
Love Letter
もう40年以上も前のことである。
小さな翻訳会社で翻訳部長をやっていた。
ただしスタッフは2人だけ。
実際には部長もなにもあったものではなかった。

ある日のこと、女性スタッフのYさんが、いつもと少しだけ違う表情で近寄ってきた。
「日英翻訳の依頼の電話がかかってきました」
「ほうほう、それはけっこう。で、どこから? 〇〇社さんかな」
「それが、個人の女性からなんです。タウンページで見つけて電話してきたそうです」
こりゃあまり喜ばしい話ではないわなと、とっさにそう考える。
飛び込みの個人顧客というのは、正直なところ、翻訳会社にとってあまり良い顧客とはいえない。
翻訳会社にとって最も好ましい顧客は、なんといっても企業や官庁である。
ある程度のまとまった受注量が期待できる。
そのうえに、リピートオーダーも見込める。
値段にしても予算がついているので極端な値引きは求めてこない。
債権リスクも高くない。
これとはまったく正反対なのが、飛び込みの個人顧客である。
注文量が少なく、リピートオーダーはまず期待できない。
ときには「単価を半額にできませんか」などといった無茶をいってくるケースもある。
ようするに個人客というのは、たまたまその人が大会社の社長さんで、親切にしてもらったお礼として会社から大量オーダーが後でどっさりと飛び込んでくる、といったおとぎばなしが現実にならないかぎり、儲からないうえに将来性もない。
というわけで、「タウンページで見つけてきた個人客」を、翻訳会社としてはいつもニコニコ顔でお出迎えというわけにはいかない。
☆☆☆

冷たいと思われるかも知れない。
その通りである。
カネを落としてくれそうな人々は優遇し、カネを落としてくれそうにない人々には冷たくするという姿勢は、翻訳会社だって他の会社と変わりはない。
ただし、会社そのものはそうであっても、内部にいるスタッフたちは大体において、そうした収益第一主義に染まっていない。
それが翻訳会社の面白いところだった。
そしてYさんこそ、翻訳会社スタッフの典型的人物のひとりだった。
なにしろYさんの辞書には「会社の収益」などという言葉などどこを探しても載っていない。
会社における彼女の興味は、その仕事に意義があるかどうかという、ただその一点にかかっている。
その彼女が、今回の飛び込み個人客の仕事に大きな「意義」を見出したらしい。
つねに乱れることのない端正な顔がかすかに紅潮していることから、それがよくわかる。
☆☆☆
これは危険である。
彼女がこうした表情をするときには、そのプロジェクトが採算割れとなることを意味する。
会社の収益にとりあえず気を使う部長としては、ここはなんとか穏便にコトをすまさねばならない。
ようするに、依頼を丁寧にお断りするのがベストである。
「それで、量はどのくらいかな」
わたしは少し突き放したように聞く。
「数枚程度です。できるだけ安くお願いしたいとのことです」
できるだけ安く!
ほらほら、そうだと思ったよなあ。
「で、内容は」
さらに突き放すわたし。
「それが……ラブレターだそうです」
「えっ、ラブレター?」

Yさんの説明によると、電話をかけてきたその女性は、あるサークルに参加したときに、やはりそこに参加していた一人のアメリカ人男性と恋に落ちたとのこと。
ところが、そのアメリカ人男性が数カ月前にアメリカへ帰国。
お互いに連絡がとれないなか、彼女はとうとう彼に手紙を送る決心をした。
ところが残念なことに、彼女は英語がほとんどできない。
彼の方は日本語がまったくだめ(それでどうして二人は恋に落ちたかなどと聞くのはヤボというもの)。
そこで彼女は、うわさにきく翻訳会社を利用することを思いついた。
自分の気持ちを日本語で書き、それをプロフェッショナルに英語にしてもらおうというのである。
さっそくタウンページをめくって、ある翻訳会社に電話をして事情を話してみた。
ほとんどまともに相手にしてもらえなかった。
次の会社も、その次の会社も、反応はほぼ同じであった。
しかし彼女はあきらめなかった。
そしてとうとうYさんのもとへとたどり着いたという次第だ。
恋などすでに遠い日の花火となってしまったオジサンには、なかなか感情移入のしがたい話である。
戦後沖縄の状況を思わず連想する。
お嬢さんはもてあそばれたんだよと、いらぬ口をききたくなる。

