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芞術ずデザむンを「生掻」から捉えおみる


 çŸŽè¡“・工藝・デザむン、生掻。

柳 宗悊ず工藝の矎

矎術文化から工藝文化ぞの進展、そこに私は、造圢文化の方向を感じる。䜕も矎術を拒吊するずいう意味においおではない。矎の方向は生掻ずの結合にあるず思える。既にその必芁は差し迫っお来たのである。生掻圏内に矎術をも摂取すべき時期は来たのである。ここで矎術の工藝化に新しい意矩が盛れ䞊る。矎ず生掻ずを結ばしめる時、そこに工藝の文化が瀺珟じげんされ、矎の健康化が芋られるのである。生掻に即さない矎を正しい矎ず呌ぶこずは出来ない。生掻に亀わっお矎がたすたす矎ずなる道がなければならない。この心理の解説こそ未来の矎孊が远うべき任務ではないか。

柳 宗悊「工藝文化」11p 序
初版発行 1985幎7月

柳 宗悊 
1889幎明治22幎3月21日 - 1961幎昭和36幎5月3日
日本の矎術評論家、宗教哲孊者、思想家。民藝運動の䞻唱者である。
名前は「やなぎ そうえ぀」ずも読たれ、欧文においおも「Soetsu」ず衚蚘される。

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柳 宗悊さんが、日本においお垂民のクラフトを「民藝」ず呌び、無自芚の手仕事を「無心の矎しさ」だず再解釈する少しだけ前に、西欧では、「デザむン」ずいう抂念が誕生しおいたした。

たず、矎術・工藝・デザむンずは、なんだったのかずいうこずを振り返っおみたす。

Arts and Craftsりィリアム・モリス

アヌツ・アンド・クラフツ運動Arts and Crafts Movementは、むギリスの詩人、思想家、デザむナヌであるりィリアム・モリス1834幎-1896幎が䞻導したデザむン運動で、矎術工芞運動ずも称される。

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1880幎代のノィクトリア朝の時代から始たった。産業革呜が進み、倧量生産により安䟡だが、粗悪な商品があふれおいた。モリスはこうした状況を批刀しお、䞭䞖の手仕事に垰り、生掻ず芞術を統䞀するこずを䞻匵した。モリス商䌚を蚭立し、装食された曞籍ケルムスコット・プレスやむンテリア補品壁玙や家具、ステンドグラスなどを補䜜した。

モリス商䌚の補品自䜓は結局高䟡なものになっおしたい、裕犏な階局にしか䜿えなかったずいう批刀もある。しかし、生掻ず芞術を䞀臎させようずしたモリスの思想は各囜にも倧きな刺激を䞎え、アヌル・ヌヌノォヌ、りィヌン分離掟、ナヌゲント・シュティヌルなど各囜の矎術運動にその圱響が芋られる。アメリカ合衆囜にもアヌツ&クラフツ運動はあった。むリノむ州のシカゎがアメリカにおける運動の拠点で、建築家の フランク・ロむド・ラむトも創立者の䞀人であったし、ミシガン州にあるクランブルック・アカデミヌ・オブ・アヌトの創蚭者であるゞョヌゞ・ゎフ・ブヌスも運動の掚進者であった。

日本の柳宗悊もトルストむの近代芞術批刀の圱響から出発し、モリスの運動に共感を寄せ、1929幎、か぀おモリスが掻動しおいたロンドンのケルムスコット・ハりスを蚪れた。柳の民藝運動は日甚品の䞭に矎甚の矎を芋出そうずするもので日本独自のものであるが、アヌツ・アンド・クラフツの圱響も芋られる。

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冒頭に匕甚した、柳 宗悊のいう「矎術文化から工藝文化ぞの進展」から、欧米をはじめずした文化の茞入を経お、造圢文化はやがお「デザむン」もしくは「補造」ぞず倉容しおいきたす。

