
【創作大賞2026】AIを導入したら会社が壊れました【ビジネス部門】
はじめに
小説風ですが「ビジネス部門」の応募作品です。
ビジネス部門のメディアがとにかく「AI」推しだったので、AIについて書こうと思ったのですが、例えば以下のような本を書いても埋もれるだろうし、
Whisper × ChatGPT × Notion AIで議事録自動化!!1日2時間作業が減りました
ChatGPT × Excel Copilot × Power Automateであなたの分身を作ろう!
デザインスキル不要!ChatGPT × Gamma × Canva AIで作るプレゼン資料
何より、書いていてつまらないだろうと思ったので、あんまり世間になさそうなAI本にしました。
コンセプトは「会社とAIと人のリアル」です。
イケイケのベンチャーやスタートアップ、先進的なIT企業でのAI導入は進んでいるのでしょうけど、伝統的な日本企業(いわゆるJTC)にAI導入しようとすると、こうなるかもしれない……という物語です。
第1章 AI特命チーム発足
1-1 新人ですが特命チームとやらに配属されました
「はじめまして、山田栞です。ご迷惑をお掛けすることもあるかと思いますが、精一杯頑張ります。元気なのが取り柄です。どうぞよろしくお願いします!」
朝起きてから頭の中で練習していたありきたりなセリフ。心地よい緊張の中、何とかつっかえずに喋り切ることができた。パチパチというまばらな拍手の音を聞きながら、私は一歩下がって一息つく。
続いて、私と似たりよったりの挨拶を何名かがし終えると、人事が「それでは」と言って解散を告げた。みんなが自席に戻りフロアに仕事の喧騒が戻った。私たち新人は、上司に連れられて自らが配属される担当へ歩いていく。
「それじゃ、栞ちゃん。キミの席はそこだ」
私の上司だと言う総務部の御堂部長に案内されたのはフロアのド真ん中にある窓側の席。窓際族という意味ではない。見晴らしが良くフロア全体が見渡せる、いかにも偉い人が座る位置だ。そこに部長席があり、私の席だと言われた机はその隣にまるで秘書席のごとく置かれていた。
それはいい。席の位置について意見や文句を述べる立場にはないし、どうやら上司が社内でそれなりの権力者であろうことが分かったのは、私のキャリアとしては悪くないだろう。
今の御時世にいきなり「栞ちゃん」はどうなんだろうと思ったけれど、もちろん指摘はしない。名前で呼ばれて何か実害がある訳ではないし、フランクに仕事ができるというなら歓迎できる面もあるからだ。その辺、私はドライに受け止めることはできる。
「これがパソコンと社用スマホ。マニュアルはこれ。午後には経営企画会議に出て貰うから午前中にセットアップよろしく。悪いけど、俺は会議があるから、困ったことがあったらそこの蓮くんに聞いてよ。じゃあ、頑張って!」
そう言って御堂部長は台風のように去っていった。
聞きたいことは山ほどある。あなたが上司であることは分かったけれど、直属の上司になる課長は?というか、御堂部長の席の周りには、私とその「蓮くん」とやらしか見当たらないけれど、2人チームなの?経営企画会議という何だか凄そうな名前の会議に、新人の私が出席するの?
その「蓮くん」は、御堂部長の声が耳に入ったのか、こちらに目を向け、一瞬だけ私に目礼してすぐにパソコンに向き直った。ディスプレイを4つ使いながら猛然とキーボードを打ち込んでいる。しかも、Web会議をしながら。年齢は20代だと思うけれど、大きめのヘッドセットを付けた横顔からでは、正確なところは分からない。
会議中に話しかける訳にもいかず、私はパソコンのセットアップを始めることにする。セットアップと言っても、大したことはない。パソコンを起動して、ログインIDを入力して、パスワードを設定する。マニュアル通りにグループウェアの設定と勤怠管理システムの登録が終わり、続いてスマホの設定を終えると、やることがなくなってしまった。
こんなとき、上司が近くにいれば「何かできることはありませんか?」と積極性を見せるところだ。私も配属初日くらいはそんなアピールをする心持ちで来たのだけれど、肝心の上司や先輩もいなければ、やるべき仕事も見当たらなかった。
ふと目線を横に向けると、マニュアルの他にいくつかの冊子が添えられている。就業規則、福利厚生のご案内、企業型DC申込書、……そして、組織図。組織図!良いものを見つけた。これを読めば少しは私の置かれた立場が分かるかもしれない。
■組織図
・総務部(総務課・人事課・情報システム課)⇐特命チーム(ココ)
ー営業部
ー開発部
ー製造部
ー流通部
赤色で強調された「ココ」という手書きの吹き出しは「特命チーム」と書かれていた。特命?もしかして、悪者をバッサバッサとなぎ倒すイケメン係長が先輩にいたりするのだろうか。そして私は一体何をするのだろう。
一通り資料を読み終え、手持ち無沙汰から逃げるように、社内探検を兼ねてトイレ、休憩スペース、会議室、売店をことさらゆっくりした速度で歩いて巡った。
そうして自席に戻ると、「蓮くん」のWeb会議が終わっていた。
「あの。新人の橘栞です。よろしくお願いします!……それで、何か仕事ありませんか?」
ようやく話し相手を見つけた私は早速声をかける。
「山崎蓮です。よろしくお願いします。えっと、私は派遣で来ているだけなので、橘さんから仕事を振られることはあっても、私から指示することはありませんよ」
蓮くんは派遣社員だった。なるほど。だとすると、いよいよ私のチームはどこなのだろう。もしかして、私と御堂部長と派遣社員の3人チームなのか。そんなことってあるのかな。
「で、でも職場では先輩ですから」
情報を得るべく、もう少し話を続けてみることにする。
「会社ってそういうものですよ。橘さんが雇用者側で、私は派遣されて雇われている側ですからね。質問は何でも答えますよ。業務の範囲で」
「そういうものですか」
「そういうものです。敬語も要りませんよ」
「そういう訳には!先輩であることは変わりませんし」
別に肩書はなんでもいいのだ。やることの無い私は何でもいいから仕事を求めている。そもそも派遣社員というカテゴリが何なのかよく分かっていないし、蓮くんからは仕事のデキるオーラがにじみ出ている。私に仕事をください。
「確かにこの職場には少し前からいますけど、人生の先輩ではないと思いますよ」
「というと?」
「私、高卒2年目の19歳なので」
「じゅうきゅう!?年下?」
「はい、だから敬語は無しで、"蓮くん"でいいんです」
19歳か。法的には18歳から成人と判定されるようになった今日この頃だけれど、まだ10代ともなれば、男性というより男の子だと思えてくる。その意味では、御堂部長の呼び方、つまり「くん」付けもそれほどおかしくないと思えてきた。
じゃあ、23歳の私を御堂部長が「ちゃん」付けするのも似たようなものか。
「ふう、参った参った。意外と会議が長引いちゃったよ。お、早速仲良くなったようで何より。若い者は積極的でいいねぇ」
私が新口を告げないでいると、御堂部長が会議から帰ってきた。
「はい、上手くやっていけそうです」
蓮くんがハキハキと答える。
「さすが蓮くん、栞ちゃんのパソコンセットアップはもう終わったんだね」
「いえ、私は会議をしていたので栞さんはご自身で終えられていましたよ」
栞さんと呼ばれてしまった。ありだ。もっと呼んでほしい。ヘッドセットを外した蓮くんを正面から見据えると、見事なイケメンだった。19歳という年齢を聞いてしまえば、確かに大学生くらいに見える。やや幼い顔立ちで、イケメンというより、むしろ美少年と呼んでも差し支えないだろう。
「へえ、栞ちゃんパソコン詳しいんだ。情報コミュニケーション学部だもんね」
総務部長ともなれば社員の個人情報、出身大学と学部くらいは見られる立場にあるのだろうけど、新人の学部まで頭の中に入っているとはちょっとびっくりだ。それから学部名は恥ずかしいからあまり言いふらさないでほしい。情報工学とか情報科学とか、そんなお固い名前の学部にしてほしかったのだけど、まあ私の意向で変えられるものでもないから受け流すしかない。
「はい、学部もそうですけど、趣味でパソコンはよく触るので難しいことはなかったです」
「最近の子はスマホとタブレットばかりって聞くけど、栞ちゃんができる子でよかったよ。仕事となると、やっぱりパソコンは手放せないからね」
「プログラミングとかはできませんが、WordやExcelくらいならバッチリです」
「うんうん、いいね。午後の経営企画会議は、俺にくっついて議事録書いてくれればいいから」
議事録。いよいよ仕事だ。新人研修で議事録の練習はした。大体のフォーマットも覚えている。学生時代に寿司打で鍛えた秒間5.6キーのタイピング速度の腕がなる。
■私のチーム
御堂部長 総務部長。50代。豪快。総務・人事・情シスを束ねる。
課長 いるのか不明
課長代理・主任 いるのか不明
蓮くん 19歳。高卒。派遣社員。シゴデキ風。美少年。
私(山田栞) 23歳。大卒。新人。情報コミュニケーション学部卒。
1-2 お偉方の集う経営企画会議とやらに参加させられました
午後、御堂部長にくっついて会議室へ向かう。
ところで、経営企画会議とやらの議題も出席者も聞いていなかった。部屋に入ると、意外と出席者が多いことに気がつく。コの字型に配置された机には50代と思われるお偉方が座っている。間を空け、壁際にはズラリとその部下らしき人たちが座っていた。
昼休み明け、13時からの会議だと言うのに、時間ぴったりに入った私たちが最後だ。新人だというのに気が引ける。でも、今日のところはこれでいいハズ。私は御堂部長のお付の者であって、誰も私の存在なんて気にしないだろうから。
「じゃあ、始めようか。この子は栞ちゃん。今年の新卒。今日から俺の直属の部下。情報コミュニケーション学部卒でパソコンもSNSも何でもバリバリ使えるってよ。みんな置いてかれるぞ」
背景と一体化しようとしていた私を御堂部長が表に引っ張り出す。そんなにアピールされても、私は何にもできませんが。そう思いながらも、二言三言挨拶する。まあ、誰も気にしていないだろうけど。
それから、一つ分かったことがある。どうやら私の上司はこの御堂部長だけで、課長はいない。先輩に当たる課長代理や主任もたぶんいない。なぜならここにいないから。経営企画会議で我が物顔で発言するほどの権力を持つ御堂部長と、派遣社員の蓮くんと、新人の私の3人チームで確定した。
……そんなことってある?
「今日の議題ですが、まずは昨今の業界動向。それから競合他社の動き。最後に昨年度決算を振り返り、第一四半期の方針を議論します。具体的には、利益率の悪化に伴う効率化・改善の検討ですね」
進行役らしき男性が話し始める。初手から難しい。何が重要で誰が喋っているかも分からないまま、私はカタカタと議事録のためのタイプを始める。
せめて、会議の議題と出席者くらい先に聞いておくべきだったと後悔するけれど、初日にそんな気の利いたことは思いつくはずもない。映し出されたパワポの席次とアジェンダ、そして発言者の傾向から類推する。
■出席者(席次・スライド・発言からの類推)
総務部長(総務・人事・情シス):御堂。男性。私の上司。
営業部長(営業・マーケティング):瀬名。男性。やや茶髪のザ・営業感。
開発部長(研究・開発):高城。男性。硬派な印象。エリサラで怖め。
製造部長(生産・製造):岩倉。女性。おとなしめな印象。
流通部長(購買・流通):浅霧。女性。気だるげ。
あとは、ただただ会話をタイプする機械に徹することにした。研修で講師の言っていた「要点をまとめる」「宿題と決定事項を残す」のに、会議後に相当な時間がかかるだろうなとげんなりする。知識が増えれば、そのうち会話を全て書き起こさなくても議事録が書けるのだろうけど、それにはしばらく時間が必要そうだ。
私が会議の終わった後のことに思いを馳せている間に、肝心の会議は話が進んでいた。
「当社のIT投資は業界標準と比較すると投資額が少なく……」
「人件費の高騰により外注費が利益を圧迫しており……」
「A社には外資コンサルが入ってBPRが進んでいるようで……」
これはこれは、就職活動をしている時に聞いた言葉が本当に出ている。私はちょっと面白くなってきていた。会議で発言しているお偉方は真面目に議論しているのだけど、私にとって就職活動のグループディスカッションが思い出される。課題が提示され、データを評価し、改善策の意見を出し、取りまとめて発表する。私はグループディスカッションの「回し」が結構得意だ。20年後にここで発言している姿を少しだけ思い描く。
……いや、20年後は株でひと山当ててFIREしていたいものだ。別に、会社での栄達が人生の楽しみというわけではないし。
ひたすら議事録のタイピングに徹していると、時間は飛ぶように流れた。そろそろ会議も煮詰まってきたと思う。ここからは、いくつかの有力な意見を採用し、不採用の意見からも良いところを取り込み、全体としてより良い案を作る。そんなところだろう。
「それでは、今年度の組織方針としては、①ITツールの積極活用による業務効率化、②組織毎に業務改善目標を立て四半期ごとに評価、③高騰気味の中堅会社への外注を抑え、プロパーによる内製意識向上とグループ会社との協働比率を上げる、ということで。この辺りを骨子にして具体化していきましょう」
まとめ役の男性の発言に、みなが無言の肯定を返した。
「①は計画毎に予算を付けます。②は定性的にならないように、定量目標を出してください。③はグループ全体での平均労働時間の上限に影響を与えないように、①②とセットで効率化を意識してください。……他にご意見は?」
うん、ちょっと追いつけないところもあったけど、概ね会議内で出た意見がまとめられている。そう考えると、就職活動のグループディスカッションも無駄ではないのかもしれない。社会に出ても同じような方法で仕事をしているのだ。
私が決定事項を書き起こして、議事録を締めようとしていた矢先、御堂部長が声をあげた。
「これじゃ、あまり変わらないだろう」
部屋の空気がピリッとした。この一言だけで、御堂部長がこの会議での発言力を持っていることが伝わってくる。それは、総務部長という肩書きから来るものなのか、その性格や実績故のものなのか、私にはまだ分からない。それでも、出席者が御堂部長の次の言葉を待っているのが分かる。
「IT投資額が業界比で低いのは、今の社内環境が以前の5カ年計画で最適化されているからだ。社内システム・ツールのクラウド化・SaaS利用によって、開発・維持コストは下がり、余った予算は利益に反映された。それ自体はいい。だが、それは当時の利益率向上のための守りの策だった。」
無駄な出費を減らす。既存の事業の効率化を行う。うん、企業の利益率向上のために必要なことだ。過去の5カ年計画とやらの中身は分からないけれど、話は理論整然としていてスッと入ってくる。私がグループディスカッションの審査員だったら手元のメモ帳に華丸をつけてあげよう。
「次は、攻めの投資をすべきだ。人件費の高騰は一朝一夕で変わるものじゃないだろう。今までがデフレ下で安すぎ、これからインフレで現状維持・削減どころか上がっていくハズだ。同じやり方で改善していくだけで追いつけない」
自助努力では限界。次は、余剰予算を利益に反映するのではなく、お金を稼ぐために次なるものに投資すべき。そういう発想らしい。まさに、攻めの投資だ。
「だからこそ、ITツールに頼ったり、今までにない改善案を考えていこうという話じゃないの?」
流通部の浅霧部長はどうやら日和見派。会議はまとめに入ったのだから、このまま進めませんか。暗にそう言っているように聞こえる。
「そう、それだよ。それを、各組織で改善していても追いつかないっていうんだ」
「改善はまとめて、全社方針として出すんですから、一丸となって取り組めば良いのでは?」
製造部の岩倉部長が口を出す。
「一丸となってといっても、ボトムアップじゃ寄せ集めに過ぎない。それに、吸い上げても、達成できそうな案しか出てこないだろう。事業目標の達成率はボーナス査定に響くからな」
「トップダウンでやろうってことですか」
「うん、そういうこと」
面白い!高い目標を掲げても達成できなければマイナス査定。すると、達成できそうな目標が出される。達成できるのはいいコトだけど、それじゃあ社としての成長は阻害される。
だから、責任の所在を部署ごとじゃなくて偉い人に集中させて、とにかくやらせるというのが御堂部長の方針か。社会の仕組みの裏側を垣間見た気がする。でも、推進する側の人は大変そうだなあ。
私は締めにかかった議事録を再び再開する。
「5カ年計画は確かに成果が出ましたね」
「しかし、あまりにもトップダウンで進めたことで、弊害もあったじゃないですか」
「そうです。『自分にしかできないことだけやろう』プロジェクトで、全体としては効率化できました。ただし、外注に頼る部分も増えコスト増になった部門もあります。また、『ガラパゴス化しない、世の中にあるものを使う』を徹底したら、既存の業務プロセスに影響が出て、現場はひどく混乱しましたよ」
岩倉部長はやはり反対派。過去の取り組みは、良い面と悪い面、どちらもあったということか。それでも数値としての実績は出たから、反対派ばかりではないというのが現状みたいだ。
「それでも、結果は出た。全体最適を進めた結果、個別の課題が出るのはよくあることだ。それに、BPRは既存業務フローの見直しからスタートするのが正しいから、業務影響は必ず出る。今のフローを続けるための投資ではないのだから」
「それはわかります。でも、数値的な結果以外に手放しで良いことばかりではなかったということです」
「それでいい。改革には痛みが伴う」
御堂部長が優勢で、岩倉部長が劣勢だ。攻めと守り。前回の5カ年計画とやらが、実績としては結果を出しているのが大きいのだろう。リスクを並べるだけでは、前回の反省を活かして次は改善して取り組めば良い。会議室にそんな空気が生まれつつあるのを感じる。
「御堂部長のお考えの改革って、具体的には何ですか?」
閉口してしまった岩倉部長に代わって、営業部の瀬名部長が質問を投げかけた。御堂部長の意見が通りそうと見て、具体的に何をするかに話をシフトさせようとしている。それを聞いて、賛成に回るか反対に回るかを決めようというのだろう。
「……AIだよ」
――――結局、会議は宿題を残してクロージングした。
御堂部長の言う「AI」に対して、賛成派と反対派それぞれがいた。そして、態度保留派が1番多かった。「AI」という言葉は聞いたことがあっても、その実体が何なのか、どう使えば良いのか、どんな知識があれば置いていかれないのか。みんなが空中戦でリスクや不安を投げ合う会議になってしまった。
30分ほど議論が錯綜したところ、会議時間延長の限界を迎え、明日、再検討することになった。
私は驚いたことが2つある。
御堂部長がAIを持ち出したのは、驚きには含まれない。関心はしたけれど、今どきAIの業務活用は企業の命題のひとつだと思うし、当社が導入していないのは少し遅れていると思ったくらいだ。
1つは議事録を作成したときのこと。他に仕事も振られていなかったから、手元のメモを基に2時間かけてしっかりと仕上げた。私としては、新人研修で学んだことを活かしたつもりだったけれど、御堂部長の赤入れ後の議事録はさらに読みやすくなっていた。
「まあ、こういうのは慣れだ。新人にしてはよく書けていたよ」
御堂部長はそう言うけれど、添削で真っ赤になったWordファイルを見て、私は意気消沈していた。
「もっと上手くできると思ったんですけど」
「どの辺が難しかった?」
「①議論が白熱して凄いスピードで会話しているところはメモが追いつかなかったです。タイピング速度には自身があったんですが。②顔と名前が一致しないので誰がどの発言をしたかメモから思い出すのが大変でした。③専門用語が飛び交っていて、メモを見直しても何の話をしているのか分からないところがあります。ここは宿題や決定事項に自信がありませんでした」
「うん、出来ていないところがよく分かってる。いいね」
「褒められている……んですよね?」
「もちろん。これを持って、次の会議に臨もう」
「これって、この議事録ですか?」
「そうだよ。投影するから忘れないようにね」
「わかりました」
「じゃ、定時だし栞ちゃんあがっていいよ。明日は朝から今日の続きの会議だから、よろしくね」
議事録は添削を経てしっかり出来た自負があるけれど、そこに書かれている宿題をどうするのか。そこがさっぱり分からなかった。
宿題:AIの導入効果について具体例をもとにディスカッションする。
御堂部長はAI推進派なわけだから、何かしら次回の会議までに「AIいいじゃん」と思ってもらうためのネタ出しをしないといけない。それなのに、議事録の作成以降、御堂部長から具体的なタスクは降ってこなかった。
新人などでは頼りにならないと思われているのかもしれない。実際、力不足だとしても、仕事を振られないのは少し淋しい。
いや、まあ初日から力んでも仕方ないか。私はそう思い直す。新入社員には残業の自由も与えられていないから、有り難くさっさと帰ることにした。
翌日の会議で、私は2つ目の驚きに遭遇することになる。
1-3 AIに私の仕事が奪われそうですが、AIを導入するのも私です
「まずは、昨日の会議を振り返ろう。これが栞ちゃんの書いた議事録だ」
昨日の延長線の会議だ。他部署の出席者たちは、投影された画面をじっと見つめている。大方、どんな宿題・決定事項が書かれているのか読み取ろうとしているのだろう。
一拍おいて、部屋には和やかなムードと苦笑が聞こえる。
何だろう。嫌な予感がする。私はプロジェクターが映し出す画面に目を向けた。画面には、私の書いた、つたない初版の議事録が投影されていた。
出席者欄にある「山田(栞)(記)」の文字を見て、新人の書いた議事録だとみなが分かったのだろう。ちなみに、わざわざ(栞)と下の名前まで書いているのは、自己顕示欲ではなく、出席者に別の山田氏がいるからだ。同じ名字の人がいる場合、そうするのがお作法だと新人研修で聞いていた。
私の議事録の初版には、新人特有の穴が多数ある。
発言者を示す(氏名)のところには、(??)といった不明のままの行があるし、ところどころ意味の通らないアルファベットやカタカタが混在している。メモした時点では間違いなくそう言っていると思っていた単語が、後からGoogle検索しても全く意味が通らないのだ。知らない言語の翻訳をしているようなもので、結局、私には意味のある文章を作ることができなかった箇所もある。
議事録というのは文字通り議事を記録するためのもので、会議では前回の議事録を振り返るのが常だと新人研修の講師が言っていた。その通りの使い方ではあるのだけど、それなら御堂部長が赤入れした後の清書版を映してほしい。なぜ、私のつたない初版が投影されているのだろう。
「ぶ、部長。これ初版です。間違ってますよ!」
私は慌てて抗議する。
「いや、これでいいんだよ」
「よくないです!!」
「それで、これが俺の添削した後の議事録」
御堂部長がそう言うと、蓮くんがパソコンを操作して、添削後の議事録に画面表示を切り替えた。綺麗に整った清書版の議事が映る。そう、こっちを最初から映してくれたらいいのに。
「まあ、最初の議事録も新人にしては悪くない。将来が期待できますね。添削後の議事録にも異論ありません」
瀬名部長が言った。いい人だ。総務部の次は営業部に行きたいな。その頃までこの人が営業部長かは分からないけれど。
「じゃあ、次」
「次は、AI議事録版ですね」
唐突に蓮くんが会話にフェードインしてきた。AI議事録。なるほど、私のつたない手打ちの議事録は、AIの書いた議事録と比較される訳だ。私は総務部長の部下なのだからAI推進する立場にいるはず。それでも、AIと比較されるとなると、私の議事録だって負けてないぞ、という気持ちが湧いてくる。AIの書いた議事録がなんぼのもんじゃい……!!
