
ラプソディー・イン・ブルー(+オレンジ)
「ニューヨークへ行きたいかー!」
が決まり文句のクイズ番組がかつてあった。
昭和も昭和、バブル満載な時代である。この番組は1977年に始まったらしいが、物心がついた頃にはもうすでに大人気だった。
クイズ番組に夢中になりやすい、じぶんが中学の頃にこの番組も人気のピークを迎えていたようだ。
中学ともなれば、漠然と将来を考える頃で、秋に1ヶ月だけ集中的に放送されるこのクイズ番組を見ては、「大人になったら出てみたい…」なんぞ思っていた記憶がある。
「知力・体力・時の運」がキャッチフレーズ。あちこちの大学で「クイズ研究会」なるものがあり、このクイズに出たいがゆえに、岩手からわざわざ立命館大学のクイズ研究会をねらって入学していった先輩がいた。彼女、どうしてるかな…(ちなみに、その先輩が入学した直後にクイズそのものは打ち切りになりました…)。
転校したあの子からの手紙
最近の中学生のみなさんは、転校してしまったお友達ともやりとりが比較的しやすいかもしれない。連絡を続ける方法は数えきれないくらいある。
ただ、まだ昭和だったあの頃は、遠隔の中学生のやりとりはお手紙が基本だった。転校したクラスメートは、「元気にしてます。〇〇中学の皆さんもお元気で」という一筆をクラス宛に送ってくれることが多かった。
そこから連絡がつづく、というのは残念ながら多くはなかったけれど、手紙は一定時間クラスに飾られて、誰もが読める状態になっていた記憶がある。
転校してしまった誰かからの、一枚の手紙。
そこにはドーンと摩天楼の写真が載っていた。
しかも、紙ではなくてプラスチックのような、透ける素材のものに印刷された、煌びやかに見えるマンハッタンの夜景。どこぞに転校していったあの子は、きっとそのポストカードをどこかの文房具屋さんで「キレイだな、これ」と思って選んだのだろう。その夜景は誰もが憧れる対象だったのだ。
「ニューヨークへ行きたいかー!」の言葉が頭に響き、パブロフの犬の如く、条件反射的にかのクイズ番組のテーマ曲まで流れてくる。
頭のどこかで「行ってみたい…」と反芻する。
田舎に住んでいても、テレビや映画で見ているそのニューヨークの夜景は間違えることがない。何度もその手紙の写真をみては、こんな夜景を見てみたいとずっと思っていた。
「将来のじぶん」
それと前後して。記憶が少し曖昧なのだが、美術の授業と文化祭にからめて、「将来のじぶん」というテーマでポスターを作ることになった。
なりたい将来のじぶんの姿をポスターにする。そんな単純なテーマ。
水彩画ではなくて、アクリル絵の具を使ってポスター風にする。そのために、キャッチフレーズ的なことも入れる。
端的に、あの憧れている夜景を絵にしてみたい、と思ったこと、それをじぶんの「将来」と結びつけるかどうかはこじつけでいこう、くらいのかるい気分でポスターを作っていった。
最終的な出来は、残念ながら手元にもうその絵がないので想像と「作った」という記憶しか残っていない。
ただ、今回の帰国で実家に帰った時に、スケッチブックがきちんと保管されていた。(感謝、母上!)

