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大学受験に失敗して「悲劇のヒロイン」ぶっていた私が、異国で人生を選び直した話

    「ぱっと色がついたみたいだね」
    久しぶりに再会した友人が、私に向かって驚いたように言う。

    21歳のとき、スーツケースひとつで、誰も知り合いのいないカナダに引っ越した。言葉も通じず、お金もなく、右往左往しながらの異国での暮らし。
    世界中から人が集まる場所で過ごした10ヶ月の経験が、親や周囲の期待に応えることに必死で、自己否定ばかりしていた私を変えてくれた。

    無気力で灰色の日々


    物心ついたときから、「自分の中身が空っぽだ」という感覚があった。
    田舎の教師一家に生まれ、優等生でいなければと思っていた。両親から褒められた記憶はない。人から認められることで、自分の存在価値を確認しようとしていた。

    3つ上の兄は要領が良くて、愛されキャラ。一方の私はこれといった取り柄もなく、不器用で運動神経は悪いし、ぽっちゃりしていて天然パーマやニキビ肌といった容姿もコンプレックスだった。

    その中で、やればやるだけ成果の出る勉強は、自分の価値を証明できる唯一の手段に思えた。良い大学に行って、良い会社に入れば認めてもらえるかもしれない。そう思って必死に机に向かった。

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    当時の記録。部活をしながら1日2~10時間勉強していた



    でも、結果は思った通りには行かなかった。
    受験に失敗した私は、地元の大学に進学する。今なら「一度の失敗くらいで」と笑えるけれど、当時の私は人生のすべてを失ったかのように絶望していた。

    人と深く関わることを避けていたし、バイトもサークルも長続きしない。実家から大学まで、片道2時間の道のりを電車で往復するだけの無気力な日々。キャンパスライフを謳歌する同級生たちを、いつも一歩引いたところから眺めていた。

    「どうせ頑張っても、また失敗する」
    「あの子が羨ましい、ずるい」
    頭では、後ろ向きなことばかり考えても仕方ないと分かっているのに、止められない。誰かの何気ない発言を人格否定と受け取ったり、勝手に人と比較して落ち込んだりして、毎日のように涙がこぼれた。

    真っ暗な深い深い井戸の底に落ちて、這い上がれない。誰か助けてほしい。

    そうやってどん底で泣き続けていれば、いつか誰かが私を救い出してくれるんじゃないか。そんな都合のいい奇跡を待っていた。自分を悲劇のヒロインだと思い込んでいた。



    このまま終わりたくない


    無気力な日々を過ごし、あっという間に大学2年生になった。現実はひとつも変わっていない。

    こみあげてきたのは、強烈な焦りだった。
    大学生活どころか、人生のあがりが見えた。このまま地元でどこかに就職して、つまらない顔をして働き、淡々と人生を消化していくのだろうか。

    何かを変えなければいけない。
    そう思ったとき、頭に浮かんだのが昔から憧れていた「海外」だった。

    費用面や学べることを考慮して、交換留学を目指すことに決めた。問題は英語力が全く足りないこと。一人で勉強する日々が始まった。夏休みの静まり返った大学図書館で「みんなは楽しく遊んでいるのに、私は何をやってるんだろう」。つるりとワックスがかけられた木の机に参考書を広げながら、半泣きでペンを動かした。

    交換留学に出願するためには、TOEFLという英語のテストで、一定以上のスコアを取る必要があった。120点満点のうち、最初はたったの10点台。出願に必要な60点には程遠く、改めて高校時代の受験勉強は何だったんだろうと自分が情けなかった。それでも半年ほどかけて試験を何度も受けて、ようやく基準に達した日には号泣してしまった。その後、無事に留学することが決まった。

    留学に行くにあたり、大学の卒業を1年延ばすことにする。長期の海外生活も、留年をすることも、私にとっては初めて「人と違う道」に足を踏みだす経験だった。

    元々怖がりで心配性な性格だ。出発が近づくにつれ、本当にやっていけるのか不安がとめどなく押し寄せる。10時間以上のフライトの間、足がカタカタと小刻みに震え続けていたのを覚えている。


    地味で泥くさい留学生活


    留学先は、カナダ東部・ハリファックスという、のどかな港町。
    留学というと華やかなものを想像するかもしれないけど、全然そんなことない。たくさん失敗をして、恥をかき、右往左往する毎日だった。

    例えば、言語。大学の授業はおろか、基本的な会話も成り立たない。スーパーで、胡椒(ペッパー)が欲しいと言っても、紙(ペーパー)コーナーに連れていかれて、必死に説明しても「はぁ?」と店員さんに思いっきり顔をしかめられる。

    意思表示すらまともにできず、「Don't be shy(恥ずかしがらないで)」という言葉がトラウマになった。本当は考えていることがあるのに、誰にも届かない。言葉を持たないとは、人権を奪われているに等しいなと痛感した。自分が透明人間になったようだった。

    昼間に言いたくても言えなかった言葉を、毎晩ノートに書きだして、訳を調べて復唱する。その繰り返しだった。

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    大学でのオリエンテーション


    お金がないので、食事は具無しのトマトパスタかバタートーストが定番。そんな食生活をしていたら、あっという間に8キロ太った。
    大学の寮に住んでいて、初めての共同生活は戸惑いも大きかった。慣れない環境のストレスからか、じんましんが出たり、咳が止まらなくなったりした。

