
30年ぶりにボクシングシューズを購入した
先月、30年ぶりにボクシングシューズを買った。アラフィフの今、わざわざ買うようなものでもないのだが、これにはちょっとした経緯がある。箱を開けて新品のシューズを眺めているうちに、これは自分のこれまでの人生、そして娘との歩みに深く関わる買い物だったのだと気づかされた。
中学校の頃は剣道部に所属していたが、高校時代は帰宅部で何もスポーツをしていなかった。大学では何か格闘技をしてみたいと初心者ながら体育会のボクシング部に入部した。それなりに真剣に活動をしていたのだった。
それまで見る専門だったボクシングだが、見ることでイメージ力が上がっていたのだろうか、それとも素質があったのか、それなりに得意分野だと思えた。
楽しく取り組んではいたのだが、それ以外にもアルバイトや友達との遊びが楽しくボクシング一筋というほどの打ち込み方はしていなかった。その中で大阪学生選手権で優勝とそれなりの成績は残した。ボクシングも楽しいが、それ以上に友達や彼女と遊ぶ時間のほうが楽しかったのだ。
卒業して働き出すと幸運にも働きながらボクシングの練習ができる環境だった。どうせなら大学時代に逃した全国大会に出たいなと全日本社会人選手権の予選に出場し全国の切符をもぎとった。
そこで試合に出場していれば満足して引退したのだが、 仕事が忙しくなり、さらに結婚を控えていたこともあって全国大会を辞退した。 なんとなくモヤモヤした気分のまま過ごしたのだった。
来年こそはと思ったが、次は子供が出来て結婚。そして夫婦の仲が悪くなり離婚。それからはこのnoteでも書いているように父子家庭として過ごしてきた。
ただ、娘が保育園に通っている頃、もう一度全日本社会人選手権に出場しようかと考えたことがあった。
「パパ、ボクシングの試合に出ようかな」と娘に話したところ、泣きながら「あかん!怖いからだめ!!」と止められたのだった。
その泣き顔がなんだか鬼気迫るものを感じた。もしかすると父親がいなくなるかもしれないという危険を察知していたのかもしれない。
「ここで大怪我とかしている場合じゃないか」と、娘の様子を見てハッとした。父母がいる家庭ならばもしも大怪我をするもしくは死んだとしても娘の面倒をみる親はいるのだ。でも今の自分がいなくなると、娘には一緒に暮らす肉親がいなくなるのだとリアルに感じたのだ。
「ごめん。泣かんといて。パパはボクシングの試合は出ーへんから」
悲しいとか悔しいとかそんな気持ちもない。素直に想いを娘に伝えたのだった。
娘がもしも重い心臓病にかかり、今すぐにでも心臓移植が必要になったとする。
「 先生、僕の心臓を使ってください 」
何のためらいもなくそう言える。自分にとって娘はそういう存在だ。それを自分のわがままでリスクを背負う必要は無いのだ。
それからはあえてボクシングからは距離をとった。マラソンや筋トレなど比較的、危険の少ないスポーツを選んでするようになっていた。
そんな風に年を重ねる。いつの間にか娘は高校を卒業して大学生になっていた。私はボクシングをしていたと周りに信じてもらえないほどぶくぶくと太った中年になっていた。そんな体で少し運動をしていたら、「ブチッ」と音がして足に激痛が走った。左足アキレス腱が断裂した音だったのだ。
ボクサー時代にあれだけ無茶な練習をしてきたのに足の故障などほとんどなかった。人よりも速くステップを踏めることが自慢だったのに。人よりも速くパンチを当てられることが自慢だったのに。今はもう見る影もない。足を引きずりながら手術のため入院した自分が情けなかった。
それから1年。日常生活ができるまで戻った足のリハビリをかねて、近所のボクシングジムで練習を始めることとなった。それも本当に偶然だ。そのジムはボクシング経験者のトレーナーを募集しているということで、指導を手伝いながら無料で練習をさせてもらうという手筈となった。
大学生の娘は父親がボクシングをしようともう泣いて止めたりはしないだろう。私自身も全国大会に出たいとおもうほどの体力も気力ももうない。
ただ、まだ運動をしているとアキレス腱の周辺に痛みが出るため、一般の運動靴よりも足首まで保護されている靴を履く方が良いだろうと、ボクシングシューズの購入を決めた。
30年前。19歳の頃に「試合で自分が強い事を証明してやる」と鼻息荒く購入したボクシングシューズ。もう同じ品物とは思えないほど目的も変わった。
我が娘が、あの頃の自分と同じ19歳になった。勉強してアルバイトして友達と遊んでいる。推し活で東京や九州にも飛び回る。我が娘ながら本当にキラキラしている。あの頃の自分も、きっとあんな顔をして未来を見ていたのだろう。
ボクシングシューズが届いた。30年前はミズノの白いシューズだったが、今回はアディダスの黒いシューズだ。長い年月の中で色の好みも変わったのだと気付く。
箱を開けると新品のシューズがお行儀よく詰め込まれていた。
ふっと頭の中で何かが蘇った。もう思い出すことも無くなっていた若い頃の自分。娘と同じ年の夢を沢山抱えていた自分。シューズの手触りと匂いがそんなことを思い出させてくれた。
みずみずしい娘のように自分が戻ることはない。でも何かここからスタートするような気がした。試合には出ないだろう。リハビリとダイエットが目的だけの第二のボクシング人生かもしれない。
でもまあそれでもいいだろう。もうすぐ娘は20歳の誕生日を迎える。
30年前は未来へ向かって履いたシューズだった。今は人生をもう一度歩き始めるために履くシューズになった。 少し肩の荷がおりたから、だからこのボクシングシューズを履いて軽くステップを踏んでみよう。きっとそれぐらいの贅沢は許されるだろう。