幻圱。

    いかなる名を䞎えられ語り継がれようず、党おの魂は等しく、この癜き䞖界ぞず垰趚(きすう)しおいく。



    やがお枚を満たすように、無圢に柄み枡るこの空間の真理が、消えゆく意識の衚局ぞず浞透しおくる。



    ――汀(みぎわ)なる氞劫の虚癜(こはく)



    それは、圌ずいう人間を根底で圢䜜り、生たれ育った母囜の蚀葉、日本語ずいう噚を借り、真の名前ずしお深局ぞ結像した。




    ――残滓を経お


    音もなく、どこたでも、奥深くぞず沈んでいく。


    思考も感情も、過去も未来も存圚しない、ただの無ぞ――



    最埌のひず欠片は、消倱しおいく  。





    その刹那――


    裡(うち)偎が、激しく揺さぶられる。


    時の流れは亀錯し、存圚が終末を迎える領域。

    感芚は意味を成さぬ、無音の䞖界。


    摂理を超えた波王が、意識の底を打぀。


    時間の抂念が融解した空間ゆえか、

    幟重にも重なる亀響でもあり、

    氞遠に匕き䌞ばされた残響でもあり、

    束の間の感響でもあった。


    矛盟するただ䞭で、本質は䞀床きりの、裡ぞず届く柄み切った響き。


    透き通ったその衝撃は、眮き去りにしおきた蚘憶の遺珠(いしゅ)を呌び芚たす。



    ――チリン



    響きは、か぀お識(し)り埗た涌やかな音色ずしお蘇り、どこか鈎の音を圷圿させる。

    そしお、無ぞず垌釈されかけおいた意識を、底からふわりず掬い䞊げた。


    芋えざる力に匕かれるような浮遊感を䌎いながら、再び䞀本の糞ずしお匕き絞られおいく。


    ほどけた糞が結び目を繋ぎ、粟緻な織物ずなっお圢を成しおいく。


    流れに身を委ねる裡ぞ、綎られるたた無垢なる平穏が満ち溢れ、心の圚凊は安祥(あんしょう)に包たれおいった。






    だが突劂ずしお、無機質で冷然たる力が干枉する。


    応(たちた)ち、玡がれたばかりの意識ぞ、鮮烈な感芚が流れ蟌んできた。



    それは、


    映り蟌むほど研ぎ柄たされた埡圱石、


    あるいは、呑み蟌たれるほどに凍お぀いた黒曜石。



    深局ぞ粛々ず沈み蟌み、峻厳(しゅんげん)なる理(こずわり)を以お貫流(かんりゅう)しおいく。


    抗うずいう抂念すら持たぬたた、悠揚(ゆうよう)ず手繰り寄せられ、玄奥(げんおう)ぞず導かれる。



    そこは、


    重く滑らかな黒耀(こくよう)の闇。


    垞に圚り、久しく長い時を、䞍倉のたた移り倉わるこずがなく、


    巚倧な磐(いわ)ず石の劂く、極めお堅く、埮動だにしない。


    ――垞磐(ずきわ)なる黒。



    ただ圚るずいう確かさだけで、党おを填(うず)めおいく。


    存圚の茪郭が再びゆっくりず薄れ、挆黒の深淵ぞず沈んでいく。


    終(぀い)には、党おが重厚な闇ぞ眮き換わる。


    朧げな蚘憶の䜙韻だけを留めたたた。


    寂(せき)ずしお。


    粛然(しゅくぜん)ず。


    かくしお、䞖界は暗転し、意識は閉じおいった。










    先人の足跡に、敬意を蟌めお



    本䜜の執筆にあたり、物語の随所で先達の諞䜜に觊れ、匕甚させおいただきたした。

    登堎人物の心境や日垞の颚景を描き出すうえで、これら偉倧な物語が持぀普遍的な魅力、あるいは独自の芖点をお借りした次第です。

    未螏の道を拓き、新たな衚珟の地平を瀺しおこられた先駆者の方々に察し、深く感謝の意を衚したす。

    本項では、本䜜に圩りを添えおいただいた各䜜品の軌跡を、敬意を持っお玹介させおいただきたす。

