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父、幻圱のガンゞス。そしおミッキヌマりス


2024幎12月の危節

2024幎の12月に父が倒れたずいう知らせが入った。

僕は、今はなくなっおしたった職堎の食堂で、その最初の連絡を受けた。
連絡をくれたのは父方の芪族たちで、すでに䌝蚀ゲヌムの最終版のようになっおいた情報によるず、それはもう危節ず蚀っおおかしくない話のように僕には聞こえた。

僕ら䞀家がバラバラに暮らすに至った理由の根幹にあるのは、僕が生たれるずっず前から続く父の暎力行為だ。
ドメスティックバむオレンス。いわゆるDV。
倖面があたりにも良すぎる父の暎力は、どこに蚎え出おも、誰に盞談をしおも、たずもに取り合っおもらえなかった。
倚分に時代のせいもあったのだず思うけれど。

各々が各々の安党な堎所で離れお暮らせるようになっおなお、
父の元劻である母も、父ずはすっかり絶瞁状態だった兄匟も、唯䞀の窓口ずしお父に付き合い続けた僕も、被暎力の圱響から抜け出すこずはきっず無い。
これはもう劂䜕ずもし難いもので、せめおこれから先の䞖代ぞの悪圱響が出ないように、自分で自分の心身をコントロヌルしお、基本的に自分がどっかおかしいこずを前提にしお、埮調敎を繰り返しながら生きおいくしかない。

父が病院に搬送されたずいう連絡を受けたあの日、䞀䜓自分が食堂で䜕を食べおいたのか芚えおいない。

ただ、僕は最初の連絡が入った時ちょうど食事をずっおいるずころで。なんずなく「この連絡を受けたら昌ごはんどころじゃなくなりそうだな」ず、着信を知らせる自分の端末を眺めお思ったこずを芚えおいる。

そうしおずりあえず、死ぬのかもしれない父芪のこずより、目の前の食事を食べ切るこずを優先したはずだ。
食堂のシェフは䞊海人で、僕は圌の鷹揚な調子の䞊海蚛りの日本語が倧奜きだった。圌が䜜っおくれる、尋垞ではないレベルで䟛される豪華な瀟食も。

その圌は退職し、今や食堂は無く、䌚瀟の瀟食システムは無くなった。
危節だず思った父は、今日も無事に生きおいる。


父が最初に倒れたあの日は、でもただ食堂はあったんだよな、ず思うずなんだか蜃気楌の只䞭にあるような䞍思議な感觊がする。


2025幎1月からの介護

2024幎12月、危節ずいうほどの状態でもなく特に問題なく病院から垰宅させられるこずになった父の家は、かなりひどい状況だった。
雚戞は開けっ攟し、玄関のカギも開けっ攟し、電気は煌々ず぀いおいお、台所にはい぀からそこにあるのかわからない、鍋に入った父䜜のおでんが眮き去りにされおいた。

家のあらゆる堎所に、請求曞ず玍品曞ず督促状が積み重なっおいお、通販のDMにテヌブルは埋め尜くされおいた。
そしお、䜕より倧量のビヌルの空き猶が台所の片隅で山盛りになっおいた。
䜙談だけれどちょうどその盎前に、フリヌアナりンサヌの小倉智昭さんが亡くなったずころだった。父ず同い幎だった。小倉さんファンだった父にずっお、同い幎の圌の死が、その頃の父の粟神になんらか圱響をもたらしおいたのかもしれないず、家の䞭の荒れ暡様を芋お思ったのだけれど、その埌の父の芁介護者ずしおの状態が悪化するに぀れお、そんな考えは雲散霧消しおいくこずになる。
これは、そんなナむヌブな話じゃあなかった。

父がほったらかしにした様々なものの敎理ず、䞀人では病院たで行けない父の介護が早急に必芁になり、䞻に付き添うこずになったのは結局は僕だった。
毎週、仕事が䌑みのたびに実家に通った。
芁介護の刀定が出おも、ケアマネヌゞャヌは芋぀からなかった。
病院からも垂圹所からも「そんなはずはない」ず蚀われた。垂に登録をされおいる事業所に連絡をすれば、芁介護の父に芋合うケアマネヌゞャヌのフォロヌを受けられるはずだず。
けれど実際は連絡をしおも、“芁介護”ではただ軜いず芋なされおなのか、受け入れおくれる先は芋぀からなかった。どこも、父よりももっず重節な人々で手いっぱいだ、ずいうこずだった。

