
ある男の人生(創作大賞2026エンタメ原作部門応募作品)
【あらすじ】
田舎の雪国育ちである男が、成人になり、就職のため都会に出る。妻を迎え、子どもを持ち、一般的な家庭を築き、勤め人として日々暮らしていくが、自分の生き方への自問自答が常にある。一方で、男には学生以来の友人がいる。彼は、学者や教師などの学術関係で定職に就けるはずが、あくまでも自分らしいマイペースな生き方を貫いている。友人同士ありながら、価値観の違いから口論になることもあるが、お互い苦悩と葛藤がある。世間一般、ごくごく平凡な人生ではあるが、人生の不思議さを描いた物語。
それは、大国に独善的な男が大統領になった頃の話である。人種差別的観念は、主張するに分かりやすい時代で、タブーとするのは今は昔なのかもしれない。「問題になっていることを沈黙するようになったとき、われわれの命は終わりに向かい始める…」もしそうだとすれば、我々は声を上げ続けなければならない。
これとは全く関係無いが、とある国の大都市に、立身出世を夢見る青年がいた。彼は貧しい雪国育ちで、将来、町の炭鉱夫になるはずだった。勉学意欲は人並みであったが、いわば雑学が豊富で、選り好みをせず知識にするという彼の姿勢が、彼自身の知恵と公正さを表していた。雪国から大都市は隔たっていたが、大都市の恩恵と損害は確実に受けていた。石油へのエネルギー転換が進むと、燃料としての石炭需要は大きく減少し、町の労働人口がどのような一途を辿るかは言うまでもない。
男は地頭が良いので、当時十歳くらいには、この労働環境に危機感を覚えていた。それでも、時の流れを察しない身内の生活の愚劣さ、既成の秩序を変えようとしない周囲の大人の愚痴には、しばしば彼を当惑させた。同時に、自分のために忍耐強く働く両親を見て、申し訳なく思った。両親が自分らしい生き方が出来ていないのは、子供である自分にすべて原因がある。父の献身さは分かりにくく、母は身近なところで、少年だった男を懸命に育て上げた。親の人生を犠牲にした産物が、自分自身であると理解したとき、己の無知を恥じるようになった。
男は十八歳になった時、権威ある学術研究機関の門をたたいた。勉学に励み、そこで気の合う友人と出会った。男は物理学を得意とし、その友人は数学を得意としていた。中でも、友人は解析学の方面に優れており、将来は研究者になるものと誰もが疑わなかった。
二人が学業を終える年のことだった。友人は、てっきり数学者になるはずだったが、彼の母が重い病に倒れてしまった。彼は片親のもとで育った。一人っ子である。品行方正かつ孝行者の彼にしてみれば、母親のためであれば学問を中絶し、研究職を諦め、地元へ帰ることは容易だった。
彼の決断に対し、男はその才能が失われることを惜しく思った。何とか残る方法はないのか説得を試みたが、友人は首を縦に振らなかった。
「ここにいては、母を安心させることが出来ない。一刻も早く定職に就き、家庭を築くことを優先するよ。それに、君には分からないかもしれないが、実のところ僕の研究は頭打ちになっていた。これ以上やっても、芽が出ないことを想像するだけで夜も眠れないのさ」
男は、それを聞いて実に彼らしいと思った。同時に、彼のような人間でも、才能の限界を感じていたことに驚いた。二人は固く握手をし、これまでの感謝と互いの将来に期待をして、別れた。
五年たった。二十七歳になった男は、自動車製造業の開発者として働いていた。本意である仕事に日々充実していたが、あまりの激務に逃げ出したくなることも多々あった。社会人であれば当然と言えば当然で、最初から上手くいかないのは、むしろ真っ当である。
また、男は良き伴侶を得た。加えて、彼女には胎児が宿っている。彼ら夫婦は、自分たちが幸運であり、生きることと生かされていることが等しいものと悟った。
ある日、男は仕事でとある田舎へ行かねばならなかった。偶然にもそこは、学生時代に親友であった友人の地元であった。二人は定期的に連絡を取り合っていたが、互いがどんな暮らしをしているか知らなかった。その夜、二人は適当な酒場で待ち合わせた。五年ぶりである。
男は頬杖をついて待っていると、友人が店にやって来た。扉にある真鍮の鈴が、大きく鳴った。彼は男の隣に座ると、すぐさまウィスキーを注文した。
「お母さんの容態は」と男。
「死んだよ」と友人。
「いつ」
「四年前かな、卒業してすぐさ」
「そうだったのか…」
一つ沈黙を数えると、友人は話し出した。
「それはそうと、君も立派になったね。その腕時計が良い証さ。さすが大企業だ」
男は「いやいや」とだけ返すと、自身の近況を友人に話した。友人は彼の真っ当な生き方に感心する一方、少々悲観的でもあった。
「そういう君はどんな暮らしをしている。仕事は」男は聞き出した。
「うん、今は高校で講師をしている」
「…驚いたな、君は教師を目指しているのか」
「いや、もう教鞭を執るつもりはない」
概して、講師とは教師の卵である。何か特別な事情があると男は察したが、もう少し踏み込んで聞き出すことにした。
「何かやりたい事があるのか」
「…」
「もう一度、学者を目指すとか」
「うん、それも一時考えた」
「…」
友人の表情は穏やかだった。それを見た男は、いくらか安心したが、友人の生活振りが意外でならなかった。友人は再びウィスキーを注文すると、口を開いた。
「実は、去年まで教師として働いていたのさ」
「…つまり、君は教師から講師になったのか」
「そうさ」
「まさか」男は叫ぶように言った。
藁をもつかむ思いで正規職員を目指すこの時代、自ら辞め非正規労働者になる理由が見当たらなかった。男にとって教職は門外漢ではあるが、その離職率の高さは耳にしていた。
「仕事が合わなかったのか」と男。
「ふふふ、だったら講師もやらないよ」友人は唇にグラスを止めて言った。
「それもそうだな…でも、君であれば再就職なんて容易に思えるが」
「ふふ、君は昔から僕を買い被るよね。逆に聞くが、君は今の仕事に満足かい」友人は男の眼を見て言った。
「満足って、随分なことを聞くな。大方の社会人は満足するために働いてはいない。現に雑務をこなす時間だって多いのだ。それでも、私には養う妻がいて、彼女の中には子供だっている。それが労働の意味にもなると思うが、一体どうしたというのだ」
男にとって、友人の質問は幼稚に思えた。
「つまり君は、他者のために働くと」
「…誰が為にとかそういう問題ではない気がする。確かに、仕事に忙殺されることだってあるが、それは同僚も同じだ。我々はチームなのだ。乗り越えた時の達成感は素晴らしいものだ。それら報酬系が、資本となって、精神衛生上も向上し、家族への奉仕につながる。違うか」
「ふふ、実に真っ当さ。それでも、僕が懸念してしまうのは、勤労に対する忍耐強さなのだよ。僕が正規職員として勤めていた時もそうさ、あるようでない勤務体系、土日は返上、それでも聖職として働き続けていた。確かに、僕の数学的なセンスは同僚と比べても、頭一つ出ていたような気がする。だけれども、教えるというのは、また別な能力を必要とするのさ。思い上がりも甚だしいが、名選手が名監督になるとは限らないのと同様、僕は教育的な活動に情熱を注ぐことが出来なかった。
学級づくりや部活動、校務に雑用など、何とかこなすことは出来ていたが、心には常にぽっかりと穴が開いていた。要するに僕は我慢ならなかった」
友人は早口だった。自身の欲求不満さを恰も男へぶつけるようで、二十代の勤め人であれば、誰もが一度は思う愚痴に過ぎない。彼は、見るからに孤独であり、成長していなかった。履き潰したスニーカーに色味の無いチェックシャツは、学生の頃と変わらなかった。男は彼を不憫に思った。当時の彼をよく知っている男にとって、心境としては複雑であり、かと言って、相談に乗る程の境遇にも思えなかった。自我の芽生えが、今現在に至るのであれば、本人は納得している。いわば、モラトリアム期間である。
彼は学生の頃、自身の得意なもので評価を受けていた。それ故に、範疇を超えたものが要求された場合、対処しきれない。優秀と言われ続けていた彼にとって、自分時間の崩壊が耐えられなかったのである。
「それで講師に…」男は呟いた。
「講師であれば、授業だけで済むからね。まぁ腹が立つこともあるが、好きな数学だけやって暮らしていけるなら、それでも良いかと思い始めたのさ」友人はあっけらかんとしていた。
「……不自由無いのか」
「不自由が無いと言ったら嘘になるさ。それでも、以前より今の方が自分の時間があるし、楽しいさ」
「自分の時間って……まるで、リタイアした人の言い草じゃないか」
「うん、まぁ一つ聞いてくれ」と友人は答えた。「確かに、君の言い分も理解できる。この歳で男がアルバイトなんて恥ずかしいものさ。だが、何も悪いことをやっているわけではないのだ。努力の方向性を模索しながら暮らしている。格好良く言えば、そんなところさ。そうだな、君のように家庭があれば、呑気なことも言えないだろうに」
「誰か良い人はいないのか」
「良い人どころか、近頃は人とも会っていないよ」
「…」
友人の体たらくは、母の死が原因だった。男は、それを感じ取っていたが言い出せずにいた。それでも、敢えて厳しい言葉をかけようと決意したのは、彼が絶交を覚悟したからである。また、お互いが、お互いの生き方について往来してしまうのは、少々な若気であった。
「なぁ、聞いてくれるか。私は君のことを尊敬していた。その気持ちは今でも変わらない。なぜなら、私は君の可能性を信じているからだ。学生の頃、烏合の衆に群れることなく、私たちは自分をしっかり持って勉強してきたじゃないか。
