
深夜2時、アレクサが叫んだ|フランスからの遠距離介護
コロナ禍で、去年も、一昨年も、帰国していなかった。
昼食後、久しぶりに両親に電話すると、母が出た。
「晩ご飯終わって、テレビ見てたところ。
テレビ切るから、ちょっと待ってて」
少し間があいた。
「最近、腰が痛くてね。お父さんと、リハビリに通ってるんだけど、あんまり効果なくてね」
今度帰った時、一緒にヨガやってみよ。腰、楽になると思うよ。
受話器の向こうで母が言った。
「お父さん、Naoが、今度帰ってきた時にヨガやろうって。腰にいいんだって。」
ヨガ? 女がくねくねするやつだろ。
受話器の奥で、
父の声がした。
3日後、 父も母も、 その会話を覚えていなかった。
やっとの帰国は、 3年ぶりだった。
空港を出ると、むっとした熱気が体にまとわりついた。
実家のドアを開けると、 カビの匂いが鼻をついた。
衣類が、 椅子の背に、 何枚も重なって積み上げられていた。
送ってあったヨガマット2枚とEcho Show 10が届いていた。
初めて、両親と一緒にヨガをした日。
新品のヨガマットを2枚、居間に敷いた。
母が言った。
「Naoとヨガなんて、初めてね」
「たまに帰ってきた時くらい、付き合ってやるか」
父はそう言って、渋々、ヨガマットの上に座った。
ヨガが終わると、母が言った。
「あら、ほんと、 腰が軽くなるわね」
父も言った。
「これは意外だな。 頭が、 パッと明るくなる。
続けんといかん。お前が帰る前に、 覚えられるかな」
実家に届いていた Echo Show 10を、 箱から取り出した。
「これで、 フランスにいても、 一緒にヨガができるよ。アレクサって呼んであげてね」
「喋るのか?」
「アレクサ、って呼んでみて」
母が言った。
「アレ、 アレックス、 こんにちは」
反応しなかった。
「私のこと、 無視する。失礼しちゃう」
ポストイットに 「アレクサ」 と書いて、画面の上に貼った。
キッチンのカウンターから、台所と居間が見渡せた。
そこに、アレクサを置いた。
画面は、音のする方へ向きを変えた。
居間の壁に、 お薬カレンダーを貼った。

フランスに帰る直前、
キッチンから、飲み忘れた薬が、 ごっそり出てきた。
「夕食後の薬を飲もう」
リマインダーを設定して、 空港へ向かった。
フランスに帰ってきた日。
深夜0時。
初めて、 アレクサで ビデオ通話をつないだ。
おはよう。 さっき家に着いたよ 飛行機の中であんまり寝れなくて、もうクタクタ。
あ、やっと帰ったか。お疲れさん。
寝れんかったのはこっちも同じだ。
こいつが、突然夜中に叫んだぞ。
「夕食後の薬を飲もう」って。
もう、馬鹿でかい声で。心臓が止まるかと思った。勘弁してくれ。
アレクサのアプリで確認すると、 リマインダーは、
フランス時間の 夜7時になっていた。
音量調整も忘れていた。
最初は、 服薬と、 ゴミ出しの日を、
アレクサの リマインダーが知らせてくれた。
週2回、「今日、 午後4時からヨガをするよ」
と、 朝のリマインダーで 流して、午後に ビデオ通話をつないだ。
週3日、 母がデイサービスに 通い始めると、
「今日は、 ゴミ出しの日じゃないよ」
「今日は、 デイサービスないよ」
直接、 そう言う必要がでてきた。
朝のビデオ通話が、 毎日になった。
次第に、デイサービスのない日は、いつもヨガをするようになった。
ある日、 アレクサでつなぐと、 父が言った。
「ヨガの時間だろ?」
「お母さん、 どこにいるの?」
少しして、 母の声がした。
「先に夕飯の支度してたの。 あんたも食べていく?」
画面が勢いよく台所の方を振り向いた。
「これ、 おいしいのよ」
そう言って、 母が、豚肉と青梗菜の炒め物を、 画面に見せた。
父が言った。
「Naoは、 フランスだぞ」
「あ、 そうだったわね」
母が、 恥ずかしそうに笑った。
「晩飯の前に、 ヨガやるぞ。 お前も来い」
父が、 母に言った。
ヨガが終わると、 向かいの教会から、 10時のベルが鳴った。
仕事に行く時間だった。
少し慌てて、 家を出た。
駅に近づくと、タバコの香りがした。
また、電車が遅れていた。
ある日、
フランス時間深夜0時。
朝のビデオ通話で、 いつものように言った。
「今日、 デイサービスあるよ」
深い眠りについた頃、LINEの着信音が鳴った。
「あ、 お前か? こんな時間に 寝とるんか?