しかしこうした事情をわたしに諄諄と説明するYさんは、すでに彼女の最大の味方である。
「飛び込みの個人客というのは、基本的には避けたいよねえ」
とわたし。
「話し方が、とてもまじめな方でした」
とYさん。
まじめな方の依頼を断るのはいやだ。
この頃からYさんは、すでにわたしを自在に操るテクニックを会得しはじめていた。
「で、いくらなら払えるといっているの」
と、さらに抵抗するわたし。
「△△円でお願いしたいといっています」
普段の言動からして、注文を受けざるを得ない最低価格帯である。
なんと見事な戦略よとただ感心するばかり。
「翻訳者の✖✖さんに電話をかけたら、いまは時間があるそうです」
さらなる追い討ちに、もはや逃げ道はない。
かくしてラブレターの翻訳を、晴れて受注とあいなった。

そうと決まれば、あとは粛粛として仕事を進めるばかりである。
量が量なので、いずれにしてもたいした赤字になるわけでもない。
やるからにはよい仕事にしたいと思うのは、職人の端くれなら当然である。
ところが、この仕事が思いもかけず、40年後のいまになっても、悔やまれるジョブとなってしまった。
原文は決して悪くなかった。
本当にいいラブレターだったといまでも思う。
淡々と二人の思い出を語ったその文章の行間には、相手へのときめきやためらいや恥じらいや思いやりがあふれていた。
文章に表れる人格を無条件に信じるわたしは、その女性のことをいっぺんに気に入った。
男にただもてあそばれるような女性ではないと確信した。
そして彼女が好きになる男性であるならば、そのアメリカ男も決して悪いやつではないだろう。
我々の翻訳ジョブを通じて二人の関係がうまくいくのであれば、タテをヨコにするだけの我々の仕事もまんざら捨てたものでもない。

☆☆☆
ところが数日後、Yさんが「チェックをお願いします」ともってきたラブレターの翻訳をみて、わたしは自分のあさはかさに愕然とした。
その英文は、英語としては完璧だった。
しかしそれは、時節のあいさつと二人の過去の出来事を記述した単なる記録文書にすぎなかった。
日本語の文章の行間に満ち溢れていた、ときめきやためらいや恥じらいや思いやりは、見事なまでに失われていたのである。
「問題がありますか」
まゆをひそめて読むわたしに、Yさんが心配そうにたずねた。
「無理だったかなあ」
と、わたしはいった。
「この仕事は、僕らには無理だったのかなあ」
実際、そういった予感は最初から持っていた。
ようするに、恋愛という人間にとって最も複雑な感情表現に、はたして翻訳が対応できるかということである。
そして、少なくとも我々の能力では、それは不可能だったのである。
くりかえすが、その翻訳は英語としては非常にレベルの高いものだった。
したがって狭い意味での翻訳業務としては、我々はよい仕事をしたといえるかも知れない。
しかし、それを受け取ったアメリカ人男性に、わたしの心をつき動かした彼女の人柄や熱い想いが伝わることは、おそらくないだろう。
過去の事実を正確に記述したその手紙を読んで、彼ははたしてどう思うのだろうか。
その文中には、彼に対する彼女の気持ちを直接に伝える表現はどこにもないのだ。
☆☆☆
結果だけをいうと、わたしはその翻訳を彼女に納品した。
翻訳会社のジョブとしては、それ以上に手の打ちようがなかったのである。
Yさんによると、彼女はとても喜んでいたそうだ。
おそらくそのままその男性に送ったのだろう。
そのあとについてはわからない。
☆☆☆

今でも、どうすればよかったのか、結論は出ない。
たとえば彼女とコンタクトをとって、あなたのその気持ちを翻訳することはできないから、下手でもいいから自分で英語で手紙を書きなさいと、商売気を超えてアドバイスするべきだったのか。
しかし、だからといって、そうやって書いた幼稚な英文で、彼女の気持ちが本当に彼に伝わるのだろうか・・・。
納品後しばらくたってから、わたしはYさんにこんなことを説明した。
わたしの説明を静かに聞き終わると、Yさんはしばらく黙ったあと、わたしをまっすぐみていった。
「大丈夫ですよ、二人はきっとうまくいきます」。
そして、大輪の花のように、にっこりと笑った。
Yさん、君はまったくいい女だ。
☆☆☆
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