確かに、社会で要求されているものは、学問的素地の良さでは無い。君の心境の変化も多少は理解出来る。だが、努力の方向性…そんなものは働きながら考えれば良いじゃないか。良いかい、『二十代の苦労は買ってでもしろ』と言われるが、まさにその通りだ。我々の苦労は今でしか買えず、これを逃すと増々出遅れてしまうぞ」
「ふ、出遅れるという発想が僕にはもう存在しないのだよ。今一度聞くが、君は人のためであれば苦労を厭わない、いわば他人本位なところがあるね。けれど、本意のところはどうだろうか。僕みたいな学生優良、社会人ぼんくら人間でもこうして精神豊かに暮らしている。おそらく、今ここでストレスチェックをすれば、君よりも僕の方が良い数値を出すに違いない。そりゃそうさ、一度しかない人生を自由に生きて何が悪い。君の主張はステレオタイプの押し売りだ」
「押し売り上等だ。君は自由の使い方を間違っている。自由とは、制約の中で自在に生きることさ。君の現状は、時間の浪費に過ぎない。数学が好きであれば、教えるだけに留まるべきではない。君の才能が枯渇していなければ、もう一度、研究対象にしてしまえば良い。あるいは売り物に出来るだろう。好きな事であればもっと仕事の形を増やしてみたらどうだ。その制約の中で初めて、君は真の自由を感じ取ることが出来るはずだ」
「ふ、君の向上心には恐れ入ったよ。僕は何も人生に諦観しているわけではないのだ。僕はある掟に従っている」
「掟…」
「そう、それを遵守する力は人によって千差万別で、多く備えていればいるほど、足るを知る者は富むように善徳な生活が完成する。僕から言わせれば、君は世間体によって真っ当な人格を形成したのさ。その立場から言えば、僕の生活環境、将来の展望は不安ばかりだ。仕事、結婚、近頃じゃ老後を考えている若者だっているそうじゃないか。だが、人生とは成るようにしか成らないし、君の生き方が僕に適してなどいないのだ。もし、君が僕と同じような境遇であれば、生活のことをとやかく言わないだろう。つまり、君…いや、我々は主観でしかものを言えないし、客観的に物事を考えているようでも、認知上の限界がある。僕の幸福と君の幸福は、まるで観点違いなのだ。話を戻すが、僕は自己の喜びを求める本能に従って生きている。さっき君は達成感、やりがいという言葉を使っていたが、まさにその通りで、人間は誰よりも自己を愛すべきである」
「…君にとって、自己を愛するのが今の生活なのか。恰も努力しないことを正当化する自己欺瞞に聞こえるぞ。なぁ、今一度都会に戻ってみたらどうだ」
「それが僕にとっての幸福となれば、喜んで引っ越しをするさ。だが、君はまだ僕の生き方を理解していない。何も僕は、ずっと田舎暮らしを続けるわけではないのだよ。今現在が幸福と思える生活環境を目指している。その直感に従って生きていれば良い。僕の直感が君の生き方と合致すれば、こうも水掛け論にはならない」
男はそれを聞き、友人の意思を尊重するようにした。しかしまだ、言い訳がましい人生観だと思っている。
友人は男に、自身の生活を考え直してみたらどうだと逆に説き始めた。男は「考えてみるよ」とだけ言って、その場を濁した。
その日の帰り道、男は友人の生き方に少しでも同情しようと考えた。
仮に、友人の生活が自分を惹きつけるものとしよう。すると、彼の生活が既存の人生観に否定を必要とするのだ。しかし男は、仕事と家庭に喜びを見出しており、これを拒否することはもはや出来ない。確かに、家庭のために仕事があり、その逆だって成り立つ。家庭があるということは励みになる。家庭の有無は出世に影響する。だが、男は自身の意思が見当たらないことに少々戸惑った。さっきまで、友人に偉そうなことを言っていたが、彼の立場を思えば、身勝手な生き方に少し歩み寄れる気になった。
翌日、都会へ戻った男は、休日を家族と過ごしている中に、自己の生活に紛れ込んでしまって、友人のことをすっかり忘れてしまうのだった。
男は善良な気質だったが、役職が変わり、部下を従えるようになってくると、徐々に態度も変化していった。部下の仕事が気に入らなかったり、自分の機嫌が悪い時には、公然な場で彼らを厳しく叱責してみせた。男は必要以上に高価な車を所有し、自分の趣味に金をかけるようになった。新婚当時、あれほど家庭を大切にしていたが、以前と比べると、仕事の量は増し、その質も責任のある重厚なものになりつつあった。終日、働き続け、稀の休日には友達仲間と遊び歩き、酒色に身を委ねた。彼の妻は忍耐強い者だったが、鬱憤が溜まり溜まって、彼と口論になることが次第に増えていった。二人は三十二歳だった。
男は自己の生活を眺める余裕がなかったので、妻からしてみれば生き急いでいるように見えた。
労働と歓楽に耽る男だったが、生活がことごとく流れ過ぎるので、このまま生涯を終えるものと思っていた。家庭との距離が次第に大きくなり、五歳になる娘に疎まれるのも気にならなくなった。これが平生なので、彼自身、世間一般の夫であると思い違いをしていた。
当然だが、それは長く続かなかった。男の両輪の欲求は加速度的に増していく。入社当初は、同僚と二人だけでも一杯の酒で愉快になれたものだったが、さらに楽しい気分を味わうためには、上等な酒と刺激ある友達を求めるようなる。が、しばしば繰り返されるうち鼻に付いてしまい、今度は女の友達が必要になってくる。それだけでは飽き足らず、自分好みの容姿をもつ女性を求めるようになってくる。満足を枯渇させまいと思ったら、絶えず遊びの度合いを強めていかねばならない。同時に、他人に対する要求も強くなっていくので、周囲の人間は男を敬遠するようになっていった。男は、連中との距離を感じ取ると、漸く自分の悪い部分を痛感したが、己の非を認めるのが嫌だった。
ある日、彼の情婦が金をねだりだした。小金であれば小遣いのつもりで渡していたが、今回ばかりは男も首を捻るほどの大金だったので、女の要求を容れなかった。すると、その情婦は手の平を返すように、別の下心のある富豪と懇ろになり、男のもとを去ったのだった。こんな境遇に落ち込んだ男に対して、優しく接する者は誰一人いなかった。幸い、妻子には悪事が露見せずにいたが、自己の虚しさは心奧に漂っていた。
日中は日中で、労働にかまける彼だったので、常に仕事に関連したもの、尚且つ、合理性のある物事にしか興味を示さなくなった。
ある日、男の妻は彼にこう言った。
「あなたって、私たちにほんっとに興味が無いわね」
吐き捨てられたその台詞に、男は「家族というのはそういうものだ」と返したが、本心はそれがどういうものかも理解せずに言った。確かに、彼は妻をしっかりと見ることをしなくなった。一女性として見てきた者が、母となり、母らしい振る舞いとその体格の変貌に、彼は戸惑った。女性は子を産み、子育てによって自然と母となっていくが、男性というものは、その苦悩と幸福を知ることは出来ても体得は出来ない。男にとって、父としての振る舞いは、世間一般に蔓延る理想像を見様見真似でやってみせるしかなかった。故に、彼は夫となると、どこか芯が無く、ふとした拍子に諦観的な台詞を発してしまうのだ。
夫という立場の生産性の無さ。合理性の欠如。妻子に迎合しなければならないという、いかにも彼らしい仕事人間の観点によって、自己の生活と行為とを詮議し始める。
男は家をとび出した。
どこに何をしに行くか、自分でも分からなかった。とにかく、自分一人きりになって、自分の身に起こった過去と、自分に待っている未来のことを熟察しなければならない。衝動は彼をぐんぐん前進させ、気が付けば都会を出てしまっていた。
人は何のために生きているのか。生まれてきたからには、誰かの役に立って死んでいきたい。若い時分、あれほど真っ当な人格でありながら、今や自分を孤独な存在であると痛感したわけだから、それが裏目に出ることで悲しみに襲われた。
自分の生活を検討していくうちに、男は友人のこと、彼と最後に巡り合った際、彼が言った 【掟】のことを思い出した。自信を持って仕事をしていたが、こうした境遇に苛まれているのは、友人が男の説得に応じなかったのと同様、自分自身も友人の言い分を聞き入れなかったことに原因があるのではないか…
少し留まって生活をしてみるという考えが、彼の脳裏に沸き起こる。しかし、冷静になってみると、この現状がそれほど絶望的でもない。こう思って、彼は再び自分の来し方いっさいを回想する。
労働と歓楽、家庭における立場の勘違いが、愛の無い孤立無援を招いたとするならば、まずこの事実を受け入れよう。そして、友人の【掟】を加味することで、もっと自分に素直になれば良い。世間体に合わせ過ぎたため、却って冷酷無情な態度が常になってしまった。そうだ、好きな事をやれば良い。好きな事をやっていれば人と競うことも、争うことも、比べることも、いがみ合うこともないから、心が安らかな状態でいられるはずだ。心の平安が訪れると、きっと周りの人にも優しくなれる。勤め人としてこれまで受けてきた、圧制、嫉妬、侮辱…それら全てを愛で変えられるような仕事をすれば良い。いや、それどころか、夫としての在り方も今後は必要無いはずだ。たとえ、そうした振る舞いが身勝手であっても、私は私で幸福を求める人間のままでいられる。当時、酒場で見せた友人の温顔が、しみじみと思い出される。『そうだ』我が心に呟く。自尊心や強欲、世間体といった諸々の欲望のうちに見出しえなかった。私と同じような生き方に終始している人間は、みんな発見しえないのだ。みんな嫌な事でも忍耐強く、みんな苦悩にしょぼたれている。たとえ、群集心理によって、それが真っ当であっても、一度きりの人生に何の意味をもたらすのだろう。
