
【マガジン#17】お父さんには、わかっていた-ロービジョンの私とお父さんの認知症在宅介護9年のお話
2024年5月。私は限界を超えていました。
ロービジョンの私にとって、認知症のお父さんの介護は常に耳が頼り。片時も気が抜けない日々でした。
眠れない夜、どこにもぶつけられないストレス。
その日は抱えている急ぎの仕事があり、お父さんが家にいると手につかない。だから、どうしてもデイサービスに行ってほしかった。でもお父さんは起きません。
何もかもが、一度に崩れてしまいました。
ベッドの横で泣き叫びながら、お父さんを揺すり続けました。それでも起きない。
泣き叫びながら、お姉ちゃんに電話——すると、お姉ちゃんはすぐに来てくれました。
玄関のドアが開いた瞬間、お姉ちゃんに抱きついて大泣き。
今思い出しても胸がギュッとなって、涙が出てくるくらいつらい朝でした。
お姉ちゃんが普通にひと声かけると、お父さんは驚くほどすんなりと起き上がったのです。
さっきの私はなんだったんだろうと、へなへなと心の力が抜けるような思いでした。
お姉ちゃんは、慣れないながらも着替えを手伝い、朝ごはんを作り、薬を飲ませる。
お父さんはその全部を素直に受け入れていました。
私は時折お姉ちゃんのサポートをしながら、リビングでその様子を眺めていました。
あんなに泣き叫んでも起きなかったのに。お姉ちゃんのひと声で、あっさりと。
そのとき気がついたのです。
私はずっと、お父さんのためじゃなくて、自分のために起こそうとしていたんだと。
焦りも、意地も、追い詰められた気持ちも——全部がお父さんに伝わっていて、それが逆にお父さんの気持ちをかき乱していたのかもしれません。
ひとしきり落ち着いたころ、お姉ちゃんが小さな声で言いました。
「お父さん、直美の顔見てすごく心配そうな顔していたよ。直美がそばに行ったらじっと顔を見ていたよ」
その言葉を聞いた瞬間、また涙が出ました。
お父さんは、私が泣き叫んでいたことをもうすっかり忘れてしまっていて、なぜ娘が泣きはらした目をしているのか、わからない。
自分の名前も書けなくなっていて、私が視覚障害者であることもわからなくなっていて、いろんなことが少しずつ失われていきました。
それでも——私がいつもと違うことは、ちゃんとわかっていたのです。
私は、何もわかっていないと決めつけていたのかもしれません。
今思えば、私が思っていたより、お父さんにはまだわかることがたくさんあったのかも。
——もっと早く気づいてあげられたら、何かが違っていたのかな。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
これは「ロービジョンの私とお父さんの認知症在宅介護9年のお話」の一部です。
これからも、介護の日々の中で感じていたことを書いていきたいと思います。