
美術教育はビジネスのインフラだ〜エチオピア全土美術教育普及企画・営業・実演・配布〜
はじめに
正直に言おう。
私は勝手に任務を拡大解釈した。
私に期待されていたのは、
教員養成大学で教員と学生に美術と美術の授業の
やり方を教えること。
JICAのシニアボランティアの要請に書かれていたのはそれだけだった。
でも、私はそれ以上のことがやりたくて
結果的にそれ以上のことをやり遂げた。
私は公立高校の美術教師を20年以上やってきた。
高校では進学実績が重視され、美術は死に教科、
遊び教科、楽をしているとバカにされ放題である。
私は美術は主体性を育み、美意識を養い、
人生を豊かにする教科だと確信している。
残念ながらそのすごさがどうも世間一般に
理解されていないけど。
では美術教育がない世界とはどんなものか、
そこで私は何ができるのだろうか。
そう思ってJICAシニアボランティアに応募して
合格した。
美術教育がなかった国で美術を教える。
大変そうだがやりがいはあるに違いない要請だ。
大学の教員と学生に私が今まで積み上げてきた
美術教育の成果が共有できたら嬉しい。
美術は常にPDCAサイクルを回している。
まず、こんなものを作りたいと計画する。
次に実際にやってみる。
それからどこがうまくいって、
どこがうまくいってないかをチェックする。
それがわかれば修正をする。
ものごとを実現するためにはどうすればできるかをずっと考えている。
それなりに戦略を立て、計画して、1人でがんばる
だけでなく周囲の協力を得るようにする。
ある意味ビジネス的な側面もある。
すぐに利益に結びつかないとしても、
人の意識を変えるために計画的に行動して
成果を出すことには意味がある。
私の仕事の範囲の拡大解釈はここから
スタートする。
そう私の野望は大きいのだ。
美術教育の重要性を世界に知らしめるのだ!
そのためには美術教育がないところでも
持続可能な仕組みを作らなければならない。
私は行ったからには自分がいなくなった後も
美術教育が続けられる状態にしたい。
では、マニュアルを作ろう。
あちこちでやり方を共有しよう。
マニュアルが印刷できたら配って回ろう。
そう思って戦略的に考えて逆算して行動した。
前例の少ない中で具体的に人の意識や認識を変えるために
1年9ヶ月の短時間で行動して結果を残した。
特にそこまでやることは誰にも頼まれてない。
どれだけ献身的に活動してもしなくても
ボランティアとしてもらえる生活費は変わらない。
体力的には持ち出しにはなるだけだ。
別にもっとサボってダラダラゴロゴロして旅行に
行きまくっても誰も私を責めなかったと思う。
結局私がダラダラしていたのは体調が悪くて
動けないとかまったく用事がないとかだけだった。
しょうがない。私がやりたくてやったのだ。
別にやったことに全く後悔はないし、
やるだけの意義のある活動だった。
だけど私がやったことの重要性や意味は
残念ながら十分に理解されていない。
エチオピアの将来に大きくプラスとなることだったのに。
美術教育はビジネスのインフラだ。
美術教育という土台がないと国の発展に大きな問題となる。
私はその問題の解決に一歩前進した。
世の中では、なんでも即座に答えが出るとか、
すぐに金になることがよしとされる。
地味に土台を作って相当後になってからその成果が分かるようになる。
そういうことには多くの人は興味を持たない。
だから頼まれてもいなくて、
全く金にもならなかった私のアフリカでの
ゼロイチの話をビジネス的な視点で書いてみる。
1 計画期 訓練期間
JICAシニアボランティアに合格した。
多少ゴタゴタしたが現職参加できることになった。訓練期間を含めて2年間現場を離れる。
訓練所は二本松。期間は35日間。
若者たちと共に事前の訓練を受ける。
集団生活で語学を中心に現地での活動に向けてさまざまな訓練があった。
もちろん派遣国もいろいろ。
職種も非常にバラエティに富んでいる。
私の場合、派遣国はエチオピアで職種は美術。
私の同じ隊次にはエチオピアは12人。
残念ながら職種美術は私だけだった。
デザインや工芸の人はいたのだが、
その人たちは青年で私はシニアだったので
似たような分野でも一緒に何かをすることは
なかった。
その私の要請内容は以下のとおりである。
JICA長期(長期 シニアSV)エチオピア
職種 美術
任地(ティグライ州 アビヤディ)
全国に点在する教員養成大学のひとつ。4000名。夜間部学生+週末部学生2000名。講師数120名、美術科の学生は約150名
エチオピアでは音楽、美術(図工)、体育といった教科の重要性は認識されているものの学校現場においてはいわゆる教養系の学科に重点が置かれ、情操系の学科の教育は疎かにされてきたといっても過言ではない。この結果、情操系の講師が圧倒的に少なく、教育者の情操教育にも重きを置く政策が強化された数年来、絶対数不足している音楽、美術、体育専在講師の養成が急務になっている。美術科は、年より開設されているが、これまではエステティック(音楽、図工、体育がひとつになった低学年限定教科)の図工指導としての教育だったが2015年より全学年を各専任講師が指導することとなったため高度な美術の技術や知識がなく、またこれを指導できる講師も不足していることから本要請となった。
最初の要請内容はこの通りである。
ざっくり背景をまとめると、それまで情操教育をしてこなかった。やろうということになったが、教えられる先生がいない。音楽と図工と体育をひとまとめにしてやってきたが、それぞれに行うことになった。美術の指導ができる先生がいない。
だから、実践的な美術教育ができる先生が増えたらいいですよね。では、教員養成大学でそこの大学の先生と学生が日本から来た美術の先生と一緒に授業をやったらいいですよね。
というわけで、教員養成大学に美術を教えられる人が来てほしい、となった。
つまり、教員養成大学の教員と学生に美術教育ってこうやったらできますよね、というのを伝えろということだ。
そこで私は考えた。
まず現地に行く。
行ってみてその環境で何ができるか考える。
こうすればできる、を確立する。
そのやり方を大学教員と共有する。
そのやり方を冊子にして印刷して残していく。
そこまでは計画した。
単に私が行ってその間はがんばったとしても、
去った後に何も残らなければあまり意味はないのではないかと考えたから。
現地での活動計画を作ってみよう、という授業で
私はマニュアルを作って帰ると書いた。
後にその通りに実現した。
また訓練期間中に自主講座をした。
ボランティア仲間にデッサンの初歩を教えた。
主観的に描くのではなく構造を理解して描くこと。
正しく描くために比例を測ること。
訂正や修整を重ねて完成度を上げること。