『…彼は今どうしているのか』
男は真実に惹きつけられた。友人を訪ねてみることで、彼のその後の心境を聞いてみたくなったのだった。
後日、男は友人のもとへ車をとばした。道中、彼は友人の言った台詞を思い出しながら、自分らしくある友人のその後に期待が高揚するのだった。
陽が沈みかけた頃、彼は適当な道の駅に車を停め一休みをした。硝子張りの喫煙所で一服をしていると、一人の男に出くわした。胡麻塩頭で顔の小じわが目立つ中年男だった。ジッポーに燃料が無いからか、ホイールをいくら回しても着火出来ずにいた。
「貸しますか」男はライターを差し出すと、その中年男はにっこり笑ってこう言った。
「ありがとう、君は好青年だね」
男は黙って腰掛にもたれ掛かると、その見知らぬ男も腰を掛けた。「一人で旅行かい」中年男は訊ねる。
「いえ、友人に会いに行きます」と男。
「そうか、君は友達思いだね」
対して、男は「そうでもありません」と言って、自分のこれまでの生活と今後の決心とを逐一彼に物語った。下手な知人よりも、見知らぬ人への自己開示が容易なのは、金輪際会うことが無いので、却って明け透けになった。
中年男は、それに応えるようにじっと注意深く傾聴し、共感的な理解を努めるようにした。だが、男が語り終えると、中年男は吸殻を捨て、彼の眼を見てこう言った。
「青年、その友人のもとへ行く必要は無い。お前さんは、勤め人としてごくごく一般的な迷いに陥っているのだ。むしろ、その歳で生き方について考えているのだから立派なものだ。お前さんは、若く、金もあり、眉目秀麗だ。きっと、奥さんも美人で、娘さんも二人に似て可愛いのだろう。
よいか、はっきり言うが、人生において、それ以外に何が必要なのだ。概して、人間というのは、無いものねだりの生き物だが、お前さんの場合は至極贅沢なものだ。そうした生活すら出来ていない人間が、世の中にどれだけいると思っている。孤独な中、自分の生き方も知らずに労働にかまける人間がどれだけいると思っている。お前さんの主張だと、もしその友人が、今現在幸福に暮らしているならば、仕事をほどほどにして、家庭を二の次にし、自分探しに出るみたいな言い草じゃないか。
よいか、青年、まぁ聞きなさい。
自分らしく生きるなどと言って、世間を渡り歩いている奴の周囲を見てみなさい。自分の好きな事、得意な事、出来そうな事しかやらないのは簡単だが、それらが皆同じ発想になってみなさい。隣の大国のように収拾がつかなくなってしまう。
なぜかと言うと、嫌な仕事というものは、勤め人であれば皆同一で嫌なのだ。労働において下手物食いはいないのだよ。
仕事というものは、そういった欲求を超えたところ…自己からの脱却、他者貢献、時には滅私奉公な部分で現代社会は成り立っているのだ。頭の良いお前さんなら、入社当時そうした気持ちで働いていたはずだ。おそらく、日頃雑事が多過ぎて忘れているだけだろう。
私が思うに、遠路はるばるやって来たお前さんに君の友人はこう言うだろう。『自分は幸せである』と。そりゃそうだ、非正規労働者という者は、直接的な仕事には成り得ない。仕事での苦労を味わうことが出来ないのだ。裏を返せば、自身が幸せであるという事を大見得切って言える奴の方が、生活面では却って怪しい。向上したくてもしようとしない自分に、心の中は常に空虚になってしまう。それでも、現状維持の生活は成り立ってしまい、歳は確実に取る。
二十歳そこそこであればまだ可愛げもあるが、三十を超えてしまっては、たとえ男と雖も周囲は流石に気を使うに決まっている。要するに、自分らしくあればあるほど孤独の度合いは増すばかりなのだ。
それだから、お前さんが思っているほど三十代の意思決定は簡単ではない。簡単ではないが、至って単純。
その決断力を察するに、お前さんの体内には情熱が煮えたぎっている。今それを労働に注がずして何になる。今のお前さんは、悩み悶えたりすることのない、静かな波止場を探し求めているアオサギのようだ。呑気な鳥には、そういった避難所があるのかもしれないが、われら雄の人間には決して許されない。たとえそれが、静謐な片田舎であっても、お前さんのような働き盛りは、何処へ行ってもお前さん自身が財産になる。働かずに歳を取ってしまえば、散財してしまったことをいたく後悔するに違いない。
お前さんの情熱は、誤った方向へお前さんを誘っている。しかし、ひとたび方向を誤った後でも、今なら改めることは出来る。いや、改めるというより、一刻も早くもとの生活に戻り、見返りを求めず目の前のことに従事すれば、道は開く。
これからは、もう少し聞き分けの良いサラリーマンになれば良いじゃないか。夜な夜な放蕩していた自分を悔いるなら、酒量を落とせば良いじゃないか。家族に嫌われても、親父としての役割を果たしていれば、大したものだよ」
中年男の主張は至極真っ当であり、勤め人であれば誰もが知っていた。現代社会における暗黙的真理でもある。彼の談義に男はひどく打たれた。己の不平に圧しひしがれてよくもそんな気違いじみた決心をしたものだと、むしろ不思議に思われた。
「いわゆる、環境を変えるのではなく、私自身の変化によってこの苦境から脱却出来ると、そういうことですね」
「お前さんが自分の本性を認めない限り、無いものねだりは続くよ」中年男は語を継いだ。
「人知の及ぶ限り、あんたの進路は、家に帰った方が良いに決まっている。だが、この教訓を善用出来るなら友人のもとへ向かっても良い。ただし、その友人を説得することはもう止めなさい。その友人とこれからも友達でいたいのであれば、それ以上踏み込む必要は無いのだから。
もし、その男がお前さんのように現状に悩んでいるなら、相談に乗ってあげなさい。そして彼を社会の歯車として引き入れると良い。一人前の男の力を具備しながら、それを持て余していることが、不幸な生き方であると促してやれば良い。『もはや、青春時代は通過しており、我々は第二の時期に突入しているのだ』と言ってやりなさい。モラトリアムの悦楽を捨て、結婚相手でも紹介すれば、孤独の境地に惹きつけられることは無いだろう。そうした生活に身を任せていけば、やがてその友人もお前さんと同質の悩みや不満を持つに違いない。尤も、その頃にはお前さんは一家の主人として敢然としているはずだがね」
男は、この見知らぬ中年男に説伏した。彼は最後の数語を理解すると、中年男に礼を言って家路へと戻るのだった。
男は生活を一変すべく、郊外に新居を構え、身の丈に合った生き方を目指した。会社での高圧的な態度を改め、模範的な上司になるよう努めた。休日は、娘の勉強を見てやり、家族との時間を少しずつ増やしていった。
半年ほど経ったある日、男は出張で近くの町へ出かけて行き、商用を終えると、適当な喫茶店で休憩を取っていた。
しばらくして、店の引き戸が開き、一人の男性が入店すると、つかつかと男の側に近寄って「久し振りだね」と言ってきた。
彼は例の旧友である。二人が出会うのは偶然ではなく、友人からの誘いだった。友人から出向いて来るのは珍しいと思った男は、仕事の合間を縫って会うことにした。店の中に入って、少し語り合おうと言ったのも友人である。二人の友は互いに相手の生活状態を訊ねあった。
友人の生活は、最後に会った時からこの方、特に変わっていなかった。相変わらず数学講師として高校を転々とし、今なお無妻だった。そこそこの収入で、無理をしない労働環境に慣れており、依然と全く変わらぬその風貌に男は少々驚いた。
男も身に起こったすべてのことを友に語った。二年ほど前、友人に会いに行こうとしたこと、その途中で見知らぬ男に巡り合い、彼に引き留められたこと、自分がその勧告に従って良き夫業をしていること、逐一話した。
「君も相変わらずだね。それで結局、君の心は晴れたのかい」友人は訊ねると、男は手にしているコーヒーカップをぴたりと止めた。
「…うん『心が晴れたか』というのは、一体どういうことを指すのだろう。確かに、以前の私に比べると、明らかに不平不満を言わなくなった。が、それが、自己のもろもろの充足を意味しているとは、正直言い難い。その日から別人を演じても仕事の量は変わらないし、むしろ増える一方だ。
結婚生活の方も正直に言うが、私を満足させてはいない。いや、暮らしは十分だが、そこに喜びだけをもたらすのは間違いだと気が付いた。無論、娘の成長は喜ばしいことで、活発な彼女を見ていると、富も名誉も不要なものと錯覚してしまう。だが、同時に重責だと近頃思い始めている。我々夫婦という者は、互いが欲しいがままに子を作ってしまう。しかし、その欲求は、人類の存続に対して配慮したものだろうか」
「ふふ、君もいくらか面倒臭い奴になってきたね。面白い、続けてくれ」「結婚した当座は、私たちはすっかり幸福だった。当時、君に説教をした程だったな。しかし、今ではもう互いが愛撫を求めることもなく、かと言って無関心でもない、時折不和も起こるが、取り立てるほどでもない…そうだな、こうした身の上話には結びが付きにくいから、上手く説明出来ないが…愛のために生きていくことが真っ当だと、私は思っていたが、どうやら人間は、愛よりも大切なことがあるのかもしれない。でなければ、人類はとうの昔に跡を絶っているに違いない。だって、考えてもみてくれ。結婚式で夫婦は愛を誓い合うが、その後離婚する連中は一体何なのだ。互いの愛だけでは、愛の意味を理解出来ていないことになる。壇上で、神父に誓い合うそれらは、差し当って高校球児の選手宣誓のようなものだ。正々堂々な意気込みは結構だが、結果に結びつかないのは愛も同じなのかもしれない」