今日、 母さんの デイサービスあるよな」
「う、 うん、 あるよ。 こっち、 夜中2時なんだけど」
父は言った。
「あ、 そうか。 すまんな」
スマホを、 おやすみモードにできなくなった。
着信音が鳴るたび、 心臓が跳ねた。
眠れない夜が増えていった。
キッチンで、ボトルに残っていたワインを、一気に流し込んだ。
冷蔵庫の音だけが、 響いていた。
通信履歴は、 家族と、 ケアマネ、 ヘルパーさん、
施設のスタッフの名前で、 埋まっていった。
アルファベットが、 消えていった。
寝る前、 毎日アレクサで、深夜0時のおはようコールをした。
日本へ帰ると、 時差ボケのまま、やるべきことに追われた。
時差が抜ける頃には、 またフランスへ戻る日が来た。
帰国は、 年に1度ではすまなくなっていた。
フランスに戻るとすぐに、次の帰国のチケットを探した。
翌年、冬の終わり頃には、 アレクサでつなぐと、
ヨガマットが2枚、 すでに敷いてあるようになった。
今日も寒いから、体を動かさんといかん、
と父がよく言った。
母は、 ヨガをしない日も、 マットを敷いた。
ある日、 父からLINEがきた。
「今日、 ヨガできるか」
「ごめん、 今日はちょっと無理」
少し間があって、 父が言った。
「母さんが、 待っとる」
ヨガの前に、 アレクサアプリで、
音声履歴を見るのが、 習慣になっていった。
デイサービスから帰ってくると、 母は、
「ただいま」 と、 アレクサに話しかけていた。
「帰ってくると、 この子がね、
『おかえりなさい。 帰ってきてくれて、 うれしいです』って言ってくれるのよ」
そう言って、 母は笑った。
梅雨明けのある日。
「今日は、 そうめんが食べたい」
と、 音声履歴に残っていた。
その日の最高気温は、 34度だった。
「そうめんが 食べたいの?」
父は笑って言った。
「おう。 よう知っとるな。アレクサに言えば、 作ってくれるかなと思ったら、 レシピを出しやがった」
「自分で作れってことね」
と、 母も笑った。
奥で、 バラエティー番組の 笑い声が聞こえた。
アプリの中に、買い物リストがあった。
開いてみると、いつからか、
「バナナ、ヨーグルト、納豆」の履歴が残っていた。
「お買い物リスト、使ってるの?」と聞くと、母は言った。
「アレクサが、買い物リストに追加してって、いつも言うからね、答えただけ」

夏の終わり頃には、買い物リストは
「バナナ、ヨーグルト」だけになった。
年末、帰省すると、近所のファーストフードの割引券が、居間のあちこちに散らばっていた。
その頃には、買い物リストも、消えていた。
母の「ただいま」も、いつしか、履歴から消えていた。
翌日の早朝、 フランスへ戻る予定だった。
慌てて荷造りをした。
年が明けて少しした頃。
父のヨガマットだけが、 敷いてあった。
父が言った。
「母さんは、 今日はやらんと言っとる」
「少しだけやろうよ。 5分だけ」
母は、 しぶしぶマットを敷いた。
「ちょっとだけね。 今日だるいから」
「うん。 5分だけ」
そう言って、 結局、 いつも通りやった。
「全部できたね」
と言うと、 母は言った。
「疲れた。 ヨガ、 もう少し減らそ」
そういう日が、 増えていった。
父が言った。
「今日もよくやった」
「そういえば、今日、何かあった気がするんだけど」
少し間があった。
「思い出せん」
「私の誕生日なんだけど」
と言うと、
「ああ、 そうか。 それだ。 思い出せんかった。まいったな」
ゴールデンウィークが近づいていたある日。
いつもの時間にアレクサで繋いだ。
「28日、ゴールデンウィーク中だけど、
ケアマネの 伊藤さんが来てもいいか、聞かれたんだけど」
父が言った。
「28日か。いいぞ。特に予定は入ってない。そういえば、たかしが、ちょっと帰ってくるみたいだ」
兄とは疎遠になっていた。
「5月28日、母のケアマネさんが来る。
家にいるなら、挨拶くらいはしてほしい」
兄にメールをした。
返事はなかった。
訪問当日。
フランス時間、朝4時少し前。
目覚ましアラームに叩き起こされると、
窓の外は真っ暗だった。
スマホから画面をつなぐと、
テレビを見ている両親の横で、
兄が、居間のソファーでスマホを見ていた。
「伊藤さん、もうすぐみえるよ」
「おう、わかっとる」
と言って、父は兄を見た。
兄は立ち上がった。
アレクサの前を、通り過ぎていった。
誰も、何も言わなかった。
伊藤さんが、時間通りにやってきた。
アレクサをつなげたまま、
いつも通りのモニタリングだった。
その翌日、父からLINEがあった。
「今日は、ヨガやる時間あるか?」
「どうしたの? 今日は、たかしと出かけないの?」