「この考え方ってすごくこれからの活動に
使えますね。」
と言われた。実際そうだと思う。
主観的な見方だけでなく
現場で構造を理解すること。
自分の目測だけでなく
客観的な目でものを見るように努めること。
間違えないことではなく
より良くしていくことを目指すこと。
すべての活動やビジネスに活かすことのできる
ものの見方、考え方だ。
美術教育で得られる見方や考え方は
ビジネスにも非常に有効な武器となる。
日本人は学校教育の中で美術に触れている。
何をやったかというと絵が上手いとか下手とかしか覚えていないことが多いのではないだろうか。
だけど、
ひとつのものを作るためには逆算して考えて
計画的にやっていく必要があること。
多様なものの見方が世界にはあること。
絵や図で考えやアイデアを表現すること。
様々な美しさがあること。
完成度を高くするために努力すること。
そういうビジネスの土台となるようなことも
たくさん美術に含まれている。
日頃ほとんどの人は意識していないが。
2 実験開始期 エチオピア到着後
エチオピア到着したらまず生活に慣れることが必要だ。しばらく首都アディスアベバで生活してアムハラ語を勉強する。
任地訪問があって、だいたいの様子がわかった。
大学が休み期間のため、着任が同期より少し遅れることになった。
そこで私は実験を開始した。