「つまり、君のかつての幸福は、断言し難いものになっているわけだ」
男はコーヒーカップを置くと、頬杖をついて答えた。
「…生活を認めてしまえば、それは幸福へと通ずる。だが、認めてしまえば生活の向上が望めないことに葛藤がある」
男は、おでこに手を当てて目を塞いだ。
「なるほど、ところで君の趣味は何だい」友人は言った。
「趣味だと」
「そうさ、君は車が好きだったじゃないか」友人は足を組み直すと、男に答えを促した。
「確かに好きだが、二十代の頃とは訳が違う。家計を逼迫させないように、今は燃費の良い、つまらん車に乗ってるよ」
「うん、何故、つまらんと知ってそれを選択するのだ」
「…何が言いたい」
「僕からしてみれば、その選択に妥協と忍耐しか感じないのだよ。確かに、君は一家の大黒柱なわけだから、そうした選択に世間は納得するに違いない。自分がつまらん車に乗っているのは、家族のためでもあれば、家族のせいでもある。差し当って、君はその狭間で苦悩しているように思えるが、違うか。君は、自身の欲求を家族への奉仕を理由に我慢している一方で、自己を開放する場を見失っている様にも見えるのさ」
友人の主張に男は、いつだったか、彼の地元の酒場で語り合った時のことを思い出した。無礼千万になるのも、当時から互いの生き方が大きく異なり、平行線を辿ったからである。
「失礼だが、独身の君には理解出来ないのさ」男は腕を組み、独り言のように呟いた。
「ほら、それもまた我慢強い表れだ。言っておくが、その発言は、失礼でも何でもないよ。だが、もし仮に僕が妻子を持っていたとしたら、君のようにならない自信がある。僕は、自らつまらない選択をしないからね。たとえ『下らない、こんなものは無意味だ』と言えることにだって、面白味を見つける自信がある。尤も、近頃は、そういう物事に遭遇しないよう安住しているがね」
友の最後の数語に、男は彼の主張の核を見出したのだ。
「そう、君はやりたい事しかやらない。教師だった頃、その雑務が嫌で辞めたと言っていたじゃないか。良いかい、よく聞いてくれ。君の生き方は、お母さんの死が原因じゃないのか。学生の頃、あれだけ優秀だった君が、どうして途中で辞めたのか思い出してくれ。本当の孝行息子であれば、親の生死に関係なく、親を敬うってものが筋だろう」
「まさか、天国の母は今の僕を見て悲しみ哀れむとでも、君は言うのかい」「違う。実のところ、君だって、他人本位な生き方をしていたはずだと言っている。母を失ったことで、君は孤独を覚悟してしまい、人生を決めつけた挙句、徐々に投げやりになっていったのではないか。
今一度君に聞こう。その幸福に欺瞞的な要素は本当にゼロなのか。背広を決めて、あくせく働く男の姿に君は何も感じないのか。同世代の子連れ夫婦を見て、君は本当に何も感じやしないのか。言っておくが、私は普段、ここまで人に強くは言わない。君の場合は、恰もそれを自ら放棄しているようだから…友よ、どうか当時のような火のついた眼をしてくれないか」
すると、友人は鼻で笑いこう言った。
「ふ、僕の生き方にまさか母親の死を引き合いにされてしまうとは、君には恐れ入ったよ。確かに、それは否定しない。病院から母の訃報を聞いた時、自分の中でガラガラと何かが崩れた音がしたさ。当時、僕自身、繁忙期でね、立ち会うことも出来ず、簡単な家族葬で済ませてしまったのも、申し訳なく思っている。
だが、僕は自分自身を欺くような生き方をしていないと胸を張って言える。この主張は、数年前ともはや変わりはない。まだまだ三十代とはいえ、僕らもだんだん頑固になってきたね。加えて、この議題に関して僕らはどうも論旨が噛み合わない。僕はただ、君の顔を見たかっただけなのに、そこまで社会復帰を求めるならば、敢えて聞こう。
君こそ、自分自身の生活が上手くいっていないのに、なぜ友である僕にそれを薦めるのか。君自身が幸福を見出せていないのに、何故、幸福である僕にその生き方を薦めるのか。困難と分かって敢然と立ち向かう人間の真理を是非とも教えてくれないか」
友人はこう言って、離れ去った。男は釈然としないまま、しばらく席に座っていた。
フランスのある劇作家は「理屈をこねると理性を追放する」と言った。男が、こんなにも誇っていた生活は、もしかすると気取った未完成に過ぎなかったのかもしれない。男は少なくとも悪ではなく、かと言って善とも言い難い、大らかな気持ちで我慢しており、不満に似ているが幸福でもない。それは、実現しえないものに対する郷愁のようであり、男にとって幸福とは近づくことは出来ないが、絶えず追及していくものなのかもしれない。
現に旧友の彼だって「不便を常としていれば不自由無い」という発想であり、決して余裕のある暮らしではない。男はそれが懸命な生活とは思えなかった。
この傾向は、個人的な生活は卑しいものと考える。彼自身、矛盾しているのと同様、友だって矛盾した幸福にいるのだから、つまらぬ結論になってしまうが、結局、幸福とは己がそれを認めるかどうかにかかってしまう。個人的な生活が、友人の若さの秘訣であるならば、学生時代に培った学問の皺は一体何だったのだろうと思い悩む。
元来、友人は優しい人間でもあった。それは今でも変わらないが、会話の要所々々で現れる彼の保守的な発想は、本人が一番理解している。彼が、男の返答を聞かずして席を立ったのもその証左である。
男はそれも十分理解していた。確かに、友情というものを男は友を通して知った。また、友情とは、それ以上深く出来ないものと悟る。学生の頃まで境遇が同じなので、その先互いの価値観が大きく異なるのは当然である。
実のところ、友人の本意は世間に対する恐怖でもある。ブランクを良しとしない御国柄で、何の役にも立たない抽象科学を研究していたことに人生の浪費を感じずにいられなかった。彼が、男に対して反駁してしまうのも、その裏返しと言える。その本心を男に指摘されて、自身の内奥を読み取られたのが耐えられなかったのだ。友人の考えは、他人の個性を尊重する分、自分の個性の発展も自由にして、自己の所有を個人に任せるものである。それが大の大人からすると、他人に甘く、自分にも甘い奴に見えてしまう。
おそらく、彼が老年期に差し掛かる人間であれば、その主張を誰もが認める。彼の主張が、人間が行き着く先の終着駅だとすると、考え直すべき運命論である。すなわち「なるようになるだろう、世界はあるがままだから、自分もあるがままで良い。それは決定されており、そうあるべきだったのだ」
こういう態度が、ボランティア精神、自由意志の喪失であり、独り善がりの悪論で、彼の成長にとって頗る有害である。
一方で、男だって内心穏やかではなかった。これまで、家庭や仕事の所為で、好ましいもの、満足すべきものを断念していた。友の生活が単純で安易で無為な生活とするならば、男は要求の厳しい責任ある容易でない生活を送りつつある。
二人はまだ三十代である。
会計に向かった男だったが、その支払いは既に済んでいた。
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十年が過ぎた。その間、二人は一度も会うことが無かった。友人との談話の記憶も徐々に男の胸から消えていき、当時、抱えていた悩みもいくらか収縮していた。男が仕事から帰ると、すでに鼻に付いてうんざりとなった彼の妻が、いつしか装いもせず、寝椅子に身を投げ出しているのだった。これが自分の家庭の懐と知っていた。彼の生活は、いつも判で押したように同じ順序で流れた。そのうちに二人目の子供も授かった。仕事に精が出るのは良かったが、年を重ねるにつれ、その内容はますます込み入ったものになっていった。
組織の中でも重要度の高い計画を担うようになり、男はこれまでにないくらい仕事に引き込まれ、すべての時間をそれに捧げるようになった。傍からすると、彼は明らかに多忙であった。だが、彼自身は、自由に生きて、自在に活きていると思っていた。それは、やったことのないものに対する挑戦の喜びを知ってしまったのである。
彼は、商品の企画において、新規性があり実用性に富んだ発想に極めて敏感になっていった。その実績が買われ、彼は遂に、ある開発部門の統率者に抜擢された。百倍以上の競争率から勝ち上がり、年功序列の文字は消え、四十代に達した今現在が、彼の自尊心を唆る。この職務は、彼にとって誘惑でもあった。知力を活用出来る上、能弁になれる立場を得たからである。
高い役職に到達した一方、彼の家庭生活にも重大な変化が生じた。二人の子供の教育が、彼を妻から再び遠ざけたのである。彼女は、もはや夫に気を使わなくなった。妻としての優しい感情や愛撫はほとんど無くなり、代わりに母として、それらすべてが子供たちに注がれた。それでも、男は過去に倣い、年頃の娘への配慮、まだ幼い息子の教育、両方とも僅かな時間だが積極的に行うのだった。
以前の彼とは大きく違うが、酒色の誘惑に負けそうなときもある。まず、仕事後の甘美な休息は、妻のもとでは、もはや発見しえないものと考えていた。少し色欲を刺激されてしまえば、再び身持ちの良くない女と親しくなるだろう。だが、もし男に「お前はそれで幸福だったか、不幸だったか」と訪ねてしまえば、彼は返答に窮し、その場を去るに違いない。要するに彼は、一つの仕事、一つの家庭から快楽を望むことをしなかった。