僕は、父の病院に付き添い、行政機関の窓口に赎き、父がなたじ自由に元気に動けおいるがために巻き起こるたくさんの問題をどうにかしようず必死に立ち回った。
料理を䜜っおは持っお行き食べさせる。
トむレの掃陀、゚アコンの掃陀、季節が倉わったこずを理解できない父から初倏でも䜿っおいた暖房噚具を取り䞊げ、家の庭朚の剪定ず草むしりをした。
足りなくなった䞋着を買いに行き、開かずの扉になっおいたがろがろの床䞋収玍を党お片付けたりもした。
この期間に起きたこずは、できる限り蚘録に残そうずしお、noteの蚘事ずしお残した゚ピ゜ヌドも倚い。

実家に向かうず決めおいる日の前の晩になるず、必ず僕は心身の調子を厩した。些现なこずに苛立ったし、心拍数が䞊がったたたで、ずっず手が震えおいた。

それはそうだ。
僕らは芪子であるず同時に、被害者ず加害者の関係で、僕は僕に暎力を行った人間ず、その珟堎でずっず二人っきりだった。

自分の自由時間をすべお切り刻んで僕はどんどんおかしくなった。

僕ずは正反察に、父ずの䞀定の距離を保ち続ける僕の兄匟から、
やりすぎなんじゃないか、ず蚀われたずき、
正盎に蚀えば「じゃあ、お前がやれよ」ず思った。
でも、圌は、僕の兄匟はやらない。

そしお、もし僕もやらないずしお。

それでじゃあ誰が困るのかず蚀えば、倚分誰も困らないのだ。
父も。
困らないのだ。
いや、本圓は困るのかもしれない、けど、もし本圓の本圓にこれで生きおいけないほどに困るずいうのなら。自分でどうにかするべきで、それができずに困るのなら、生きおいけなくなるのなら。
それは仕方のないこずなのだ。
父がこういう状況にあるのは、圌の人生の遞択のその果おにあるこずで、だからこれは圌が朜圚的に望みをかなえ続けた先にある時間で。
だから。
だから、圌は本圓は困っおはいないのだ。

そう考えるこずは、無理矢理に実家に行くこず以䞊の恐怖だった。

それでも僕は、毎週行っおいた実家行きを、10日に䞀床にし、2週間に䞀床にした。
週間の間、父が食べるこずに困らないように、電子レンゞだけで完結しそうな食べ物を、台所に詰め蟌めるだけ詰め蟌んだ。
この時によく買っおいたものは、本圓に本圓に䟿利でずおもお䞖話になったのだけれど、それず同時にこの時期の蚘憶ずあたりにも玐付いおしたっお、自分のためにはもう買えないかもしれない。

排泄ず入济、掗濯機を䜿うこず、簡単な食事の支床は、父も自力で出来おいた。
い぀たで続くのかはわからないけれど、それでも䜎空飛行の父の暮らしは、安定しおいるように芋えた。
もちろん、それはものすごい楜芳的なものの芋方であっお。
2週間の間に、父が急死する可胜性は垞に頭の片隅にあった。

それでも、
たずえばいっしょに蔵曞の敎理をし始めた父の、
がんやりしおいる割に、劙に鋭いこずを蚀っお、読みたい本ず、凊分しおいい本を、仕分けおいる父の様子は、なんだかずっおも元気に芋えた。

䜕の本だったか。
知の巚人ず呌ばれた吉本隆明先生の文庫本を『捚おない』本に遞んだ父はこう蚀った。

「こんなこず曞かれちゃあ、読たないわけにいかないよねえ」

父が吉本隆明を「読たねば」ず思うに至った「こんなこず」がどんなこずだったのか、どうしおも思い出せない。

2025幎7月の䌑息

そうしお、僕が月末に行った埌。
2週間埌にあたるその翌月の半ばを、珍しく兄匟が父の様子を芋るのを匕き受けおくれお。

僕は2024幎1月から始たっお半幎以䞊ぶりに、父のずころぞ行かない4週間を手に入れた。
それが、2025幎7月だった。

その月を、どんな颚に過ごしたのかの蚘憶がほずんどない。

兄匟が行った日、父は䞋半身䞞出しで西日の圓たる郚屋に座り蟌んでいたらしい。

父に服を着せ、階䞋にある私が掃陀しおおいた゚アコンのある郚屋に移しお、氎ず食事を取らせた、ずいう連絡を受けた。
「あんな暑い郚屋になんでいたんだろう」
ず、兄匟は蚀った。
僕が次に父の家に行くのは2週間埌。8月1日に決めおいた。
2週間、保぀んだろうか、ず兄匟の話を聞いお僕は思った。
行く日を早めるべきかどうか、悩んで結局やめた。
僕は、8月1日ぞ行く。そうする。

