
むしょくのじかん #06 「流れる滝と時」
無職らしい時間を過ごしたいと思います。そう思いながら、何が無職らしいのかわからないまま1ヶ月半くらいがすぎるころ、特に目的がなく適当に電車に乗りました。おお、無職っぽい。
あまり降りたことのない駅で降りてみようと思って、阪急神戸線春日野道駅で下車をします。なんだか夏みたいな日差しと香りの5月上旬。平日13時半という一番変な時間に散歩をする人間は多くない。散歩気分でキョロキョロ歩いている人はあまりいないので、街から浮いているようで、なんだかそれが心地よい無職です。
ところで、私は海が好きです。海に入ったり泳いだりではなく、浜辺で海を見たり、波の音を聞いたりするのが好きです。好きが高じて、昨年は「まどにふね、なみにはな。」という小さな島の浜辺を舞台にした物語を書きました。今年に入ってからもう一本、海辺が舞台の物語も書きました。これも散歩でたまたま訪れた海辺が印象に残って書いたお話。
どこかに出かけたときに海があれば、立ち寄りたくなる性質を持っているのです。
神戸という街には、海と山があって、駅で降りたら、まず海側に行くか山側に行くかという選択を迫られます。先述の理由から海側に吸い寄せられることが多いのですが、この日は違いました。新しい発見を求めて、山側を散歩することにしたのです。春日野道の山側には、駅を降りてすぐ、想像以上に角度のある坂が待ち構えています。早々にやっぱり海側に行けばよかったと後悔をしながら、山を登って行くうちに、新神戸駅の近くに滝があることを思い出しました。
前職で出張時には新神戸駅から新幹線に乗ることが多かったのですが、いつも駅から少し見える渓谷のような景色に後ろ髪を引かれながら、超速で出張先へと連れ去られていたのです。
ふらっと滝へ行ってみる。なんとも無職らしい日ではないか。
そうして、布引の滝へ行くことにしたのです。
布引の滝は平安時代の頃から、歌人が訪れ、和歌の題材になってきた場所。4つの滝をめぐるハイキングコースの道中には、そこで詠まれた和歌が書かれた石碑があり、古来から人々がこの滝をどのように見てきたのか、何を感じていたのかをなぞることができます。
水の落ちる様が白い布を垂らしたようだということから何百年も前から「布引」と呼ばれていて、いまも同じように鑑賞の対象として、多くの人が訪れる。時を超える悠久の自然と人々の営みを重ね合わせながら登っていくと、木々の合間から目線と同じ高さに高層ビルの上層階が見えたり。少し不思議な気持ちを抱きつつ、雄滝まで滝をめぐり、その少し上にある「おんたき茶屋」という休憩場所までたどり着きました。
このおんたき茶屋は創業から100年以上。神戸歴史遺産にも登録され、ずっと布引に訪れたハイカーたちを迎え入れてきた場所なのだとか。その店頭には、観光客が好きに書き込めるノートがあって、2000年頃から25年近くの記録が残されていました。
和歌で古来の人々の感情に想いを馳せ、ここでは、最近の人々の営みにまで触れられるのかと少し感動しながら、パラパラとめくっていると、興味深いページを見つけました。
そのページは、もう20年以上前に書かれているもので、湿気でシワシワになってしまっています。
「40数年前に君と昇った布引も暑かった…。」あまりに印象的な書き出し。そこには、40年以上前に当時の想い人と一緒に布引の滝に登った思い出が綴られていました。仕事を定年退職したいま、その想い人とは今世でもう逢えないことを悔やみ、どこかで元気で暮らしていることを祈る。そんな内容でした。
そして、その宛先のない文の周りには、「いつか逢えることを祈っています」「願っています」というコメントが無数に書かれています。決して本人に届くことはないだろうけれど、心動かされた観光客が何年にも渡って書き込んできたようです。
40年というのは途方もない時間だと思います。会えない人を想い続けて40年。思わず立ち尽くしてしまいます。
布引の滝と40年。ひとりのご老人ともう逢えない想い人。変わらずそこにある茶屋と、毎日訪れる観光客。
時の流れと、変わらぬ自然と、取り巻く人の営み。その広がりに、思わず立ち尽くしてしまいます。
少しぼうっとしながら、茶屋を後にしてさらに登ることにします。先には、ダムがあり、さらに登れば神戸布引ハーブ園があると標識が教えてくれました。
時の流れの中で、人は変わってしまうものだけれど、様々な表現やモノ、感情、いろいろな形で人の営みは残っていく。自分の日々の活動がそういう、何かを残す物なら良いなと思うのです。誰かのためでもなく、ただ、残す。そうすればいつか自分も気づかないようなところで、何か影響を与えたりするものだと。おんたき茶屋の思い出ノートが教えてくれました。
そんなことを考えながら、神戸布引ハーブ園の風の丘にたどり着き、流石に降りる体力は残っていないなと、ハンモックに揺られる。良い風が吹いて、見晴らしが良い丘からは、人々の営みの結果としての神戸の街並みが見えます。
それにしても、ハンモックってめっちゃ無職。
帰りはロープウェイでゆらゆら帰ろう。