乾くと灰色になってしまう。

すぐに変色してしまってどうしても青は出なかった。
私のモットーは、なければ作る、である。
アディスアベバならば、裕福な家庭だったら絵の具は買える。
でも公立の小学校の授業で全員に絵の具が行き渡るのは無理だ。
アディスアベバの小学校教育の隊員たちはビーツやスパイスや市場で売っている青い粉で三原色の絵の具を作っていた。
小麦粉ノリで定着させていた。
実際に小学校教育の先輩隊員の学校で授業を見せてもらったり、話を聞かせてもらったりした。
いろいろ現状を見聞きして、美術教育がないとどうなるか、ということがだんだんわかってきた。
エチオピアのほとんどの人が
地図が読めない、書けない。
図面が読めない、書けない。
ものすごく子どもっぽい図形的な絵しか描けない。
透視図法が理解できない。
デザインの良し悪しがわからない。
美術教育がないと視覚的な理解力が育たない。
視覚的な理解力がないと服を作るデザインや製造業や工業関係が発展しない。
実際に服飾専門学校所属の隊員に聞くと、
先生たちが人物画が描けない。
色の使い方がわからない。
縫製の質の善し悪しがわからない。
自動車整備の隊員に聞いた話では、
図面が理解できる人がものすごく少ない。
教えてもなかなか身につかない。
だから苦労している、ということだった。
発展途上国に必要なのは最新の機械や技術ではなくまず図面を理解できる基礎教育なのだ。
美術、音楽、体育教育がなかった国の小学校教育の
ボランティアはその美術や音楽や体育を期待されることが多い。
各自の得意な分野に力を入れる。
アディスアベバの小学校教育の隊員で、
熱心に美術に取り組んできた先輩がいた。
その人はもう任期が終わり近くになっており、
集大成として文化祭を企画していた。
そのために必要だと頼まれたので、
ポスターを描いた。
当日はアクションペインティングを
実演して協力した。
先輩隊員はミキサーを持っていて青菜から緑、スパイスで黄色、ビーツで赤を作っていた。

アムハラ語の文字フィダルを書いているものの確信はない。

アディスアベバでできることはした。
いよいよ赴任することになる。
3 課題発見期 実験と訓練 大学着任
エチオピア北部のティグライ州
アビィヤデイ教員養成大学に着任した。
最初の話し合いで、
当初の要請内容に加えて近隣小学校の教員にも時々美術を教えてほしい、
と言われた。
確かに小学校の教員だって自分が習ったことのない美術を教えろと言われても難しいだろう。
もちろんそれもやります、と返事した。
まずは美術教室についての話だ。
さて、着任した私をカウンターパートといって仕事上の相方である頼れる彫刻家のヨナタンが案内してくれた。
そこで発覚したのは
美術室というものが存在しない、
という驚愕の事実だった。
道具を置く場所、美術準備室みたいなものはある。
教室はあるけど、いつも美術はここでやる、という決まった教室はない。
なんだと?
授業が始まってわかったのは、授業は屋外で行われることが基本だ、という事実。
授業が始まる頃になると学生たちはわらわらと
集まってきて、そこに教員が行って指示をして、
学生たちは近所に三々五々散って課題をやるのだ。
いろいろと日本と違いすぎて、
ここではそういうものなのだ、
ということを受け入れるしかないが困惑した。
そこで、いやいや美術室、絶対に必要でしょう、
ほら専用の部屋があったら、作品掲示もできるし、
モチーフを置いて描くこともできるし、
と主張し続けた。
そうすると大学が、
この部屋を美術室に使っていいよ
と言ってくれた。
喜んで部屋を整備して、そこで授業もして、
よし、美術教育らしくなってきたぞ!
と思ったら10日もしないうちに、
やっぱりあの部屋返してもらうね、
と言った。
はぁ? ふざけんな!
と思ったが、
どうしてもっていうなら、
代わりの部屋を出してくれ!
と要求した。大学は
ちょっと待っててね。ではここ使ってね。
あ、でも、そこも仮だから。
ということで新しい教室が与えられた。
私はこのさまよえる美術教室問題でかなり消耗した。最終的には美術教室の確保に成功したが、
けっこう長くたいへんな戦いであった。
日本では当たり前の専門教室の必要性というのが
まるで認識されていないのだ。
これは音楽も同様である。
次に学生についての話だ。
さて、問題です。
美術教育を受けたことのない大学生の絵画上の
精神年齢は何歳くらいでしょうか?
A 実年齢よりやや低めの中学生くらい
B 実年齢よりかなり低めの小学生高学年くらい
C 実年齢よりも10歳下の小学校低学年くらい
正解は90%以上がCの小学校低学年レベルである。
特に人物の横顔がひどい。