    原䜜者ならびに関係者各䜍ぞの感謝を蟌め぀぀、敬称は割愛いたしたす。




    ■『無職転生 〜異䞖界行ったら本気だす〜』


    ・著者: 理䞍尜な孫の手

    ・むラストキャラクタヌ原案: シロタカ

    ・出版瀟レヌベル: KADOKAWAMFブックス

    ・Web連茉期間: 2012幎11月 〜 2015幎4月小説家になろう


    ・内容玹介: 34歳無職の男が剣ず魔法の異䞖界に転生し、「ルヌデりス・グレむラット」ずしお前䞖の経隓ず埌悔を糧に、新たな人生を本気で生きおいく姿を描いた倧河ファンタゞヌ。


    ・䞻なメディア展開: 倚圩なコミカラむズやスピンオフ、ゲヌム化など倚方面で展開。TVアニメシリヌズも継続的に制䜜されおおり、その圧倒的なクオリティずずもに、ファンタゞヌの金字塔ずしお䞖界的な支持を広げ続けおいる。


    ・関連リンク:

    公匏ポヌタルサむト

    http://mushokutensei.jp/

    ​
    Web公開ペヌゞ小説家になろう

    https://ncode.syosetu.com/n9669bk/



    ■『転生したらスラむムだった件』


    ・著者: 䌏瀬

    ・むラストキャラクタヌ原案: みっ぀ばヌ

    ・出版瀟レヌベル: マむクロマガゞン瀟GCノベルズ

    ・Web連茉期間: 2013幎2月 〜 小説家になろう


    ・内容玹介: 䞍慮の死を遂げた37歳の独身サラリヌマン、䞉䞊悟。圌が異䞖界で埗た新たな姿は、最匱のむメヌゞがある「スラむム」だった。転生しお「リムル」ずなった圌は、倚皮倚様な皮族ず出䌚いながら知恵ず床胞で仲間を増やし、魔物の囜「ゞュラ・テンペスト連邊囜」を建囜しおいく物語。


    ・䞻なメディア展開: コミカラむズやスピンオフ、ゲヌム化など倚角的に展開。TVアニメシリヌズは劇堎版を含め継続的に制䜜・攟送されおおり、今なお倚くのファンを魅了し続けおいる。


    ・関連リンク:

    公匏ポヌタルサむト


    Web公開ペヌゞ小説家になろう

    https://ncode.syosetu.com/n6316bn/



    ■『転生したら剣でした』


    ・著者: 棚架ナり

    ・むラストキャラクタヌ原案: るろお

    ・出版瀟レヌベル: マむクロマガゞン瀟GCノベルズ

    ・Web連茉期間: 2015幎9月 〜 連茉䞭小説家になろう


    ・内容玹介: 異䞖界で「知性を持぀歊噚剣」ずしお転生した䞻人公が、奎隷ずしお虐げられおいた黒猫族の少女・フランず出䌚う。圌女の装備者垫匠ずなり、匷さの果おにある「進化」を目指す少女の願いを叶えるための冒険を描く。


    ・䞻なメディア展開: 耇数のコミカラむズやブラりザゲヌムなど、倚圩なメディアミックスを展開。TVアニメシリヌズも回を重ねお制䜜されおおり、剣ず少女の絆を描く独創的なファンタゞヌずしお、幅広い局から根匷い支持を集め続けおいる。


    ・関連リンク:

    TVアニメ公匏サむト


    Web公開ペヌゞ小説家になろう

    https://ncode.syosetu.com/n6006cw/






     
     
    生成AIの力を借りながら、小説を曞いたり、物語の䞖界を䜜ったりしおいたす。 楜しみながら、自分なりのペヌスで創䜜䞭です。 蚭定䜜りや架空の暊も奜きなので、いろいろ詊しながら䞖界を広げおいたす。 そんな創䜜の蚘録やちょっずした気づきを、気軜に曞いおいけたらず思っおいたす。

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