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中途半端な障害を「持って」生まれた

    こんな想像をする。

    扉を開けたら人生がスタートする、その前室で神様が「がんばれよ、達者でな」と肩をたたきながら、ひとりひとりに個性や能力を授けている。わたしの番がやってきて、ひとつひとつ受け取っていく。まるでRPGの主人公に、防御力や魔力がアップする装備をつけていくみたいでもある。

    あれ。

    人生を始めてみたらば、わたしには、「聴力」という標準装備が欠けていた。

    しかも完全に欠落しているのではなく、中途半端に。これでは神様も授け忘れたことに気づいていないかもしれない。




    現に、この欠落を周りの大人たち(親、担任、医者)が発見するのに5年ほどかかった。

    幼稚園からの「各家庭で簡単な聴こえの検査をするように」という文書に従って、母が数メートル離れたところから小さな声で呼びかけてみたところ、わたしは反応しなかったそうだ。
    近所の耳鼻科にかかると「子どもが遊びに夢中になっていて振り向かないのはよくあることですよ」としばらく様子見されたが、そういうんじゃない、としびれを切らした母。大学病院への紹介状を書いてもらい、わたしが小学校1年生のときに詳しい聴力検査を受けた。

    診断は、中等度難聴ちゅうとうど なんちょうだった。


    ドラマや映画では、「耳がまったく聴こえないこと」「あるときにまたはだんだんと聴力が低下し失聴すること」そして「手話」というテーマはときどき扱われるように思う。大ヒットテレビドラマ『オレンジデイズ』(2004年)で柴咲コウが、『silent』(2022年)で目黒蓮が演じた人物は、病気により聴力を失い声を出さずに手話をつかっていた。平成でも令和でも、これが世間から見てわかりやすい「聴覚障害者」のイメージなのかもしれない。だとすると、同じ聴覚障害であるけれども中等度難聴はこのイメージからはだいぶかけ離れている。

    わたしの場合、聴こえ「ない」のではなく、聴こえ「にくい」。補聴器をつけたとしても難聴でない人と同じようには聴こえない。生まれたときからこの聴こえ方で、それが日常で、これからもずっとこのままだ。がんがんしゃべるし、手話はうまくできない。しゃべるけど聴き取れないことが多いから、会話はしばしばすれ違う。
    状況によってはわりと聴こえることもあるし、さっぱりわからなくなることもある。あの人の声は聴き取りやすいけれど、あの人の声はどうしても聴き取れないということがある。だから、おしゃべりになったりコミュ障になったり、場面ごとに違う自分がいるようにも感じる。
    難聴であることは見た目ではわからない。補聴器が目印になるだろうが、髪で覆ってしまえば見えなくなる。会話は何となく成立するし、というか成立させるためにありとあらゆる手がかりと手段をつかっているから気づかれない。例えば、相手の口形を読み、表情と身振りから察し、聴き取れた単語をつなげて推理する。バリエーション豊かな相槌と愛想笑いを駆使する。たぶん、初対面で「あなた、難聴なのね?」と見破られたことは一度もないと思う。何度もきき返したり聴き間違いが多いことは、なぜか難聴よりも天然キャラに結びつく。

    中等度難聴って……言ってしまえば、中途半端で捉えどころがない。生まれつき聴こえにくい難聴者が映像作品の主人公になることはたしかに想像ができないな。


    学生時代、難聴であることは隠していた。
    (小中学校では、担任にだけは母から伝えていたが、どの担任も口を揃えて「えっ、そうなんですか?」と驚いていたそうだ)

    隠しているとはいえ、当然ぼろがでた。
    聴き間違って笑われた。もう、耳遠いんだから〜とからかわれた。聴こえたふりをしてしまって反省した。
    部活中、顧問の指示が聴き取れなくて適当に「はい、はい」と返事し続けていたら、どうやらYes/Noではない質問をされていたらしく、仲間たちが「何言ってるの……」という目でわたしを見ていた。
    ドライブなんか楽しめるはずがなかった。逃げ場のない騒がしい車内で、長時間の雑談なんかできるはずが。イントロクイズもしりとりも地獄だった。
    うしろから何度も呼ばれているのに気づかなくて、機嫌が悪くて無視されたのだと思われた。
    アルバイト先の社員さんには「わかってないのに返事するな」と叱られた。