当然、新しい心労が生じた。彼にその自覚が多少あったが、今は休むべきでは決して無かった。ある日、男が医療機関で健診を受けた際、診察した医者が彼にこう言った。「この生活を続けていると、血管が五十までもちませんよ」と。
医者が彼に指摘したことは、いわゆる生活習慣というものだった。彼は確かに多忙だったが、生活の歩み全体としては違和感こそ無かった。働き盛りの彼は、その忠告に耳を貸さなかった。第一に、医者の台詞が世間に漂う健康ブームのような宣伝活動に思えたから。第二に、彼自身、どんな同僚よりも頑健な身体であると自負していたからである。
また、彼に対する医者の助言は、あまりにも抽象的だったので、男は思い違いをしてしまったのである。まず、この生活の意味を十分に理解していなかった。加えて、血管という部位を指摘されたことにも納得出来なかった。その点、彼は運が悪かったと言える。
男はそれを単なる脅しと捉え、生命を危うくするものではないと高をくくったのである。身体の異変は、その先の話なのだから……
このような生活に終始しているうちに、今度は父としての心配事が増えた。十七になる娘が心身に支障をきたし、自室から出なくなったのである。年頃、彼女が持つ批判的な思考は、外部に向けられることが多く、世間に対する理想的なイメージがあった。それを学校の教師が頭ごなしに否定したのである。思春期である彼女は、身体的変化が激しい一方で内部機能が追い付かず、批判の対象が外だけではなく内にも向けられていた。男から見て彼女は早熟だった。
それでも、二三日の休息を与えてやれば、けろりとした顔で部屋から出てくるだろうと男は軽く考えていた。ところが、一週間ほど経っても、まともに顔を合わせる機会が無いので、同じ屋根の下でありながら流石にこれは不味いと感じたのである。
ある日、男が久々に定時で帰宅したときのことである。家の扉を開けると、薄暗い居間で、彼の妻が一人ふさぎ込んでいたのだ。娘が不調になった原因は、自分の教育の所為だと思い悩み、自責の念に駆られていたのである。娘は娘で相変わらず自室を閉ざしており、これらは男を強く苦しめた。これほど取り乱した妻を目の当たりにするのは、男も初めてだったのである。彼はその教師をひどく恨んだが、それでも、自身の長時間労働に加え、孤立した子育てが、この国の伝統であると誤認したのは自分自身であり、分業が招いた失敗とも言える。
散乱した化粧台で、泣き崩れる妻の背中を男はさすってやるしかなかった。
この数か月の間、精神的苦しみの真っただ中で、彼の思想は働き始める。彼は、他人の生活のように自己の生活を眺めながら、それを熟考するだけの余裕が無かった。彼の生活は暗い光に包まれていたが、勤め人としての彼は感傷している場合では無いので、どんなに不愉快な一日であっても、顔色一つ変えずに仕事に打ち込むのだった。
そして、一日が終わり、寝室に着くと彼は寝床に一人横たわりながら、自分の幸福がいかに些細な偶然に依拠していたかについて、思わず考え始めた。その思想が、自己の不幸ではなく、家族全体に包含していることに気が付いたのである。加えて、自分が倒れてしまっては、仕事は何もかも滞り、家庭は崩壊してしまうと、彼は己に増々責任を課すのだった。
ある日のことである。男の家に例の旧友から結婚式の招待状が届いた。男は彼を懐かしく思い、その文面に安堵した。友人とその妻は歳が近いようで、住まいも男の家からそう遠くはなかった。男としては、人を祝いに行ける心境では無かったが、どうやら【友人からの挨拶】も頼まれているので、仕方なくも一応、快く引き受けることにするのだった。このことを彼は妻に話した。妻も友人の結婚を祝福してみせたが、すぐに互いの年齢を心配していた。対して男は「一緒にいてくれる人と出会えただけ良いじゃないか」と返したが、彼女は「この歳では、それだけでは納得出来ない」と言うのだった。
後日、友人は男に当日の【挨拶】を依頼した手前、会食と称して、彼を上等なレストランに招いた。男が店に着くと、案内人が現れ、友人のもとへ導かれた。妻と二人で待っていた友人は、男が現れると「久し振りだね」と言って席に座るよう促した。
「幸せ太りってやつか」男は敢えて意地悪く言い、優しく微笑んだ。友は「いや、まぁ……」と照れてみせた。その第一声に彼の妻は、苦笑いをしていただけだった。彼の妻は至って普通だった。清楚な容姿に淡泊な性格で、彼との価値観が大いに似ていると、男は瞬時に理解した。テーブルを介して相対しているので、男は夫妻の全容が良く見えなかった。卓上にある蝋燭と、壁掛けの間接照明が都会の夜景に調和して、三人を上品に演出させる。男からみて、女は妊娠しているようにも見えたが、不躾にもなり兼ねないので訊ねるのは止めにした。二人とも当時の諍いは疾うに忘れており、男は友人に馴れ初めを聞き出すのだった。
現在、彼は大学で講師をしており、彼女はその大学の職員だった。
「尤も、僕は期限付きの講師だから、立場的にも給与の面にしても彼女が上だけどね」と言って、彼は妻の目を見て微笑んだ。
それを見た男は、呆れ返ってしまったが、悋気に似た感情も沸き起こった。晩婚によるリスクにも拘らず、未だ自活さが足りない上、彼の妻も現状を喜んでいたからである。
だが、その妻は、あらゆることに心の用意が出来ており、友人の不完全な部分を丁度、穴埋めするかのような人間だった。問題は一般的なもので、子供をどうしようか、仕事や家事をどう分担し、住居はどうしようか、というものだった。「困苦に漂着させられようならば、それもまた楽しめる」といった節の発言もあり、これには男も感心した。
また、男は二人の式の企図に助言を与え、当日は、遠慮なく存分に楽しむよう忠告した。しばらく談話していると、友人の妻は約束事を思い出したようで、携帯電話を持って席を外した。
二人きりになると、男は表情を少々固くして言った。
「研究は忙しくなりそうか」
それは、彼なりに気を使った問い質しだった。自身の研究を鼓吹しなければならない友人との精神的交通を図ったのである。だが、友人は弱気であった。実績が余りにも不足しているのに加え、学内の役職の数が決まっているため、今の職場では現状維持が精一杯である。友人の気性は明らかに後ろ向きだったが、男からしてみると、そうした不安が漸く真面に映った。友人は、男の気遣いに共鳴せず、前置きもなく言葉を発した。
「先日、公開討論会に出席した際、ある人から名刺をもらう機会があってね。その人は、自分の名刺入れに名刺を乗せ、僕の顔を見ながら両手で丁寧に渡してきたのさ。僕は、そいつを受け取ると、すぐさま内ポケットにしまってね…それを見て先方は驚いていたさ。
なぁ、僕は数学という一つの学問でここまで生きてきた。僕みたいな人間を専門馬鹿って言うらしいが、日本語には上手い言葉があるよね。彼は色々と仕事の話を持ち掛けるが、僕はいまいち要領を掴めないのさ」
友人は、明らかに過去の自己及び自己の生活を反省していた。あらゆる配慮を模索した彼だったが、男はそれを黙って聞いていた。
「…要するに、その男は、君のことを高く評価しているから、仰々しくも紙札を君に渡したのさ。私から言わせれば、そうした甘い教育を授かった所で、仕事のイニシアチブは取れない。
事実、その男は、君を困惑させただけじゃないか。大体、今時、かっちり名刺を渡す奴に限って、下手に見えるが、実は上から目線ってものさ。尤も、我々の世代は皆知っている。この歳になって、つくづく思うよ。マナーも大事だが、成果に拘って欲しいと」
男は、実行の遅延を許さず、尚且つ近頃社会に蔓延るマナー重視な社会を峻烈に批判してみせた。
友人は「確かにそうかもしれないね」とだけ、力なく言ってみせた。
概して、楽天的な友人が、珍しく消沈した様子だったので、男は自分の芳しくない現状の家庭を包み隠さず開示した。と言っても、男は決してそれが愚痴にならぬよう、中庸を得た感受性は保ったまま、時折微笑むことを忘れず話をしてみせた。
「あの時、偉そうに君に説教なんかしてみせたが、娘の前では気を使ってばかりで、自分が父親の立場であることが却って恥ずかしいくらいさ。自室に籠るあいつを見ていると、自責の念に駆られてしまってね。自分の子供が年頃になってくると時々思い起こされる。茶の間で親父が黙って胡坐を掻いて新聞を読んでいた姿がね。
私はね、友よ。自分だけが幸福になるような、酒色、いわゆる放蕩な人間を振る舞い、尚且つそうした同類とつるむこともあった。ところが、そうした生活をすればするほど、心の渇きは一層増し、結局、仲の良いと思っていた人物との気持ちは通わなかった。
一方で、妻子には、虚偽を真理の如く装う詭弁家だった。それは、逆説的になってしまうが、口数が少なく、自身の戒律のみを履行していれば文句を言わせないという、高圧的に沈潜しているように見せかけて、実は父という役割を放棄して自分を欺いていた。私としては、妻と役割を分業することで、争いもしないし、かといって誓い合うこともしないが、そうすることで、社会生活の方法を達成させようとしていた節がある。しかるに、私は、より良い生活を口実にして、本来改善するべき物事に目を背けていたのだ。世の男は、法律の下で、ある程度権力を持ってしまうと、恰もそれが、自分のすべてだと思い込んでしまう恐れがある。この皿に盛りつけてある野菜一つ一つを我々はどうして食べられるのか。当時の私に問えばこう答える『私には、それだけの金があり、私に見合う食材と判断したから』と…