「前回の会議は、全て録音しています。全文をAIが自動で文字起こし。そこから議論の要約と、次回へのまとめを出力してくれます」
負けた。私の誇る寿司打秒間5.3キーのタイピング速度より、明らかにAIの方が早い。早いというか、全文記録されている。音声からそのまま文字起こしできるなんてズルすぎる。
議論の全てが記録されているから、要約も的を射ている。会議の全体的な流れと、争点になった箇所、そして宿題が簡潔にまとめられていた。御堂部長の添削後の清書版の方が流石にしっかりしているけれど、必要十分という意味ではAI議事録だって遜色ない出来栄えだ。
私の初版とは比べるまでもない。
「誰が発言したかまで記録できるのか、すごいな」
「事前に席順を決めておきました。会議机の裏にスマートフォンを設置し、それぞれの端末でTeams会議に接続、IDによって誰が発言していたのかも記録できています」
私が苦戦した顔と名前が一致しない問題は、簡単に解決していた。これがWeb会議ならもっと簡単だろう。自分のパソコンで喋るだけなのだから。
「会話の中に出てきた英語やカタカナも上手く拾えるんだね」
「予めAI内のメモリに用語登録しておき、業界・社内でよく使われる言い回しで記録できます」
すごい。ここは完全に私の上を行っている。知らない専門用語は調べてもなかなかHitしないし、どんな文脈で使われているのかもわからず議事に起こすのに四苦八苦した。分かっている人が最初に登録しておけば、後はおまかせできるというのは凄い。
……という一連の流れを蓮くんがプレゼンした。
「な、便利だろ?」
「まあ、役に立つことは分かりました。音声とも連動できるのは驚きです」
岩倉部長が肯定的な返事を返す。
「あれ、でもここ、ちょっと間違ってない?QCDがQCEになってるよ」
瀬名部長が疑問を呈する。
「ははは、それは瀬名さんの発音が悪いんでしょ」
これまでの会議中、ほとんど発言を聞いたことのなかった流通部の浅霧部長が唐突な悪口を放り込んだ。後で聞いた話によると、同期らしい。
「録音からAI書き起こしてるんだから、そうだろうねえ」
御堂部長も発言に乗っかる。
「新人ちゃんの議事で書き間違えたところも、本当は発音の問題だったんじゃないですか」
岩倉部長が更に被せた。確かに瀬名部長はガラガラ声で少々聞き取りづらいことがあった。人間が聞きづらい言葉は、AIも同じなのかもしれない。
「導入に反対はしませんけど、これで何か大きく変わるんですか?別に、新人ちゃんも半年後にはこのAIと同じ議事録が書けるようになっているんじゃ?初版も筋は悪くない」
岩倉部長が話を元に戻す。そして褒められてしまった。私も、半年後には書けるようになっていると思う。それくらいの自己肯定感は持ち合わせている。
「もちろん書けるようになるだろう。栞ちゃんは優秀だからね。でもな、その優秀な栞ちゃんには、他のことをしてほしいんだよ。議事録作成なんかじゃなくて」
「……つまり、議事録に限らず、AIに任せられることは任せて社員は他のことをしろと」
「そう、売上や利益、顧客満足度につながることだ。議事録を書いたり、調べ物をしたり、データを整理したり、そんなことはAIに任せたらいい」
「算盤が電卓になり、手書きがワープロになり、今やほとんどのことがパソコンで出来るようになった。次は、作業もある程度はAIに任せる時代が来たってことですかね」
「そのとおり。まあ、あまり先走っても絵に描いた餅になる。今は、土台を作る時期だ。簡単なところから始めて、全社にそういう風土を作る」
「じゃあ、御堂部長が旗振り役を?」
「もちろん、責任は俺が取る。だけど、俺自信AIに詳しいわけじゃないし、もう年でもある。こういうのは俺たちのような凝り固まった固定観念は捨てて、デジタル・ネイティブの世代に進めて貰うべきだ」
「というと?」
「栞ちゃんがAI特命チームのリーダーだ!」
――――リーダーになってしまった。
確かに組織図には特命チームと書いてはあったけれど、その特命の内容がAIだったとは。それに、新人がチームリーダー?あまりの出来事に、会議が終わって自席で熱いカフェラテを啜るまで頭が現実を理解できなかった。
そして、第一回チーム会議が始まる。3人しかいないけれど。
「大手を振ったのはいいけど、実際のところAIで何ができるのか俺にはサッパリわからん」
御堂部長が朗らかに言った。
「ええ!?あの会議のデモンストレーションは何だったんですか。私の議事録を出汁に、めっちゃ上手いプレゼンしてましたよ」
「ああ、あれは蓮くんに何か手頃にできるAI活用事例を調べて貰ってそれをやってみたんだよ」
蓮くんに目を向けると「ぐっ」と親指を立てていた。確かに素晴らしいプレゼンだったけれど、それ故に私がAI推進をする羽目になってしまっていた。
「……お、思いつきだったんですか」
「まあね。でも、他社がAIを導入しはじめているのは事実だし、何もしないと出遅れるのは明らかだ」
「それは、そうかもしれません」
会社の課題であることは理解できるけれど、その解決策の推進が私に振ってくるとなれば嬉しい話ではない。責任も重そうだ。
「ぶっちゃけると、方向性が受け入れらたから予算はつくけど、人は降って湧いては来ない。社内政治は俺、実務は栞ちゃん、技術は蓮くん。これで手札は全てだ。1年後には、成果を出したい」
「1年後ですか、それならまあ」
じっくり時間をかけて進めればいいか。私はそう言いかけた。
「1年後は成果だよ。つまり、半年以内にAI導入して、それが売上や利益、労働時間等の何らかの定量的な指標に見えるようにすること」
「半年以内」
急に期限が半分に短縮された。
「購買や社内環境への導入スケジュールを考慮すると、年間計画はこれから1か月くらいでまとめる必要がありますね」
蓮くんが淡々と告げた。
時間がない。そして、具体的に何をすればいいかサッパリ分からない。私の社会人生活には暗雲が立ち込めていた。
第2章 外部AIセミナーで見えた「AIとの距離感」
2-1 外部セミナーで見えた現場のリアル
「とりあえず、外の景色を見てきてよ」
御堂部長からそう言われた私は外部のAI研修に参加することにした。外の景色と言われても、入社したばかりの私にとって、外も中もないのだけど。
約2ヶ月の新人研修を終え、やっと配属されたと思ったらまた研修だ。まあ、営業でガツガツとノルマを求められるのに比べたら温くていいのかもしれない。
普段と違う電車に乗り、普段は降りない駅で歩みを進める。事前にGoogleMAPに登録しておいた会場の位置と、研修先からダウンロードした案内図のPDFを見比べ、最寄駅の出口へと急ぐ。
私は時間にキッチリした性格で、初めての目的地に行くときはかなり余裕を持って到着するようにしている。電車が遅れる、乗り間違える、降りる場所が違う、道を間違える……など、色々と心配してしまうのだ。
強迫性障害とまではいかないけれど、今日も開始の40分前に会場の前に着いてしまった。さすがに早すぎると思い、ビルの1階にあるデイリーヤマザキで珈琲を注文した。イートインスペースでスマホを眺めながら時間を潰す。
ふと思い立って、社用スマホを開き、ChatGPTに今日の研修所までの経路について尋ねた。まずは使ってみないことには始まらないということで、私たちAI特命チームのスマホには、複数のAIがインストールされている。
ChatGPTはすぐに乗換案内と地図情報から情報を引き出し、徒歩を含めた経路と時間を表示してくれる。面白くなって「もし、雨が降っていたら?」と聞いてみると、濡れにくい地下を通るルートまで教えてくれた。やはり、便利には違いない。
いくつか条件を変えながら対話しているうちに、研修開始の15分前になっていた。まだ早いと言えば早いが、これくらいの時間であれば教室も開いているハズだ。私はコーヒーカップをゴミ箱に捨て、店を出た。
会場に着くと、私が一番乗りだった。トイレを済ませ、しばらく自席でスマホをいじっていると、ポツポツと人が入って来はじめる。私の目の前にも人が座った。20代後半と思しき男性だ。
「よろしくお願いします」
「あ、よろしくお願いします」
思わずオウム返しをしていた。考えてみると、新人研修は会社の同期しかいなかったから、社会人として外部の人と接するのは今日が初めてかもしれない。今さらながら少し緊張する。
研修はAIの概要に触れたあと、テーマに沿ってグループディスカッションを行うタイプのものだった。講義だけでは眠くなるからありがたい。
私のグループは4人だ。それぞれが簡単に自己紹介をしていく。名前、社会人経験、業界、今日の研修に参加しようと思った理由。講師の示す自己紹介のお題はそんなところだった。
2-1-1 AIは“特別な技術者のもの”ではなくなった
「この研修に来ているみなさんは、多かれ少なかれAIに興味があるかと思います。この中で、AIを使ったことがある人は?」
講師が問いかけた。パラパラと手が上がり、最終的には6割くらいの手が上がったように思う。私もChatGPTくらい使ったことがあるから、6割の側の人間だ。
「さすが、AI研修に来るだけあって利用率が高いですね。2025年のデータでは、AIの認知率は約7割、使用率は約4割でした。年々増加傾向にあり、さらに増えることでしょう」
そう考えると、2026年には5割くらいの人はAIを使ったことがあるのかもしれない。もちろん、私くらいの触ったことがある程度の人も多数いるだろうけど。
「では、Amazonや楽天などのネットショップで買い物をしたことがある人は?」
これには全員が手を上げた。今どきネットショッピングをせずに生きていくのは難しい。
「みなさん、あるようですね。そうすると、実は全員がAIを使ったことがあります。ネットショップの『おすすめ』や『関連商品』の表示にはAIが使われています。利用者にとって何を表示すると購入されやすいかというのをAIが判定しているんですね」
なるほど、私たちは知らず知らずのうちにAIを使っていたのか。でも、自ら選んで使った訳では無いから、裏でAIが動いていましたと言われてもあまり実感は湧かない。
「あの。ここ最近、急激にAIが話題に上がるようになった気がしています。いま例示されたAmazonの『おすすめ』は、結構前からありますよね。何で急にAIが取り沙汰されるようになったんでしょうか?」
女性の受講生が質問した。
「いい質問です。簡単に言えば、できることが増え、身近な存在になりはじめたからです。従来型のAIに大して、最近のChatGPTやGemini等は『生成AI』と呼び分けたりします」
「生成AIとAIは違うんですか?」
「どちらもAIという大きな括りでは一緒です。生成AIは『生成』とつくだけあって、何かを生み出すことができるのがこれまでとの差ですね」
「以前はできなかったんですか?」
「従来型AIは、主に判定や予測に使われてきました。先ほど例にあげた『おすすめ』表示や、顔認証、不良品検査などもAIの得意とする分野です。どちらかと言うと、システムの裏でAIが動くイメージですね」
確かに「AIで顔認証」とか、ニュースで見たことがある。漠然と、アニメやSF映画の世界に近づいて来たような気分になったのを覚えている。
「生成AIは、メールや議事録の作成、アイディア出しや壁打ち、画像生成など、人の作業を助ける使い方ができるようになりました。こうなると、グッと身近なものになりますよね」
私もAIによる議事録作成で身を持って感じたばかりだ。誰か、プログラマーやシステムエンジニアみたいなITに詳しい人達が、私たちには分からないような世界でAIを使っている。そんな風に感じていたのが、議事録の一件があってから、もっと簡単なのかもと考え始めている。
「これまで、システム開発を行う人たちが使う仕組みの1つだったAIですが、一般の人がWordやExcelを使う感覚で使うようになって来ています。利用者が増えたから、話題にもあがりやすいんです。みなさんがどんな使い方をしているか、グループでディスカッションしてみてください」
■自己紹介
A:30代女性。ハキハキと喋る。出版業界。
B:20代男性。やや軽薄な印象。人当たりが良い。
C:50代男性。ブルーカラー。ITには疎い。
2-1-2 AIは“便利だから”広がる
Aさんは30代の女性。ハキハキと喋る感じの良い方で、デキるキャリアウーマンという印象だった。出版業界で編集者をしているとのことで、職業を聞くと一層格好良く見えてくる。
A「あまりITに馴染みのない業界なので、AI導入は全然進んでいません。会社もお金を出してくれないから、自分で課金して使っています。文章校正や調べ物をするのに便利ですね」
私「えー!自分でお金出してるんですか?」
A「いくら要望しても出してくれないので、しょうがないんですよ」
C「AIってお金かかるんですね」
A「無料版もありますけど、やっぱり課金すると性能がいいですね」
C「へー、おいくらですか?」
A「月額3,000円くらいです。そんなに高くはないですよ」
C「3,000円ですか。年額36,000円と考えると、私にはちょっと手が出ないなあ」
A「ほんと、会社が出してくれるといいんですけどね。でも、めちゃくちゃ時短できますよ。私は編集者だから、ライターさんの原稿をチェックすることが多いんですけど、“てにをは”とかは全部AI任せにしています」
B「あれ、Aさん自費でやってるんですよね」
A「そうです」
B「その使い方、結構危なくないですか?」
A「というと?」
B「会社の資料をインターネットにアップロードしてるってことですよね」
A「でも、みんな使ってますよ?」
B「うーん、そんなもんですか」
私「私も議事録作成とかAIに丸投げしたいなって思ってます。お試ししてみたら、何だか私より出来がよくって」
B「僕の会社では議事はほとんどAI任せですね」
C「はあ~、進んでますね」
B「ちなみに、会社は何でお金を出してくれないんですか?」
A「うーん。正確な理由は分からないんですけど、やっぱり新しいことやるのに、現場の声だけじゃ動かないんじゃないですかね。お金もかかるし、経営判断的な事が必要なんじゃないかと」
私「お金が絡むと、動きが遅くなりますよね」
B「全社導入は時間がかかるにしても、課の予算とかで買えないんですか?36,000円の物品購入なんて、大した決裁必要ないと思うんですけど」
A「……盲点でした。なんだか、会社配布のパソコンやOfficeソフトの延長線上のイメージがあったので。そっか、普通に買えばいいのか。でも、課長、買ってくれるかなあ」
B「俺は黎明期はそうやって使い始めましたよ。よく分かっていない課長すぐにみんな使い始めたから、全社導入も早かったですけどね」
私「なるほど、現場が使い始めたのをあとから追認したような流れなんですね」
2-1-3 AIを前提に働く人たち
Bさんは20代の男性。少し軽薄な印象を受けたけれど、人当たりはよく話しやすいタイプ。既にAIをそれなりに使い始めているようで、私たちのグループでは1番詳しい人だった。
私「Bさんのところは、進んでそうですね」
B「はい、かなりAI使ってますよ」
私「どんな場面で使っているんですか?」
B「議事録やメール作成、資料の情報集めや、プレゼン資料を作って貰うこともありますね」
私「めっちゃ活用してますね」
C「AIがメールも打てるんですか?」
B「はい。日本人のメールってすごく長いじゃないですか。それがビジネスマナーというか。本来『ありがとう』を伝えるだけのメールが10行くらいになっていたり」
A「ああ、本当にそう!面倒ですよね。社外宛だと特に」
B「メールに『ありがとう』だけ打ち込めば、あとは過去のメール履歴の文脈を読んでAIがそれっぽい返信を作ってくれます」
私「へえ、メール履歴の文脈を読み取ってくれるのは凄いですね」
B「部下へのメールなのか、顧客へのメールなのかも読み取って、丁寧に書いたり、フランクに書いたり柔軟にやってくれます。出来上がったものに指示をして書き換えたりもできますね。最近は自分でメールの文章を打たなくなりました。これ、すっごい時短ですよ」
私「まだ社会人1年目なんですけど、メールを一通返すのにも気を使うのでAIが勝手に書いてくれるなら助かりますね」
C「若い頃にビジネス文書の検定とか受けたけど、ああいうの、もう要らなくなるのかなあ」
A「資料の情報集めは私ももっぱらAI頼りです。Google検索するより、わかりやすく返してくれるので」