    夜、日記を広げてひとり反省会をするのが日課だった。今日は誰々の声が聴こえなかった、また聴こえたふりして適当に相槌打っちゃった。布団をかぶると涙が出る日もある。なんでこんなことで、悩まないといけないんだろうなあ。ふつうに聴こえるっていいなあ。何も気にせず会話ができるみんなが羨ましい。難聴の耳が恨めしい。

    矛盾するようだがそれでも学校は大好きで、クラスメイトや部活の仲間と一緒にいるのも、日常も行事もとても楽しかった。
    こうして思い返してみると結構不思議である。誰かにひどいことを言われたり、仲間外れにされたりしたわけではない。思い切って相談すれば、きっと助けてくれる人ばかりだったと思うのだ。

    でもできなかった。「難聴」と口に出そうとするだけで喉の奥がきゅっと締まり、目に涙が浮かんでしまうんだもの。
    わたしが誰よりも、自分自身の難聴と欠陥を持っている自分自身のことを認められなかったのだ。


    世の中の大多数の人は耳が聴こえて声で会話をするから、人と関わろうとするかぎり難聴問題は首をもたげる。聴こえるふりをしているかぎり、会話は薄っぺらいままである。人のことを知ることができないままである。
    わたしはこれから先、人と深い話をし合ったり、信頼し合ったり、惹かれ合ったりすることができるのだろうか。できないだろうな。心はずっとひとりなのかな。20代後半になるまで、本気でそう思っていた。



    夫は、初めてもっと知りたい、一緒にいたいと思えた人だった。だから告白だの付き合うだの以前に、この欠陥のことをちゃんと打ち明けねばならないと思った。
    一世一代のカミングアウトのつもりで難聴であることを打ち明けたとき、彼はまるでそよ風に吹かれるみたいな顔して「うん。じゃあ、聴こえるように話すよ」と言った。そこには驚きも戸惑いも同情も励ましも偏見も含まれていなかった。
    「難聴だなんて気にしないよ、大丈夫だよ」と楽観視しているわけでもない。彼は、わたしが難聴のことを未だに多くの友人たちに言えていないことを知っていて、さりげなくカバーしてくれている。一緒にAmazon Prime Videoで観るアニメやドラマは、字幕があるかどうかを基準に選んでくれる。わたしが難聴のことでモヤモヤしたり落ち込んだりしたときは、うんうんと話を聞いてくれる。

    難聴が子に遺伝する可能性はゼロではなかったけれど、産後すぐの新生児聴覚スクリーニング検査(先天性難聴を早期発見するための検査)はパス(=異常なし)だった。難聴ではないだろうな、と何となくそんな予感がしていた。難聴はたぶんわたしの課題だから。

    息子が生まれて思わぬ変化があった。産院、区役所、児童館、小児科、幼稚園など息子とともに訪れる施設で「わたし難聴です」とさらっと伝えられるようになったのだ。かかりつけの小児科では、息子のカルテに「お母さん 難聴」という付箋が貼ってある。それを見るたびに「ありがたいなあ」と思う。診察室に入るだけで耳元でギャン泣きされていた時期には医師の声がさっぱり聴き取れなかったが、看護師さんが要点をささっと書いて伝えてくれた。

    難聴のことを話そうとするとあんなにも震えていた声、ばくばくしていた心臓、涙ぐんでしまう目、今はみんなスンと落ち着いている。だってもう、そんなこと言っていられないし。息子に関する大事な情報を、聴こえたふりなんてするわけにはいかないから。
    きっとわたしはずっと自分のことしか考えていなくて、自分のことがかわいくて可哀そうで過保護に扱い続けてきたのだと思う。母親になると子ども中心の生活へと一変し自分の好きなことは後回しになってしまいがちだが、それがわたしにとってはいい方向に働いたのかもしれない。わたしは息子を中心にすることで自分の人生で初めて、それまで視界に覆いかぶさっていた難聴のことをちょっとだけ脇に置いて見ることができた。


    夫と息子との暮らしは、

    ちゃんと標準装備をそなえた人みたいに擬態して、ばれませんように、きちんと会話できますように、うまくやり過ごせますように、ヘマしませんように、ばかだと思われないようにと警戒しどこにもよるすべのないような感覚とは、

    真逆の。

    隠しごとをする必要のない、会話をおそれることのない、難聴のまままるっと包み込まれてしまう安全基地だ。なんなら「えっ何? もう一回言って! 聴こえないんだけど!!」と(夫に対して)喚くのは、びくびくと擬態していたわたしと同一人物なんだろうか。