百姓が、大地に種を蒔いて、良質な土をかぶせて、収穫に備えていることを疾うに忘れており、眼前の儲け話にしか注視しなくなる。恥ずかしい話だが、この手の食材の原型を私は見たことがないし、葉菜と根菜の区別すら考えずに口へ運んでしまう。料理長に『これらは海から採れたんですよ』と言われれば信じてしまうかもな。それぐらい私の興味関心は狭小で、利益にしか目を向けない単一焦点型な人間だったのさ」
男の言葉に内的動揺に駆られた友人は、沈黙していた。しばらくして、空になったワイングラスを手に取って「なるほど、確かにそうかもしれないね」とだけしか言ってみせなかった。
程無くして、彼の妻が席に戻ってきた。彼女は二人に「何の話をしていたの」と聞くと「ただの思い出話さ」と友人は返した。
男が抱える問題は、人間が幸福になるような生活様式に意味があった。このような生活に終始しているうちに、彼の生活の今後をほとんど変えるほどの事件が惹き起った。
平日のことである。男は、普段と変わらぬ朝を迎え、出社した。ところが、会議をしていた最中、胸に強い痛みを感じたのである。経験したことの無い感覚だったが、忍耐強い性格だったので、少し横になれば楽になると思っていた。が、その痛みはやがて背中に渡り、遂には呼吸することも危うくなっていった。側にいた同僚は、彼の異変に気付き、車で病院へ送ったのだが、診察するや否や「ここでは処置出来ない」と判断され、直ぐに大きな病院へと搬送される。
男の思いとは裏腹で、自身の生命を危うくするものだった。内的な負傷は相当重く、心臓の血管が解離しており、直ちに手術が始まった。男は生死をさまよった。
駆け付けた妻と子供らは、治療室に入れず、手術の状況を映像で見ることしか出来なかった。一旦、心臓を止め、バイパス手術を始めた時、あまりの恐ろしさに妻は視線を落とし、神に祈った。
健常者であれば、終末的な気分にさせられる施設において、闇の光は次第に男とその家族を漂わせ、四人を絶望に陥れようとした。我々は安全で、社会にも所属しており、愛情を持ち合わせた、いわば一般的な家族であった。こうした生活が、実は甘皮一枚で成り立っていたこと。男自身、心身にあまりにも無関心でいたこと。加えて、その在り方が、勤め人として時代遅れであったこと。自分が負傷することによって、家計が成り立たなくなることに注視し過ぎていたのは大きな誤りであり、自分が生かされていたことを再び悟るのだった。
結果、男は闇の引力に懸命に反発する。こんな状況下になってしまっては、会社に莫大な損害と混乱を招くのではないかと心配する。すると、光源は禍々しい闇布となって男を覆うのだった。その都度、男の背にいる妻は、必死になって男を引き止めた。それは、勤め人としての自己敗北を意味するのではないのかと、男は不安に思ったのだが、こうしたある種の防衛が、生きることの苦しみを追求した証拠でもある。仮に、一命を取りとめたとしても、年中寝通しの人生であれば、それは能力の喪失であり、父親を為そうとしない、人間として委縮した存在になってしまうのではないか。彼の価値体系は、やや宿命的ではあったが、ここまで生きて来れたことに突然と感謝していた。同時に、こうした至高経験は、肉体的疾患によって訪れることに大愚と人間の不条理を悟る。
男には、はっきりとした治療法があった。
“我々は信じなければならない”
自分がどれだけ妥当で有益な人間であっても、これまで経験した世界観によってではなく、少なくとも理論的な輪郭としては、己がいなくとも世界は成り立つ。だが、人生は成り立たないということ。そして、おそらく、その後の人生の歯車は大きく狂ってしまったのだが、それでも人生にイエスというための試練に過ぎない。
行き過ぎた自己流の価値体系は、時として無知蒙昧であったが、たった今、彼は統合したのだった。
よって、知恵の足りない光源は、男のもとを去るのだった。
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男は、一年ほど心身を休めた。当初、半年ほどで復職するつもりだったが、上層部が男の心労をいたわって、大いに休息を取るよう勧めた。生真面目な男は、運動療法を取り入れ、体力の回復を目指すとともに、栄養学を独学で学び、再発防止に努めた。
社内では、彼の位置を競争者が取って代わる。男は、自分が不在であっても、案ずることなく会社が成り立つことに多少の不平を覚えたが、労働というものが、如何に代えの利く物事かを思い知らされた。
そうしている間に、世相は急激な速度で変化した。
我が国を偉大だと言ってのける国家の長を見ていれば、我々はすぐに分かる。周囲の国々は、偉大な国の法律や方針に首を傾げている。それでも、彼らが閉口し続けるのは、成熟しきったことによる大人の沈黙でもある。一方で、ある国においては、暴虐、挑発といえる打ち上げ花火を用いる。野心、功名心などに渦巻く俗世間が、そうした世界情勢にちっとも関心が無いのも、現代の風潮といえる。
男の生きる時代は、ある種、情熱を失った時代であり、それでも生活から流れてくるものを、用意周到に偏見なく検討すれば、大した苦労がなくても労働にありつける時代になっていた。まず、彼らは仕事で汗をかくことを止めた。忍耐と効率を求めていた頃とは打って変わり、人知れず何かを発信することによって、それが徐々に世間へ知れ渡ると、共感の度合いによって資本が生まれるという、年寄りからすると説明されても受け入れ難い、奇異な仕組みで生活する者が現れた。ある者は、自分の奇行を発信し、またある者は変わった風景を発信することで産業が成立した。
男の娘もその一人である。彼女は、世の働く人々の行い、裁きを受ける連中を見て、無駄な苦しみをする必要は無いと気付いた。それは、男が少年だった頃、炭鉱夫だった父親とその取り巻きを見て、反面教師にしたのと重なる。
労働の仕組みを根本から変えるこの産業の中に、知らず知らずのうちに没入してしまった彼女は、自室で行う奇抜な振る舞いを発信することで、そこに一定数の愛好家が生まれ始めた。
男は、娘の活動の内容を何度も理解しようと試みるが、一向に会得できず、仕方が無いので、彼女の活動を見てみることにしたのだ。
初見、あまりにも下劣、破廉恥さに頭を痛めてしまったのだが、生き生きとした本人の表情を見てしまうと、今すぐ止めろ言えずにいた。性を売りにする需要と供給が出来上がっていること。極めて個別的な活動でありながら、彼女の生計が成り立つこと。
そうした社会で流れ出るものは、時として、人殺し、暴力のような罪悪も仮想的になっており、未成熟な人間にとって刺激が強過ぎており、中毒性の高いものに変貌していた。
家族四人の中で、このことを十分理解しているのは男だけだった。病み上がりの男だったが、この件に関しては、妻に対しても信用ならなかった。
彼の妻は、娘の動向を以前から知っていたが、病床に臥していた男に別段相談するものではないと思っていた。娘のやりたいことを大いにやらせるのが、親の寛容さというものだと主張するのだった。二人は、珍しく口論になってしまった。
男の言い分は、彼女は自身の取り巻く環境を十分に理解していないというものだった。
それに対し、妻は「あなたは時代遅れである」と言った。
確かに、人間のあらゆる種の悪は、時代とともに変化しており、罪悪は絶えず、この世にあったに違いない。果して、彼女の行いが、抑制すべき罪悪なのかどうか判断し難いのは確かだった。
これは、おそらく、革命を繰り返す人類において、度々問われているに違いない。人間は、歓喜と同時に混乱を招いていたのだ。
彼女は、意識的に自分自身を発信しているのだが、その参加度を把握せずに活動している。こうした状況を与えてしまったのは、法律が、俗世間に追いついてないことに原因がある。年配者は、時流を見つめるだけで、若者は知った顔でそれを使いこなすが、極めて浅知恵である。
なるほど、これでは、学校で学んだことがいよいよ役に立たなくなるわけだ。男の会社にもそういった人間がいるが、有能な人間は、その改善と適応に熱中する。
淫蕩と罪悪とに沈面しつつある産業に、自分の娘がのめり込んでいるわけだから、それには同情の余地はないではないか!本来であれば、歴史的に見てもそうなのだが、現代の民衆の方が、昔の人間よりも秀でる分野が多いに違いない。だが、それは、その時代に及んでいる、法律の研究、産業に対する、適応、改善そうした複雑巧妙なものを上手に使いこなせるものに限るのだった。多くの人間は、そうしたずる賢い連中の食い物にされてしまう。片手に収まる超高性能な機器を産業とするか、ただの娯楽として使用するのか、それは我々の徳義心にも関係する。
男は、その危険性を理解していたが、それを周知させる手段が思い浮かばなかった。
男が若い頃、頻繁にあった突発的な殺人、貧困からの略奪、窃盗、下劣な詐欺といったような罪悪は今や減少し、それにとって代わる新たな犯罪形式が存立してしまった。用意周到かつ情報の取捨に長けた者だけが、巧妙に行動出来るのだった。それは一見、現代において人間は、自己の情熱を沈め、極めて個別的な作業へ没頭しているように思えるが、それを取り巻く環境は、全世界的に成り得る。
娘の部屋は、生活上必要なものしかなく、まるで独房のように極めて質素だった。そこには、彼女の日々ため込んだ苦労の様子は全くなく、絶望に陥っていた形跡もなかった。