ただ訓練したらある程度客観的な描写が
できるようになる。
石とか植物とか現物が目の前にあってそのとおりに
描くことは訓練したらできるようになった。
ただどうしても人物は概念が入るので
難しいようだが。

とりあえず、美術教室を確保する。
学生の実態も少しずつわかってきた。
彼らの美術が幼いなら
訓練すればできるようになるだろう。
そういうわけで学生の訓練を始めた。
紙工作の基本として印刷された展開図を
切って折って糊付けする。
それだけのことをやってもらったのだが、
絶望的に出来が悪かった。
彼らはそういう訓練を受けたことがないのだ。
彼らはできている状態を知らないので、
自分たちができないことになんの不安も持たない。

のりしろを折って糊付けして貼るだけなのだが、
ひどい場合は写真のように口が空いたままだ。
美術の授業がないと、
完成をイメージして手順を正しく踏んで作業する
という一連の実行能力が育たないのだ。
この能力がないと物事を計画的に進めることができない。
また美しく正確な作業というものが
どういうものか理解していないので、
品質の良し悪しがわからない。
この能力の欠如は製造業に従事するには致命的だ。
また並行して、現地で手に入る材料でできる美術教育の実験や研究をしていた。


私は非常に恵まれていた。
カウンターパートであるヨナタンは誠実で
英語ができて有能な彫刻家で協力的だった。
同僚のダーウィットも気のいい青年で多少頼りない
ところもあるがその分柔軟な姿勢で一緒に授業をしてくれた。
また、職場が大学なので、インテリで英語の話せる人が多く、寛容でよくしてもらった。
エチオピアに来て半年が経った。
大学の授業は終わり、長い夏休みに入った。
することがなかったので、
アディスアベバでJICAのボランティア対象の
美術講座を行った。


私のエチオピア全土美術教育普及活動を
成し遂げるためには協力者が必要だ。
私だけで美術教育を広く展開することはできない。
だから私がやっていることを共有した人の数が増えればそれだけ美術ができる人が増える。
小学校や幼稚園の隊員に美術を教える。
その人たちが同僚や生徒に美術を教える。
そうなると現地で美術教育が定着していく。
そう考えて講座を開いた。
その願いどおりに私の実践は共有された。
何ができるのか不安だった新任の隊員たちにも
以前から美術をどうすればいいのかわからなかった
先輩隊員たちにも好評だった。
この時の小学校教育の隊員たちと後に一緒に仕事を
することになる。
ありがたいことに私の職種美術は一人だが、
小学校や幼児教育の現場では美術が必要と
されていた。
4 実用開始期 大学と近隣小学校
次の学期が始まった。
現状は把握できた。
美術教室を確保して訓練を始めた。
近隣小学校で美術を教えることもやり始めた。
大学の同僚のダーウィットがコラージュを授業でやるという。
では授業見本を作ろう。


そこで、ひとつわかった。
彼らは観察して描くことは経験が少ないので
あまりできない。
だがコラージュのようにまずやってみよう、
というのなら楽しくできる。
前に一度、小学校の先生相手のワークショップを
やってみたことがあった。
ちゃんと集まってくれてやってくれたのだけど、
言われたからやっているだけ、
基本的に美術に興味がない、
という感じだった。
たしかに美術を見たことがほとんどなく、まったくやったことがない人たちに
さあ、やってみよう!
こうすればできるよね!
と言っても
いや〜知らんし
となるのは当たり前だ。
ちなみに小学校で使われている美術の教科書を見たことがある。
日本のようにカラー印刷で美術作品が載っているのが教科書だと思ってはいけない。
白黒でほとんど文字ばっかりで
たまに図が入っている。
美術を知らない人がそれを見ても
美術を教えられるとは思えない。
実はその教科書の編集者の一人はヨナタンらしい。
後で他の人からその話を聞いた。
彼は天才なので、他の人がわからないということがわからないのだ。
興味がない人にやってもらうにはどうしたらいいかをずっと考えていた。
大学の学生の様子を見て、
簡単で楽しくできることが大事なのだとわかった。
そこで、次に小学校に教えに行く時にダーウィットに一緒に来てもらってコラージュを教えた。