2025幎8月、幻圱のガンゞス

僕が来蚪する予定日の前日倜。
実家の近所の酒屋さんから電話が入った。
「お父さんを3週間以䞊お芋かけしおいたせんが倧䞈倫ですか」
ずいう電話だった。

兄匟が父に䌚いに行ったのが2週間前で、その時点で父は、がんやりずはしおいたけれど、食事も取れたし話はできおいた、ずいうこずであっお。
けれど、酒屋さんが3週間芋おいないずいうのなら、兄匟が蚪ねるよりも1週間も前から酒屋さんには行っおいないこずになる。

これは、おかしいかもしれない。
たったくもっお耒められる話ではないけれど、僕の父はどんな身䜓の状態になっおも、酒を飲むこずをやめられない人だ。
だから、介護の䞖話を僕がしにいくようになっおからも、父はずヌっず酒屋通いをしおいた。日に2回酒屋さんに行く日もあったず聞いおいた。

ずうずう、来る時が来たのだろうか。
父は、もう危ないのかもしれない。

8月1日、僕は実家に向かった。
芋぀けるこずになるのは、父の死䜓かもしれない。その可胜性が高い、ず僕は思っおいた。

恐る恐るず螏み入れた家の䞭、
兄匟が2週間前に芋たずいうのず同じ、゚アコンの無い西偎の郚屋で、
䞋半身を䞞出しにし、血たみれのランニングシャツを着お、骚ず皮になっおベッドの䞊に転がる、父が居た。

生きおいた。
僕が手を貞すず、父はゆっくり起き䞊がった。

僕は、その姿を芋た時に、ガンゞス川のほずりで沐济をするむンドの修隓者みたいだなあ、ず思った。

芋知っおいた、恰幅のいい、酒飲みの父はいなかった。
極限たでそぎ萜ずされた骚ず皮、死んでいおもおかしくはなさそうなのに、顔は生気が無いずいうよりは、すっきりずしおいお、萜ちくがんだ目の奥だけが爛々ずしおいた。

着おいる服が血たみれなこずもそうだったけれど、ベッドの䞊にも血だたりが也いた跡があった。
動く぀もりは、なさそうだった。
西偎の郚屋だったけれど、雚戞が閉め切られおいるおかげか、懞念したほどには暑くなかった。

氎を飲たせた。
僕は、食べさせようず思っお持っお行った、䜕を䜜ったんだったろう。
䜕か料理をしおいったはずだ。
それを䞀口食べさせおみた。
味が濃い、ず蚀っお、あたりおいしくはなさそうだった。
僕がたたたた職堎の人から貰っお、持っおきおいたずおも良い桃を、切っお、それも食べさせおみた。
甘すぎるず蚀っお、これも数切しか食べなかった。

兄匟が2週間前に、父に食べさせたず蚀っおいた匁圓のガラ以倖に、台所に食べ物のゎミはなかった。その代わりに、埗䜓の知れない物䜓が、ごみ箱に入っおいお、人間の排泄物だずいうこずに気が付くのに時間がかかった。

䜕枚も眮いおおいたはずの䞋着はどこにも芋圓たらない。
ず思っおいたら、ごみ箱の䞭に芋぀けた。

これは倚分、トむレに行けなくなったんじゃないだろうか、ず思った。

それでも䞍思議なこずなのだけれど、おそらくは入济も排泄も、自分の䞖話はどうやらできなくなったらしい父の身䜓からは、䜕の異臭もしおいなかった。
カラカラに、うたい具合に也燥した朚みたいだった。
腐るんじゃなくお、䞭の氎分だけが抜けお、綺麗なガワが残ろうずしおいる。

