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デジタルスープ

     ユニコーンのデジタルスープという歌を、何度も繰り返し再生している。
     ユニコーン自体は、有名どころの曲しか知らない。聴いていたのは素晴らしい日々とか、ヒゲとボインぐらいだ。デジタルスープがファンにどれくらいウケているのかは知らないが、私にはメロディも歌詞も全てがブッ刺さっている。

     齢31にもなってくると、周りは極々ありきたりな幸福を享受するもの(例:結婚を経て出産、マイホーム建築。時たま"仲間"とバーベキューに洒落込むような、日本でいうところの未来を担う人々)か、社会には定着すれど自分らしさを軸にして狂い始めているものの二分になっている様に見受けられる。
     私はどちらかといえば、後者だ。前者の様々な人々が「ああするべき」を身勝手にチンパンジーが糞を投げるが如くぶつけてくる。特に不快なのは、子どもの予定について聞いてくる連中だ。奴等はその話題になると著しくインテリジェンスが低くなり、高頻度で擦ってくる。
     この文の趣旨と逸れるが、もう子供の予定と聞くのはやめにしないかと提言したい。私は今後同じ話題を聞かれたら「中出し絶頂ア○メ着床の話ですか?」と聞き返してやろうと思う。

     私の良くない所はこんな風に前者の未来ある人々を揶揄してしまうことだ。子は国の宝であるのは確かだ。今はもう書くのも憚れる表現だが……。
     私は既に狂い始めていて、もう戻れないのだろう。そして何度か戻ろうと試みても私の中の本心、もしくは何がしかの因果律が邪魔をしている。
     そんな自分を何とか慰めるために、週二回程度ジムで有酸素運動をする。一時間近く歩いて、残りの1分で時速を11kmに変えて全力ダッシュする。私にとってはその1分が重要だ。狂った思考を一瞬でも紛らわすため、全力で走る。それでもダメなら、このnoteに便所の落書きを殴りつける様に書く。

     こんな風でしか発散できない自分はもうダメかもしれない、とも思う。
     そうなったらデジタルスープを鼓膜がはち切れんばかりの音量で聴くのだ。

     『あなたの言葉は あなたらしくあれ 正しさを知りながらに 過ちを繰り返すも 僕らの姿は デジタルになるが まるはだか叫び続け 心から愛を込めて』

     人付き合いも歳を重ねるにつれて希薄になり、仕事に対しても熱が無くなってしまい、時折死んだらどうなるのだろうかという希死念慮がさざなみのように脳に流れる現実。
     私が出来ることといえば、この命燃え尽きるまで本心を書きたいように書くということが全てかもしれない。
     所詮人のアドバイスの大半はマスターベーションであり、心の根っこでは相手を分からせたいという顔射行為に過ぎないのだから。しかし聞き耳を立てないのは、より孤独を加速させるのでしない。ただ、聞いた話を全て丸呑みにしてはいけないと感じている。
     私のような人間が他にいるのかは知らないけど、同じような狂いの中にある人に手を差し伸べるつもりはない。
     ただ、目線や方向は違えど何処かへ向かう同志たちに手を振りたい。交わる必要はなく、個々がやりたいようにやればいい。
     デジタルスープは、終わっている自分にブッ刺さった歌だ。


     
     
    インターネットイタコ ブルースカイ: katamechan.bsky.social

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