B「上司から『○○について調べといて』とか『○○ってどうなんだっけ?』と問われた時に、調べるの結構手間じゃないですか。他の仕事もあるのに。ああいうの、AIに右から左に丸投げして結果を上司に返信してますよ」
A「あはは、悪いですね」
B「どうせ上司も詳しくないんだから、それくらいでいいんですよ。AIより賢い人なんてほとんどいませんからね。自分の文体も学習してくれるんで、丸コピでチャット返しても違和感ありません」
私「上司の方は、AIあまり使わないんですか?」
B「結局、人によりますね。新しいもの好きかどうかみたいな」
C「さっき、プレゼン資料も任せると仰っていましたよね。講師の方の話だと、画像生成とかもできるんでしたっけ」
B「ええ、一通りAIに調べて貰って、『それをもとに3枚資料を作って』なんて言えば一発ですよ」
C「出来栄えはどうです?」
B「俺が作るよりよほどいいですね。コンサル会社とかデザイン会社に作って貰ったパワポみたいなレベルものをポンポン量産してくれます。顧客への営業活動もすごく楽になりました」
A「私は自分の仕事の範囲内でしか使っていませんが、Bさんの会社では、それをもう顧客向けの資料として使っているんですね」
B「そうです。今までは『明日来てくれる?』と言われたら、深夜まで残業して資料を作っていたのが、『分かりました!』と返した10分後にはAIが資料を作ってくれてますよ」
C「ひえ~、凄い時代だなあ」
2-1-4 AIに興味がない人たち
「上司にAI研修に行ってこいと言われたので」
Cさんは50代の管理職だった。自己紹介の開口一番がこれ。今日の研修を消化するという以上の参加目的はなさそうだった。
C「いやあ、みなさん凄いですね。うちは小さいメーカーなので、外の世界を知るとびっくりします」
私「Cさんの会社ではAIは全く?」
C「ええ、全く。ただ、それじゃ時代に取り残されるかもという考えもあるようで、上司に行ってこいと言われて来たんです。恥ずかしながら、知識は全くありません」
A「これから勉強していくんですね」
C「そうです。でもね、私なんてもう何年かしたら定年ですから、新しいことを学ぶって大変ですよ。それに、何に使ったらいいか分からないし」
私「私もそうでした。今日の話を聞くと、少し身近になりましたね」
C「あとは、AIに仕事を奪われるって話もあるじゃないですか。使われてる方たちからすると、そんな感じします?」
A「仕事が奪われるって不安は確かにあります。記事の校正や簡単なデザイン、挿絵なんかはAIですぐ作れちゃいますし」
C「なるほど、そういう仕事は減っていきそうですね」
B「事務系の派遣さんは少し減ったかな。コピーライターやパワポ職人も今まで重宝されていたのが、AIが浸透すると存在感は薄れましたね」
私「事務職はちょっと怖いですね。AIで代替できる仕事は、だんだんと無くなっていくんでしょうか」
A「100年前にいたタイピストは、みんながキーボード打てるようになった結果、今はいないし、時代の変化はありそうですね」
C「私の仕事って、家電に使われてる部品の製造なんですよ。ネジとか加工したり。AI使って何かできるのかなあ」
私「現場の仕事となると、議事録や資料作成なんかとはちょっと違いますよね」
C「そうそう。パソコンを使った仕事ならなんとなくイメージが湧くんですが、モノに対して何かするとなるとねぇ」
2-2 研修後、私は“課題”を整理してみた
終業時間よりも1時間早く研修が終わった。新人研修の頃は、研修が終わるとともに同期と渋谷の飲み屋へのなだれ込み、そのまま平日にもかかわらず終電まで飲むという生活をしていた。たまに始発まで。まだ学生気分が抜けきれていなかったし、研修も大学の授業と大差なかったからそれで良かった。
しかし、実際に配属されてミッションを言い渡された後の研修となると、ずいぶんと意味が違ってくる。今日の研修を明日以降の業務に役立てなければならない。
浮いた1時間を使って、私は今日の研修の振り返りをすることにした。スタバに入り、今日のノートを開いて情報の整理をしはじめる。
2-2-1 正式導入前に始まっていた“野良AI利用”
Aさんは雑誌の編集者。編集者というのは憧れの職業のひとつだけど、個人に依存する作業が多いみたいだ。業務の効率化や速度UPのためにAIを活用しなければ、という危機感があるようで、積極的に使っていた。自費でAIを使うなんて発想は私には思い浮かばなかったから、新しい視点が得られた。
Aさんは、AI利用について私よりもずいぶん進んでいると思う。一方で、危うさも感じた。よく分からないまま、便利だから使っている。
私の会社でも、もしかすると既に各個人が好き勝手にAIを使いはじめているかもしれない。会社でAI導入を行っていないからといって、誰もAIを使っていないと捉えるのは早計だった。使っていこう、という方針を示していないのだから、逆に言えば使ってはいけないというルールもないのだ。
Bさんの「それって危なくないですか?」について、よく考えてみることにする。ChatGPTに聞いてみると次のような危険性について教えてくれた。AIにAIの危険性を聞くというのも変な話だけれど、本を何冊か読むよりも簡単だ。
社内資料をAIにアップロードすると、入力内容が外部サーバーに送信・保存され、意図せず学習やログ解析に使われる恐れがある。情報漏えいが起きれば、取引先の信用失墜、契約違反、損害賠償につながる危険がある。
AIは質問や投げ込んだ資料を基に「学習」して強化されていく。個人的な悩みを打ち明ける程度であれば問題ないけれど、例えば会社の社外秘の資料をAIに放り込んで概要をまとめさせるといった使い方は非常に危険ということだ。それを基に学習して、社外の人になにか機密情報を漏らしてしまう可能性がある。
Aさんが前向きに使っているバイタリティは素晴らしいけれど、「勝手に」「自費で」「社内資料を」AIに読み込ませて使っているというのはいかがなものだろう。ものだろうというか、だいぶ不味い気がする。まあ、私の会社の話ではないからコメントは差し控えておく。Aさんの連絡先も知らないし。
私はブルッと震えた。総務部総務課企画調整担当AI特命チームリーダー、これが今の私の肩書きだ。AIをトリガーにした情報流出なんてあった日には、会見で頭を下げているのは私ではないだろうか。それが私の推進したAIではなかったとしても。
……いや、さすがに私がメインで謝罪会見に臨むということはないだろう。何しろ新卒1年目なのだから。部長が頭を下げている横で小さくなっているか、できれば会場の誘導係くらいに落ち着きたいものだ。
2-2-2 AIは仕事を奪うのではなく、“仕事の前提”を変える
Bさんのケース。ガンガンAIを使っているのは素晴らしい。会社としてAIの導入も始まっているようだし、私の会社よりもずいぶんと進んでいる。
AI前提の仕事環境
AIを使える人だけが高速化
働き方そのものの変化
そんな雰囲気を感じた。
AIは危険もあるけれど、圧倒的に利が勝る。だから急速に広がっている。一方で、Cさんが口を挟んだ漠然とした怖さも確かに存在する。
「AIが広まると、自分の仕事がなくなるのでは?」
そんな不安を解消する必要もあるかもしれない。
いや、タイプピストの例もある。実際になくなる仕事もあるのだろう。もしかしたら、派遣切りみたいなことも起きるかも知れない。
でも、新たに生まれる仕事もたくさんあるはずだ。実際、AIを導入していくなら蓮くんみたいな存在は不可欠だし、今のところAIはサポートができるのであって本質的なことは人間の仕事だ。AIが議事録を作ることは出来るけれど、AIに議論を任せることはできない。それができてしまったら、いよいよ人間はお払い箱かもしれないけれど、それにはまだしばらく時間がかかるはずだ。
タイピストという仕事はなくなったけれど、それはあくまでタイピングするという作業が一般化しただけだ。一般化した技術は、誰もが使う当たり前のものになって淘汰されていく。
今はまだ「AIが使えません」という人がたくさんいるけれど、「パソコンが使えません」と堂々と言う人は会社に採用されないだろう。いずれ、WordやExcelのようにAIが当たり前の存在になるはずだ。
……いや、メールもAIが打ってくれるのだ。つまり、OutlookにもAIが取り込まれている。たぶん、WordやExcelにも。今でもIMEが日本語入力を補助してくれている。このIMEというやつは画期的な技術で、私たちは漢字を正確に覚えていなくても、IMEが勝手に変換してくれる。
私は「薔薇」という文字を書けないけれど、パソコンやスマホであれば薔薇でも檸檬でも葡萄でも好きに打ち込める。
これがAIになれば、変換だけでなく、文章そのものを作りあげてくれるというわけだ。試しにChatGPTにお礼メールを作らせてみた。
株式会社〇〇
営業部 田中様
いつも大変お世話になっております。
株式会社△△の橘です。
先日はご多忙の中、お打ち合わせのお時間をいただき、誠にありがとうございました。貴社の取り組みや今後の展望について詳しくお話を伺うことができ、大変勉強になりました。
また、弊社への貴重なご提案につきましても、社内にて前向きに検討を進めております。今後ともより良い形でお力添えできれば幸いです。
引き続き、何卒よろしくお願い申し上げます。
……完璧だ。もう新入社員研修にビジネス文書の時間は要らないだろう。ついでに、飲み会のお礼メールも書かせてみる。
皆さま
お疲れさまです。新入社員の橘です。
昨日は歓迎会を開いていただき、誠にありがとうございました。
配属直後で緊張しておりましたが、皆さまと楽しくお話しさせていただき、とても有意義な時間を過ごすことができました。業務のお話だけでなく、さまざまなお話を伺うことができ、今後一緒に働かせていただくことがますます楽しみになりました。
まだ至らない点も多く、ご迷惑をおかけすることもあるかと思いますが、一日でも早く力になれるよう精一杯頑張ります。
今後ともご指導のほど、よろしくお願いいたします。
うん。これで私的なメールもバッチリだ。
さて、Bさんのケースでまずい点はあるだろうか。強いて言うなら、依存とか傾倒とか、そんなところかな。AIがなければ仕事にならない。そんな風にも聞こえた。これはパソコンがなければ仕事にならないと同義だから、AIが当たり前の世界になるなら、むしろ当然のことかもしれない。
昔は紙とペンで仕事をしていたんだと言われても、今となってはパソコンがなければ仕事にならない。AIにも、そんな風に思われる時代が来るのではないだろうか。
あとは、上司や顧客にAIの回答や資料を提示するというところ。私の感覚ではびっくりしたけれど、これも慣れなのかもしれない。手書きのエントリーシートがWeb申請に変わったり、印鑑が電子署名に変わったり、それが時代の変化だと言われれば、納得できないこともない。
そういえば、新卒採用のエントリーシートの「ガクチカ」や「志望動機」をAIに書かせる人が多すぎて、人事が正当に評価できないから、再び学歴優先に舞い戻っているなんてニュースを聞いた。便利になれば使わずにはいられない。人って、そんな存在なのかもしれない。
2-2-3 AIを使う人と使わない人の温度差
Cさんのケース。これが現場のリアルかもしれない。
私もAI特命チームに指名されたから研修に来たのであって、言ってみればCさんと同じ理由だ。自ら進んで研修に来ているAさんとはまるで違う。AさんやBさんのような積極的に活用できている人と、私やCさんのような違いは、これから自社にAIを導入していく上でも発生するだろう。
興味がない人には届かない
一部だけが使い始める
AI格差の入口
そんな風に感じた。
社内に1本メールで周知したくらいでは、AIに興味のない人に全然使われないかもしれない。みんなが使いたくなるような、使わないと困るような、そんな流れを作らないといけないと思う。
Cさんの話でもうひとつ気づきがあった。データではなくモノに対して影響を与えるには、別のアプローチが必要なのかも。私の体験した議事録作成は音声をAIに読み込ませるためにTeamsを活用していた。そんな風に、現実世界とAIを橋渡しする存在についても考えてみる必要がある。
講師の話を踏まえると、製品の検査をセンサーや画像でAIが判定してくれるなんて未来もあるかもしれない。
私にはアプリ開発なんてできないし、社内にそんなチームもないから、世の中でそういう製品が売られてきたら使うのかな。そういう意味だと、検査ソフト買うのとあまり変わらないような気もしてきた。
システムやソフトウェアにAIが組み込まれているケースもたくさんあるということだったから、知らず知らずのうちに使っていることも、あるかもしれない。Amazonや楽天の後ろでAIが動いているのと同じように。
最初は手作業の検査を補助する役割からスタートして、いずれは全てをAIが代替する未来もあり得る。精度はデータが溜まれば向上するし、数は圧倒的に多くをこなせる。そうやって育っていくのだろう。
2-2-4 会社に戻ったら、まず何をするべきか
会社に帰ったら、2つのことに着手しよう。
社内にアンケートを取る。AIを既に使っているか、使っていないか。使っているとしたら、その課題認識について聞く。
自前でAIツールを勝手に使われるのは困る。使って良いAIと、AIに投げ込んでいい情報を整理する必要があるだろう。つまり、社内AIの導入とルールを作成する。
第3章 AIを会社に導入する ― ルールと運用の現実
3-1 社内の現状の把握
3-1-1 社内アンケートの実施
会社に帰った私は早速調査の準備を始めた。なるべく正直に答えて貰う必要があるから、真意は隠しながらだ。今はルールが無いのだから、勝手にAIを使っていても問題にはしない。本当は、Aさんのようにインターネット上のAIに社外秘の資料を投げ込んでいる人がいたら、とってもマズイ。早期発見とルール化を急がないと。
Q1:仕事で生成AIを利用したことがありますか?
Q2:利用したことがある生成AIを教えてください。
Q3:どのような業務で生成AIを利用しましたか。
Q4:生成AIに入力したことがある情報を教えてください。
Q5:どのくらいの頻度で生成AIを利用していますか?
Q6:今後、業務で生成AIを活用したいと思いますか。
Q7:生成AIについて学習会や研修があれば参加したいと思いますか。
社内アンケートにはMicrosoft formsを使った。Excelでアンケート回答フォーマットを意気揚々と作っていたら、蓮くんが爆速でformsを作成してくれた。
蓮くん曰く「橘さん、Excelアンケートって正気ですか?」とのこと。
何が悪いというのだ。総務部のお姉様方に社内一斉周知メールの雛形と、働き方改革アンケートのExcelフォーマットを貰って、リスト選択もバッチリだったのに。
……まあ、アンケートの項目数を追加したら、回答を貼り付けて集計するマクロが上手く動かなくて思考停止していたところだったのだけど。
「別にマクロを私が修正しても構いませんけど、formsでアンケート取ればそのまま集計もできますよ。表形式やグラフ表示もできます」
そう言って蓮くんが一瞬で作ったアンケートは、私のExcelよりも一見して分かりやすく、集計も自動だった。当たり前だ。表計算ソフトを使ってアンケートを作るという発想が最初からダメなのかもしれない。
メールの雛形はお姉様方から貰った全社周知用の物を有り難く使い、アンケートは蓮くん作成のformsのリンクを貼った。回答期限は一週間。
次に購買部に社内の決裁一覧を提供して貰った。勝手に契約していないか調べるためだ。
結論から言って、既にそれなりの数が契約されていることが分かった。月額数千円という金額は個人には高くてもビジネスではあまりにも安く、社内規則の中で最も下の権限で決裁が可能だった。
一週間が経ち、アンケートの回答が出揃った。
回答率は85%。御堂部長から各部の幹部への念押しもあって、社内アンケートとしては上出来だった。formsを使ったのも一因かもしれない。もし、Excelファイルをメールに添付して、記入後に返信してくださいという方式だったら、面倒くささからここまで集まらなかった可能性もある。
それでも、残り15%、約300人が回答していない。
単に忙しい人もいるだろう。だけど、私はどうしても考えてしまう。
「AIを使っているからこそ、答えたくなかった人」が混じっているのではないかと。
3-1-2 Q1:仕事で生成AIを利用したことがありますか?