僕は、たたに、家の䞭で果物を食べ忘れおしたうこずがあっお、ほずんどの果物はもちろん腐ったりかびたりするのだけれど。
ほんの時々、綺麗に也燥しおいく果物がある。
倧抵、ものすごく“良い”果物だず蚀っおもらったものに限っおそうなるので、いわゆる“良い”ず蚀われる、質の高い生呜力のあるような果物には、かびたり腐ったりで悪くなるのではなくお、クオリティを保ったたた、老化をしおいくみたいにしお、たるごず也燥をしおいく力があるんじゃないか、ず思っおいるんだけれど。

たさに、そんな感じの也き方だった。

このタむミングでこんなこずを思うのもなんだかなずは思うのだけれど、
おそらく僕は、僕の人生で初めお、䜕日もの間、アルコヌルを摂取しおいない父を、このずき目の圓たりにしおいた。

救急車を呌ぶべきかどうか

さお、この状態の父をどうすればいいんだろう、ず思った。
声をかければ返事をするし、
手を握れば握り返す、
ゆっくりず起き䞊がるこずも、
歩いおみおず蚀えば歩くこずもできる。

僕はどうにも決めかねお「7119」に電話をしおみた。
救急車を呌ぶべきかどうかを、盞談させおくれる電話番号だ。

状況を説明しお、するように蚀われた動䜜確認も䜕もかもをやっおみた結果、7119の刀断は、
「普通の内科を受蚺する」
ずいうもので、近隣の初蚺で芋おくれる内科の病院の連絡先を教えおもらった。

ずはいえ、受蚺しおくれずは蚀われおも、この状態ではタクシヌを呌ぶしかない。

ひずたず玹介された病院に電話をしお、初蚺で向かうこずを䌝えようずおもったのだけれど、電話に出おくれた事務の男性の蚀葉が流れを倉えおしたった。

「救急車を今すぐ呌んでください」

「僕は医者でも看護垫でも無い、事務方の人間なんです。だから本圓はこんなこずを蚀う暩限は無くお、でも、その状態は救急車を呌ぶべきだず思いたす。呌んで良いです」

僕はこの人の蚀葉に埓い、救急車を呌んだ。
呌んで、来おくれた救急隊員の方々も、ずおも芪切だった。
僕の状況、父の状況、搬送しおも、入院にならなかったら、この家の䞭に父が䞀人になるであろうこずぞの懞念。

「なるべく入院に察しお前向きになっおくれそうな病院を探したすから」
ず蚀われた。
そんなこずっおできるものなのかどうかは知らない。

電話に出おくれた内科の事務の方ずいい、この協力的すぎる救急隊の方ずの出䌚いずいい、
今、自分は䞍思議な流れの䞭にいる、ず思った。

䞋着が芋圓たらないずいう僕からのヘルプ芁請を受けお、父のパンツを買った母もやっお来おくれおいた。

なんやかんや119番が16時前
救急車に乗り蟌めたのが16時半頃
受け入れ先の病院が芋぀かったのが16:40頃
病院の救呜到着が17時
呌ばれお入院決定ですっお蚀われたのが18時
入院病棟に移動開始が18:50頃
病宀に入れたのが18:55頃

僕が病院を埌にしたのが19:30だった

諞々の蚘録から時間蚈算した

去幎月に曞きかけた蚘事に残っおいたメモ


これは、倚分搬送圓時、なんずか蚘事にしようずしたらしい(そしお、できなかった)僕が残しおいたメモだ。


結論から蚀えば、父はこの日、問答無甚で入院になった。
理由は、圓初予枬した熱䞭症ではなく、脳内出血だった。
「呜に別状はないんですけれども」
ず、救急で担圓しおくれたドクタヌは蚀った。

「ただ、䞀人で暮らしお行くのは無理だず思いたす」

呜の別状はない、ずいう蚀葉のニュアンスを考える。
䞀人で暮らしおいけない人は、もはや呜の別状がある人なんじゃないのか。
それを蚀ったら、本圓の本圓に『呜の別状がある』人を軜んじたこずになるのかもしれないけれど。

2026幎、そしおミッキヌマりス

8月1日に入院した病院には、玄3か月。

父は、この、ひず぀めの入院先にいる途䞭から、僕の名前が出お来なくなっおいっお、正匏に認知症の蚺断がくだった。

その埌、あの日、僕が電話をしお、父を救急搬送するようにず導いおくれた内科の病院ぞ、瞁があっお転院するこずになる。
移動したそこでも玄3か月入院をしおいる間に、父の介護床は芁介護になった。
これは、寝たきりではない人間の介護床ずしおはMAXなのだそうだ。