    もちろん難聴について悩むことがなくなったわけではない。目下の悩みといえばこれだ。

    しゃべるようになった息子の声が、聴き取れないこと。

    「ママ! マーーーマッ! なんちゃらかんちゃら……」と一生懸命話しているのが聴き取れなくて「なあに?」「もう一回言ってくれる?」と(やさしく)言うと、繰り返してくれるときもあるが、黙ってしまうときもある。
    こちらにちいさな背中を向けて何か呟いているのも聴こえない(夫がいるときは何て言っているのか教えてもらえる。「いまシールはってるからちょっとまっててね」などと言っているよう)。台所とリビングなど物理的な距離が離れてしまえばもっと聴こえない。

    聴きたいよ。ぜんぶ聴きたい。

    何を見て、何を感じて、何を考えているの。何を歌っているの。
    今日はどんな言葉をおぼえたの。

    人の心のうちをすべて理解することなどできないけれど、せめて外に放たれた声はすべて受け取りたいよ。

    大きくなってゆく彼が外で荒波に揉まれ、家でぽつりとこぼした言葉をわたしは聴き取れないだろう。そのなかには悩みや本音やSOSがにじんでいるかもしれない。それなのに「もう一回言って?」なんて言われたらうんざりするに決まっている。会話が嚙み合わなくて疎ましく思うようになるかもしれない。母が難聴だということを恥ずかしく思うようになるかもしれない。ああ、わたしはいい親子関係を築けるだろうか。
    それとも、家族に難聴者がいることは息子の価値観や人との関わり方にいい影響を及ぼすだろうか。
    いやそのどちらでもなく、そんなに大層なことじゃないのかもしれない。息子にとって、母が難聴だなんてことは些細なことなのかもしれない。



    冷蔵庫を閉め忘れてしばらくすると、ピーッと高い音が鳴る。すると息子がタタタとやってきて、「あいてたよ」と言って閉めてくれる。「ありがとう!」と言うと嬉しそうな顔。

    旅行先でガイドツアーに参加したとき、ガイドさんの話が聴き取れないので「今何だって?」といちいち夫に教えてもらった。あまりにもいちいちだったなと思い、ツアー終了後「ごめんね、めんどくさだったよね」と謝ると、ぽかんとした表情で「え? 全然。それが僕の役割だから」と言う夫。

    ふたりは、わたしの欠けているところを埋めるために支援してくれるというんじゃなく、なんていうかな、障害とか優劣とか良い悪いとかそんなものを軽く飛び越えて、そんのまんままるごと「そうなんだ」とそばにいてくれる。ふたりはただただ、見返りも求めずにわたしに手を差し出してくれる。
    なのにわたしがひとりで卑屈になれば、それは過去の繰り返しだ。


    そうならないために、わたしには目標がある。

    すでに出会っている人、これから出会う人、すべての人に、難聴であることを隠さない自分になること、だ。

    そんな簡単なこと? と思われるかもしれないが、わたしにとっては人生をかけたビッグプロジェクトである。




    わたしには、「聴力」という標準装備が欠けていたのではない。
    中等度難聴という中途半端な欠陥を、「持って」生まれたのだ。これは与えられたものだったのだ。欠陥が、ある。ないのではなくあるものだった。
    そうでなければこんなに翻弄されない。こんなに悔しい気持ちになったりあたたかい気持ちになったりしない。人生をかけて叶えたい目標になったりしない。

    神様(ビジュアルイメージ:北の界王)、なんと面倒で不便なものを与えてくれたな。難聴に生まれてよかったと思ったことはないし、返上できるものなら喜んでそうしたいけれど、持っていけってことだよね。これはわたしに何かをもたらすもの。難聴によって起こるできごと、考えさせられること、それがわたしの人生のメインテーマってことだよね。

    わたしはもう、難聴というフィルターを通してしか、この世を見れない(聴けない)。持ちものであることを認めて、いいこともわるいことも嬉しいことも悔しいことも味わっていく。捉え方や考え方が変わっていくさまを、注意深く見つめていく。そしてそれを、書くのだ。

    わたしはわたしの難聴が、これからどんな世界を見せてくれるのか楽しみである。

     
     
    山登りや日々のこと、耳のことを、書いたり撮ったりZINEにしたり。 生まれつき中等度難聴。出産・育児を機に仕事を辞めた30代主婦。元特別支援学校教員、学校図書館司書。

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