まずは、最初の質問から結果を眺めてみる。
よく利用している 100人
時々利用している 180人
試したことがある 320人
利用したことはない 1100人
私は愕然とした。AIの利用経験は35%、思ったより多い。
今回の設問には「仕事で」とわざわざ書いている。私的利用ではなく、業務で利用したことがある人が35%もいるだなんて。Aさんのように、会社が導入していなくても勝手にAIを使っている人がたくさんいることが見て取れた。
もっと言うと、このアンケートを否定的に捉えて本当は使っていても「利用したことはない」を選択している人すらいるかもしれない。
3-1-3 Q2:利用したことがある生成AIを教えてください。
続いて、Q2で利用したAIの種類を確認してみる。
ChatGPT 480人
Microsoft Copilot 120人
Gemini 90人
Claude 40人
その他 30人
AIを利用したことがある人は約600人いたけれど、その大半はChatGPTであることが分かった。やはりというべきか。テレビやニュースで最も名前を聞く生成AIだ。AIに詳しくない私ですら知っているくらいだから当然かもしれない。
一方で、Microsoft Copilotの利用者も一定数いた。普段使っているWordやExcel、Teamsと同じ会社「マイクロソフト」のサービスだから、心理的なハードルが低いのだろう。
GeminiやClaudeの利用者は少数派だった。私も名前くらいは聞いたことがある。確かGoogleなどの海外企業が提供している生成AIだったはずだ。
ただ、人数以上に気になったのは「その他」の回答だった。自由記述には、議事録作成ツール、画像生成サービス、翻訳サービスなど様々な名前が並んでいる。会社として何も導入していないはずなのに、既に社員は思い思いのAIを使い始めていた。
私たちが把握していなかっただけで。
3-1-4 Q3:どのような業務で生成AIを利用しましたか。
次は、みんなが何にAIを使っているのか。
文章作成・校正 380人
アイデア出し 310人
情報収集 240人
要約 220人
議事録整理 110人
Excel関数・マクロ作成 70人
画像作成 50人
プログラミング 40人
結果を見て少し安心した。利用者の多くは、文章作成や校正、アイデア出しといった補助的な用途だったからだ。
「メール文面を整えてもらう」
「企画書のたたき台を作る」
「文章を分かりやすく直してもらう」
自由記述にはそんな回答が並んでいた。どうやらAIに会社の経営判断を任せたり、重要な業務を丸投げしたりしている人は少なそうだった。
ただし、気になる回答もあった。
「議事録整理」
会議の内容を要約させるだけなら問題ないかもしれない。でも、その議事録には何が書かれていたのだろう。顧客名、売上情報、未発表の企画……、不安が拭えないまま、私は次の設問へ視線を移した。
3-1-5 Q4:生成AIに入力したことがある情報を教えてください。
一般的な質問・調べもの 420人
自分で作成した文章 310人
メール文面 240人
会議メモ・議事録 120人
社内資料 90人
売上データ・数値情報 30人
顧客情報 10人
私は思わず画面を凝視した。
上位の回答は予想通りだった。一般的な質問や、自分で作成した文章の校正依頼など、比較的リスクが低いものが並ぶ。だけど、その下に並ぶ回答は違った。
売上データが30人
顧客情報が10人
人数だけ見れば少ないけれど、問題はそこではない。たった一人でも、顧客情報をインターネット上のAIへ入力していた可能性があるという事実だった。
しかも、このアンケートは自己申告だ。本当のことを正直に答えている保証はない。私は背筋が少し寒くなるのを感じた。Aさんの件は特殊な事例ではなかったということだ。当社も他人事ではない。早く、手を打たなければ。
3-2 AIを導入したのに、誰も使わない
3-2-1 AIの導入、何を入れる?
アンケート結果をまとめた私は、そのまま御堂部長の席へ向かった。
「思ったより使われてました」
私は集計結果のグラフを見せた。
「そうみたいだね」
御堂部長は驚いた様子もなく答える。
「顧客情報を入力した人までいました」
「え、それはマズいな」
「かなりマズいです」
思わず語気が強くなった。私たちはAIを導入していない。だから誰も使っていない。そう思い込んでいた。だけど、実際は違った。社員たちは勝手に使っていたのだ。会社が何も決めていないからこそ、それぞれが好きなAIを選び、好きな方法で利用していた。
「会社で使うAIを早く決めないと、現状の無秩序利用が更に広がってしまいます。急がないと」
私がそう言うと、隣で作業していた蓮くんが振り返った。
「それなら、Microsoft Copilotでいいんじゃないですか」
「やっぱりCopilotがいいの?何だか、企業に導入されている生成AIを調べると、Copilotが多いんだよね。世の中ではChatGPTやGeminiがよく使われているのに」
一通り調べたけれど、私には理由がよく分からなかったのだ。生成AIと言えば、ChatGPTが一番手。GoogleのGeminiもよく聞くのに、企業ではCopilotがよく使われている。
「ふーん、蓮くんは何でCopilotがいいの?」
御堂部長が尋ねる。
「結局は、今の環境との相性ですね。メールはOutlook、Web会議やチャットはTeams、資料作成はWord・Excel・PowerPoint、ファイルサーバーはSharePoint、全部Microsoft社の製品です」
「そうだね」
「だったらCopilotが一番自然です。認証も管理も今の環境をそのまま使えますし」
私は慌ててメモを取る。
「他のAIは?」
「もちろん候補としてはあります。でも、会社として導入するなら管理しやすさ優先です。利用者が増えるほど管理も大変になりますから」
なるほど。個人なら好きなサービスを選べるけれど、会社となると話は別らしい。
セキュリティ
契約
認証・管理
利用状況の把握
考えることはたくさんある。
「じゃあ、それでいこう」
御堂部長はあっさり言った。
「えっ、そんな感じで決まるんですか?」
「最終的には稟議も通す。でも方向性は早く決めた方がいい」
確かにその通りだった。顧客情報を入力した人が一人見つかったということは、見つかっていない人もいるかもしれない。何もしないことが一番危険なのだ。
それから一か月ほどで社内向けAI環境の整備は進んだ。私はもっと大掛かりなものを想像していた。サーバーを建てたり、高価な機材を買ったり、システム会社が何十人も来たり……だけど、実際は違った。
「終わりました」
ある日、蓮くんが言った。
「何が?」
「生成AIの導入です」
「早くない?」
「最初に言った通り、もともとMicrosoft製品が入っていると親和性が高いですからね。それに、何か新しいシステムを作るというわけではありません。ライセンスを買って、有効化して、社内システムの設定をいくつかいじる程度です」
「へえ、本当に使えるの?」
「試します?」
蓮くんはブラウザを起動して、Copilotの画面を開いた。
『○月○日の経営企画会議の議事録を要約してください』
蓮くんが指示を打ち込むと、数秒後、会議内容が箇条書きで表示された。
『議事録のタスクを整理してください』
今度は担当者別の宿題一覧が表示される。
「おお……」
私は素直に感動した。特別な操作は何もない。チャット画面に日本語で入力するだけで、必要な情報が返ってくる。
「議事録のときも思ったけど、ずるいなあ」
「栞さん、まだ言ってるんですか」
蓮くんは呆れたように笑った。
「でもさ、AIが経営企画会議の議事録を出力できるの、まずくないの?」
「これは、社内限定の利用ですからね。インターネット上の誰でも使えるAIとは別物です。Copilotの強みは、社内のSharePointから必要な情報を検索して持ってきてくれることです。自分のOutlookの過去メールなんかも検索してくれますよ」
「凄いなあ。自分だけの秘書みたいだね」
「そうですね、そういう使い方もできます」
導入と並行して、私たちはルール作りも進めた。こちらはAI導入より難しかった。技術ではなく人の問題だからだ。
何を禁止して、何を許可するのか。何を許可するのか。どこまでなら問題ないのか。議論を何度も繰り返し、最終的に、最低限のルールとして次の内容を定めた。
■AI利用ガイドライン(抜粋)
・会社が許可していない生成AIへ社外秘情報を入力しない
・AIの回答を鵜呑みにしない
・重要な判断は必ず人が行う
・既存契約している個人向けAIサービスは順次解約する
・過去に機密情報を入力した場合は速やかに報告する
「最後の項目、誰か報告しますかね」
私はガイドラインを見ながら呟いた。
「しないかもねぇ」
御堂部長が答える。
「でも、書いておくことが大事だよ」
「そういうものですか」
「ルールっていうのは、守らせるためだけに作るものじゃない。会社として何が正しいと考えているかを示すためという意味もあるのさ」
私は少し感心した。なるほど、ルールは罰則のためだけにあるのではない。会社の考え方そのものなのだ。
数日後、全社向けに生成AI利用開始のメールが配信された。
生成AIの提供開始
利用ガイドライン公開
利用方法説明会のお知らせ
ようやくスタートラインに立ったという達成感を覚えていた。アンケートを取り、危険性を洗い出し、ツールを選び、ルールを作った。やるべきことは全部やった。これでみんな使い始めるはずだ。
……そう思っていた。
その時の私は、まだ知らなかった。AI導入で一番大変なのは導入することではない。使ってもらうことだということを。
3-2-2 利用率が上がらない(今まで使っていた人が使わない)
Q5:どのくらいの頻度で生成AIを利用していますか?
生成AIの導入から一か月が経った。
私は利用状況のレポートを眺めながら首を傾げていた。
「おかしいな……」
導入前のアンケートでは、開発部は社内でも特にAI利用率が高かった部署だった。ところが、導入後の利用状況を見ると、思ったほど使われていない。むしろ、利用率が下がっているようにすら見える。
私は開発部へ向かった。高城部長なら何か知っているかもしれない。
「失礼します。総務部の橘と申します。いまお時間よろしいでしょうか?」
「どうした」
高城部長はモニターから目を離さないまま答えた。やや強面で本来ならば別の部に所属する新人が話しかけにいくような相手ではない。それでも、私のミッションを達成するための課題を解決するにはヒアリングをするしかない。特命チームという印籠がどれほど効果があるのかは分からないけれど、やってみるしかないのだ。
「実は、AI利用率の件で聞きたいことがありまして」
私はタブレットに利用率のグラフを表示して見せた。高城部長は手を止め、ジッとタブレットを覗き込んだ。反応はあまりなく、思考は読み取れない。でも、門前払いをされることはないようで安心する。
「開発部、最初に取ったアンケートではAIの利用率が高かったんです。でも、その後の全社AIの導入後に実際の利用率を評価すると、アンケートよりも低く出ているんです。不思議に思いまして、何か」
「まあ、当然じゃないか?」
即答だった。私は思わず固まる。
「当然なんですか?」
「以前は各自が好きなAIを使っていた。それぞれが良いと思ったものを自由に。それが、使えるものを指定されてルールもできた。使用率が下がるのは当然だ」
確かにそうだ。私たちは安全性や管理を優先した。それが必要だと思ったから。しかし、それは利用者から見れば制約が増えたとも言える。
「それじゃ、前から使っていた皆さんには不満があるのでしょうか?」
「不満というほどのことはない。慣れてないだけだ」
高城部長は椅子を回した。
「橘、スマホの機種は?」
「え、iPhoneです」
「ふうん。Androidを使ったことは?会社に入る前に」
「ありません」
「会社スマホはAndroidだけど、どう?」
「あー、まだ慣れてないです。電源のON/OFFやマナーモードとかの咄嗟の操作がなかなか覚えられなくて。……あ、そういうことですか?」
「ああ。最初は何でも違和感がある。AIも同じだ」
「なるほど」
私は少し考え込んだ。利用率が上がらない理由は、使ったことがない人だけではない。今まで使っていた人にも、使わなくなる理由があるのだ。
「アンケートの回答を拝見しました。高城部長は、前からAIを使っていらっしゃったんですよね」
「使っていたし、今も使っているよ。ちゃんと新しく導入された全社AIをな」
「参考までに、全社でAIが導入される前に使い始めた理由を伺っても?」
高城部長は少しだけ笑った。
「会社の方針を待っていたら遅いからだ」
予想通りの答えだった。
「でも、勝手にやるのは問題じゃ」
「当時はダメというルールもなかったしな。ルールができたら守るよ。会社員だから。みんなそうだろう」
「そうですか。少し安心しました」
「ただし、この全社導入というのは大変だぞ。何でもそうだが、個別最適で進んでいたものを、一度止めて全体最適に進ませるのは困難が伴う。制度を作ってみたら、使われずに終わったなんてことはよくある話だ」
耳の痛い話だ。AIの全社導入はできた。でも使われていない。まだまだやるべきことは山積みだ。
「そういうものですか」
「新人1人にやらせるにはでかいプロジェクトだ。他にプロパーの社員もついていないんだろ?御堂部長は、成功したら儲けものくらいしか思っていないんじゃないか。AIに詳しいわけでもなさそうだし」
「それでも、頑張ります」
「なぜだ?外野から見ても厳しい条件だが」
私は少し考えて答えた。
「もったいないからです」
「もったいない?」
「便利なのに使われないのは」
高城部長は小さく笑った。
「なるほど」
そして再びモニターへ向き直る。
「じゃあ、やってみろ」
それだけだった。励ましなのか、試されているのか、真意はよく分からない。でも、開発部を出る頃には少しだけ気持ちが軽くなっていた。
今のステータスはようやくスタートラインを切ったところ。問題はここからだ。使われるかどうか、本当の勝負は、まだ始まったばかりだった。
3-2-3 利用率があがらない(元々使っていない人が使わない)
Q6:今後、業務で生成AIを活用したいと思いますか。
開発部で高城部長との会話を終え、私は再びアンケートと利用率の見比べ作業に戻った。すでに使っていた人たちの利用率が落ちているのは、楽観的に見れば一時的な「慣れ」に必要な期間と捉えることができるかもしれない。何か策を打つべきかは、もう少し時間を置いてから考えてもいいだろう。
今は既に顕在化している別の課題に対策を打たなくてはいけない。
当初、アンケート結果を確認した私は少し安心していた。
「ぜひ活用したい」
「機会があれば使ってみたい」
「業務効率化に期待している」
そんな前向きな回答が予想以上に多かったからだ。
もちろん否定的な意見もあった。
「必要性を感じない」
「何に使えばいいか分からない」
「情報漏洩が心配」
それでも全体として見れば、生成AIへの関心は高いと言っていいだろう。
しかし、AIを使ったことのない人たちは、全社AIが導入されても相変わらず利用率が低いままだった。ポジティブな意見は、残念ながら利用率には反映されていない。
解決策を探るべく、次の設問を見る。
Q7:生成AIについて学習会や研修があれば参加したいと思いますか。
悪くない結果だった。
「参加したい」
「内容による」
「機会があれば参加したい」
そんな回答が多く並んでいる。これが次に打つべき策かもしれない。
AIを使っていない人たちも、決して拒絶しているわけではない。知らないだけなのだ。だったら、まずは知ってもらえばいい。そう思った。
「部長、説明会やりましょう」
総務部の週次定例会で私は御堂部長に提案した。
「説明会?」
「はい。AIで何ができるのか知らない人が多いんです。まずは見て貰うことが必要だと思うんです」
御堂部長は少し考えてから頷いた。
「いいんじゃないか」
こうして私は全社向け説明会を企画することになった。
会議室を押さえ、Teams配信の準備をし、利用ガイドラインの説明資料も作った。蓮くんにも協力して貰い、素材も用意した。
「デモやった方がいいよね」
「まあ、その方がウケると思います」
「経営企画会議のAI議事録みたいなやつ、やりたいな」
準備は順調だった。私たちは業務の中でAIを使い始めていたし、AI議事録のパフォーマンスは既に1回やっていたから、それぞなぞるのも容易だった。私は完全に成功するものだと思い込んでいた。
説明会当日。開始10分前、会場となった会議室に参加者は0人だった。私は時計を見る。まだ早い。みんな仕事があるのだろう。
開始5分前。0人。
開始時刻。Teamsに2人が入ってきた。私は参加者一覧を何度も見直した。何かの間違いではないかと思った。アンケートでは興味ありの回答が多数あったのに、参加者は2人だけ。
「嘘でしょ……」
思わず呟いてしまった。開始時間になったので説明会を始める。生成AIとは何か。何ができるのか。どんなことに使えるのか。そして会議議事録のデモ。
議事録が自動生成されると、参加者から「へえ」という声が上がった。参加者の反応は悪くない。質問も出たし、好意的な反応だった。
問題は人数だ。終わってみれば、説明会そのものは成功だったと思う。しかし、私が期待していた成功とは違った。
その日の夕方。私は御堂部長の隣の自席で机に突っ伏していた。
「説明会、全然来ませんでした」
「そうか」
「アンケートでは参加したいって」
「そうだなあ」
「興味があるって」
「うん」
私は顔を上げた。
「なぜでしょう」
御堂部長は少し笑った。
「栞ちゃん」
「はい」
「興味があることと、行動することは別だよ」
私は言葉に詰まった。
「資格の本を買って満足する人はいるだろ。ジムに通おうと思って資料請求だけする人もいる。人間なんてそんなもんだ」
ぐうの音も出なかった。私にも心当たりがあったからだ。私はジムの契約をして何回かは通った末に面倒になるタイプだけど。
「じゃあ、どうすればいいんでしょう」
私が聞くと、御堂部長は即答した。
「待っちゃだめだ」
「え?」
「来てもらうんじゃない、こっちから行くんだ」
3-2-4 “まず触ってみる”が最大の壁だった
説明会の失敗から数日後、私は利用率の低い部署を回ることにした。
御堂部長の言う通りだ。待っていても人は来ない。だったらこちらから行くしかない。最初に向かったのは流通部だった。
アンケート結果を見る限り、もとのAI利用率はかなり低く、いま現在の利用率も各部門で最低だ。流通部の浅霧部長は、経営企画会議でもAIにほとんど興味を示していなかった。
「失礼します」
「あ、橘ちゃん」
浅霧部長は気だるそうに手を上げた。経営企画会議で赤ペンのたくさん入った議事録を見られたのは恥ずかしいけれど、こうして顔と名前を憶えられるのは役得だったかもしれない。御堂部長にそこまでの考えがあったかは分からないけれど、あの部長なら作戦だったとも思わされる。
「今日はどうしたの?」
「AIの利用状況についてお話を聞きたくて」
「あー、それね」
予想通りというべきか、あまり興味がなさそうだった。
「流通部は利用率が低いんです」
「そうなんだ」
「浅霧部長は、使わないんですか?」
「使わないねぇ」
即答だった。
「何でですか?」
「何に使うのか分からないから」
私は思わずガクッときた。
「……興味はあります?」
「まあ、ある」
「あるんですか」
「だって会社中で騒いでるじゃん」
それはそうだ。総務部がここ数か月ずっと騒いでいる。主に私が。
「じゃあ説明会とか」
「行ってないねぇ」
「ですよね」
「忙しかったし」
浅霧部長はそう言ってから少し考えた。
「あと、勉強は面倒」
「勉強……」
あまりにも正直な回答だった。
「でも便利になるんですよ」
「そうなんだろうねぇ」
「業務効率化も」
「そうなんだろうねぇ」
会話が進まない。私は少し焦った。何か浅霧部長の興味を惹かねばまずい。
「経営企画会議の議事録、覚えてます?」
「あれは面白かった」
初めて食いついた。
「面白かったですか」
「うん」
「どういうところが?」
「楽そうで」
私は一瞬固まった。技術的に凄いとか、革新的だとか、そういう話ではないらしい。
「楽そう?ですか」
「あれ、会議終わったあと議事録書かなくていいんでしょ?」
「はい」
「それなら使いたいね」
私は思わず笑ってしまった。
「そんな理由ですか」
「そんな理由だよ」
浅霧部長も笑った。
そこで私はようやく気付いた。AIに興味を持って貰う必要はない。AIの歴史とか技術とか仕組みとか、そんなものをアピールするのではなく、業務の何が楽になるのかをアピールしないといけないのだった。
何も、浅霧部長が特殊だというわけではない。少し人より正直なところがあるだけで、実際のところ私だってそうだ。
議事録を楽したい。
メールを楽したい。
資料作りを楽したい。
だから、AIを使う。
「もしかして」
私は呟いた。
「説明会の集客がダメだった理由って」
「何?」
「AIの話をし過ぎたのかもしれません」
浅霧部長は肩をすくめた。
「知らないけど」
そして続ける。
「橘ちゃん」
「はい」
「AIの勉強会って聞いたら行きたくない。でも、残業が減る方法教えますって言われたら行くかもね」