建築、郜垂や造園、工芞、自動車や家電におけるたでの工業補品、広告に付随する印刷物から曞籍・雑誌、テレビ映画むンタヌネットに流れるありずあらゆる映像、挫画。

珟代、生掻におけるありずあらゆるものは、「デザむン」ずいうフィルタヌ、もしくは線集工皋を通過するようになりたす。

「日甚品の䞭にある矎甚の矎」は、100均DIYからハンドメむドマヌケットたで幅広く生掻に浞透し、「量産ず効率化」ずいうデザむンが保有する蚭蚈の構造は、AIの普及や、3Dプリンタヌのような機械によっお、よりコンパクトな「小さく生産する、個人芏暡の工堎」を誕生させたす。

倧雑把に癟幎単䜍で歎史を切り分けおみたずきに、2000幎からの癟幎は、「個人の工堎」ずいう矛盟した抂念を可胜にさせるかのように、利䟿化したテクノロゞヌによる増幅が、耇補され続けたす。たずえば、Youtuberのような職業も「小さな工堎  もしくは工房」ずいえるのかもしれたせん。

日本においおは、人口を爆発的に増加させおきた1900幎代から䞀転し、瞮小の䞖界ぞ。

AIが普及する時代の始たりは、「テクノロゞヌの手工藝である、デザむン」が発酵しおいく時代、ずよべるかもしれたせん。

萜合 陜䞀さんの「デゞタルネむチャヌ」ずいう抂念を借りおくるのであれば、自然界ぞず進化したデゞタル自然界の䞭で、人はいかに道具を぀くり、狩猟を行い、商いを営むかずいう問いを立お、加速する自然界の䞭で枛速しおいく我々人類にずっお「生掻の愉しみ」の䞀郚分になりえはじめた「仕事」「職業」をどう捉え盎すかずいう節目をむかえおいるのではないでしょうか。

Art / Arm 藝術ず工藝の分化点

英語の「Art」なる蚀葉は剎切がいせ぀意芋などが非垞に適切なこずな䟋を䞎える。この蚀葉は䞀般に藝術ずいう蚳語を以おするが Art は元来 Skill 即ち「技わざ」「巧たくみ」の矩である。Art は Arm ず語原が同じで日本語でも「腕」「腕きき」「腕前」等いうが、党く同じ心である。そうしおこの蚀葉は工䜜藝術の凡おを包含したものであっお、文孊、音楜、絵画、圫刻、工藝、建築等、党おの藝術が Art であった。

柳 宗悊「工藝文化」34p
初版発行 1985幎7月

昔は Art ず Craft ずの二語には決しお区別がなかった。共に「技」の意味で、Craft は独逞ドむツ語の Kraft ず同字で「力」を意味し、日本でも「力量」等いうが同じこずである。それ故英語の叀い甚法では Artsman ず Craftsman ずは党く同矩であっお共に「工人」を意味した。しかも Artsmanなる蚀葉は十六䞖玀になっお発生したので、それは Workman 即ち働き手たたは職人の意であった。 Arts-master も Master -Craftsmanの意に倖ならない。共に「芪方」「頭」の矩である。それなら珟圚慣甚されおいる Artist なる語の歎史はどうであろうか。驚くこずにはこれも十六䞖玀以前には遡らない。しかも、十六、䞃䞖玀頃たではこの Artist なる蚀葉はごく皀により甚いられず、倚くは Artificer ずいう字を甚いた。皆 Craftsman ず同意矩で、いずれも「技にたけた人」を意味した。だから Artist が「矎術家」を意味するようになった歎史がずおも若い。今では「矎術家」Artist ず「職人」Artisan ずを明瞭に区別しお甚いるが、昔は決しお、これらの蚀葉の間に階玚的差別は芋出されなかった。実に Artistic 「矎術的」Artistically 「矎術的に」なる圢容詞副詞も、英語に珟れたのは十八䞖玀半以降のこずに過ぎない。それ故叀くは Art ずいう蚀葉の䞭には「矎術」ずいうような抂念はなかったのである。単に「技藝」ずいう意に過ぎないのである。いわんや矎術家の個人的な䜜ずいう意味は毛頭ない。たしおや絵画ずか圫刻ずかに限られた蚀葉ではなく、䞀切の藝胜を抱括しおいたのである。これ故工藝もたた Art であった。むしろ Art が凡お工藝を意味しおいたず芋る方がいい。それ故今は誰も奜んで甚いる英語の Fine Arts 独逞ドむツ語の Die Schöne Kunst 仏蘭西フランス語の les Beaux-arts 等、いわゆる「矎術」ずいう蚀葉は、ずりわけ起原が新しい。この蚀葉は十八䞖玀末に初めお珟れ、これが今の「矎術」の意に䞀般に解されるようになったのは、十九䞖玀以降である。劂䜕に新しい抂念だかわかるではないか。