この頃、父が退院する日が来るかもしれない、ず案じたらしい僕の兄匟は、芁介護では差し迫っおいないからず蚀っお断られたケアマネヌゞャヌの事業所に、たた連絡を取ったらしい。

芁介護になったこずを䌝えたら、今床は、
「それはこちらでは手が䜙るので」ず断られたそうだ。
結果的に、父はこの埌病院を出るこずにはならなかったのだけれど、介護の珟堎ずいうものは、かなり小さな穎に糞を通すような条件のもずで、どうにかこうにかやりくりをしおいるのだな、ず話を聞きながら思った。

「䞀人で暮らしおいける芁介護だず、
『それは我々がお䞖話をする必芁はないですね』っお蚀われお、ケアマネヌゞャヌさんは頌めなくお、
䞀人で暮らしおいけない芁介護でも、
『それは我々に䟝頌する範疇を越えおたすね』っお蚀われお、ケアマネヌゞャヌさんを頌めなくお。
どのタむミングだったら『頌んでいい』タむミングだったんだろうね」
ず、僕の兄匟は笑っおいた。


二぀目の病院では、軜床の朰瘍性倧腞炎が芋぀かった。
朰瘍性倧腞炎は難病に該圓する病気だけれど、父の堎合は難病ず認定されないくらいのものだずいうこずだった。
本圓にそうなのだろうか。確かめる術はあるようで無い。

軜床だから、ずいうわけではないのだろうけれど、その内科的治療以䞊に、粟神面の問題行動のほうが重くなっおいった。

面䌚に行くず、ひどく暎力的な空気をたずっおいる日もあった。
倧郚屋で、他の人間がいる状況でも、こちらを殎ろうずするモヌションをされれば足がすくんだ。

時折、父は僕の兄匟の名前を呌んだ。
来おいるだろうず、さっき芋かけたからず、蚀われたけれど、僕の兄匟はもちろん来おいなかった。

父は僕の兄匟、぀たるずころ自分の息子を、ずおも気にしおいた。
それは実は昔から、
父がただ元気で、僕が父ず暮らしおいる頃から、ずっずそうだった。

けれど父はいざ自分の息子を前にするず、いない間に口にしおいた蚀葉ずはたるで裏腹な態床になる。
だから、僕の兄匟は、自分が父から疎んじられおいるず思いこそすれ、愛されおいたり、気にされおいたりするずは思えないず思うし、思う必芁もない。
ただ、“父”ずいう存圚の芖点に立っお芋れば、可愛がっおいたんだから、きちんずわかりやすく可愛がればよかったのに。
ただ単玔に䞍幞な話だなず思う。

そしお父は、仕事堎の話もしおいた。

病宀は、圌の頭の䞭で、圌のか぀おの仕事堎だった舞台の楜屋になっおいた。
なるほど、そういう目で芋るず、色んな人間が入れ代わり立ち代わり忙しそうに出入りする様子は、舞台裏に䌌おいなくもない。
父は、隣のベッドの患者さんを蚪ねおやっおくるお身内に、楜屋の䞻のような調子で声をかけようずした。
仕事を愛しおいたんだなあず思っお、僕はその旚を病院のケヌスワヌカヌさんにしみじみず話したのだけれど、ケヌスワヌカヌさんから、
「昚日は、朜氎艊の䞭になっおたしたよ」
ず蚀われお、しみじみず出かかっおいた涙が匕っ蟌んだ。

そうだね、あなた海軍ものが奜きで、特にむギリス海軍のファンだったものね。
なヌんだ。
愛する仕事堎に心が行っおしたったわけじゃなくお、色んな奜きなものを郜合よく出し入れしおいるんかい。
こんなにわけがわからない状態になっおいるのに、自分の䞭にある“奜きな物”を箱から匕っ匵り出すみたいにしお生きるのだから、人間は謎の胆力があるなず思う。どこずなく、怍物を思わせる、ずるずるず地を這うような底力がある。


そこからさらに転院するこずになり、2025幎12月䞭頃。父は䞉぀目の病院に移った。
最初に父が倒れた報を受けおから、䞀幎が経ずうずしおいた。

粟神科に特化した䞉぀目の病院のおかげで、父の問題行動はかなり萜ち着いたず聞いおいる。
二぀目の病院では、䞍朔行為や倜間の埘埊があったらしいから、どういう様子かを心配しおいたのだけれど、䜕事もなくおずなしくしおいるらしい。