それを現地のティグライ語で言ってくれた。

バラの折り紙をプレゼントした。
楽しんでやってくれて、授業でやってみます、
という感想をもらって嬉しかった。
美術とは必ずしも高い技術がなくてはできないというものではない。
身近にある材料でも工夫すれば楽しく作ること
ができる、とわかった。
絵の具がない問題もとりあえず石を砕けば絵の具ができるというのを実践してやり方を共有した。

お願いしたら大学が買ってくれた。
本来はコーヒーを砕くためのもの。





来て1年が経った。
JICAの中間報告会でプレゼンテーションを行った。
そこで私は
現在、エチオピアの人口はどんどん増えている。
その増えていく人口で食べていくためには
農業だけでは無理だ。
製造業に移行していかなくてはならない。
製造業では、
図面の理解やデザインの良し悪しが
わからないとできない。
そのためには、
美術教育をして図面が理解できるようになったり、デザインの良し悪しがわかるようになることが
ものすごく大事だ。
美術教育を進めていくためには
まず美術ってどういうものか知っている人を
増やさなくてはならない。
次に美術を実践できる人を
増やさなくてはならない。
最後に、美術を教えることができる人を
増やさなくてはならない。
美術は特別な材料や技術や才能が絶対に必要なわけではなく、誰でも身近にあるもので工夫すれば楽しめるものだ。
そういう理由で、美術について知りたい、
やってみたいという方はぜひ私を呼んでください。
そしたら行くから。

というプレゼンを英語で行った。
私のプレゼンは好評であちこちからワークショップの依頼が来た。
私のエチオピア全土美術教育普及活動が
本格的に動き始めることになった。
ついにエチオピア全土を飛び回ることになった。
5 全国展開期 マニュアル完成、配布
私の活動する範囲は、
最初は大学。次に近隣小学校。
さらにバスで2時間ほど離れたメケレに広がった。
メケレの先輩隊員と共にドッジボール大会と
そのポスターの美術展の実現に向けて
メケレの小学校を回った。



他にもメケレの服飾専門学校でのワークショップ。

小学校の教員対象のワークショップを行った。


ディレダワ大学での集中授業。
アディスアベバでの小学校の教員対象の
ワークショップを小学校教育隊員と一緒に行った。
完全に最初の要請である田舎の教員養成大学の教員と学生の指導の範囲を超えていた。
もちろんアビィヤデイ教員養成大学での仕事は
最優先で行い、大学の休みの期間にその他の活動を行った。
その活動と並行して進めていたマニュアルが無事に完成し、多少のゴタゴタはあったがなんとか印刷された。
そのゴタゴタというのは、事務手続きの苦手な副学長が必要な書類をJICAに送らなかったために
手続きが進んでいなかったことだ。
私は目標を達成するためには何でもやる。
副学長の部屋に乗り込んで
お助けしますね、この書類送っておきますね、
あなたはこの書類にサインするだけでいいんです。
と脅迫するように事務手続きを終わらせた。
そんなこともあったが、
とにかくマニュアルは印刷された。
私はカラー印刷で写真がたくさんで
見ればどういうことかわかるものを目指した。
説明の英語はシンプルに最小限にした。
ステップを踏んで何をどうすればできるのかがわかるようにした。
私は教わったことのない美術を教えろと言われて
どうしていいかわからないエチオピアの小学校の
先生たちの助けになりたいのだ。
これがあればできる、
という副教材を作りたくてやった。