今はなきツインタワーなのが時代を感じさせる
写真、興味あったんだな、当時も。
漠然とだけれど「カメラマン」には憧れていたんだと思う。日大の芸術学部はすごそうだな、なんて思っていた記憶もある。
結局選んだ進路は全然違うものになったけれど。とはいえ、写真は今になってよくやるようになったんだから人生わからんもんである。
ウン十年経ちまして…
高校時代は英語なんて単語が覚えられず苦労したのに、ふとした頃から留学に興味がでて、紆余曲折の末にオランダに留学し、そのあと仕事でニューヨークにたどり着いた。
気づいたら人生の半分くらいをニューヨークで生活している。
憧れが現実になったとはいえ、今でも夜景を見ると感慨深いものがある。
中学の頃の漠然としたイメージ、変化しつづける現実の景色。そこに取り巻く多数の人たちの人生は計り知れなく、1秒ごとに出来事が入れかわる。
そんなニューヨークも、2026年6月13日、NBAのニューヨーク・ニックスが優勝したことで、久々に街をかかげての大騒ぎになった。
大学時代に旅行で来たとき、はじめてNBA観戦をしたのがニックスだった。パトリック・ユーイングの迫力、アメリカで見るプロスポーツ、まだ当時は堂々とそびえていたツインタワー。1990年代はアメリカもまだまだ元気な頃だ。そのニックスが最後にNBAの決勝に出たのが1999年。当時は決勝でサンアントニオ・スパーズに敗れた。
2001年の9/11のテロ後と前ではやっぱり何か境目がある。歴史的に見てもそうなのだけれど、じぶんの記憶と経験にもくっきり隔たりがあるからだ。それと、あのテロは世界各地での分断を深めるきっかけになってしまった。
私が仕事でこっちに移ってきたのはテロ後なので、その前のニューヨークとなると「憧れ」と旅行者としての「イメージ」しかない。
1990年代のニックスの思い出は楽しかったことしかないが、こっちで暮らすようになってからは低迷しまくっていたため、ガッカリさせられることが多かった。仕事が決まる前、まだ旅行者だったときに、ニューヨークのNBAストアに立ち寄って「ニックス、前に見た時は強かったのに、どうしちゃったの」と店員さんに聞いたことがある。
"Knicks? They've been depressed since 9/11!"
「ニックスなぁ、テロ以来、鬱なんだよ」
こういう皮肉が言えるニューヨーカーが強くて頼もしかったものだ。
そんなチームがことし快挙を遂げた。街が久々に一団となった。サッカーのワールドカップも始まっていたが、ニューヨーカーにはそれどころじゃなかった。
ツインタワーがそびえていた時代、強かったけれど王者にはなれなかったニックスの時代、世界全体がまだ元気で楽観的だったころ。何かに夢中になって、知らない人たちと喜びを分かち合う、なんていう嬉しさを思い出させてくれる出来事だった。
とはいえ、人混みは苦手なので、文字通り対岸からニューヨークを眺めてきた。
試合が始まる頃には青とオレンジで染まった摩天楼を見に行き、第4クオーターさえ観れればいいや、と残りはゆっくり自宅に戻ることにした。

夕焼けでオレンジに染まる

エンパイアステートビル
ブルーとオレンジでキラキラと
他の建物もニックスカラーで

リバティーステートパーク
対岸にあるツインタワーを追悼する記念碑
”Empty Sky”
ツインタワーはなくなってもまだ記憶からは消えない
「どうだい、今の気分は」
くだんのクイズ番組では、決勝戦の舞台がニューヨークだった。最後は1対1の10問勝ち抜きになり、摩天楼を背景に船上でクイズが行われた。今見てもその演出にゾクっとするし、音楽の使い方だとかもよく計算されていて、観るものを飽きさせない作りになっていた。
記憶がおぼろげだけれど、司会者の福留さんが「どうだい、今の気分は」と優勝者に聞くときに、ラプソディー・イン・ブルーが流れていたのが印象的だった。
摩天楼といえばラプソディー・イン・ブルーなのだ。作曲者のジョージ・ガーシュウィンはニューヨーク市出身、上の映像でピアノと指揮をしているのが、ニューヨークフィルでも音楽監督を務めたレナード・バーンスタイン。
1976年に放送されたもの、でもなんだか色褪せない。
マンハッタンだけでなく、周辺の地区もどんどん変化を遂げているニューヨークだが、バスケに一丸となってお祭り騒ぎになるニューヨーカーの心意気だとか、人々を魅了させずにはいられない文化の根っこの部分だとかがまだ普遍的でたまらない。
この曲を聴いたり、マンハッタンのスカイライン、特に夜景を見るときには、いまだにどこかしら頭の中の福留さんが「どうだい、今の気分は」と問いかけてくる気がする。
長年住んでても半信半疑だ。うわぁ、ここにじぶんがいる、というのと、ここで結構やってきたなぁ、というのと、これからどうしようかな、と。
せっかく写真もちょっとできるようになってきたし、もっと「世界を写す」ことにチャレンジしようかな。ニューヨークだけが「世界」なわけでもないし。知らないところはまだまだたくさんある。