面䌚の時、
僕は、父を圌の仕事の時の呌び名で呌びかけおみた。
圌が愛する仕事堎の蚘憶を、もしもただ鮮やかに持っおいるんだったら、その話ができない環境は気の毒に思えたのだけれど、
父は、自分の仕事での名前をすっかり忘れおいた。

「誰が来るの その人が来るの」
ず蚀うので、その人は来ないよ、ず返事をした。

“その人”は、父本人であり、
父が“その人”の名前を忘れおしたったのなら、
“その人”はもう二床ず来ないよ。


なんずなく、倧きな皮ががろんず倖れお消えおいく景色が芋えた気がした。
倧きな叀い朚の皮が、べこりず剥がれ萜ちるみたいなむメヌゞ。

父の介護に付き合っおいる間に、父ずいう“個人”を通しお、“人間”ずいう生呜䜓に起きる、普遍的な倉化を芋せられおいる瞬間が、倚々あったんだろうず思う。

それは、カラカラに也いたたた必芁最䜎限で生きる父を芋぀けた時だったり、
たずもに働かない思考の端でも、昔の蚘憶から䜕かを匕っ匵り出す奇劙なしぶずさだったり、
それでも叀くなっお䜿わなくなった衚皮が倧きく剥がれ萜ちる瞬間だったりした。

そんな時に、䞍思議ず頭に浮かぶのはい぀も怍物の姿だった。
人間は動物的ずいうよりも、怍物的な存圚なのかもしれないな、なんおこずを父を通しお僕は思った。

いずれ自分にもやっおくるはずの、生き物ずしお向かう先の姿。

僕は父の本名を呌んでみた。

父はきびきびず手を䞊げお返事をした。小さな子どもみたいに。
「わたしのこずはわかりたすか」ず、僕は僕を指さしお蚀った。
父はあたり興味はなさそうに「うん」ずいうだけで、僕の名前を口にしたりはしない。

ふず思い立っお、
僕は、その日着お行っおいた掋服の背䞭を芋せおみた。

「ミッキヌ」
ず、父は蚀った。

僕はこのずき、ミッキヌマりスの魔法䜿いの匟子が描かれた服を着おいた。

父は、自分が子どもの頃に、テレビで『ミッキヌマりス・クラブ』ずいう番組が始たったのだ、ずいう話を昔よくしおいた。
ディズニヌに憧れ続けおいた父だ。

いや、嚘の名前よりもミッキヌのほうがわかるんかい。

ミッキヌマりスは、父にしおみれば嚘なんかよりよほど付き合いが長い存圚なんだろう。

面䌚宀に、看護垫さんが父を迎えに来た。
僕は、父に背䞭を向けお喋る、どう考えおも䞍審な状況の自分の蚀い蚳をするこずになった。

「ミッキヌマりスはわかるみたいで」
ずいう僕の説明に、看護垫さんが、ああず声を䞊げる。

「この間も急にミッキヌっお蚀っおたんですよ、ミッキヌマりスのこずだったんですね 急にどうしたのヌ、かわいヌっお看護垫たちで蚀っおお」

父よ、あなた「かわいヌ」っお蚀われおんのか。

䜕をしたら「ミッキヌ」っお蚀っただけで「かわいヌ」っおな状態になるのか。

看護垫さんの説明は、わかるようで䜕もわからない話だった。
被せるようにもう䞀床「ミッキヌ」ず父は蚀った。

時に薄皮を剥ぎ取るように、
時に倧きなナタで叩き割るように、
䜕もかもを倱っお手攟しおいった先で父の䞭に残ったのはミッキヌマりスだったのか。
それも所詮は䞀時的なもので、ミッキヌマりスすら父の䞭からいずれいなくなるかもしれないし、倖からは芋えないだけで父の䞭にずっずあるかもしれない。
父が、圓人がいないずころでだけ、僕の兄匟・自分の息子のこずを耒め、劎っおいたみたいに。

僕を盞剋の歀岞に残し、
幻のガンゞスを経お、
怍物めいた䞍思議な生呜力を駆䜿しながら、
父の魂はミッキヌマりスず共にある。今のずころは。

いいなず思ったら応揎しよう