色の濃いのがエチオピア印刷、色の薄いのが日本印刷。
サブタイトルはEnjoy Art!! 楽しんでほしい。



できあがったマニュアルは
部数の半分を大学、半分をJICAが持つことになる。半分ずつお金を出したので。
大学に残す分から私が教えた学年の学生たちが卒業する時に配ることができた。いくらかは大学から
近隣小学校に配布してくれることになった。
大学に残った分は後の美術科の学生が卒業する時に配布してくれるようにヨナタンに頼んでおいた。
では、営業に行く。
マニュアルは印刷されて大学やJICAの倉庫に積まれているだけでは意味がない。それを必要とするところに届けにいかないといけない。
実は私は高校教師としては珍しく営業的な仕事の
経験があった。総合学科高校の総合学科推進部というところにいた。そこで企業を回って職場訪問の協力を依頼したり、中学校や説明会を回って学校のPRをしたりする仕事をしていた。
その経験を生かして人の紹介をたどって、
面識のないエチオピアの教育事務所や大学に行ってマニュアルを渡して使ってくれるように営業した。
まず、アビィヤデイの教育事務所。
次にメケレの教育事務所。
それからメケレ大学。
だいたいの日本の都市レベルに置き換えるとメケレは大阪に似ている。だからそこの名門メケレ大学はざっくり言うと阪大くらい。
アディスアベバに行って
JICAの事務所。
後輩隊員たちの中間発表を聞きに来た、
日本でいうなら文科省である教育省の人にも
マニュアルを渡した。
こういうのはありがたい、と言ってくれた。
国の教育行政にも、美術教育マニュアルの必要性をわかってもらうことができた。
アディスアベバ大学は日本で言えば東大。
そこにもマニュアルを渡しに行って、
夏季講座で授業をした。
コタベ教員養成大学、日本で言えば東京学芸大学くらいか?ここは以前アディスアベバでワークショップの時に通訳をしてくれた人の母校で、彼が案内してくれて美術の教員に会うことができた。
ここでその教員とヨナタンが一緒に小学校の美術の教科書を作ったということを話してくれた。
その話はヨナタンから聞いたことはなかった。
ただ私のマニュアル作りに協力してくれたので、
もし今度彼がまた教科書を作るなら、
もっとビジュアル的にわかりやすく作るだろう。
ヨナタンは実際に私の帰国後、時間ができた時に
写真のいっぱい入った彫刻の本を作って
そのデータを送ってくれた。
私の考え方を理解してくれたのだと嬉しかった。
後にアワサに行ってアワサ大学でもマニュアルを
大学の教員に渡してワークショップもした。
帰国直前になっても最後まで小学校隊員と一緒に
アディスアベバの教育事務所に行ってマニュアルを渡してきた。
資料が資料として使われるには、その必要性を理解してもらうこと、使うことが可能な立場の人の手に渡ることが重要だ。
また本だけあっても実際にやってみないとわからないことも多い。だからできる限りの機会を捕まえて、小学校の教員たち相手のワークショップを行った。
アディスアベバ大学とアワサ大学ではちょうど小学校の教員が夏期講座に来ている頃だった。
その講座を大学の教員が軽々と明け渡してくれたのでワークショップを行った。
まあ単に大学の教員がサボりたかっただけかもしれないが。
美術教育の普及のための出張訪問実演営業。
依頼者は自分。
企画は自分。
営業は自分。
実演は自分。
協力者はJICAのボランティアたち。
移動の交通費などはスポンサーのJICA。
私はあまり日本の学校には向いてないのだが、
意外とビジネスには向いているのかもしれない。
ただ、金にならない事業内容なのでビジネスモデルとしては成り立たないが。
それでも私は自分のやったことを
誇りに思っている。
大学の夏季講座で授業をした時に、
小学校の先生が
「このマニュアルをください。
美術を教えるのにどうしても必要だからください。」
と言った。
幸いまだ部数があったのであげることができた。
美術教育が普及していない国で、
美術を教える小学校の先生が必要だと言うものを
作ることができて本当に良かった。