男を困惑させるものは、それだけではなかった。仕事に復帰すると、会社の雰囲気が一変していたのである。
まず、社員各々の特定の机が無くなっていた。社内には区画が存在せず、分掌的な体制は廃止され、組織としての集団成員の在り方が無くなっていた。それは、男が休職していた間に彼の立ち位置を代行していた者による考案だった。
この体制に男は面食らってしまったが、時間が経つにつれ、落ち着き払う周囲の様子に溶け込んでいった。また、そうした垣根の無い社風と男の心境の変化が相俟って、彼は若い世代の人間と交流を持つことも次第に増えていった。
週末になると彼は、新参者を数人引き連れ、下町の酒屋で飯を振舞った。その度に、異文化と接触するかのような体験をした。
それこそ、男が少年だった頃に流行った、友情を大切にし、努力を積み重ね、勝利を求めるような漫画は、一切合切廃れ、そういった他人への援助から希望へと導く、人助けのために悪を倒すといったような、一見善の源となっている描写はもはや流行らない。
それはどうしてかと、男は彼らに問いただすと、如何にも利発そうな一人の青年が「善を主張すると、悪が生まれるのであって、平安である術を我々は知っているからです」と冷静に返答し、一同強く頷いた。
男が驚いたのは、それが、如何に悪の助けを借りているかという、逆説的な立場を若い連中が十分に理解していることだった。
抑制、処罰するべきなことは、奨励、普及されていき、逆に悪、懲罰のすべきと思って他人に奉仕するといった希望は、完全なる迷惑行為になりつつあった。こういう人たちは当初、真面目な人として会社に数人はいたものだったが、自己犠牲の覚悟が却って暑苦しいこの時代、男の思想は家庭においても職場においても必要とされていなかった。
むしろ、当初、男の胸に秘めるぎらぎらしたものは無くし、徐々に万人共同の利益のために労苦する軌道修正を求められていた。
男にとって新入社員は、宇宙人、未来人だった。島国同胞の精神が実現されていた男の幼少期からすれば、人とのつながりが、良き分子を生み出す接触点、これを重視し、高く買っていた。男は、自分が駆け出しの頃の苦労話を連中に聞かせてみせるが、空返事しか返ってこなかった。
彼らと似た世人が、どうして過去の産物に無関心になってしまい、むしろ敵視する者まで現れるのかが、男には理解出来なかった。顧客への配慮を根本としていた労働が、どうして遊戯のような文明の利器に劣ってしまうのかが分からなかった。男は、労働に従事するあまり、ある種の視野狭窄に陥ってしまった節はある。
新世代は、挨拶などの礼儀作法を始め、全人類に普遍の規律を避けるため、自分の領土で、自国の規律で、労働が成立することに気付き始め、それが分業よりも遥かに人間らしく労働出来ることを反省し、尚且つ、それが一番楽しく充実のある人生と分かったのだ。尤も、良心と理性を保つことが前提だが…
確かにそうだ。例えば、菓子パン一つ作るとなれば、パンの考案、如何にして生地を作るか、それを練る者、焼く者、それぞれ分業する方が絶対的に効率が良く、生産性が高いに決まっている。だが、延々とパンを考える者、生地の良し悪ししか見ない者、腰の痛みに耐えて、一日中パン生地を練る者、といった具合に手分けしてしまえば、彼らはそれらを単なる作業として捉えてしまう。やがて、自分の労働範囲にしか技術がなくなり、他の分野には関心が無くなってしまい、その完成品すら興味を示さなくなる。結果、労働意欲の減少へとつながる。だが、元来、労働とは所詮そのようなものだった。
その全工程を一人の人間がすべて行うという、一見不効率と思えることが、人間本来の労働の在り方を思い起こすのだった。
逆説的になってしまうが、合理性の欠如が、労働の充実への鍵となっていたことに新人類は気付いてしまい、それは、産業革命以前の労働体系に戻ってしまったようにも思えた。
一考した男は、同僚に対し敵意を抱くような迫害者になるのをやめた。それは、自身を憎悪によって苦しむことを知っていたからだ。
加えて、娘を頭ごなしに否定するのを止め、逆に、増大する彼女の活動意欲を推奨した。男のそうした背景には、真理は勝利を占めるばかりで、時流に合わせ、刻々と変化しているものと譲歩したからである。そのとき、幼心にいだいた改革精神は、ただの世間に対する批判的思考の発達に過ぎないと気が付いてしまう。たとえ、これが、社会生活の基礎全体を破壊しようとする無分別な機械だったとしても、非難を受けるのは男の世代なのかもしれないが、その頃には男の身体は、この世から消滅しているだろう。
男が駅で待ち合わせしていると、小さな子供が駆け込んできて「おじさん」と言って身を寄せた。
「ふふ、君はすっかり僕の親戚だね」
そう言って、友人夫婦は現れた。
男は小さく息を吐いて、子供を抱きかかえて「光栄だよ」と言った。
友と男の交流は、定期的なものだった。家族ぐるみの付き合い方は、その都度異なったが、近頃は昼時に合流し、少々上等な店で談話するくらいの余裕があった。
席に着くと、男はまず子供に本を渡した。それは、かつて男が学生の頃に使用していた古典力学の梗概本である。手に取った子供は「重い…」と一言だけ発し、眼を輝かせていた。
互いの間柄を誰かに聞かれると、照れくさくて『腐れ縁』とごまかしていた時もあった。彼らは注文を終えると、第一声を発したのは友人だった。
「本の虫だった自分を思い出すよ。僕らは、てっきり理系男子のインテリ気質で、女気も無いままと思っていたが、人生分からないものさ。今や、こうして結婚して子供もいるわけだからね」
「ふふ、だからって貴方のセンスで、あの子の本まで決められちゃうと私困るわ」
友人夫婦は、どんな要領で子供を育て上げるのか、その点で共通認識を図ろうとしていた。冷静に暮らしていく男の様を彼らは参考にしたかったのである。
二人の言葉に対し、男は「何しろ、君は頭が良いからね」と言い、展望が見え過ぎる性分を指摘してみせた。
彼の妻は、子供が待ち受けているだろう困窮や心配を出来るだけ減らしていきたいと思っており、その思いは、どうやら彼女の方が強く、友人は少し辟易していた。だが、友人も同意せざるを得ない状況にいた。また、子供に対する教育方針にも微妙な違いがあり、家族を担う者にとって、ごく一般的な問題に二人は直面していた。
それを他所に子供は本を濫読していた。
「子供の集中力は凄いな、羨ましいよ」男は感心して言った。
「あいつを見ていると、やはり自分の子供だなって思うよ。見ての通り、顔は妻に似ている。遺伝子の他に、僕らの思想や環境が、あいつの細部に宿ると思うと、僕は子供によって犠牲になる覚悟を決めなくていけない。一方で、以前のような生活を基、僕らは同一の条件で育て上げようと思っている。それでも、あいつには社会規範に従順した、協調性のある人間になってもらいたのさ」
友人の言葉に男は驚いた。世俗的な誘惑が多い昨今、友人の性格を察するに、子供にも自由意思を授けるものと思っていたからである。何しろ、我々は汚れた大人であり、その垢は容易に落ちるものではないからだ。しかし、子供は…確かに、躓くことが禍になることはないと我々は知っている。それでも、躓きを招来する必要はない。なぜなら、それらは、労働とともにやって来るから、それを無意図的に教え込むのは、教育上あまりにも無慈悲ではないのだろうか。実直な生活に、終始しなければならない肝要な理由を子供に伝えていた。
一定の資産を持たずに生きてきた人間にとって、同じ道を我が子に歩んで欲しくなかったのである。友人は続けて言った。
「僕らは、大した資産を持てずにいる。それもそうさ、他人のために愛を持って仕事をしていなかったからさ。なぁ、友よ、人間のあらゆる基礎は、結局のところ、労働と愛なのかもしれない。僕自身の幸せは、もう考えてなくて、家族と共にこの二つだけを真実として、生きていこうと思っている。
だからと言って、これまでの惰性で成り立っていた研究生活、生産性の無い怠惰な仕事振りが報われるわけではないが、人生に対する疑惑や行動の逡巡も、この二人に出会うための運命だとすれば、自分のこれまでの行いに片が付く気がしてね」
男はそれを聞いたとき、学生だった友人の面影が重なった。友が、自己を豊かにしているのを目の当たりにして、男は安心したのだが、それが自然で永久な真実では無いことも知っており、彼にどう伝えるべきか迷っていた。
加えて、もう一つのある保証…不明瞭ではあるが、我々の世代では理解の範疇を超えつつある、新時代の到来…その場を円滑にする社交性や専門的な技術訓練も必要としない、能力が乏しくても発想があれば、労働として保証されつつある時代に男は気付いてしまった。自分で自分の道を見つけるとか、他人を思いやるとか、進んで何か用事を済ませるといった、人として当たり前な教育に今後、意味があるのだろうかと疑念が膨らんでいる最中だったのだ。
三人は、しばらく黙っていると、ようやく男が言葉を発した。
「そうだな、君の方が正しいのかもしれない。流石は元教師だ。君は、優秀な教育者だよ。何だか、私は感心してしまった。そうだな、子供には、まだまだ時間があるわけだし、かといって、本人にとっては短いものだから、一応盤石な世間体を叩き込むのが筋なのかもしれない。
だが、あえて言うが、私もどちらかというと、そうした教育方針で二人の子供を育て上げた。教育の目的は自立であると。勉強の出来が多少悪くとも、世渡りを仕込んでおけば、大した問題にはならない。
