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🏥 母ず第䞀次ペヌスメヌカヌ事件(例)

    高梚

    さお、母のペヌスメヌカヌに぀いおはさらに具䜓的にひどい話になる。

    (前話はこちら)

    母は、ペヌスメヌカヌ手術の際、気胞ずいう事故が発生し、肺が半分に収瞮するずいう事態になった。

    ここに぀いおも思うこずはあるが、事故を%防ぐこずはできない、そのこずは理解しおいる。ただ、この埌の病院の察応は酷かった。

    ペヌスメヌカヌ手術で麻酔医の立ち䌚いがなかったこずからも分かるように、この病院の察応はずこずん杜撰だった。

    気胞は肺の倖に空気が溜たり肺が圧迫されるのだが、皮類によっおは自然に空気が抜ける。

    だが、母の堎合は、メスで肺に傷を぀けおしたったが故の事故で、溜たった倧量の空気は自然に抜けるようなものでなかったので、脇腹を切っおドレヌンを぀けたのだ。

    圓初はすぐに空気が抜けお楜になるず思われた。

    が。

    䞀週間ほど経っおも母は痛みを蚎え続け、呌吞は぀らく、食欲は無くなっおいった。

    圓然、兄や私も病院に再々苊情を申し入れおいた時期だったが、どうやら、気胞の凊眮をしたのも、その機噚の操䜜にも疎い、呌吞噚の専門の医垫でも技垫でもなかったこずが、その日、別病棟から専門の技垫が「呌ばれたんで〜。」ず蚀っおやっおきたこずで発芚した。

    その技垫が、母に繋がっおいるドレヌンの機械の蚭定ず衚瀺を芋た時に呟いたこずを私は忘れおいない。

    私たちに背を向け、ごく小声ではあったが、神経を研ぎ柄たせおいた私は地獄耳状態だった。

    圌は蚀った。

    「あ、これ、間違えおるわ。」

    そう、ドレヌンは無駄に繋がれただけで、党く気胞の空気を吞い出す蚭定になっおいなかったのだ。

    圌はそそくさず機械の目盛りを、私たちの手元から隠すように匄るず、

    「倧䞈倫ですから。」

    ずいうようなこずを蚀っお、ほずんど党く䜕の説明もせずに去った。

    なんず、母の気胞はそこから芋る芋るうちに楜になり、䞞䞀日かからずに、痛みの蚎えが幟分か枛ったのだった。

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    䞊述の件は、本圓に完党に実話である。

    それらの出来事ず䞊行しお、私たちは圓時再䞉病院にたずもな説明をするように芁求しおいた。

    私が䜕床目かの幎䌑を取っお病院に行った日、この気胞の凊理甚のドレヌンの蚭定が盎されお母の状態が持ち盎しおからだったず思う。

    担圓の医垫(䜆し執刀医ではない)から、レントゲンずカルテを芋せお説明するず蚀われ、私は父ず䞀緒に甚意された面談宀のようなずころに案内された。

    だが、正盎、今曎やっずかずいう気分は拭えなかった。母の状態が持ち盎しおから、気胞が起きたばかりのずきの肺の写真を芋せられお今曎どうしろず
    いや芋るのは絶察に芋おおくんだが。

    説明は蚀い蚳ばかりで今たでず倧差なかったが、レントゲン写真には、片方の肺が半分以䞋のサむズに収瞮しおいるのがはっきり映っおいた。それがすぐに芋せられなかった意味はさっぱりわからない。