柳 宗悊「工藝文化」35-36p
初版発行 1985幎7月

「景気」ず「経営」の語源は、アヌトだった

経枈ずアヌトの語源を、束岡 正剛さんの蚀葉から芋぀めおみたしょう。

「景気」 和歌に䜙情を盛るこずが「景気を぀ける」
「経営」 氎墚山氎画の六法のひず぀に「経営䜍眮 / コンポゞション構成力」があっお、そこから自立した蚀葉

氎墚山氎画の六法は、謝赫しゃかくが最初に蚀い出した蚀葉。

景色を描くには、
.気韻生動きいんせいどう   生呜力
.骚法甚筆こっぜうようひ぀  玠描力・線
.応物象圢おうぶ぀しょうけい 描写力・圢
.随類貝歊圩ずいるいぶさい  圩色力
.経営䜍眮けいえいいち    構成力
.䌝移暡写でんいもしゃ    暡写
この6぀が必芁なのだず蚀いたす。

そのひず぀に経営䜍眮があったずいうこずです。
぀たり、景気も経営も「アヌト」だったのです。

アヌトの語源は、ラテン語のarsアルス。「技芞」「方法」で、か぀おは絵画の描き方だけでなく、建築も医療も亀易もアヌトですから、これは圓然ずいえば、圓然のこずです。

しかしあるずき、欧米のマネゞメント甚語がどっず入っおきお、経営だけが脚光を济びるこずになり、経営マネヌゞメント䞀蟺倒になりたした。

私はあるずき、日本ラグピヌを代衚する平尟 誠二ず語らっお、マネヌゞメントがあるなら、むメヌゞメントもあるはずだ、ずいう芋解を共有したこずもありたした。

「むメヌゞずマネヌゞ」ずいう察談集になっおいたす。

いた、そういうふうにアヌトのように景気や経営が語れるビゞネスマンが登堎したら、さぞかし面癜いだろうず思いたす。ゞャパンシステムを欧米型で語ろうず思いすぎないほうがいいずいうのが、本講の結論です。

束岡 正剛「日本文化の栞心」
第十五講 景気ず経営はアヌトだった
初版発行 2020幎3月

束岡 正剛さんは、同著同講で「経枈」の語源に぀いおこういう話をしおいたす。

「経枈」が倱ったもの

いたや、誰の口端くちはにものがっおいる「経枈」ずいう蚀葉は、もずもずは「経䞖枈民けいせいさいみん」が略されおしたった蚀葉でした。

荘子・斉物論篇そうし・せいぶ぀ろんぞんの経䞖けいせい、曞経・歊成篇しょきょう・ぶせいぞんの枈民さいみんずが、春秋公矊孊しゅんじゅうくようがくのなかで合䜓したもので、本来は「䞖を治め民を救う」ずいうふうに読みたした。

経けいは、瞊の糞のこずです。この瞊の糞が䞖の䞭を治める基軞になるので、経けいは「治める」ず解釈されたす。埓っお、「経䞖」は「䞖を治めるこず」になる。

枈さいは、救うずいう意味ですから、「枈民」は「民衆を救う」こずです。

぀たり「経䞖枈民けいせいさいみん」は、囜が囜を保ち、囜が䞖を治めるコンセプトそのものでした。本来のナショナル・むンタレストnational interest/ 「囜益」のために囜はどうすればいいのかそれを考え、実行するこずが、「経䞖枈民けいせいさいみん」ずいうこずだったのです。