私は思わず天井を見上げた。その通りだった。説明会の開催案内で、私は生成AIとは何かを説明した。技術の話、リスクの話、ルールの話をした。
でも、みんなが知りたいのはそこじゃない。自分の仕事がどう楽になるのか。その一点だったのだ。
翌週から私は説明会をやめた。代わりに少人数のハンズオン研修を始めた。会議議事録の作り方、メールの作り方、報告書の作り方、実際の業務を題材にした研修だ。
最初の参加者はやはり数人だった。でも、そのうち一人は浅霧部長だった。
「勉強は嫌なんじゃなかったんですか」
私が聞くと、
「これは勉強じゃない」
浅霧部長は真顔で答えた。
「楽する方法を教わりに来た」
私は少しだけ、自分が進むべき方向を理解した気がした。
3-2-5 AIを日常にする
ハンズオン研修は予想以上に好評だった。
「議事録が五分で終わった」
「メール作成が楽になった」
「文章を考える時間が減った」
参加者からそんな声が聞こえてくる。
私は少し驚いていた。説明会ではほとんど人が来なかったのに、業務に直結する内容に変えた途端、参加者が増え始めたのだ。最初は五人だった。次は十人。その次は二十人。気付けば会議室が埋まるようになっていた。
流通部では議事録作成。営業部では提案書のたたき台作成。経理部では文章の要約。部署ごとに使い方は違った。共通していたのは、みんな「楽になること」に価値を感じていたことだ。
私は利用率の高い社員に声を掛け、成功事例も集め始めた。
「AIで会議資料の作成時間が半分になりました」
「問い合わせメールの作成が早くなりました」
「新人教育用のマニュアル作成に活用しています」
そうした事例を社内ポータルに掲載し、毎月の全社メールでも紹介した。人はルールでは動かない。成功事例で動く。高城部長の言葉ではないけれど、実際に使って成果を出している人を見ると、自分もやってみようという気持ちになるらしい。
ある日、社内利用率の推移を確認していた私は思わず声を上げた。
「増えてる……」
利用者数が着実に伸びていた。導入直後はほとんど利用されなかったAIが、少しずつ社内に浸透し始めている。私はそのグラフを見ながら、何とも言えない達成感を覚えていた。
アンケート
ルール作り
説明会の失敗
現場ヒアリング
ハンズオン研修
遠回りした気もする。でも、その一つ一つが無駄ではなかった。そう思えてくる瞬間だった。青春ドラマの最終回かな。
「最近、研修の人数が増えなくなりましたね」
ある日、蓮くんが言った。
「みんな慣れてきたのかも」
私は少し得意げに答えた。社員の数が一定である以上、いつまでも参加者は増えていかない。頭打ちになったところで、それは全社にAIが浸透したと読み解くこともできる。もう少し正確に評価は必要だけど、感覚として私はそう感じとっていた。
「よかったじゃないですか」
「うん」
これで一段落だろう。私はそう思っていた。
その日の午後だった。AI相談フォームに新しい問い合わせが届いた。
『Copilotが出力した内容が正しいか分かりません』
私は嬉しくなった。使ってみた人の問い合わせだ。ちゃんと業務で使った上で困っているのは、それだけ使われ始めているという証。私は満足感と共に、懇切丁寧に回答した。
翌日。また相談が来た。私はまた丁寧に回答した。
その翌日も。
さらに翌週には別の部署からも問い合わせが届いた。
AIが動かない。
回答がおかしい。
こういう場合はどう使えばいいのか。
何の情報まで入力していいのか。
気付けば毎日のように相談が届くようになっていた。忙しくなったけれど、充実していた。私はその時まだ気付いていなかったのだ。AIを使わない人を動かすことよりも。AIを使い始めた人を支えることの方が、ずっと大変だということに。
3-3 AI運用が始まると、今度は現場が崩壊する
3-3-1 問い合わせが止まらない
AIの利用率は順調に伸びていた。説明会は失敗した。でも、現場を回り、実際の業務で使える形にしたことで少しずつ利用者が増えていった。私は毎週の利用レポートを見るのが楽しみになっていた。右肩上がりのグラフを見ると、自分たちのやってきたことが間違っていなかったような気がするのだ。
AIの使用方法について問い合わせが来始めた頃、最初は嬉しかった。利用者が増えている証拠だったからだ。
しかし、数週間後には様子が変わっていた。朝出社すると問い合わせが届いている。回答する。昼休み前にまた届く。回答する。午後にも届く。回答する。
気付けば一日が終わっていた。
「また来てる……」
私は相談フォームを見ながら呟いた。
議事録の作り方。
回答の精度が低い。
どこまで情報を入力して良いのか。
Excelファイルを読み込ませても大丈夫なのか。
社外とのメールに使っても良いのか。
内容は様々だった。最初は一件ずつ丁寧に対応していた。しかし、利用者が増えるにつれて、それでは追い付かなくなっていく。
「橘さん、午前だけで何件ですか?」
午前の問合せ対応を終え、机に突っ伏していると蓮くんが覗き込んできた。
「12件」
「昨日は?」
「1日で15件。一昨日は8件だった」
蓮くんは少しだけ嫌そうな顔をした。
「増えてますね」
「増えてるねぇ」
私は乾いた笑いを浮かべた。
利用率向上、浸透活動、成功事例の展開、全部上手くいっている。上手くいきすぎている。それに伴い、問い合わせも右肩上がりだった。
「これ、何かおかしくない?」
私は蓮くんに言った。
「何がですか」
「AIで効率化してるのに、私たちは忙しくなってる」
蓮くんは少し考えてから答えた。
「まあ、導入期はそんなもんじゃないですか」
私は納得できなかった。AIを導入して、みんなが使い始めた。会社は効率化している。なのに、私たちはどんどん忙しくなっている。それでは何のためのAI導入なのだろう。気が付けば、私の一週間の大半は問い合わせ対応で埋まっていた。
利用者が増えるほど問い合わせも増える。当たり前と言えば当たり前のことだ。私はようやく理解し始めていた。AIを導入することと、AIを運用することは全く別の仕事なのだと。そして、その運用は思っていたよりずっと大変だった。
3-3-2 人を増やしても解決しない
問い合わせ対応に追われる日々が続いていた。相談フォームへの回答と会議をこなしていると、気が付けば定時になっている。そんな毎日だった。
「もう無理かも……」
私は自席で呟いた。目の前には未回答の問い合わせ一覧が表示されている。しかも増加傾向だ。来月にはもっと増えると思われた。今の体制では到底回らない。私は御堂部長の席へ向かった。
「部長」
「どうした」
「人が足りません」
部長は予想していたような顔をした。
「相談対応です」
私は問合せ件数のグラフを見せた。右肩上がり。AI利用率とほぼ同じ角度で伸びている。
「このままだと回りません。増員したいです」
私は用意していた資料を差し出した。
「蓮くんの会社から派遣社員を二人くらい追加で」
すると部長より先に蓮くんが反応した。
「それはダメだと思いますけど」
私は振り返った。
「何で?」
「根本的に解決してないです」
「でも人が足りないんだよ」
「じゃあ派遣社員を二人増やして対応できたとして」
「うん」
「利用者がさらに二倍になったら?」
私は黙った。また人が必要になる。当然だ。利用者が増えるたびに人を増やしていたら終わりがない。
「栞ちゃん」
御堂部長が口を開いた。
「はい」
「導入期の一時的な増員ならいいけどね」
私は少し期待した。
「じゃあ」
「でも、恒久的な増員はダメだよ」
期待は一瞬で消えた。
「どうしてですか」
「AI導入が効率化のためだからさ。効率化のためなのに、運用部門の人員が増え続けるなら本末転倒だよね」
反論できなかった。AI導入によって会社全体の業務は効率化している。でも、それを支える側だけが膨れ上がっていたら意味がない。
「じゃあどうするんですか」
私は半ば投げやりに聞いた。
「仕組みを作るべきだ」
「仕組み?具体的には?」
私は首を傾げた。
「それは分からない。ただ、こういうことはよくある話だよ。使われ始めると、運用工数が上がる。その対策には、仕組みを作って自己解決を促すしかない」
「AIの質問をAIに答えさせればいいんですよ」
蓮くんが言った。私はしばらく意味が分からなかった。
「……は?」
「FAQとかチャットボットを作りましょう。全部じゃないですけど、少なくとも同じ質問に何回も答える必要はなくなります」
私は未回答一覧を見た。確かに似たような質問が多い。どこまで入力していいのか、回答がおかしいときはどうするのか、どのモデルを使えばいいのか、同じような内容を別の人に答えている。
「人を増やす前に、まずは仕組み化からはじめよう」
御堂部長が言った。
私はゆっくり頷いた。正直、簡単に解決するとは思えない。でも、何となく分かる。今の私は問い合わせに追われているから人が欲しいけれど、それは目の前の問題を解決したいだけだ。会社全体で考えれば違う。必要なのは回答者ではなく、問い合わせが増えても回る仕組みなのだ。それが仕事というものだろう。
その日の帰り道。私は少しだけ悔しかった。増員を認めてもらえなかったからではない。自分がAI導入の本質を理解していなかったことに気付いたからだった。
AIは導入して終わりじゃない。そして、人を増やして解決するものでもない。私は次の段階へ進まなければならなかった。
3-3-3 AIを支えるAI
翌週から私たちはFAQとチャットボットの整備を始めた。といっても、最初は大したものではない。問い合わせ内容をExcelにまとめて、回答を整理するのだった。
「また同じ質問ですね」
蓮くんが言う。
「そうだね」
「これ、今月だけで7回目です」
画面には同じような質問が並んでいた。利用者が増えれば疑問も似てくる。だったら、その回答を使い回せばいい。理屈としては簡単だった。しかし、実際はそう単純ではない。FAQページを作ったところで誰も見ないのだ。「みんな調べないんだね」
私は少し驚いた。
「調べるより聞いた方が早いですからね」
蓮くんは即答した。確かに私もそうかもしれない。社内規程を探すより詳しい人に聞いてしまう。その方が楽だからだ。
「じゃあ、FAQだけじゃダメだね」
「ダメですね。やっぱり、相談フォームの手前にチャットボットを差し込みましょう。先にAIに答えさせて、解決しない人だけ人が答える仕組みです」AIの質問をAIが回答する。何だか変な話になってきたけれど、理屈は通っている。人間が毎回同じことを答える必要はない。AIに任せられる部分は任せればいい。
こうして社内向けAIサポートチャットボットの開発が始まった。もっとも、最初から上手くいったわけではない。
「これ酷くない?」
私は回答画面を見ながら言った。回答ナレッジが溜まっていないと、AIはまともに回答することができない。時には見当はずれの回答もしていた。
「でも、やらないことにはナレッジが溜まりませんからね」
蓮くんはそう言うけれど、AIチャットボットの回答能力への評価はあまり高いとは言えなかった。低評価を見て、私は少し落ち込んだ。
「失敗かなあ」
「いや、こんなもんですよ」
蓮くんは気にした様子もない。
「そうなの?」
「むしろ普通です。だんだんとナレッジが溜まっていけば、賢くなっていきますからね」
最初から百点を作るのではなく、六十点から改善していく。そういう考え方らしい。
それから数か月。チャットボットは少しずつ賢くなっていった。低評価だった回答を修正し、不足していたFAQを追加する。新しい問い合わせ内容も反映する。地味な作業の繰り返しだった。
しかし、効果は確実に出ていた。人が答える件数の伸びが鈍化したのだ。利用者は増えても、回答件数は以前ほど増えない。
「効いてるね」
私はグラフを見ながら言った。
「効いてますね」
蓮くんも満足そうだった。
もちろん問い合わせがゼロになったわけではない。複雑な相談は人間が対応しなければならない。でも、簡単な質問はチャットボットが答えてくれる。その差は大きかった。
ある日、私はふと気付いた。
「蓮くん」
「何ですか」
「これ、結局やってることって」
私はチャットボットを見た。
「AIを運用するためのAIだよね」
「そうですね」
蓮くんは頷いた。
「人を支えるためのAIを、人が支えてる感じです」
少しややこしい話だった。でも、本質はそこにある気がした。AIは勝手に育たない。間違えるし、メンテナンスが必要だ。AIにも管理する人が必要なのだ。
3-3-4 蓮くんを増やさなければならない
チャットボットの運用が軌道に乗り始めた頃、私は別の問題に気付き始めていた。
「蓮くん」
「何ですか」
「これお願い」
「いいですよ」
「こっちも」
「いいですよ」
「あとこれも」
「いいですよ」
私は手を止めた。何だろう、この違和感は。
AI環境の設定。
チャットボットの改善。
FAQの整備。
問い合わせ分析。
利用ログの確認。
最近の私は、何か問題が起きるとまず蓮くんに相談していた。そして、大抵のことは解決してしまう。優秀だから。それだけの話だと思っていた。
しかし、ある日。蓮くんが有給休暇を取得した。その日、私は地獄を見た。仕組化の目途が立ち、年度内という期間限定で人を増やしてもらったのはいいけれど、増員した2名は蓮くんや私に比べれば社内AIに詳しくない。
「橘さん、このエラーなんですけど」
「橘さん、チャットボットの回答がおかしいです」
「橘さん、この設定変更ってどこでやるんですか」
これまで蓮くんがさばいていた作業が、私に集中した。これはまずい。「分かっている人」がいないと、こんなにも作業が煩雑になるということを、身をもって体験した。そもそも、AI特命チームで対応しなくて良い、各部署で対応してくれれば良いようなことも多々存在した。
その日の夕方。私は御堂部長の席へ向かった。
「部長」
「どうした」
「まずいです」
私は正直に話した。蓮くんが休んだだけで業務が止まりかけたことを。すると部長は意外そうな顔をしなかった。
「だろうね」
「だろうねって……」
「気付くのが少し遅かったくらいだ」
私は少し悔しくなった。
「蓮くんは優秀だから頼ってしまいます」
「それも分かる」
部長は頷いた。そして静かに言った。
「だが、それは組織としては危険だ。栞ちゃんもずいぶん成長したけど、一部の人しか分からない状態は仕組化できているとは言えない」
その言葉は妙に重かった。私や蓮くんが転職したら。病気になったら。長期休暇を取ったら。今の体制は成立しない。
それは組織としての運用ではなく、個人技だった。
翌日。私は開発部に行って高城部長にも相談した。
「やっと気付いたか」
開口一番、それだった。
「新しいことを導入すると、よくあることだ」
「そうなんですか」
「詳しい人間に仕事が集中する」
私は思わず頷いた。今の状況そのものだ。
「そいつが辞めると、組織が止まる」
高城部長は昔を思い出すように笑みを浮かべているが、私には笑えない。「だから属人化をなくす必要がある」
「でも、それって簡単じゃないですよね」
「簡単じゃないな。社員の教育が必要だ」
教育。今まで私は社員にAIを使わせることばかり考えていた。しかし、それだけでは足りない。AIを支える側の人間を育てる必要がある。
それから私は育成計画を作った。これまで作っていた全社員向けのAI活用研修に加えて、情報システム部門や各部署のIT推進担当には別の研修を用意した。
利用ログの分析。
権限管理。
FAQ整備。
チャットボット運用。
AI環境の維持管理。
こちらは使うための研修ではなく、支えるための研修だ。AI人材と一言で言っても、役割によって必要な知識も全然違う。そして、その全てを私たちだけで担うことはできない。
「最近、忙しそうですね」
ある日、蓮くんが言った。
「おかげさまで」
私が答えると、蓮くんは少し笑った。
「よかったです」
「何が?」
「やっと僕を増やそうとしてる」
私は思わず吹き出した。
AI導入の成功とは、優秀な人を一人見つけることではない。その知識や経験を組織全体に広げることなのだ。
3-4 AIが“当たり前の道具”になっていく
AI導入から一年が経った。
振り返ってみると、本当に色々なことがあったと思う。問題は次々に発生したけれど、そのたびに何とか対応した。今思えば、これはAIに限った話ではなかったのかもしれない。
新しい制度、新しいシステム、新しい働き方、何でも導入すれば必ず課題が出る。大事なのは課題が出ても、改善し続けることだった。
ルールの見直し、チャットボットの精度改善、FAQの追加、事例集のアップデート……改善を繰り返すたびにAI利用率は向上し、成果も上がっていった。失敗しても、すぐに次の取り組みに活かすこと。気がつけば、それが当間のサイクルになっていた。
そうしていくうち、社内でAIが日常業務の中に自然と溶け込んでいた。流通部の浅霧部長も、今では当たり前のようにAIを使っている。最初は「勉強は嫌だ」と言っていた人が、会議終了後にはAIで議事録を整理し、メールの返信文まで作らせているのだから面白い。
高城部長の開発部に至っては、もはや何でもAIを使っている。最初こそ全社AIへの切り替えに戸惑いがあったものの、すぐに波に乗って、現在に至るまで使用率は全部署で最高だ。
社内のAI利用率は100%に近くなり、グラフを見るたびに私は嬉しくなった。間違っていなかったのだと思えた。
そんなある日の経営企画会議だった。
「この施策、AIは活用しているのか?」
営業部の提案に対してそんな質問が飛んだ。
「こちらはAIを利用して市場分析を行っています」
「なるほどね」
会議はそのまま進んでいった。
その時は特に何も思わなかった。しかし、似たようなやり取りは少しずつ増えていった。
「AI活用の要素はありますか?」
「AIで効率化できませんか?」
「AIを使う前提で考えてみてください」
前向きな言葉だ。実際、AIによって成果を出している部署もたくさんある。業務時間も削減できたし、利益率も改善した。だからこそ、みんなAIに期待していた。
事業計画にもAI活用が盛り込まれるようになり、各部署の活動報告にもAI利用事例が求められるようになった。AIを活用していることが評価される。そんな空気が少しずつ社内に広がっていった。
もちろん悪いことではない。少なくとも私はそう思っていた。会社全体が前を向いているように見えたからだ。でも、今振り返ると、あの頃から少しずつ変わり始めていたのかもしれない。
AIは効率化の手段だったはずで、利益向上のための道具だったはずだ。それなのに、いつしか会議では別の問いが飛び交うようになっていた。
「それで、AIは使っているのか?」
私はその変化を、会社の成長だと思っていた。
コラム:なぜ日本企業はCopilotを選ぶのか
生成AIにはChatGPT、Gemini、Claudeなど様々な選択肢があります。その中で、多くの企業が最初の一歩としてMicrosoft Copilotを選ぶ理由は何でしょうか。
一番の理由は「既にMicrosoft製品を使っているから」です。
多くの企業では、メールにOutlook、Web会議にTeams、文書作成にWord、表計算にExcelを利用しています。これらはMicrosoft 365(M365)というサービス群の一部です。
Copilotは、それらMicrosoft製品と連携することを前提に作られています。
例えば、
・Teams会議の内容を要約する
・Outlookのメールを下書きする
・Wordで報告書を作成する
・Excelのデータを分析する
・SharePointから社内規定を検索する
といったことが可能です。
新しいシステムをゼロから導入するのではなく、既に使っている環境の延長線上で利用できるため、利用者の心理的なハードルも低くなります。
また、企業にとって重要なのは「管理のしやすさ」です。
個人利用であれば好きなAIを選べますが、企業ではセキュリティやアクセス権限、利用状況の把握なども考えなければなりません。
Microsoft製品で統一すると、ユーザー管理や認証基盤を共通化できるため、情報システム部門の負担も比較的小さくなります。あくまでも、比較的、ですが。
なお、誤解されやすい点として、Microsoft 365 CopilotはMicrosoft 365 E3やE5に自動で含まれているわけではありません。多くの場合、E3やE5などのMicrosoft 365契約を前提として、その上にCopilotライセンスを追加契約する形になります。
一方で、近年は一部のCopilot機能が対象ライセンス向けに標準提供されるようになっており、ライセンス体系は少しずつ変化しています。
そのため、「Copilotが使える」と言っても、どのライセンスを契約しているかによって利用できる機能は異なります。
生成AIの導入を検討する際は、「どのAIが優れているか」だけでなく、「今使っている環境とどれだけ相性が良いか」という視点も重要です。
参考:
Microsoft Learn「Microsoft 365 Copilot のライセンス オプション」 (Microsoft Learn)
Microsoft Learn「E3 ライセンスと E5 ライセンスの Copilot 機能比較」 (Microsoft Learn)
第4章 AIは便利。でも、人の責任は消えない
4-1 AIが作った資料でコンペ優勝できますか?