    だけど、帰りたいとは一度も思わなかった。私をその場に留まらせたのは、恐怖心だった。帰ったら、ただ親のお金と奨学金を使って息をしているだけの自分に逆戻りだ。

    それだけは嫌だ。無気力ほど恐ろしいものはない。
    怒りや嫉妬はガソリンにもなりえる。だけど、無からは何も生まれないと知っている。

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    冬はマイナス10度近くになるハリファックス


    多様性の中で訪れた変化


    新しい環境に適応しようと四苦八苦するうちに、少しずつ友人やつながりができた。

    カナダは歴史的に世界中から移民を受け入れており、さまざまな国や文化の人がいる。住んで肌で感じたことは、“普通”なんてないということ。

    たとえば、体型や容姿に対する価値観。それまでの私は「女性は華奢で、小顔で色白が正義」だと思っていた。けれどある日、カリブの国出身ではじけるような小麦肌が美しい友人から「ハイチークボーン(高い頬骨)が素敵だね!」と、思いもよらない角度から褒められて、びっくりした。

    街を歩けば、年齢や人種なんて関係なく、みんなが自分の着たいカラフルな服やノースリーブを着て堂々と歩いている。まるで内側から発光しているように眩しかった。そういう姿に、ただ自分であることの強さと美しさが見えた。

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    カナダには世界中から人が集まっていた。
    いちばん右端が私



    そして、ハッピーで自由に生きているように見える人たちにも、それぞれの葛藤があった。

    たとえば、いつも好きな音楽アーティストの話をして楽しそうなカナダ人の友達。彼女の実家に泊まらせてもらったとき、実は両親が離婚していることを知った。「父親が新しい恋人といちゃいちゃしてるのを見るのって複雑な気持ち」と苦笑する横顔が、ひどく大人びて見えた。

    親の意向で高校から半ば強制的に留学させられて、帰りたいとずっと言っている日本人の女の子もいたし、いかに自分の国が過酷な競争社会かを教えてくれた韓国人の友人もいた。

    でも誰も自分の置かれている環境を言い訳にしていない。手元にあるカードで、堂々と自分の人生を生きていた。無いものねだりをしてうじうじしている自分が、ものすごく恥ずかしくなった。

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    クリスマス休暇に2週間ホームステイさせてくれた仲良し家族。
    途中でステップファミリーだと知った。
    幸せのかたちは自分で決めていい



    自分の人生を生きるとは、自分で決めること


    思い返せば、それまで自分の人生なのに、どこか他人事だった。

    自分で決めることから逃げて、うまくいかない理由を環境や生まれのせいにしていた。「なんで言われた通りに真面目に努力してきたのに報われないの?」と。

    でも、自分の人生をつまらなくしているのは、ぜんぶ自分だった。

    価値判断を他人にゆだねるのは、ある意味で楽だ。現実を直視しなくていいし、自分を変えずに済むから。私はそうやって、思考停止して、勝手に人生を悲観していた。

    住み慣れた環境を飛び出して、いろんな人と出会って、初めて自分を俯瞰して見ることができた。

    ずっと「自分には何もない」と思っていたけど、そんなことない。たとえば、日本という安全で便利で、豊かな伝統と文化を持つ国に生まれたこと。英語が下手な私と一緒にいてくれる友人がいること。大学や留学に行かせてもらえたこと。十分すぎるほど恵まれているじゃないか。

    それまで常に他人のものさしで自分を測っていた。頑張っているのに、自分のことを認められず苦しかった。そして苦しいのは誰かのせいじゃなくて、勝手に脳内に理想の自分を作り上げて、現実とのギャップにダメだしばかりしていたせいだ。

    「どうせ自分はたいしたことないからこそ、好きにしたらいい」。
    そう思った瞬間、夏の晴れ晴れとした青空が目の前に広がるように、すこーんと視界が開けた。

    どう生きるかは、自分で決められる。現に今こうして異国の地に自分の足で立っている。

    私の人生は私だけのもの。本当は誰からも何も、強制されていない。
    これからも、どこに行くか、誰と過ごすか、どうやって生きるかぜんぶ自分で決めていい。

    この希望を忘れなければ、これから何があっても、きっと私は大丈夫だ。
    胸の奥で、どくりと鼓動が力強く響いた。

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    人生で初めて見た大西洋は、果てしなかった

    ***

    10ヶ月のカナダ生活が終わり、帰りの飛行機で誓った。
    これからは、人の期待に応えるためではなく、自分が本当にやりたいことを選ぼう。一つひとつのことを大切に、自分で自分を幸せにするんだ。

    留学から帰った直後に会った旧友が言ってくれたのが、冒頭の「ぱっと色がついたみたい」という言葉だった。

    大げさだけれど、そこから私の第二の人生が始まった。いろんなことに主体的になり、「ポジティブだね」「いつも行動している」と言ってもらえるようになった。

    正直なところ、今でも根っこの部分は変わってなくて、相変わらず自分に自信なんてないし、心配性でくよくよ悩んでいる。だけど私は、自分の人生をどこへ進めるか、自分で選ぶことの大切さをあの町で学んだ。

    自分で決めることだけは、もう二度と手放さない。
    その想いが、今もこれからも、私の背中を押し続けてくれる。

     
     
    ストーリーと強みを見つけて届けるインタビューライター l 社内報アワード受賞・担当記事130本超 l Gallup認定ストレングスコーチ l 自分のことを書くのが苦手なので練習中 l 本は酸素📖 l 44か国47都道府県訪問✈︎l 30代

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