    それず、もう䞀぀䞍信を煜る出来事があった。

    退宀間際に、医垫ががそりず私に

    「お父様には、前にも芋せお説明したんですけどね。」

    ず蚀ったのだ。

    あず思った。

    反論しようにも、私は仕事もあっお、぀きっきりで病院にいたわけでもないし、父がアテにならないこずは十分にあり埗るこずなので、その堎での反論は躊躇われた。

    母の病宀に戻っおから、そう蚀われたこずを話題にしお父に聞いた。

    「レントゲン芋ずったん」

    「いいや芋ずらん。」

    い぀になくはっきり答えた父だったが、アテにはならない。

    刀断が぀きかねたが、母が蚀った。

    「いや、お父さんは病院きたらほずんどここにおるから、そんなのは蚀われおないし、呌ばれずらんよ。」

     確かに、家族に説明するため父を呌ぶのに、母に知られないように隠密にずいうこずは考えにくい。珟にそのずき私たちが呌ばれおレントゲン写真を芋るのも、母に知られないようになどはしおいないし、出来なかった。

    ずいうこずは、医垫は、父がボケおいるのをいいこずに、説明しおもいないこずを、説明したず蚀ったずいうこずだ。

     あり埗なくないか
    ないな

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    さらに話は続く。

    母はこのころ、身長センチで、健康なころはキロ台埌半の䜓重があったものが、最悪でキロたで枛っおいた。

    キロ。

    センチでキロ
    BMIでいうず、完党なる䜎䜓重である。

    たた、䜓調の悪さから鬱病のようになり、毎日

    「もう私は長いこずはない。」

    「い぀死ぬずやろうか、こんな痛くお。」

    「もうこんなずころ嫌。」

    などずひっきりなしに蚀っおおり、気胞の治療、たあ芁するにドレヌンの蚭定が改善されお、状態が安定しおきたずころで、ただドレヌンは抜いおはいなかったが(それにも手術が必芁だった)、埀蚺に来た、䟋の担圓医垫に、この病院から別の病院(できれば実家に近いずころずいう意識があった)に転院できないかず盞談した。

    正盎、そのずきの応答は、今でも芚えおいるし蚱せない。

    「できれば転院したいんですが。」

    ず蚀った私に、医垫は、はあずいう顔をしお、

    「うち(この病院)では玹介したせんから、するなら、そのたた(ドレヌンを぀けたたた)、自分でタクシヌ呌んで探しおいっおもらうこずになりたすけど。」

    ず答えた。

    唖然ずしお二の句が告げないうちに、医垫はそそくさず次の埀蚺に行ったず思う。

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    正盎本圓に蚎蚟も蟞さない気持ちはあった、私はだ。

    ただ、母が嫌がった。

    母は、もう二床ずこの病院に関わるのは嫌だず蚀い、蚎蚟なんかになったら、死ぬたで瞁が切れないから、名前を芋るのも嫌だず蚀った。

    埌期高霢者歳、䜓重がキロたで萜ちお、老人性鬱病のようになり、しかも、心臓の具合も党く良くなった気がしないず蚀っおいる幎寄りを、本人が望たないのに、蚎蚟の堎に䞭心ずしお匕きずり出すこずはできなかった。

    さらに、母本人は、ただ䟝然ずしお入院䞭だった。

    身内である入院患者がそこにいる限り、本圓に倧きな動きは取りにくい。

    母がすっかり痩せ衰えお、それでもやっず退院したずきには、既に月になっおいた。

    そしお、これだけの倧隒ぎだったが、このペヌスメヌカヌ手術は、気胞ずいう点だけではなく、玔然たる倱敗だったこずが、数幎埌発芚するこずになる。

    (ずころで疲れるので、病院蚘事はこれで䞀旊䞭断ここのは終わり

    他のはさんでたた曞きたす、では)

    ※誀解のないように私が病院で糟匟したいのはここだけです、他の病院さんにも医垫の方にも医療埓事者党おの方に感謝しおいる本圓に。

     
     
     

    高梚

     
     
    高霢䞡芪のために介護離職(珟圚は個人事業䞻)日々の蚘録。父芪は氞眠、老母は認知症進行䞭。🏀高梚マザヌ劇堎(母)及び🏀高梚ファミリヌ劇堎(䞡芪)目次はサボり䞭🏀 https://note.com/nasigorendayo/n/nac0cbfa89b82

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