4-1-1 完璧な資料、完璧じゃない発表
AI導入プロジェクトが始まってから二年目の春を迎えた。私は相変わらずAI特命チームのリーダーをやっている。人員も少し増えた。問い合わせ対応や研修、ルール整備など、やることは山ほどあるけれど、会社の中でAIは確実に定着しつつあった。
そんなある日。御堂部長から呼び出された。
「栞ちゃん、今週の新人コンペ、一緒に出ようか」
「新人コンペですか?」
毎年開催される入社1年目の企画提案大会だ。各部署から選抜された新人が、会社の課題解決や新規事業案をプレゼンする。優勝者の企画は事業化されることもあるらしい。私は一年目のときは参加する余裕すらなかったので、実は見るのは初めてだ。
当日。会場には十組ほどの発表者が集まっていた。発表内容は様々だった。
営業支援ツール。
社内コミュニケーション改善。
物流効率化。
新商品企画。
どれも凄く考えられている。
その中で、私の印象に強く残った発表者が二人いた。
一人目は営業部の男性社員。資料を見た瞬間に分かる。上手い。圧倒的に上手い。図解、アイコン、イラスト、色使い、レイアウト、どれも洗練されていた。一枚見るだけで内容が頭に入ってくる。おそらくAIをかなり活用している。断定はできないけれど、私自身がAIをたくさん使ってきたから何となく分かる。資料全体からAI時代らしい匂いがした。
プレゼンも悪くない。堂々としていて、会場の反応も良かった。
「凄いなあ……」
私は思わず呟いた。
「完成度が高いね」
隣に座る御堂部長も頷いている。
もう一人は製造部の女性社員。こちらは正反対だった。資料の作りは、正直に言うとあまり上手ではない。文字が多く、図解は少ない。デザインも素人っぽいし、先程の資料と比較してしまうと見劣りする。
でも、不思議と話を聞いていると引き込まれる。現場で何が起きているのか、なぜ改善が必要なのか、どんな効果があるのか、一つ一つの言葉に説得力があった。資料は拙いが、内容は濃い。
私はメモを取りながら考えていた。どちらが優れているのだろう。資料の完成度なら前者、内容の理解度なら後者。評価軸によって答えが変わりそうだった。
全ての発表が終わり、審査員たちが採点を集計する。しばらくして結果が発表された。司会者が少し困ったような顔をしている。
「えー、集計の結果ですが……」
会場が静まり返る。
「一位が二名となりました」
どよめきが起きた。
私も思わず身を乗り出した。一位の名前が呼ばれると、それは私の予想通りだった。営業部の男性社員と製造部の女性社員。あの二人だった。
「なお、同点のため、これより追加質疑を行います」
会場の空気が少し変わった。私は二人を見た。営業部の男性社員は自信ありげなのに対して、製造部の女性社員は少し緊張しているように見える。
正直に言えば、この時の私は、営業部の男性社員が勝つだろうと思っていた。資料の完成度が違いすぎたからだ。しかし、その予想は数分後に覆されることになる。
4-1-2 資料は完璧なのに答えられない
追加質疑は、社長を含む審査員から行われた。
通常のプレゼンなら発表して終わりだ。しかし、今回は優勝者を決めなければならない。発表内容の精度や実現性、そのあたりまで踏み込んで確認するらしい。
最初に指名されたのは営業部の男性社員だった。
「この市場規模のデータですが、どちらの調査機関の数値ですか?」
社長が質問すると、男性社員は一瞬口籠った。
「えっと……」
会場が静かになる。
「資料の三ページ目です」
社長が補足する。男性社員は慌てて資料をめくった。
「あの……調べたんですが……」
歯切れが悪い。
「出典は覚えていません」
私は少し違和感を覚えた。まあ、細かい数字を忘れることはある。私だって全部覚えているわけではない。しかし、その後も似たようなやり取りが続いた。
「なぜ、この施策が最も効果的だと考えたのですか?」
「競合との比較は行いましたか?」
「導入コストはどの程度を想定していますか?」
質問が飛ぶたびに回答が曖昧になる。資料には書いてあるのに、説明できない。そんな印象だった。やがて会場も異変に気付き始めた。ざわざわと小さな声が聞こえる。
私の隣では御堂部長が腕を組んで難しい顔をしている。営業部の瀬名部長も、少し困った顔をしていた。
そして、誰かが小さく呟いた。
「AI丸投げなんじゃない?」
誰かが囁いたけれど、私は聞こえないふりをした。でも、同じことを考えていた。AIに丸投げしたのではないか。資料そのものは素晴らしい。しかし、その中身を説明できない。もしAIに「市場分析して」「提案資料作って」と指示して作らせたのなら説明がつく。
もちろん証拠はない。単なる推測だ。それでも。会場の空気は少しずつ変わっていった。
続いて製造部の女性社員の番になった。こちらは対照的だった。資料は地味で、図解も少ない。お世辞にも見栄えも良いとは言えないが、質問への回答は明快だった。
「なぜこの課題に注目したのですか?」
「現場で毎日発生しているからです」
即答だった。
「効果はどのように試算しましたか?」
「こちらのデータです」
資料には載っていない補足資料がAppendixから出てくる。
「導入時の課題は?」
「三つあります。一つ目は……」
そして一つずつ説明していく。話に無駄がない。資料には十分に表現されていなかったが、本人の頭の中には完成した構想が存在しているように思えた。
質疑応答が終わった頃には、会場の空気は完全に変わっていた。最初は営業部の男性社員が有利に見えていた。しかし、今は違う。評価者たちも悩んでいる。私も悩んでいた。
どちらが優秀なのだろう。AIが資料を作れる時代になった。だからこそ、何を評価するべきなのか分からなくなっていた。そして、その答えを誰もまだ持っていなかった。
4-1-3 AIを使ったことは罪じゃない
審査員たちの協議が始まった。
私は御堂部長の隣で採点表を見つめていた。正直に言うと迷っていた。営業部の男性社員の資料は本当に素晴らしかった。社内会議であれだけの資料が出てきたら、多くの人が感心するだろう。実際、最初の採点では高得点が並んでいた。
一方で、製造部の女性社員は違う。資料だけを見れば決して完璧ではない。でも、質疑応答を聞いた今となっては評価が変わる。現場を理解していて、自分の言葉で語れる。
私はペンを回しながら考えた。営業部の男性社員の問題は何なのだろう。AIを使ったことだろうか。それは違う気がした。だって、私たち自身がAIを推進して、業務に活用せよと言っているのだから。
今では会社中でAIを使っている。今さら「AIを使ったから失格」なんて話はないだろう。それなら私も会社員失格だ。
ふと、自分が新入社員だった頃を思い出した。初めて議事録をAIで作った日のことだ。作ったというか、作られたというか。あの時の感情は、恥ずかしさと驚き、そして感動だった。それは、自分で書くより上手だったから。だからこそ、困難を乗り越えて全社導入まで進めた。たかが議事録、されど議事録で、あのときAIに可能性を感じたのだ。
でも、議事録をAIが書いたからといって、会議の内容を理解しなくていいわけではない。会議で何が決まったのか、誰が何を担当するのか、なぜそうなったのか、そこは人間が理解しなければならない。
プレゼン資料も同じではないだろうか。資料を作るのはAIでもいいし、図解もAIでいい。文章もAIでいいかもしれない。でも、その内容を理解していないのは違う。
私は少しずつ考えがまとまっていった。問題はAIではなく、丸投げだ。AIを使ったことではなく、AIに考えることまで委ねてしまったこと。そこに違和感の正体があった。
「どう思う?」
御堂部長が聞いてきた。
私は少し考えてから答えた。
「AI利用は問題じゃないと思います」
御堂部長が頷く。
「俺もそう思う。業務利用は推奨されているからね」
「でも、自分で理解していないのはダメだと思います」
「そうだなあ」
短い会話だった。でも、お互いに同じ結論へ辿り着いていたらしい。AI時代になっても、いや、AI時代だからこそ、最後に評価されるのは人間なのかもしれない。資料をAIが作ったかどうかではなく、自分が考えたかどうか。理解したかどうか。説明できるかどうか。少なくとも私はそう感じていた。
ただ、その答えをどう評価に反映すればいいのかまでは、まだ分からなかった。
4-1-4 二人で作れば最強だった
協議の結果、優勝は製造部の女性社員に決まった。会場から拍手が起こる。私は素直に納得していた。質疑応答まで含めれば当然の結果だったと思う。彼女は自分の提案をよく理解していて、現場の声を反映していた。何より、自分の言葉で語っていた。
閉会後。参加者たちが帰り支度を始める中、私は営業部の男性社員に声を掛けた。
「少しいい?」
彼は悔しそうな顔をしていた。
「はい」
「残念だったね」
「まあ……仕方ないです」
そう言う割には納得していない顔だった。悔しいのは当然だろう、あれだけ完成度の高い資料を作ったのだから。
「資料、凄くよかったよ」
彼は少し驚いた顔をした。
「本当ですか?」
「うん、資料はね」
私はそう答えた。すると彼は少し黙った。たぶん、自分でも分かっているのだ。質疑応答で何が起きていたのか。そのとき、優勝した製造部の女性社員も近くにいた。
「ちょうどいいから聞くけど」
二人がこちらを見る。
「お互いの発表どう思った?」
製造部の女性社員が先に答えた。
「資料が凄くしっかりしてる、と思いました。私のよりも何倍も」
営業部の男性社員は少し照れたように笑う。
「ありがとうございます」
今度は営業部の男性社員が答えた。
「僕は内容が凄いと思いました」
製造部の女性社員が首を傾げる。
「そうですか?」
「はい。正直、質疑応答聞いてて負けたなって思いました」
お互いに相手を評価しているのだ。私はその様子を見ながら確信した。足りない部分は補える。
「こっちは中身がいい。でも顧客には伝わらん」
いつの間にか、御堂部長が隣に立っていて、製造部の女性社員の資料を指しながら言った。
「こっちは伝わる。でも、中身が薄い」
続いて営業部の男性社員の資料を持ち上げた。容赦のない評価に二人が黙る。
「その通りです」
営業部の男性社員は緊張気味に言った。
「ちょうどいい案件がある」
御堂部長はニヤリと笑いながら資料を机に置いてそういった。私は嫌な予感がした。御堂部長がこういう顔をするときは、大体誰かの仕事が増える。
「来月、営業部が顧客向けの提案会をやる。この提案、そこで使ってみろ」
製造部の女性社員が目を丸くした。
「えっ?」
「ただし、その資料じゃ無理だ」
今度は営業部の男性社員を見る。
「お前が手伝え」
「僕ですか?」
「そうだよ」
御堂部長は当然のように言った。
「内容は彼女のもので、資料はお前が作るんだ。二人で協力して」
しばらく沈黙が流れた。最初に口を開いたのは営業部の男性社員だった。「……面白そうですね」
「私もやってみたいです」
御堂部長は満足そうに頷く。
「決まりだな」
そう言って去っていった。強引だけど、悪くないと思った。むしろ楽しみだった。内容を考えられる人と、伝える形にできる人。どちらか一人では足りない。二人が組めばもっと良いものが作れるはずだ。
AI時代になっても。いや、AI時代だからこそ。一人ですべてを完結させる必要はないのかもしれない。私は並んで話し始めた二人を見ながら、そんなことを考えていた。
4-1-5 AI時代、人は何を評価されるのか
新人コンペが終わり、私は帰りの電車に揺られていた。窓の外には流れる街並み、スマホには先ほどの採点結果。そして頭の中には、あの二人の姿が残っていた。
少し前までなら、もっと分かりやすかった気がする。
資料作りが上手い人。
プレゼンが上手な人。
知識が豊富な人。
そういう人が評価されていた。もちろん今でも重要だ。でも、AIが登場してから状況が変わり始めている。
資料はAIが作れる。
文章もAIが作れる。
情報収集だってAIが得意だ。
少なくとも、昔よりはずっと簡単になった。では、人間は何を評価されるのだろう。私は今日の発表を思い返した。
営業部の彼は見せ方を知っていた。相手に理解させる資料を作る力があった。製造部の彼女は考える力を持っていた。現場を知り、課題を理解し、自分の言葉で語ることができた。
どちらが優秀なのだろう。きっと、どちらも優秀なのだ。足りない部分があるだけで。
AIを使ったかどうかは本質ではなく、重要なのは、その内容を理解しているかどうかだ。そして理解しているだけでも足りない。相手に伝えられなければ価値にならない。考える力、理解する力、伝える力、そういったものが、これからはもっと重要になるのかもしれない。
もっとも、その答えが本当に正しいのかは分からない。AIはまだ発展の途中だ。社会も企業も、私たち自身も変わり続けている。だから、評価の基準も変わり続けるのだろう。
ただ、今日の出来事を通して確信したことがある。AIは人間の代わりにはなれない。少なくとも、考えることまでは。
……と、何だか前向きなことを考えていたけれど、この時の私は、まだ知らなかった。本当に厄介なのは、AIに仕事を丸投げする人ではなく、AIを信じすぎる人たちだった。
4-2 AIが言ったんです
4-2-1 AI部長、爆誕
二年目の夏。
AI導入当初の混乱は落ち着き、新しいことというより、毎日のルーティンをこなすことにシフトしつつある。ようやく軌道に乗った。そんな風に思っていた頃だった。営業部から一件の相談が入った。
「橘さん、ちょっといい?」
訪ねてきたのは営業部の同期だった。どこか疲れた顔をしている。
「どうしたの?」
「瀬名部長の件なんだけど……」
私は少し身構えた。営業部の瀬名部長は、ここ最近すっかりAI肯定派になっていた。元々、新しいもの好きだったけど、AIの便利さを知ってからは特に顕著だった。営業資料、顧客分析、市場調査、提案書、あらゆる業務でAIを活用している。営業成績も伸びているらしく、社内でも成功事例として扱われ始めていた。
「何か問題でも?」
「いや、その……AIを使いすぎなんだよね。最近では、瀬名部長のこと、みんな裏ではAI部長って呼んでるよ」
私は思わず苦笑した。AI特命チームに対する相談としては、なんだか不思議な内容だった。
「使いすぎ?」
「レビューが大変なんだ」
営業部の同期はノートパソコンを開いた。営業部内で共有されている提案資料だった。コメント欄には瀬名部長のレビューが大量に並んでいる。
『AIによると、この市場規模は過小評価の可能性があります』
『AIによると、競合比較の観点が不足しています』
『AIによると、この顧客層への訴求は効果が薄いようです』
『AIによると、別の提案パターンも考えられます』
私は思わず声を漏らした。
「多いね」
「毎回こんな感じなんだよ」
同期は力なく笑った。
「でも、別に間違ってはいないんだね?」
「それが困るんだ」
彼はそう言った。
「AIがそう言っている以上、一応調べないといけない」
なるほど。私は少しずつ状況を理解した。従来なら上司がレビューコメントを書く。根拠も経験も上司自身のものだ。だから確認したければ本人に聞ける。なぜそう考えたのか、何を懸念しているのか、どこを見ればいいのか。しかし、今回は違った。
「AIがそう言っている」以上の情報がない。
「瀬名部長にソースを聞けばいいのでは?」
「聞いたんだ」
彼は即答した。
「そしたら、『AIがそう言ってるんだから、一回調べてみてよ』って」
私は頭を抱えたくなった。確かに瀬名部長らしい反応だ。悪気はないのだろう。むしろ、親切心かもしれない。でも、現場は大変だ。AIのコメントを検証するために調査する。調査した結果、正しい場合もあるし、間違っている場合もある。どちらにしても時間はかかる。
「しかも最近、部長のレビュー件数が増えてるんだよ」
「増えてる?」
「前はひとつの資料あたり二、三件だったんだけど、今は十件とか二十件とか指摘するようになってきて」
AIにレビューさせているのだ。人間なら気付かない観点も大量に拾ってくれる。だからコメント数は増える。それを確認するのは人間だけれど。
数日後。今度は別の社員が相談に来た。さらに翌週には別の部署からも似たような話が上がってきた。
『AIがこう言っています』
いつの間にか、その一言が強い説得力を持ち始めていた。誰もAIの意見を無視できない。しかし、AIの意見を確認するコストは誰かが負担しなければならない。便利なはず、効率化するはず、それなのに、なぜか現場は以前より忙しくなっている。
私は首を傾げた。AIを使うこと自体は間違っていない。営業部の成績も実際に伸びている。だから、止めろとも言えないし、私は推進する立場だ。けれど、どこかがおかしい。何かが少しずつズレ始めている。
そんな嫌な予感だけが、私の中に残っていた。
4-2-2 存在しないデータが会社を動かす
営業部の業績は目に見えて伸びていた。特にAIを積極的に活用している部署の数字が良かった。提案書の作成速度は上がるし、顧客分析も早く、営業担当者一人あたりが処理できる案件数も増えている。当然、社内の評価も高くなった。
『やっぱりAIだな』
そんな声も聞こえるようになる。すると、今度は別の問題が起きた。AIを使いこなせない人たちの焦りだ。営業部の中でもAIを使いこなしている若手社員と、従来のやり方を続けているベテラン社員との間に温度差が生まれ始めた。
『今どきAI使わないのは非効率ですよ』
『現場も知らないくせにAIに聞いてるだけだろ』
そんな会話が聞こえてくることもあった。以前は世代が違っても同じやり方で仕事をしていた。ところが今は違う。仕事の進め方そのものが変わり始めている。AIネイティブな若手には古いやり方を理解できない。その逆も然りだ。
空気も少しずつ悪くなっているようだ。そんなある日、営業部から緊急だという連絡が入った。