当時、私は二人の子供に十分な愛を注いだ。君が先ほど言った通り、愛することは、教育において重要であり、また、教育を継続するためには必要な努力でもある。だが、愛によって、私の思考力や判断力を大きく鈍らせていたことも事実である。他人の子供であれば、注意出来ることを自分の娘には許容している矛盾に、私は愛によって自己欺瞞していた節がある。
正直、私はただ、自分の子供が喜ぶ姿を見たいだけだった。
やがて、彼らが、社会や私に対して敵対心を抱くようになった時、私は私で、何か勝手な責任を負っていたね。期待に応えようと努力した末、辿り着いたのが今の境地。思えば、こうした話は家内にもしなかった。
君の子供が一人前になって、もし、私の助言が必要となれば、私は君の相談役になるだろうし、逆に言えば、君の力も借りるかもしれない。なぜなら、子供たちが自活した暁に親の務めは終わり、晴れて私たちは自由になるのだ」
男が、胸の内を語り終えると、友人も心の内と近々の課題について言い表すのだった。
「ふふ、君は常々心強い親友だよ。僕らも年齢のこともあり、子供には手厚い教育をしてみせる。妻には苦労を掛けたが、僕にとって今の環境全てが、適齢だと思っている。もし、若くして子供を持ってしまえば、自分の未成熟さを理由に、子供に八つ当たりしていた可能性があるからさ。昨今の非人道的な虐待問題は、親の未熟さにあるのさ。欲しいがままに子供を作ってしまえば、親は子に生まれてきた理由を説明出来ない。
友よ、君は既に気付いていたかもしれないが、人類は、人が人たらしめる認知革命から始まり、人口の増加に伴い農業を覚え、やがて効率を重視し工業が発展した。僕らが生きている間に、利便性の追求、資本格差を助長するような科学革命が起こり、今や僕らの身の回りは飽和状態だ。これはつまり、物的財産は頭打ちになっていて、新たな事業へと移行しつつある。
敢えて言おう。僕が今言ったことを抜きにしても、今現在、所有する喜びよりも、手放すことでの簡素な余裕を人類は求めると思うが、どうだろう。技術の進歩を目指すのではなく、生き方の大転換を図るのさ。本音を言えば、この歳になってまでこんなことを言いたくなかった。
僕はね、友よ。昔、君に言われてはっとしたことがたくさんある。世俗的な教えではなく、社会人としての教えは、君という教師と僕という反面教師がいたからさ。おそらく、僕は、この子供に物的財産は何も残すことは出来ない。世間でいう高学歴貧困だろうか。でもそれは、強がりでも何でもない、貧困とは決して言わせない」
友人の眼に覚悟の炎が付いた頃、注文していた肉料理が運ばれて来た。テーブルに鉄板が並ぶと、子供は浮かれ出し、妻は子供の本を預かった。
男は、自社の軌道を操るまでの役職に成り得た存在だったが、自ら拒否した。他薦において男の名が最も挙がっていたが、現場では、彼が行う活動に恩恵を授かろうとする者が拡大しつつあった。彼は、大病をきっかけに仕事を自ら抑制している上、そうしたハイエナを追い払う体力は残っていなかった。
周囲の期待は、彼の器からこぼれてしまっており、彼の身代が知らぬうちに巨額になっていた。男は躊躇してしまったのだ。
長女である娘は、やや晩婚であったが、無事に嫁入りした。娘の彼氏が、結婚の挨拶に来た際、男は世間の父親とは正反対の態度を取った。馴れ初めの経緯を一切抜きにして、男は相手に対して「信頼してます」とだけ言い、二人の結婚を許諾した。その時、男は父としての大きな役割を一つ失った。
一方で、問題に直面しつつあるのは、息子の方である。息子は長男ではあるが二番目の子供だったので、男は息子に対して、長男的道義の厳しい躾をしていた。一方で彼の妻は、二人目の子供に対する愛着と異性の子供に対する遠慮からか、母親らしい強い主張をせず溺愛してしまったのである。当然、両輪は上手く噛み合わず、やがて息子の性格は思慮の無い乱暴な性格になっていき、生活は堕落していった。男の目を盗んで贅沢な生活をやりだした。息子は、箪笥の底に穴を開けるかのように、親のいない隙をついては小金をくすねるのだった。男と息子との間には、もはや修復出来ない程の溝が生じており、これは娘との度合いよりもひどかった。息子と雖も、他人の金に手を出すことに対する憤怒、躾を無下にしている憎悪、そして何より、それだけの若さを持っておきながら、人生を浪費していておきながら、巷で威張り散らしている哀れさ、暴挙。
男に不幸は重なった。以前から追従させていた部下が、会社の存続にかかわるほどの失体を起こし、その説明責任を世間から問われ始めたのである。二人は、幹部が集まる会議室へと出頭すると、その手落ちについて厳しく追求された。男は、部下を懸命にかばった。部下は、どうして男が自分のためにここまで侮辱され虐げられているのか、不思議にすら思った。部下は男に感服するのだった。幹部達を前にして男は叫ぶように「それでも、こいつは優秀な部下なのです」と言い放った。
結局、これまでの功績に免じて、ある程度の身分は許容された形で、男は処分された。だが、閑職に左遷された男を待っていたのは、お人好しの死んだ人間のような風評だった。
ある日のことである。仕事から帰宅した男は、放埓な青年どもを家の中に連れ込んで、やりたい放題やっている息子を見出した。男にとって、彼らがそうした振る舞いをするのには、大いに時宜が悪く、加えて、男の愛車の鍵が寝椅子に投げ捨てられていた。
男は我を忘れて、息子を猛烈に殴りつけた。息子はその反動で、まるで演劇のように三回転四回転と横転を繰り返し、庭へ身が放り出された。男は、息子に馬乗りになりさらに追従し、息子は死者のようにぶっ倒れてしまった。居合わせる青年達も、流石に不味いと思い、酒瓶を置き、四人がかりで男を止めた。男が発した言葉は、この上ない辛辣なものだった。
「この生きた死骸を連れて、出ていきなさい」
その時、男は父としての役割を放棄した。その日の夜、男は就寝する前に愛読していた本の一節をさっと読んだ。
『真実を求めること。自分で知っていると自信のあることだけを語り、そのほかのことについては沈黙を守ること。誠実に意見を述べ、誇張した言葉を避けること。純粋なもの、深いもの、真正なものに向かうこと。真実を見出した後に、これを発表する必要が生じたときは、君の内面の真理に最もふさわしい仕方で発表すること』
最後の数語によって、男はこれまでの自分の人生を手記にしてやろうと誓い、この一節の写本を手元において、これまでの生活全体を追想して寝入るのだった。
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老女は、終日、歩き通して夕方になると、慣れ親しんだ小高い丘で足を止めた。その先にある木の下で屈んでいた老夫婦は、彼女を見てすっと立ち上がった。夏の炎日の落ち際に夕焼雲がかかる頃、三人を囲む灌木は、西日に照らされた。丘から見える切妻屋根の数々と、ずっと向こうにある青い海を遠望した。
もしかすると、男は平安を見出したのかもしれない。晩年、彼は極めて柔軟な心を持った人物であり、猛々しい男性的なところがあまり無かった。自分の義務を履行さえすれば、弱った身体に従うのも悪くはないと考えるようになっていた。樹木葬を選んだのは彼自身だった。皆が彼に驚いたのは、自分の生命の灯の陰りが、まるで知っていたかのように準備していたことである。老い先、それに伴い不幸とせず、彼は溶解されて骨になっても、有用な人物になったのだ。
仕事から身を引いた男は、全身迷いに満たされた時期もあった。今後、どうすれば人々に役立つのか、日々考えたこともあった。自分の生き方をどうして良いのか戸惑ってばかりで、周囲の年配者が、どうして笑顔で楽しんでいるのか理解に苦しんだ。自分がこれまでやってきた以上のことが、もはや出来ないと言って悲観していた。裏を返せば、世間へ献身した証左でもある。おそらく、彼が抱えることの出来る能力の何倍も何十倍も余分に労働へ時間を捧げていた。
彼は、あらゆる慢性的な疾患を患い、最期は老衰なのか病によるものなのか、あるいはその両方なのか判別し難いものだった。「病は老人の友」と言い放ち、何の治療も一切受けずに、自然に体が病魔に蝕まれるのを楽しむかのように、それはまるで俗世を遁れ去るかのようだった。彼は、福祉を大いに嫌った。年配者は、人間やその情欲、人生の条件を認識したものであるべきであって、もしそうであるならば、簡素のまま社会の利益にならずに、自然に提供しなければならないと。それは、彼が周囲に見せた数少ない頑固さだった。
三人は手を合わせ参拝を終えると、老人は言った。
「こうして友を前にして言うが、僕の人生の転換期には、いつも君がいたような気がする。そんな君が逝ってしまったわけだから、もはや僕の人生も終末的だろう。人生は短く、本当に不思議なものさ。
僕は、君の生き方を本当に尊敬し、見習いたいといつも思っていた。実のところ、忍耐強く社会で闘う人間をとても羨ましく思っていて、それと同時に悔しかった。本音を言えば、恰も世間を自在に渡り歩いているように見せていたのは、ある種の矜持がそうさせていたと言える…」
彼は、男から預かっていた手記を墓標に置いた。その背中を見ていた二人の老女には、幾らか寂しく映った。
すると、老人は振り返り、二人の目を見てこう言った。
「なぁ、明日は葡萄園に行ってみないか。収穫の体験が出来るらしい」
…その言葉に二人は安心した。