ずころがある時期から、これが経枈ずしお略され、あた぀さえ゚コノミヌの蚳語ずなりたした。この蚳語は、接田 真道぀だ たみちや西 呚にし あたねが、ポリチャヌ゚コノミヌ、ポリチカル゚コノミヌPolitical Economyを最初は家政孊ず、぀いでは経枈孊ず蚳したずされおいるもので、そのほか、生産孊、デザむン孊ずいう候補もありたした。かなりうたい蚳だず思いたす。

もずもず゚コノミヌは、「オむコスOIKOS/ 家」ギリシャ語で「家」を意味する蚀葉で、経枈史䞊の基本抂念の䞀぀ずしお、絶察君䞻の家産的支配や諞䟯や領䞻による所領支配、奎隷を含む叀代の倧家産などの封鎖的家族経枈を衚す。ず「ノモス / 制床」叀代゚ゞプトの行政区分が合䜓した「オむコノミヌ」からできおいるので、家政孊も経枈孊も生産孊も含んでいたのです。ですがそのうち、経枈ぱコノミクスeconomicsだけを衚すようになっおいきたした。ここからがうたくいかない。䞀旊、経枈ずいう蚀葉が䞀人歩きするず、そこには経䞖枈民けいせいさいみんの意矩はどんどん剥ぎ取られおしたいたす。そのうち経枈は、経䞖枈民に関わらない収益や利益を獲埗する掻動になり、戊埌埩興を誓った日本人は資本䞻矩のセオリヌずレトリックそのたたの経枈掻動にひたむきになり、果おはグロヌバリズムの枊䞭にあっずいう間に巻き蟌たれおいったのでした。

その経枈は、お祓いず支払いが䞡矩性を持っおるものではなくなりたした。

今日では、経䞖けいせいず枈民さいみんは、政府の経枈政策の代名詞になっおしたっおいたす。その䞭身は、財政のプラむマリヌバランスを黒字にする、芏制を緩和するか、匷化する。公共政策を拡倧するか、瞮小する。増皎するか、枛皎する。自由貿易ず保護貿易の察比を決めるずいったこずでか぀おの経䞖枈民けいせいさいみんずいうものではありたせん。

束岡 正剛「日本文化の栞心」
第十五講 「経枈」が倱ったもの
初版発行 2020幎3月

「経䞖枈民けいせいさいみん」は、䞭囜の叀兞に由来する四字熟語です。

「経䞖枈民」の起源は諞説ありたすが、隋の時代の王通『文 䞭子』瀌楜篇に「皆有経枈之道、謂経䞖枈民」ずあっお、経枈が経䞖枈民の略語ずしお甚いられおいたずいう説がありたす。

今ずむかしを比べれば、私たちの生掻も、暮らしの経枈も、文化・教育・行政、公共衛生、あらゆるものが改善されおいたすから、「か぀おの意味」は、必ずしも瀌讃できるものではないかもしれたせん。

しかし、収益や利益を獲埗する掻動が、目的になりそうなずきは、こういう蚀葉を思い盎しおみるのが、きっず、よいのでしょう。

"Renaissance"ずアヌトの蚀葉

続いお、束岡 正剛さんの「党然アヌト」より、レオナルド・ダ・ノィンチの手蚘の郚分を匕甚しおみたす。

東西の矎術史

西の矎術史ず東の矎術史は、同断に語れない。そもそもナヌラシアの東・西・南・北・䞭倮がちがっおいる。颚土も文化も、宗教も食事も蚀語も衣裳もちがっおきた。叀代のギリシア・ロヌマ文化は初期キリスト教の矎術様匏やゎシック様匏やルネサンス様匏にそこそこ぀ながるが、シベリア・シャヌマン文化、䞭倮アゞア文化、ヒンドゥヌ文化、仏教文化、黄河文化、長江文化ずはなかなか重ならない。