「橘さん、少し来てもらえませんか」
電話の向こうの声は慌てていた。
会議室へ向かうと、瀬名部長と営業部のメンバーが集まっている。全員の表情が硬い。
「何かありましたか?」
私が尋ねると、一人の営業担当者が資料を差し出した。顧客向けの提案資料だった。
「このデータなんですが……」
資料には市場調査の結果が掲載されていた。数字もグラフも自然だ。むしろ説得力がある。
「先方から元データを見せて欲しいと言われまして」
「それで?」
「見つからないんです」
私は一瞬意味が分からなかった。
「見つからない?」
「はい。調査機関名も書いてあります。出典もあります」
営業担当者は資料の一部を指差した。確かに出典が記載されていた。しかし、私が出典を検索してみても、元データはヒットしなかった。別の検索エンジンでも探してみても、結果は同じだ。
「そんな馬鹿な」
営業担当者は慌てて説明する。
「ちゃんと確認したんです。AIに市場調査を依頼して、出典付きで出してもらって、それを基に資料を作りました」
「出典も見たんですか?」
「見ました」
営業担当者は困惑した表情を浮かべた。
「その時は確かに存在していたんです」
私は資料を見つめた。内容自体はもっともらしく、数字も現実的だ。だから誰も疑わなかった。営業担当者も、上司も、瀬名部長も。そして顧客に提出される直前まで気付かなかった。しばらくして、私に着いてきた蓮くんが口を開いた。
「たぶん、ハルシネーションですね」
「ハルシネーション?」
「AIの嘘です」
その言葉に全員が反応した。
「嘘?」
営業担当者が顔を上げる。
「でも、それっぽかったぞ?」
瀬名部長が言う。
「だから危ないんですよ」
蓮くんは淡々と答えた。
「AIは分からないことを『分かりません』って言わないことがあります」
私は背筋が寒くなった。
新人コンペの時とは全く違う。あの時はAIに作らせた資料の中身を社員が理解していなかった。だから答えられなかった。今回は違う。営業担当者は理解していて、説明もできたし、出典まで確認したつもりだった。それでも騙された。
そしてその嘘は、会社の意思決定を動かしかけていた。便利な道具は成果を生む。でも、便利だからこそ疑わなくなる。私は営業部の面々を見回した。少し前までAI活用の成功事例として輝いていた人たちが、今は誰一人として笑っていなかった。
4-2-3 疑うことも仕事になる
「AIって、人間みたいに自信満々で嘘をつくことがあるんです」
なかなかひどい言い方だ。でも、だからこそ騙されるのかもしれない。……騙す?機械が、人間を?急にSFの世界に放り込まれたような気持になる。
「今回のケースは比較的分かりやすい方です」
蓮くんが続ける。
「AIが存在しない調査機関を作ったから発覚しました。でも、もっと厄介なのは本物の情報と嘘の情報を混ぜてくるケースですね」
私は思わず顔をしかめた。確かにその方が怖い。全部が嘘なら気が付けたとしても、九割正しくて一割だけ間違っていたらどうだろう。しかも、その一割が重要な部分だったら。
「つまり、AIは信用するなってことか?」
瀬名部長が腕を組んで言った。蓮くんは少し考えてから首を横に振った。
「違います。信用するなじゃなくて、鵜呑みにするなですね」
なるほど。似ているようで違う。
「電卓の計算結果は誰も疑いません。でも、Wikipediaの情報はどうでしょうか?人が書いた、もっともらしい嘘が混じっていることもありますよね。AIも同じで、それっぽい文章を作るのが得意なんです」
「じゃあ、どうすればいいんだ?」
誰かがそう呟いた。
「結局は、人間が確認するしかありません」
会議室の空気が少し重くなる。誰もが期待していたのだろう。AIが全部解決してくれる方法を。でも、そんな都合のいい話はなかった。
「出典があるなら出典を見る。数字があるなら元データを見る。統計なら調査機関を見る。重要な判断は一次情報に当たる。今までと変わりません」
もっと新しい答えが出てくると思っていた。でも、考えてみれば仕事の基本は変わっていない。情報を得て、根拠を確認して、最終的に判断する。AIが出てきても、その部分は人間の仕事のままということだ。
瀬名部長がしばらくして口を開く。
「俺、ちょっと勘違いしてたかもしれないな」
全員の視線が集まる。
「AIが優秀だから、AIに何でも任せられると思っていた」
瀬名部長は苦笑いした。
「便利だからな。つい」
その言葉に営業部の面々も頷いている。誰も責めることはできなかった。便利だから、成果が出るから使う。それ自体は間違っていない。問題は、その先だった。
私はふと思い出した言葉があった。昔、インターネット掲示板で一世を風靡した有名な言葉だ。
『嘘を嘘と見抜けない人には難しい』
元々はインターネット上に書き込まれる情報について語った言葉だった。でも、今のAIにもそのまま当てはまる気がした。AIは時には嘘をつき、時には存在しない情報を作る。だから必要なのは、AIを使う力だけではなく、AIを疑う力だ。
AIを使い、AIを活かす。そして、AIを疑う。この三つが揃って初めて、本当の意味でAIを使えると言えるのだろう。便利な道具は会社を変える。でも、使い方を間違えれば組織そのものを壊してしまうのだ。
4-3 正しいのに炎上した
4-3-1 炎上したのはポスターではなかった
AI特命チームになって二年目の秋を迎えていた。最近は問い合わせフォームを開いても緊急案件がほとんどない。もちろん相談は来るけれど、それは導入当初のような混乱とは違った。
「こういう使い方はできますか」
「この業務にも適用できますか」
「プロンプトを作ったので共有したいです」
そんな前向きな相談が中心になっている。各部署にもAI担当者が育ち始めていた。以前なら私や蓮くんのところに集まっていた問い合わせも、現場で解決できることが増えている。AIは特別な技術ではなく、少しずつ日常の道具になり始めていた。少なくとも社内では。
ある日の昼休みだった。コンビニで買ったサンドイッチを食べながらメールを処理していると、総務部の後輩が慌てた様子で駆け寄ってきた。
「橘さん、見ました?」
「何を?」
「これです」
差し出されたスマホの画面にはSNSが表示されていて、そこには見覚えのある画像が映っている。
東京ビッグサイトで開催されている展示会。その会場に掲示された当社の大型ポスターだった。今年の目玉である新商品の広告だ。売上も好調で、社内でも期待されている製品だった。タイムラインに流れる文章を見て、私は眉をひそめる。
SNSにはコメントが次々と並んでいた。投稿には大量の引用と返信が付いていて、しかもリアルタイムで増え続けていた。
「何これ……」
私は思わず呟いた。
ポスターを見直しても、特段不自然な点は見当たらない。
著作権侵害の指摘があるわけではない。
製品情報が間違っているわけでもない。
誰かを誹謗中傷しているわけでもない。
何が問題なのか、すぐには分からなかった。
午後になる頃には会社全体が慌ただしくなっていた。私も御堂部長に付き従って会議室に入る。既に会議室にはそれなりの人数が集まっていた。
会議室のプロジェクターには問題のSNSの画面が映し出されていて、更新するたびに元ポストのインプレッションが増えていく。どうやら、おぼろげながら掴めてきたのは「ポスターにAIを使っている」ことが火種のように見えるということだった。
「これ、本当にAIを使ったのか?」
御堂部長が尋ねる。
「まだ確認中です」
瀬名部長が答えた。
「制作は外部の広告代理店ですので」
誰かがあまり意味のないことを言った。
誰が作ったのかは、もはや関係ないだろう。うちの会社の商品が写っていて、うちの会社のポスターが炎上しているのだから。改めて法務の確認が走ったけれど、ポスター自体には法的には問題が見当たらない。それなのに炎上している。
そうこうしているうちに、SNSのトレンドに入った。
『商品PRポスターに生成AI疑惑!?』
私はスマホを机に置き、小さく息を吐く。そして思った。これは今まで経験したことのない種類の問題かもしれない、と。
4-3-2 法律上は問題ない。でも……
翌日には事実確認が終わった。結論から言うと、AIは使われていた。広告代理店の担当者も素直に認めた。
「申し訳ありません。御社製品の画像を基に生成AIで加工しています」
この人も、何に謝っているか曖昧だろう。炎上したからクライアントには謝罪しないといけないけれど、何がダメだったのかは今一つ判然としない。
私は資料を読み進めた。広告代理店から提出された制作工程には、元となる製品写真と加工前後の画像が添付されている。確かにAIは使われていたけれど、別に見栄えが悪くなっている訳ではない。
「これ、何がダメなんですか?」
営業部の社員が聞くと、広報担当者も困った顔をしながら答えた。
「それを今調べています」
製品は自社製品で、著作権も商標権もうちの会社が持っている。誰かの作品を勝手に学習させたわけではないし、他社の商品を盗用したわけでもない。いわゆるAIの無断学習などの問題には当たらないはずだ。
そもそも広告というのは昔から加工するものだ。写真を撮るときは照明を調整するし、背景を整える。撮影後は色味を補正するし、不要なものは削除する。PhotoshopやIllustratorを使って見栄えが良くなるように加工するのは当たり前だ。
今回やったことも、その延長線上にしか見えなかった。
「法律上は問題ありません」
法務担当者が資料を開きながら言った。
「少なくとも現時点で違法性は確認されていません」
会議室に少し安堵の空気が流れるものの、事実として炎上している。
「じゃあ何が問題なんだ……」
瀬名部長が投げかけても、誰も答えられない。
違法でもなく、権利侵害でもない。それなのに批判されている。私はモニターに映るSNS投稿を見つめた。そこには法律の話などほとんど書かれていない。
『AIばっかり使うな』
『クリエイターの仕事を奪うな』
『ものづくり企業なのに残念』
これは、感情の問題なのかもしれない。私は少し考え込んだ末に、ふと別の疑問が浮かんだ。そもそも、なぜAIを使ったのだろう。普通に写真加工をすれば良かったのではないか。わざわざAIを使う必要があったのだろうか。その答えは意外なところにあった。
広告代理店との打合せ記録を確認していると、営業担当者の発言が残っていた。
『当社はAI活用を積極的に推進しています』
『AI活用事例として社外にもアピールできると良いですね』
社内で何度も聞いてきた言葉だった。それを聞いた広告代理店は、良かれと思ってAIを使ったのだろう。当社の方針に合わせ、顧客の期待に応えようとした。そこに悪意はない。むしろ真面目に仕事をした結果、AI利用につながっていた。
私は少し前のことを思い出す。導入初期の頃、会議ではよくこんな質問が飛んでいた。
『それ、AI使ってるの?』
何をするにも聞かれていた。AIを使っていること自体が評価される空気があったのだ。効率化のため、利益向上のため、業務改善のため。本来はそのためのAIだったはずだ。それがいつの間にか、AIを使うこと自体が目的になっていなかっただろうか。
会議室の窓の外を見ながら、私は少しだけ嫌な予感がした。今回の炎上は著作権の問題ではない。法律の問題でもない。もっと厄介な何かが隠れている気がしていた。
4-3-3 企業のAIとの付き合い方
炎上から三日後。連日の対策会議が開かれていた。SNS上の騒ぎは少し落ち着いていたが、依然として批判的な投稿は続いている。
「現在の状況ですが、否定的な投稿が全体の約7割です」
広報担当者が資料を映した。
「ほとんどがクレーマーじゃないですか?」
「正直、無視でいいと思います」
「違法じゃないんですよね?」
「だったら問題ないでしょう」
営業部の空気は概ねそんな雰囲気だった。実は、私も最初はそう思っていた。でも、ここ数日、SNSの投稿を一つひとつ読んでいくうちに、少し考えが変わっていた。感情だけではなく、様々な建設的な意見も飛び交っていたのだ。
「全部がクレームというわけでもないと思います」
私がそう言うと、何人かがこちらを見た。画面を切り替え、比較的冷静な投稿をまとめたものを投影する。
『AI画像が増えすぎて、本物の写真が探しにくくなっている』
『検索結果が生成画像だらけになるのは困る』
『資料として利用したいのに、どれが実物なのか分からない』
『AI利用の有無は表示してほしい』
「こういう意見もあります」
会議室が少し静かになる。私は続けた。
「今回の件とは直接関係ないかもしれません。でも、全部が感情論というわけでもないと思うんです」
瀬名部長が腕を組んだ。
「なるほどな」
「実際、最近は生成AIの画像を見かけることも増えましたし」
少し前までは写真やイラストを見れば大体区別できた。でも、最近は難しい。私だって見分けられないことがある。
「それから、AIが作った画像をAIが学習することも問題視されはじめています」
「どういうことだ?」
「生成AIの画像が大量に増えると、本物に辿り着きにくくるという問題です。オリジナルが探しにくくなるというか」
AIが便利だからといって、世の中の情報すべてがAI生成物になれば良いわけではない。本物には本物の価値があって、一次情報には一次情報の価値がある。会議室の空気も少し変わってきていた。最初のような「無視でいい」という雰囲気ではなくなっている。
その時、御堂部長が口を開いた。
「法律と信頼は別だ」
全員が御堂部長を見る。
「今回、法的には問題ない」
誰も反論しない。
「だが、だからと言って相手が納得するとは限らない。企業は法律だけ守っていればいいわけじゃない。顧客の信頼も必要だ」
私はその言葉に納得した。AIを使うこと自体は問題ではない。でも、それをどう受け止めるかは人によって違う。そして企業は、その感情とも向き合わなければならない。
会議は予定時間を大きく超えて続いた。反AIを無視するべきなのか。説明するべきなのか。利用を控えるべきなのか。意見は最後までまとまらなかった。ただ一つだけ、全員が共有できたことがある。AIという技術を、人々がどう受け止めるのか。その価値観の衝突だった。
そして、それは私たちがこれまで向き合ってきた問題よりも、ずっと難しいものだった。
4-3-4 それでもAIを使い続ける理由
反AIの声を無視するべきか、説明をするべきか、AI利用を控えるべきか、様々な意見が飛び交った。翌週、社長を含めた会議で最終方針が決まることになった。
当日、私は御堂部長と一緒に会議室へ向かった。社長を筆頭に部長たちが席についている。今回の炎上は会社としても無視できない規模になっていた。広報担当が状況を、法務担当が法的リスクを、営業部が顧客からの問い合わせ状況を説明した。
一通り報告が終わった後、社長が口を開いた。
「今回の件を機に、AI利用をやめるべきだと思う人はいるか?」
誰も手を挙げなかった。少し意外だった。もっと保守的な意見が出るかと思っていたのだ。
「では、隠して使うべきだと思う人は?」
今度も誰も手を挙げない。まあ、これは当然だと思う。企業として、社会に対して何かを隠れてやるというのは、露見したときの印象が悪すぎる。しばらく沈黙が流れた後、最初に発言したのは御堂部長だった。
「使わないのは機会損失です。当社はAIによって実際に業務効率を改善しています。利益にも貢献していて、競争力の強化にもつながっています」
御堂部長は淡々と答えた。他の部長たちも同意するように頷いている。これはもう事実だった。導入当初は賛否もあったけれど、今では誰もが恩恵を受けている。
「しかし、感情や派生する影響も無視できません。法律を守っているから説明不要という考え方も危険です」
御堂部長は続けた。誰かを敵にするような議論にならずに済んで、私は少し安心していた。
「つまり?」
社長が問う。
「責任を持って使うべきだということです」
責任を持って使う。それはAI導入を始めてから何度も向き合ってきたテーマだった。
AIに丸投げしない。
AIを盲信しない。
最後は人間が判断する。
ずっと繰り返してきたことだ。
「なるほどな」
社長が椅子にもたれかかり、そして少し笑った。
「結局、今までと同じか」
私はその言葉に思わず頷いていた。技術は変わる。道具は変わる。でも、責任の所在は変わらない。
会議の最後に声明文の方針が決まった。
当社はAI技術を積極的に活用する。それによって業務効率化と製品価値向上を目指す。一方で、利用にあたっては法令を遵守し、社会的な信頼にも配慮する。そして最終的な判断と責任は人間が負う。そんな内容だった。
炎上は数週間かけて少しずつ落ち着いていった。全員が納得したわけではない。批判も残った。それでも会社としての方針は定まった。
AIを捨てず、かといってAIを神様のようにも扱わない。便利な道具として使う。ただ、それだけだ。
会議の帰り道、私はエレベーターの中でふと思った。AI導入が始まった頃、私たちが向き合っていたのは技術の問題だった。その次は運用の問題だった。そして今、向き合っているのは社会や人との関係だ。AIは便利だ。でも、便利なだけでは終わらせられない。使い方を考えること、責任を持つこと、周囲と対話すること。それもまた、AIを使うということなのだろう。私はそう思いながら、自分のデスクへと戻った。
第5章 それでも、最後に決めるのは人間
5-1 AI導入を導入した会社の姿
5-1-1 瀬名は今日もAIに聞いている
「栞ちゃん、ちょっといい?」
営業部に顔を出したある日、瀬名部長に呼び止められた。
「競合他社の動きについてAIに調べさせるプロンプトを作ってみたんだけどさ、見てよ」