「母さんと喧嘩ばかりでな。もう好きにしろ、とかなんとか言って、帰って行った。母さんが、落ち込んどるから、お前とヨガでもしようと思って。」
アレクサでつなぐと、ヨガマットの上で、
母が小さくなって、ポツンと座っていた。
「お母さん、ヨガやろ。座ったままでいいよ」
そう言うと、母が少しだけ顔を上げた。
「鼻から、ふかーく息を吸って。 そう、ゆっくりはいて」
無表情が、少し緩んだ。
いつもどおり、ヨガをした。
アレクサが 我が家にやってきて、 3年目の夏。
帰省を、 2週間後に控えていた。
実家のテレビが、 野球中継を映していた。
窓の外では、 蝉が鳴いていた。
部屋には、 誰もいなかった。
テーブルの上に、 雑巾とリモコンが、 無造作に置かれていた。
野球中継を、 ぼーっと見ていると、玄関から、 両親の声がした。
アレクサの画面が、 少し揺れて、 通路の方へ回転した。
「あ、 おかえり。 どこ行ってたの?」
父が言った。
「ああ、 もう来とったんか。
アイスクリームを 買ってきた。暑くてかなわん」
蝉の鳴き声を聞きながら、 日本の猛暑を想像した。
自宅の温度計は、 26度だった。
帰省1週間前。
フランス時間深夜0時。
いつものように、 アレクサでつなぐと、 父が言った。
「母さんがな、 夜中ずっと、 トイレばかりで、 全然寝てなかった。
食あたりみたいだ。デイサービスは、 休むと連絡しておいてくれ」
夜中に、 ケアマネと、 デイサービスの所長さんに、 LINEを送った。
返事を待たずに、 眠りに落ちた。
その翌週、帰省した。
すぐ、冷蔵庫を開けた。
中は、腐った食べ物でいっぱいだった。
全て捨てると、母が声を張り上げた。
「どうして捨てるの、もったいない。
あんたの家じゃないんだから、勝手なことしないで」
黒ずんだ、未開封の牛肉を母に見せた。
「な、なんだそれは」
と父が言った。
「今日、久しぶりに回転寿司に行こうよ。私の奢りね」
翌日、実家で、一緒にヨガをした。
父は、いつも通り、アレクサの画面に向けて、ヨガマットを敷いた。
「今日は、これでやらんのか」
一瞬、意味がわからなかった。
もう一度、画面を見た。
「一緒にいるんだから、いらないでしょ。何言ってんの」
「いつも、画面でやってるから、今日もそうかと思っただけだ」
「もうちょっと後ろ、下がってよ」
少し間があった。
「でも… 画面から遠くなるだろう」
父とアレクサの間に、自分のマットを敷いた。
少し小さくなって、ヨガをした。
フランスへ帰る前日、
ケアマネに紹介してもらった配食サービスへ試食を頼んだ。
翌日から、お願いすることにした。
その夏は、両親と実家で過ごした、 最後の夏になった。
フランスに戻った翌日、宅食を受け取れなかったと知った。
配達時間に、散歩に行っていた。
Amazonから、2週間分の日替わりレトルト食品を送った。
年末帰省のエアチケットを探した。
夏の気配が残ったまま、 10月に入った。
Amazonから、 鰻の蒲焼を送った。
アレクサの アナウンスに、
「お誕生日おめでとう。 今日、 プレゼントが届くよ。 お楽しみに」
と入れた。
宅配済みの通知メールが届いたあと、
ビデオ通話をつなぐと、 父が言った。
「アレクサが、 俺の誕生日に、 うなぎをくれたぞ」
「 今日は、久しぶりに鰻丼だ」
母が言った。
「ご飯炊くだけでいい。 インスタントのお吸い物もある」
遠くから、 カラスの鳴き声が聞こえた。
日が、 少しずつ短くなっていった。
数日後、母が、 デイサービスから帰ってきて1人でいる時間に、アレクサで話していると、 インターホンが鳴った。
母が言った。
「管理人さんが、また、 お財布忘れてきちゃったみたい」
私は、 わざと大きな声で言った。
「さっき、 もうお金ないって、 言ってたでしょ」
母は、 少し黙ってから言った。
「え、 そうだった?」
受話器の向こうで、
「あ、 財布、 こんなところに入ってた」
と、 管理人の声がした。
通話が終わると、 母は言った。
「よかった。 困ってたみたいだから」
ちょうどその頃、
ケアハウスの二人部屋に空きがでたと、叔母から連絡がきた。
見に行くだけ。帰りに一緒にコーヒーでも飲んできな。
そう言って、叔母に見学を付き添ってもらった。
見学から帰ってくると、父は言った。
「食事もでるし、まあ、悪くはない。
おばあちゃんが入っていた施設と同じだった。
階が違うだけ。」
毎日頑張ってご飯を作ってきたんだから、これからは、美味しいものを出してもらって、思いっきり楽をしようよ。
と母に言うと、少し微笑んだ。
それから、父の方を見た。
嫌ならいつでも帰ってくればいいから、申し込んでみる?