䞀に、倩ず神をめぐる考え方コンセプトが異なっおきた。そのため西には唯䞀神が生たれたが、東はおおむね倚神倚仏になった。

二に、共同䜓の圢成の仕方ずルヌルが別々に発達した。西には比范的早くからポリスや郜垂囜家が集合力や経枈力や軍事力をもったけれど、東では郚族や民族の移動ず亀替が文化を習合させおいった。

䞉に、玠材ず衚珟技法ずにちがいがあった。西の葊パピルスず東の竹、矜ペンず毛筆、壁・油絵・カンバスず墚・顔料・玙・絹垃では、神仏のむコンを描くにも、人物を肖像するにも、颚景を写すにも、䜕かが倧きく倉化した。

これらは東西のリアリズムを倉奏させ、遠近法を別々のものずし、ずどの぀たりは心性のあらわし方に特異なちがいをもたらした。

東西矎術のちがいを語るための芖点はこのほかにもただただあるが、気になるのは、西のアヌティストがその矎やその哲孊を自身で語ったり綎ったりするのが倚いのにくらべお、東のアヌティストは近䞖を迎えるたで寡黙であったずいうこずだ。批評家は西も東も少なくなかったのに、東は自身のひらめきや才胜をあたり語らない。このこずは、今日の東西矎術界のちがいに及んでいるず思われる。

束岡 正剛「党然アヌト」
初版発行 2021幎10月
ルネサンスは䜕を「再生」し、レオナルドはノェロッキオの工房から䜕を「昇華」したのか。p43
「レオナルド・ダ・ノィンチの手蚘」より

アヌトず自己䞻匵

西のアヌティストが自己䞻匵するようになったのは、ルネサンスrenaissanceの深たりず広がりによる。この深たりず広がりは「人間」を芳察するこずから生たれ、「人文」に及んだ。すでにダンテやペトラルカの時期に意識されはじめおいた。こうしお「再生」renaissanceずいう時代意図が、北むタリア・トスカヌナ地方の富の力ず盞俟っお個性のめばえに結び぀き、才胜の開花ず研鑜に向かっお行ったのである。

なかでもブルネレスキの建築力、メディチ家のプロデュヌス力、ノェロッキオの工房力が特筆される。

アンドレア・デル・ノェロッキオは圫刻家であっお、画家・建築家・金现工垫でもあり、噚械の組み立おや音楜にも長けおいた。早くから「皀代きたいの良垫」ずいう評刀で、ラファ゚ロの父やノェリヌノに䞀目おかれ、その工房には倚くの若い才胜が修行にやっおきた。それをメディチ家のコゞモ、ピ゚ロ、ロレンツォが協力支揎した。

ノェロッキオの工房は矎術孊校ずデザむン・スタゞオを兌ねたようなもので、匟子たちは床の掃陀から雑甚党般をしながら、䟝頌された絵画の制䜜を分担した。サンドロ・ボッティチェリは二十䞉歳のころに、ピ゚トロ・ペルゞヌノは十代埌半に、ボッティチェリより䞃歳幎䞋のレオナルド・ダ・ノィンチは十四歳頃に匟子入りした。ペルゞヌノの匟子がラファ゚ロだ。このように、ルネサンス矎術はノェロッキオをその匟子たちが぀くったようなものだった。

ノェロッキオがどのように「西の矎術」の真骚頂を教えたか、マニュアルも蚘録も残っおいないのだが、レオナルドの手蚘がその芁蚣ようけ぀をかい぀たんでいた。

束岡 正剛「党然アヌト」
初版発行 2021幎10月
ルネサンスは䜕を「再生」し、レオナルドはノェロッキオの工房から䜕を「昇華」したのか。
p43-44
「レオナルド・ダ・ノィンチの手蚘」より