メケレにはかなりの回数。
アディスアベバも何回も活動した。
ディレダワとアワサは活動は1回ずつ。
私の美術教育普及マップ。
私はできる限りのことをやって日本に帰国した。
私がエチオピアに残したマニュアルを使って
小学校隊員とエチオピア人教員が共同で
ワークショップを行った、
ということを小学校隊員は知らせてくれた。
私はいなくなっても私が残したものはある。
最後に
私は望み通りに美術教育のない世界を見て、
そこでできるだけのことをして帰ってきた。
そこで美術教育の有無はまさに国の発展に深く関わることだとわかった。
日本人がものづくりが得意だとされるのは、
美術をはじめ技術家庭科や体育や音楽などの
体を使って実践する教育が全国的に伝統的に
高いレベルで行われてきたからではないだろうか。
美術教育の成果は数字化しにくいが、
確実にビジネスで必要な力を下で支えている。
今、ここにないものを思い描くこと。
それを表現して実現すること。
それは美術教育が基盤にあるからできることだ。
例えば漫画や建築。
日本ではそういうクリエイティブな創造性が
優れている。
イメージすること、それを形にすることを美術で
やってきたからだろう。
エチオピアでは図面から切って折って糊付けして
立方体を作ることさえ難しいのだ。
美術教育をすぐに役に立たないとバカにする人たちの生活の土台を支えているのが美術教育だ。
計画どおり、図面どおりに物事が進められて私たちの生活はできている。その計画どおり図面どおりができる能力を下で支えているのは美術教育なのだ。
私たちは漫画やアニメを楽しみ、よく考えて計画的にデザインされたものに囲まれて、図面どおりに建てられた建築物のなかで暮らしている。
美術教育が行われないことは発展の足かせ。
美術教育が行われると物事がきちんと行われて
高品質なものが生み出される。
美術教育の果たしている社会への貢献は実は大きい。だが雑な扱いをして、美術教育をおろそかにしていると数十年後に国力が衰え始めるだろう。
教育を大事にしない国に未来はないのだ。
美術は金にならないとか食えないとか役に立たないとかよく言われる。
確かに即座に金にはほとんどの場合ならない。
美術制作だけで食えるのは一握りだ。
だが役に立たないだけは絶対に違う。
美術教育があれば、
現実にはないイメージを思い描くことができる。
客観的に観察して角度が違えば見える現実が違うことも理解できる。
白黒で簡単に決めつけるのではなく、灰色の
グラデーションで世界を捉えることができる。
人にはそれぞれ違う視点と違う美意識が
あることを実感できる。
計画を立て、準備をして、やってみて、
試行錯誤して、修整して
そういう一連の実行能力を
身につけることができる。
もし、世界をより良い場所にしたいと願うなら
力を入れるのは美術教育ではないか?
現在STEAM教育とか、
ビジネスエリートは美術を学べとか
言われている。
確かに最先端で世界に向き合っていくのには
美術は必要だ。
でも美術は生きるために必要な力なのだ。
もちろん世界のトップエリートにも必要だし、
途上国で美術教育が普及していなくて受けることができない人にもものすごく必要なのだ。
とにかく目先の短期的な実利だけを追う現代社会。効率が悪いとか実効性が見えにくいというものは
ひどく冷遇される。
だが一見効率的ではないようなことが
世界を支えているのではないか?
例えば美術教育とか。
保育とか教育とか医療とか看護とか介護とか。
そういう数字にしにくい、
人間相手でやりがい搾取されやすく、
労働の過酷さに対して報酬が低い仕事。
そういう仕事を誰かがしているから
今日も世界は動いている。
日本のように高度にインフラが整った国にいると
インフラが自分たちの生活を支えてくれていることに気がつかない。
電気があるのは当たり前。
蛇口から水が出てくるのは当たり前。
教育の行き届いた状態が当たり前。
でも途上国に行くとそれがまったく当たり前ではないことに気づく。
停電や断水はよくある。
美術教育がないから図面が理解できない。
先進国では当たり前としてまるで目に見えないもののように扱われている美術教育。
ほんとうに大切なものは目に見えない
目に見えないものを見えるようにするための
有効な方法のひとつが美術教育だ。
人間というのはそんなに効率よく何かの役に立つためにこの世に生まれてくるわけではない。
誰だって弱い赤ちゃんとして生まれ、 保育や教育を受けないと一人前になれない。誰だって病気や怪我で医療や看護のお世話になる。誰だって年をとり、弱って介護を受ける。
効率よく実利を追い求めて働くことができる時間は限られている。長くても数十年でしかない。その間も保育、教育で培ったものが力になる。家族の誰かや自分が保育や教育や医療や看護や介護のお世話になる。
効率がよくないように見えるところ、
保育、教育、医療、看護、介護、
そういうところにこそ、十分に人と予算をつける
ほうが持続可能な社会だと思う。
そういう一見効率がよくないように見えるところに金を惜しんで、そこで働く人たちを使い捨てのコマのように扱う。その結果、そこで働く人が誰もいなくなった時に世界は回らなくなる。
今その現場での崩壊の兆しは見えてきているが、
実際に崩壊してみないと実感できないのだろうか?
インフラが存在しない世界、
インフラが崩壊しかけている世界、
それを救うのは想像力や美術教育ではないか?