
【きつねとわたし〜東京篇①〜】
東京に着いた翌日から授業が始まった。
授業はわたしが勤務する日本語学校の母体企業の
会議室を借りて行うことになっていた。
当時入社2ヶ月目だったわたしは、本社の場所を
知っているわけもなく、朝8:30に校長の引率で本社に向かう。
ホテルから本社まで歩いて10分。
翌日からは、わたしが生徒さんたちを引率していかなければならない。
わたしは地図が読めないので、しっかり道を覚える。
本社に着き、9時から授業が始まる。
大都会東京では電車に乗ることも多かろうと思って、この日は電車の乗り方や切符の買い方の授業をした。
あとは、歌の練習。
生徒さんたちは日本の高校を訪問することになっていて、その時に日本語の歌を披露することになっていた。
歌はみんなが選んだヨルシカの「春泥棒」。
この時は真夏だったので、季節外れ感は否めなかったが、台湾でもこの歌を練習していたそうなので、毎日練習をしていた。
東京へ行った頃にはだいぶ仕上がっていて、みんな本番を楽しみにしていた。
午後、生徒さんたちは東京でもはさまざまなアクティビティが予定されていた。
わたしはそれには同行せず、午後は東京校の職員室を間借りさせてもらい、翌日の授業準備をしたり勤務校で使うスライドを作ったりしていた。
東京の1日目、きつねは午前も午後もカバンの中でいい子にしていた。帰り道、カバンの中のきつねと話す。
軽井沢とのあまりの違いにすぐには慣れられなかったように見えた。
「おばちゃん、ここ、ほんまにどこなん?にほん?
もり、どこ?」
「森は近くにはないなあ。」
「かるいざわ、かえろ!」
「あと2週間はここにおらなあかんねん」
「えー!」
「あ…。」
「おばちゃん、どしたん?」
「おばちゃん、迷子になったかも。ホテル、どこ?」
「しらん、しらん!」
迷子になった私に対して、きつねは塩対応だった。
なんとかホテルに荷物を置き、近くの新大久保駅周辺で晩ごはんを食べる店を探す。
軽井沢では3食ホテルで出していただいていたが、東京では自分で調達しなければならなかった。
韓国料理の店はきつねを連れて1人では入店しづらかった。
わたしの東京での2週間の食生活を支えてくれたのは、「富士そば」「なか卯」「なぜそばにラー油を入れるのか。」と、コンビニだった。
きつねは
「うどんの ほうが すき なのにー」
と言いながらも毎日そばに付き合ってくれた。

大阪に帰ったあと、「しばらくそばはいいや」と思った。

きつね、いまは とかいの きつねだよ!
軽井沢から東京へ!
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