ルネサンスより前の時代の画家や建築家のクラむアントは「教䌚」や「囜家」。「キリスト・カトリック教䌚」のための芞術が䞻でした。䞖の䞭が「キリスト教」を䞭心に回っおおり、矎術も「聖堂の建築」や「聖堂のなかの祭壇画」「聖曞の挿絵」など、ルネサンスたでの千幎くらいの間、むタリアでは「矎術ずいえばキリスト教」ずいう時代が長く続いおいたした。

ルネサンスフランス語で「再生」「埩掻」は、叀代ギリシャやロヌマの叀兞的な芞術を埩興したす。知識ず矎が再び尊ばれ、人間の胜力や知識を重芖する思想人文䞻矩運動が興りたした。

〜ルネサンス・メモ〜

・リアリズムず粟密な描写
・自然䞻矩の衚珟
・人間を䞭心ずした文化ぞの志向
・人間の人栌や個性ぞの尊重

代衚䜜
サンドロ・ボッティチェリ「ノィヌナス誕生」
ラファ゚ロ・サンティ「アテナむの孊堂」、「システィヌナの聖母」
ミケランゞェロ・ブオナロヌティ「ダビデ像」「システィヌナ瀌拝堂倩井画」
レオナルド・ダ・ノィンチ「最埌の晩逐」「モナ・リザ」

時代の背景

  • 十字軍遠埁によるむスラム圏ずの接觊

  • 東方貿易による富の蓄積ず自治郜垂の勃興

  • ビザンツ垝囜ぞのオスマン垝囜の䟵攻

  • 教皇の暩力の衰退

レオナルド・ダ・ノィンチの手蚘

レオナルドの『手蚘』の序には、「経隓の匟子レオナルド・ダ・ノィンチ」ずずもに「暩嚁をひいお論ずるものは才胜を甚いるにあらず」の文句が瀺されおいる。その次に「十分に終わりのこずを考えよ。たず最初に終わりを考慮せよ」が出おくる。

「終わりを考えよ」ずは䜕のこずなのか。なぜ「終わり」が重芁なのか。絵画や圫刻や建築を仕事にする者たちぞのアドバむスなのか。それなら、こんなこずはごくあたりたえのこずになる。仕䞊がりを考えおおくだなんお、近代以前の絵画を孊習した者にずっおも圓然な瀺唆になるだろうが、きっずそんな意味なのではない。

これはおそらく「圓初の完了」ずいうこずなのであろう。初めお『手蚘』を読んだ孊生時代、がくはそう思ったものだったが、そのうちたた考えなおした。これは「圓初の完了」ずずもにひょっずしお「掉尟ちょうびの未了」を告げおいるのではあるたいか。そこからレオナルドの未完成の哲孊が出来しゅったいしおいったのではないか。だんだんそう思うようになっおいった。

この『手蚘』はモンテヌニュやパスカルの随想録のように読める。それほど明晰で、深遠だ。随所に「自分に害なき悪は自分に益なき善にひずしい」ずか「想像力は諞感芚の手綱である」ずいった章句がちりばめられおいお、レオナルドずずもに䜕床も思玢ができるようになっおいる。なかには、「感性は地䞊のものである。理性は芳照するずき感性の倖に立぀」「点ずは粟神も分割もしえないものである」ずいったノィトゲンシュタむンやカンディンスキヌ顔負けの章句もあるし、「われわれをめぐるもろもろの物象のなかでも、無の存圚は䞻䜍を占める」ずいったハむデカヌや西田 幟倚郎顔負けの章句も少なくない。

こんなふうに読めるのだから、この『手蚘』に孊べるこずはたんなる芞術論や芖芚論ではない。むろん人生論にはずどたらない。透培された方法は芞術ず思想になりうるずいうこず、もっずはっきりいえば、そういう方法だけが芞術思想であるこずをレオナルドが瀺したずいうふうに読める。

仮にそれを芞術論ずいったずしおもおよそ抜象的なものではなく、䞀皮の名人の蚀葉や達人の蚀葉に近かった。たずえば、レオナルドは圫刻ず絵画を区別するにあたっおどうしたか。圫刻は䞊からの光に巊右されるが、絵画はいたるずころに光ず圱を携えられるずみた。この着目は䜕でもないようでいお、なかなか凄い。タブロヌは暪から氎平光を济び぀぀も、そこに描かれた技法によっおほが完璧な空間を出珟させるこずができるず宣蚀しおいるわけなのだ。それこそがレオナルドが工倫を尜くしたキアロスクヌロ明暗法であり、スフマヌト察照法ずいう方法だった。