そう言って差し出された資料には、競合分析の結果だけでなく、その根拠となる業界レポートやニュース記事のURLまで添付されていた。以前は「これ調べといて」で有名な瀬名部長だったけど、今は違う。AIで下調べを済ませ、自分なりに整理し、それでも分からない部分を聞いている。
営業部からは別の意味で悲鳴が上がっていた。
「最近の瀬名部長、前より大変なんですよ」
若手社員が苦笑しながら言った。
「前は『調べといて』だったんですけど、今はAIで調べた結果を持ってくるんです」
「それの何が大変なんですか?」
「いや、その資料がもう完成度高いんですよ。反論するなら、ちゃんと根拠を出さないといけないんです」
なるほど。以前なら一日かけて調べていた内容が、今では数分で整理される。しかも、出典や見解までついてくる。部長というのは本来、地頭の良い人たちがなるものだ。そこにAIという優秀な補佐役が付く。部下からすると、部長の後ろにコンサルタントが一人立っているようなものだった。
もちろん、瀬名部長にも失敗はあった。
以前、「AIが言っていた」を理由に会議を混乱させたこともあるし、存在しないデータを信じかけたこともある。でも、だからこそ変わった。今の瀬名部長はAIを信じていない。正しく言うなら、AIを使いながら疑っている。
「それ、本当?」
「元の情報は?」
「一次情報ある?」
最近の口癖だ。便利な道具を使うことと、盲信することは違う。そのことを、瀬名部長は身をもって学んだのだろう。以前より手間は増えたかもしれない。でも、以前よりずっと建設的な会話になっていた。
5-1-2 AIを好きになった人はいなかった
当初、AIに興味を持たなかった人たちもたくさんいる。その代表が流通部の浅霧部長だった。
「最近どうですか?AI、使われてます?」
私が流通部を訪ねると、浅霧部長はモニターから目を離さずに答えた。
「使ってるよ、便利は便利だからね」
即答だった。私は思わず笑ってしまった。
導入当初、浅霧部長はAIにほとんど興味を示さなかった。研修も嫌いだし、できれば今まで通りやりたい。そんなタイプだった。
しかし、今では社内でも有数のAI活用者になっている。理由は単純で、楽だから。流通部では商品の発注や在庫管理を行っている。以前は営業部から販売予測をもらい、倉庫の在庫を確認し、過去実績を見ながら来月の製造部への発注量を考えていた。今ではAIが過去実績や受注状況をもとに複数の予測パターンを提示してくれる。
もちろん最終判断は人間だ。だけど、ゼロから考える必要はなくなった。
「前は2時間かかっていた仕事が10分で終わる。外れたら困るから最後は見るよ。でも、たたき台があるだけで全然違う」
浅霧部長が言った。
「この前の発注予測のやつ、評判良かったですね」
最近では流通部の成功事例を社内ポータルに投稿する常連になっていた。「そう?」
「かなり見られてましたよ」
「へえ」
本人はあまり気にしていないようだった。
一方で、製造部の岩倉部長も少し変わった。もっとも、こちらは今でもAI推進派ではない。
「私は今でも好きじゃないわよ」
定例会議でそう言い切った。
「ですよね」
「でも便利なのは認める」
製造部では生産計画の検討にAIを使うようになっていた。
営業予測、在庫状況、設備の稼働率、そうした条件を踏まえ、AIが複数の計画案を提示する。以前は会議室に集まり、数時間もかけて検討していた。今では候補案を見ながら検討できる。
「会議時間は半分以下になったわ。成果が出るなら使う。それだけ」
岩倉部長はそう認めた。
私は導入当初、大きな勘違いをしていたのかもしれない。みんなにAIを肯定的に捉えてもらわなければいけない。そう思っていた。でも違った。便利だから、役に立つから使う。それだけでよかった。
人間が仕事をする上で必要になった新しい技術。その一つにAIが加わるだけで、何も新しいことはない。そして、その考え方が定着した頃には、流通部と製造部をまたぐ業務の流れそのものが少しずつ変わり始めていた。
5-1-3 高城部長の「やるじゃん」
流通部と製造部で成果が出始めると、次はそれを全社へ広げる話になった。
発注予測
生産計画
在庫管理
それぞれ別々に管理していた情報を、部門をまたいで見られるようにしたい。そんな話が持ち上がったのだ。
「せっかくなら繋げちゃえばいいんじゃないですか?」
とりあえず、AI推進者である私が言い出してみることにした。言うのは簡単だけど、実際にやるのは大変である。部署ごとに管理方法も違うし、使っている帳票も違う。何より、それぞれが自分たちのやり方に慣れている。
それでも少しずつ調整を重ね、流通部と製造部が共通で利用できる管理画面と運用フローを作った。これまで別々に管理されていた情報が、一つの画面で見られるようになった。
……ちなみに、半年かかった。
一連のAIによる予測・管理のプロトタイプはすぐに作れたのだけど、それを実運用に載せるためのヒアリングやフローの整理に時間がかかるし、現場の混乱なく回せるようにするための試行運用にも時間を取られた。
「便利ですね」
「便利ね」
浅霧部長と岩倉部長が同じ感想を口にした。そこまでは良かった。問題はその先だった。
「これ、開発部でも使えそうだね」
浅霧部長が何気なく言うと、その場の空気が少しだけ止まった。
開発部。高城部長の領域だ。高城部長は最初からAIを使っていた。私たちよりもずっと前から。だからこそなのか、あまり社内活動には積極的に出てこなかった。
今さらAI導入だ、活用だと言われても、自分たちは既にやっている。そんな考えもあったかもしれない。私は思い切って高城部長のところへ向かった。
「高城部長、こちらを見ていただけますか」
私がノートパソコンを差し出すと、高城部長は黙って画面を見た。スクロールして、いくつか画面を戻り、さらに別の画面を開く。数分が経ったけれど、高城部長の表情は変わらず、感情は読み取れない。
「どうですか?」
私が恐る恐る尋ねる。高城部長はしばらく考えたあと、はっきり言った。
「開発部でも使えるな」
思わず胸をなで下ろす。
「ですよね」
「流通と製造だけで終わらせるのはもったいない」
そう言うと、高城部長は画面を閉じた。そして私を見た。
「橘」
「はい」
「やるじゃん」
そう言って高城部長は仕事に戻った。たった一言、でも、ずいぶんと嬉しかった。高城部長は最初から私たちのずっと先を走っていたはずで、その人が認めてくれた。
流通部と製造部で生まれた取り組みは、その後開発部も巻き込みながら全社へ広がっていった。振り返ると、AIを導入したことそのものが成果だったわけではない。部署を超えて協力するきっかけになったこと、それこそが、一番大きな変化だったのかもしれない。
5-2 AI時代の働き方
5-2-1 仕事はなくならなかった
「AIが普及したら、仕事はなくなるんですか?」
AI特命チームのリーダーになってから、一番多く聞かれた質問だ。
正直なところ、私にも分からない。十年後や二十年後の未来なんて誰にも予測できない。ただ、数年ほど社内でAI導入を進めてきた立場から言えることはある。少なくとも、私たちの会社では仕事はなくならなかったし、むしろ増えた。
もちろん変化はある。世の中にはAIの登場によって価値が薄れる仕事もあるだろう。かつてタイピストという職業があった。ワープロ専任担当がいる時代もあった。今では見かけないのは、パソコンが普及したからだ。
電話交換手もそうだし、駅の改札の切符切りもいなくなった。2026年3月、自動改札が導入されていない最後の県庁代表駅である徳島駅に、上期中に導入する発表がなされたのは記憶に新しい。
技術が進歩すれば役割を終える仕事は確かに存在する。でも、それは人が不要になった訳ではない。仕事の内容が変わっただけだ。
少し前まで、パソコンが使えることは特技だった。Excelが使える人は重宝され、PowerPointで資料を作れる人も評価された。しかし、今では違う。それは特技ではなく、会社員なら使えて当たり前の道具になった。
AIも同じ道を辿るのだと思う。最初は一部の人だけが使い、使える人が評価される。そして、徐々に広がっていき、いずれは使えること自体が特別ではなくなる。
だから私は、AIを使える人が生き残るとは思わない。様々な技術が社会に浸透していったように、ほとんどの人は環境の変化に合わせて少しずつ新しいものを使える使ようになる。
実際に社内を見渡してもそうだった。AI反対派だった岩倉部長は製造計画でAIを使っている。興味がないと言っていた浅霧部長は、誰よりも業務にAIを組み込んで楽をしている。瀬名部長はAIを盲信して失敗したあと、AIを使いこなし、若手も目を剥く使い手になった。
人間というのは思っている以上にしぶとい生き物だ。環境が変われば文句を言し、困ったこともする。でも、最後には案外順応する。AIが浸透しても、仕事はなくならない。ただ、仕事のやり方は変わる。
これが私の学んだ1つ目のこと。
5-2-2 AIで生まれた時間はどこへ行ったのか
「AIを導入すれば仕事が楽になる」
これも、よく聞いた言葉だった。実際、その通りだと思う。
議事録は自動で作られる
メールの下書きも書いてくれる
資料作成も早くなる
情報収集も一瞬だ
以前なら数時間かかっていた仕事が数分で終わることも珍しくない。では、その浮いた時間はどこへ行ったのだろう。私たちの会社の場合、その答えはとてもシンプルだった。
新しい仕事が入ったのだ。
以前は顧客先へ行くのに往復一時間かかっていた。移動して、打合せして、帰ってくる。その後に議事録を書き、上司へ報告し、宿題を整理する。今思うと、ずいぶん余白のある働き方だったように思う。
それがコロナ禍とAIの普及によって、仕事の形が変わった。移動時間はなくなり、会議が終わればすぐ次の会議が始まる。そして、AIが議事録を作ってくれる。
効率化だ。間違いなく効率化だった。でも、その結果として一日の予定は以前よりも密になった。空いた時間に別の仕事を入れるからだ。一時間浮いたら一時間休むのではない。一時間分、新しい予定が入る。
人間というのは不思議な生き物で、余裕ができるとその余裕を埋めようとする。AIによって生まれた時間も例外ではなかった。効率化したはずなのに、忙しい。そんな声を社内で何度も聞いた。
最初は矛盾しているように思えた。でも違う。効率化とは暇になることではない。同じ時間でより多くの仕事ができるようになることだ。だから、忙しくなるのは、ある意味で当然だった。
私はAI特命チームの仕事を通じて、もう一つ大切なことを学んだ。余白は自然には生まれない。意識して作らないと消えてしまう。
会議と会議の間に10分の休憩を入れる。
考えるだけの時間を確保する。
すぐに返信しなくてもいいものは後回しにする。
そんな些細なことが、以前よりずっと大切になったように思う。AIは仕事を速くする。でも、人間が考える速度まで速くなる訳ではない。むしろ、判断や創造のような本質的な仕事ほど、考える時間が必要になる。
AIが文章を書いてくれる時代だからこそ、何を書くべきかを考える時間が重要になる。AIが調査してくれる時代だからこそ、その情報をどう使うかを考える時間が必要になる。本当に価値のあることに使える時間を増やすための手段が、AIなのだ。
これが、私が学んだ二つ目のこと。
5-2-3 AI格差は無くならない
「AIを使える人が生き残る」
そんな言葉を耳にすることが増えた。でも、私は少し違う考えを持っている。AIを使えること自体は、いずれ強みではなくなる。むしろ、使えないことが弱みになる。
今の会社で「私はパソコンが使えません」と堂々と言う人はいない。そんな人は仕事にならないからだ。今はまだ「AIを使っています」というだけで先進的に見える。でも、それは過渡期だからだ。数年後には、AIを使うことは当たり前になるだろう。
ただし、同じ「AIを使える」でもレベルの違いはある。
第一段階は、日常業務でAIを使う人だ。議事録、メール、情報収集など、AIをツールの延長線上で利用する人たちのこと。
第二段階は、自分の専門業務にAIを組み込む人だ。営業なら提案資料、マーケティングなら市場分析、製造なら生産計画……単なる効率化ではなく、自分の専門知識とAIを組み合わせて成果を出す人たち。
そして第三段階、業務プロセスそのものを変える人たちだ。課題を見つけ、改善策を考え、仕組みを作る。そして、運用する。昔ならコンサルタントとシステムエンジニアと現場担当者が別々に担っていた役割を、数百万円、数千万円かけて外注していた作業を、一人または少人数で実現してしまう。
AIを使えること自体は、近いうちに特別な能力ではなくなる。でも、その活用レベルには差が生まれる。特に第三段階の人たちは大きな価値を創造するだろう。
5-2-4 エンジニアは要らなくなるのか?
結論から言うと、むしろ今まで以上に「AIが使えるエンジニア」は重宝されるだろう。生成AIは万能ではないけれど、「だいたい」を作るのが得意な道具だ。
八十点の資料。
八十点のプログラム。
八十点の分析。
それらは驚くほど簡単に作れる。でも、その八十点を百点にするのは難しい。実際、私も何度も経験した。AIに指示を出すと、惜しいものが返ってくる。修正を依頼すると、また少し違うものが帰ってくる。それを繰り返すうちに、気付けば結構な時間が経っていたりするものだ。
思い通りの成果を得るには、結局こちら側が何を求めているのかを正確に言語化しなければならない。
これはプログラミングにも少し似ている。コンピュータに何かをさせたいとき、条件は何か、例外は何か、ゴールは何か、そうしたことを論理的に整理する能力が求められる。
だから、AI時代になってもITスキルを持つ人は有利だ。ただし、何かを実現するための敷居は、以前よりも圧倒的に低くなった。プログラミング言語を覚えなくても、高度な専門知識がなくても試すことができる。論理的に考えられる人なら十分戦える世界になった。
最近ではAIへの指示の出し方についても、さまざまなフレームワークが登場している。
役割(ロール)
目的(ゴール)
出力形式(アウトプット)
評価基準
制約条件
AIに指示する時に、ひと工夫をするだけで結果は大きく変わる。そして、最近になって新しい課題も見え始めた。
当たり前だけど、AIにもコストがある。一般人が使うなら、月に3,000円のChatGPT Plusに課金すれば十分だ。GeminiでもCopilotでも同じくらいのお金を払えば、十分に利用できる。
しかし、ビジネスで使うより高度なモデルになると話は別だ。利用量(トークン)に応じて課金されるものもある。そうなると、AIを上手く使える人には直接的な経済価値が生まれる。
一回で欲しい結果を得られる人。
十回やり直してようやく辿り着く人。
同じ成果でも、かかるコストは十倍違う。実際、企業によっては高度なAIモデルの利用を一部の人材に限定する動きも始まっている。高性能だから全員に使わせる。そんな単純な話ではないのだ。
考えてみれば、これは昔から同じだった。ノートパソコンよりもスーパーコンピュータを使ったほうが何をするにも早いだろう。でも、誰もが富岳や京を使うことはできないし、そもそも不要だろう。Officeが使えれば十分な人が大半だ。
一般の会社員である私たちは、まず日常業務でAIを使えるようになることが大切なのだと思う。まずは毎日使ってみて、AIを日常にすること。パソコンやスマートフォンに慣れたように、AIにも慣れること。それがAI時代の第一歩なのだろう。
そして、その先に進みたい人には、もっと広い世界が待っている。
5-3 私が最後に理解したこと
ある日の夕方、私は御堂部長に呼ばれた。
「AI特命チームは今期で解散だ。お疲れ様」
御堂部長は缶コーヒーを一本投げてよこした。
「ありがとうございます。私、しっかりできましたかね?」
「新人時代から3年、よくやったよ。AI特命チームは晴れて、常設の担当に格上げだ。栞ちゃんも来期からは主任、よろしくね」
「会社もずいぶん変わりましたね」
「変わったな」
「みんなAIを使うようになったし、仕事のやり方も変わりました」
御堂部長は少しだけ考えるような顔をした。そして言った。
「会社を変えたのはAIじゃない」
私は首を傾げた。
「じゃあ何ですか?」
御堂部長は当たり前のことを言うように答えた。
「栞ちゃんたちだよ」
思わず言葉を失った。
「AIを導入したのも、ルールを作ったのも、失敗したのも、改善したのもね」
御堂部長は缶コーヒーを一口飲んだ。私はこれまでの出来事を思い返した。
抵抗のあった岩倉部長。
興味がなかった浅霧部長。
盲信した瀬名部長。
最初から使いこなしていた高城部長。
そして、右も左も分からなかった私。AIが変えたように見えていた。でも、本当は違う。みんなが悩みながら考えて、失敗して、少しずつ変わっていったのだ。
「AIを使った人間が変えたんだ」
御堂部長が静かに言った。私はその言葉を反芻した。
気付けば当たり前に使っていて、なくなると困る。AIはそんな存在になるだろう。ただ、一つだけ変わらないことがある。最後に責任を持つのは人間だ。
決めるのは人間で、実行するのも人間。責任を負うのも人間だ。だから、本当の意味でAIを使える人とは、AIを使いながら、自分で考え続けられる人だ。
私は窓の外を見た。
「AIを導入したら、会社が壊れました」
無秩序利用があったり、運用が崩壊したり、炎上したり、必死でAI推進をする中で私は、本気でそう思っていた時期もある。
でも、今なら分かる。AIはただのツールであって、これからも今までどおりの日常が続いていくのだ。今日も、明日もまた、私はAIを使う。人間として考えることをやめないことを忘れずに。
おわりに
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