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柔よく剛は制さない

    田舎の小学校だった。
    一学年一クラス。
    六年間、クラスメートはずっと同じ顔ぶれだった。

    体は小さかった。
    二月生まれの早生まれ。
    入学した時点で、すでに差があった。

    四月生まれの子は、同じ一年生でも大きかった。
    走るのも速い。
    力も強い。

    こちらは、いつも追いかける側だった。

    かけっこ。
    相撲。
    鉄棒。

    何をしても、どこか届かなかった。

    六年間たっても、その差は埋まらなかった。

    気づけば私は、自分は弱い側の人間なのだと思うようになっていた。

    それでも、そのまま終わるのは嫌だった。

    体を鍛えるために、新聞配達を始めた。

    まだ暗いうちに起きる。
    冬の朝は、息が白いというより痛かった。

    夜の続きのような道を走り、坂を上る。
    犬に吠えられながら、一軒ずつ新聞を投げ込む。

    配り終わるころ、ようやく空が白み始める。

    負けたままでは終わりたくなかった。

    高校に入ると、柔道を始めた。

    強くなりたかった。
    せめて自分の体ぐらい、自分で支えられるようになりたかった。

    高校生活は、ほとんど柔道だった。

    毎日がきつかった。
    それでも、休もうとは思わなかった。

    自分より大きな相手に、勝ちたかった。

    現実は厳しかった。

    組み負ける。
    押し潰される。
    力の差を突きつけられる。

    だから寝技にのめり込んだ。

    倒してしまえば、体格差は少しだけ縮まる。

    抑え込み。
    返し技。
    逃げ方。

    畳の上で何度も転がりながら、そこに活路を見つけていった。

    気づけば、耳は変形していた。

    いわゆる「餃子耳」だった。

    それでも構わなかった。
    勝ちたかった。

    高校二年のころだったと思う。

    柔道の初段を取るため、認定試合に通っていた。
    ここで勝ち抜かなければ、審査すら受けられない。

    相手は選べない。
    中学生も、高校生も、大人もいる。

    その日、相手は明らかに違っていた。

    米軍の人だった。
    大きかった。

    立った瞬間に、勝てないと分かるような体格だった。

    「世の中、理不尽だな」

    そう思った。

    名前も知らない相手だった。

    どうせ負ける。
    そう思ったせいか、妙に落ち着いていた。

    余計な力が抜けていた。

    そして気づいたときには、相手は畳に倒れていた。

    何の技だったのか、今でははっきり覚えていない。

    ただその瞬間だけは、確かに
    「柔よく剛を制した」
    のだと思う。

    それきりだった。

    高校柔道の最後は、高体連で引き分けが二回。
    勝つこともなく、負けることもなく終わった。

    それでも今、ときどき耳を触る。

    固く変形した耳。

    その感触に触れるたび、思う。

    あの努力は、何だったのだろう、と。

    それでも同時に、こうも思う。

    あの頃の小さな自分は、
    ただ必死に前へ進もうとしていた。

    その事実だけは、今も残っている。

     
     
    建築設備の現場監督を退職。第二の人生を楽しみながら、Excel VBAやJw_cadの便利技、釣り、昭和の思い出などを気ままに発信しています。

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