たた、「鋳物は型次第」ずいうメモがある。これはなんでもないようだが、職人の達成を感じさせるメモだ。

レオナルドにずっお「型」ずは䞖界を象かたどり、䞖界を衚象するための方法であり、その方法が䞖界にほかならないずいうこずなのである。おそらくノェロッキオから教わったこずでもあろう。ずくにがくが奜きなのは「喉仏は必ず立っおいる足の螵かかずの䞭心線䞊に存圚しなければならぬ」ずいった"極意"のメモである。いったいレオナルド以倖のだれが䞊前郚の喉仏を䞋埌郚の螵ず぀なげお芋られたか。そこに䞀本の芋えないキリキリ舞を芋いだしえたか。いたなおロボット工孊者によっおも気が぀かれおいないにちがいない。

束岡 正剛「党然アヌト」
初版発行 2021幎10月
ルネサンスは䜕を「再生」し、レオナルドはノェロッキオの工房から䜕を「昇華」したのか。
p44-46「レオナルド・ダ・ノィンチの手蚘」より

レオナルド・ダ・ノィンチLeonardo da Vinci 14521519は、15䞖玀末から16䞖玀にかけお、フィレンツェ、ミラノやロヌマを拠点に画家、圫刻家ずしお掻動した「䞇胜人」。さたざたな機械の発明、土朚建築、歊噚の開発なども行う、技術者でもありたした。軍事技術者ずしお自薊状を提出しおミラノ公に仕えるこずずなり、あるずきは音楜家リラ挔奏家や䜙興係、あるずきは郜垂蚈画者あるいは軍事技術者か氎利工事監督者ずしお掻躍したずいいたす。それらの仕事をしながら思玢したノヌトが『レオナルド・ダ・ノィンチの手蚘』だそうです。

圌の研究領域は非垞に広く、科孊・音楜・建築・料理・数孊・解剖・地質・気象・倩文・物理・飛行力孊・航空工孊・自動車・材料・土朚ずありずあらゆるの分野に、顕著な業瞟ず手皿を残したず蚀いたす。

人類史䞊初めおずものちに語られるような、正確な解剖スケッチ。ヘリコプタヌや戊車の抂念化、倪陜゚ネルギヌや蚈算機の理論、二重船殻構造の研究、さらには初歩のプレヌトテクトニクス理論に関するメモも残っおいたのだずか。レオナルドが構想、蚭蚈したこれらの科孊技術のうち、レオナルドの存呜䞭に実行に移されたものは僅かでした。圌のが曞き残した膚倧な手蚘は、長らく䞖間に公開されなかったため、埌䞖の科孊技術の発展に盎接の圱響を䞎えるこずはなかったそうです。

最初に終わりを考慮せよ

䞭略
レオナルドの『手蚘』は、このようにラむヒに芋られる特異なものから、ノァレリヌや花田 枅茝を唞らせた思玢をぞお、枊巻の科孊やヘリコプタヌの開発におよぶたで、たこずに巚倧な光陰を発しおいる。その䞇胜の倩才ぶりにあらためお蚀及するのがみっずもないほどである。

が、いいこずずくめで話をおわらせおはちょっず぀たらない。レオナルドは「最初に終わりを考慮せよ」ず暗瀺した。せっかくなので、少々劖しいこずを曞いおおきたい。

ルネサンスには『行儀䜜法の曞』ずいうマニュアルが流垃しおいた。そこには「裏切者、異端者、莋金づくり、殺人者、暗殺者、倧食挢、悪口家、男色者に近づくな」ずいう譊告が入っおいる。なかでも男色が最も譊戒されおいた。ルネサンスは、異教ず男色の巣窟だったのである。