父にそう言った。
すぐに部屋を押さえて、私の年末の帰省に合わせて、
ケアハウスへの引っ越しが決まった。
シャルル・ド・ゴール空港は、
クリスマスのデコレーションで、 一色だった。
年末の帰省で、 引っ越しをした。
母がデイサービスに行っている間、父と荷物を運んだ。
自宅を出る最後の日。
「アレクサも、 一緒に引っ越しするよ」
そう言うと、 母は、
「じゃ、 これも」
と言って、
部屋の片隅に、 ずっと置いてあった、 ゴリラのぬいぐるみを抱えた。
昔、 私の寝室に置いてあった。
母が、 「お父さんに似てる」 と、 いつも言っていた。

ケアハウスの部屋からは、 よく、
近くで子どものはしゃぐ声が、 聞こえてきた。
入居した週、 両親の部屋に泊まった。
「他の入居者様との接触は、48時間ほど、 控えていただいていますので」
食事は、 部屋まで運ばれてきた。
テレビと、アレクサと、固定電話を置けるラックを部屋に設置した。
お薬カレンダーも、アレクサの画面から見える場所に置いた。
デイサービスのお迎えは、 部屋まで来てくれることになった。
空港へ向かう日の朝。
「あさっての朝までビデオ通話できないけど、心配しないでね」
カレンダーの翌日のところに、 赤ペンで大きく、
「Nao、留守」
と書いた。
アレクサの リマインダーにも、
「今日は、 Naoから ビデオ通話はないよ」
と入れた。
「今日帰るけど、 また春に会いに来るからね。
エアチケットも、 取ってあるよ」
そう言うと、 母は、 少し不思議そうな顔で言った。
「帰る?」
父が言った。
「Naoは、ちょっと遠くに住んどるんだぞ」
部屋の時計の音だけが、 聞こえた。
「車で、 空港まで送って行かんでいいか?」
父が、 習慣のように言った。
「大丈夫。 地下鉄と電車ですぐだから」
ケアハウスを後にして、 セントレアへ向かった。
空港には、 鏡餅が飾られていた。
フランスに戻った日の深夜、 いつもの ビデオ通話をした。
「今日は、 プラスチック出す日だよ。ゴミ、 溜まってる?」
父は言った。
「少しある。 でも押さえれば、 まだ入る」
ケアハウスのスタッフが、 部屋まで来て言った。
「今日のゴミ、プラスチックね」
施設の部屋から、 アレクサの通話が、 繋がりにくくなった。
父が言った。
「最近、 こいつ、 調子悪いな」
少し間をおいて、 言った。
「しっかりしてくれんと、 困るぞ」
通話音声が、 何度か途切れた。
季節が、 また一巡りした頃。
アレクサでつないだ。
「ヨガの時間だよ。 準備できた?」
「この子も、 一緒にやるかな」
画面の中で、 母が、 ゴリラのぬいぐるみを、 なでていた。
父は、何も言わずに、母を眺めていた。
ヨガマットが、2枚、敷いてあった。
「ヨガ、やろ」
私は言った。
汗を拭きながら、集中する父の横で、母は、曖昧に体を動かした。
通話を切った。
近くのパン屋から、焼きたてのパンの香りがした。