レオナルドが《最埌の晩逐》の準備にずりかかったころ、フィレンツェのサンマルコ修道委員長ずなったゞロラモ・サノォナロヌラは宗教革呜を叫んでメディチ家ず察立し、厳しい神政政治の必芁を蚎えた。結局、メディチ䞀掟が远攟されおサノォナロヌラの恐怖政治によっおフィレンツェのルネサンスは終止笊を打぀のだが、そのサノォナロヌラが最埌たで手を焌いたのが男色だった。「矎青幎たちず手を切りなさい、神の怒りを招く忌たわしい悪埳をやめなさい」ず絶叫したにもかかわらず、そしおそれが老レオナルドにも向けられおいたにもかかわらず、その「悪埳」はフィレンツェからもレオナルドからも去らなかったのだ。

レオナルドが芪切にした矎青幎は『手蚘』では「サラむ」の名で登堎する。二十五幎以䞊にわたっお同棲した。サノォナロヌラにずっお恐ろしかったのは、サラむが「サタン」の意味でもあったこずだった。あの神聖で深遠なキリスト教絵画を描くレオナルドが、どうしお男色の官胜に耜るのか、この単玔な宗教改革者にはたったくわからなかった。しかし、この官胜ずレオナルドの技胜こそは䞍完党ずいうものに、たた未完成ずいうものにどこかで繋がっおいたのである。

がくが思うには、男色や少幎愛ずいうものは「未了」においお成り立っおいる。そこには生産はない。䞀方、建築や芞術は「完了」をもっお手攟されるものである。すべおは珟物ずしお残される。レオナルドはこの「未了」ず「完了」の関係をあたかも埗意な鏡像文字のように反転させたかったのではなかったか。

だからこそレオナルドにおいおは、最初に官胜が、途䞭に技胜が、終わりに才胜が暗瀺され、これらがこずごずく「昇華」されたのである。最初に終わりを考慮せよ。今倜付け加えおおきたいのは、このこずだ。

参照千倜
八八八倜モンテヌニュ『゚セヌ』
䞃六二倜パスカル『パンセ』
八䞉䞉倜ノィトゲンシュタむン『論理哲孊論考』
九䞀六倜ハむデガヌ『存圚ず時間』
䞀〇八六倜『西田幟倚郎哲孊論集』
䞀二倜ノァレリヌ『テスト氏』
四䞃二倜花田枅茝『もう䞀぀の修矅』

束岡 正剛「党然アヌト」
初版発行 2021幎10月
ルネサンスは䜕を「再生」し、レオナルドはノェロッキオの工房から䜕を「昇華」したのか。
p48-50「レオナルド・ダ・ノィンチの手蚘」より

束岡 正剛さんの蚀葉に茶々を入れるのは烏滞がたしいので、今日はここで䞀旊終わりにしたす。たた、そのうちに。

いたずむかしをふりかえりながら、未来を芋぀める蚀葉を少しず぀蒐あ぀めおみようずおもいたす。

よいお幎になりたすよう。

参考

曞籍

柳 宗悊「工藝文化」
束岡 正剛「日本文化の栞心」「党然アヌト」「デザむン知」「知の線集工孊」
束岡 正剛 , 平尟 誠二「むメヌゞずマネヌゞ リヌダヌシップずゲヌムメむクの戊略的指針」
ドミニク・チェン「メタファヌずしおの発酵」
䌊藀 譲䞀「テクノロゞヌが予枬する未来 web3,メタバヌス,NFTで䞖界はこうなる」
安宅和人 「シン・ニホン」「むシュヌからはじめよ」
萜合 陜䞀 「デゞタルネむチャヌ 生態系を為す汎神化した蚈算機による䟘ず寂」

note

萜合 陜䞀「脱人間䞭心HCIずデゞタルネむチャヌ蚈算機自然に぀いお / Human-Computer Interaction (HCI) Advent Calendar 2024」

萜合 陜䞀「ASI / AGI , マタギドラむブのためのいく぀かの準備」


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