【童話】ホンモノはどれ?
「水の音は好きかい?」
そう声をかけられたのは、公園の噴水の前だった。
どうしてなのかわからないけれど、全部がうまくいかない日だった。
学校でダイキくんのランドセルが僕にぶつかった気がして、そのせいでケンカした。
家に帰ってから「宿題が先よ!」とママに言われて、ママともケンカした。
きっと僕がイライラしていて、そのせいでケンカになったんだって思ったら、どんどん落ち込んでいった。
イライラの原因は知らない。
本当にイライラしてるのかどうかも知らない。
だからなおさら、どうしていいのかわからなかった。
気分は最悪だったけど、ユウタくんと「学校が終わったら一緒に遊ぼう」って約束していた。
僕は、元気が出ないままユウタくんの家へ向かった。
ユウタくんの家に着いても、僕はいまいち元気が出なかった。
ゲームをしても、いつもみたいに騒げない。
普通だったらユウタくんと一緒に盛り上がって、大人から「そんな言葉使うんじゃないの!」って怒られるくらいなのに。
僕はおとなしく、ほとんど何も声を出さずにゲームをしていた。
そうしたら、ユウタくんに言われたんだ。
「元気がないミナトくんは、ミナトくんじゃない!」って。
そこで僕はハッとした。
せっかく遊ぼうって誘ってくれたユウタくんを、嫌な気持ちにさせちゃったかもしれない、って。
元気な僕が本当の僕。
僕はいつも本当の僕でいなくちゃいけないんだ。
だから無理やり元気を出した。
もしかしたらいつもより声が大きかったかもしれない。
ユウタくんのお母さんが家にいたら怒られていたかもしれないくらいに、頑張って元気な僕になった。
それでやっと、ユウタくんは楽しそうにしてくれた。
よかった、って思った。
こうしている僕が、やっぱり正しい僕なんだって思った。
だけど……。
よかったって思ったはずなのに、それが本当の僕のはずなのに、僕はちょっと疲れちゃっていた。
ユウタくんの家からの帰り道。
いつもより道のりが長く感じて、足も重くなった気がした。
このまま帰ってママの顔を見るのは嫌だ。
疲れてるのに、ママに何かを言われるのは嫌だ。
だから僕は、噴水公園に寄り道することにした。
そこでちょっと休んだら、また元気が出るかもしれないって思った。
噴水公園は、僕とユウタくんの家のちょうど真ん中くらいにある大きな公園だ。
いつもは僕よりもっと小さい子とそのお母さんが遊んでいたり、あとは僕のおじいちゃんおばあちゃんくらいの人がベンチに座っていたりするのに、今日は珍しく誰もいなかった。
僕しかいない公園は、ちょっとだけ不思議な感じがした。
だけどラッキーな感じもした。
なんて言うんだろう。
ひとりじめできているような、特別な気持ち。
ワクワクとドキドキの両方を感じながら、いつもよりゆっくり噴水に近づいた。
そのときだ。
「水の音は好きかい?」って話しかけられたのは。
学校の先生からも、パパとママからも、「知らない人から声をかけられたら逃げなさい」って言われている。
今までそんな危ない目にあったことはないけど、もしそんなことが起きたら走って逃げようって決めていた。
だけど、このときの僕は「水の音ってどんな音?」って逆に聞き返したんだ。
どうしてそんなことをしたのかって?
キケンなんじゃないかって思う?
でも僕は大丈夫だって思った。
だって、そこにいるのが悪い『人』なんかじゃないってわかっていたから。
なんたって僕に話しかけてきたのは、たくさんいる公園の鹿の中の一匹なんだ。
ツイていない一日が、ヘンテコな一日に変わった。
僕の投げ返した質問を聞いて、フェンスの柵の中にいる鹿は「その噴水の音は、水の音じゃないのかい?」って、また聞いてきた。
たしかにこれは水が噴き上がったときの音。
だけどこれを「水の音」って言っていいのか、僕にはよくわからなかった。
水の音はこれだけじゃない。
プールに飛び込んだときの音。
雨の音。
水道から出てくるときの音。
シャワーの音。
全部、水が出す音だけど、全部、ちがう音がする。
好きな音もあるけど、嫌いな音もある。
大雨が降ったときの音はこわいし、プールに飛び込むことも苦手。
でも、この噴水の音は気持ちいいし、水道から出てくる水の音も嫌じゃない。
本当の水の音はどれ?
どの音が「水の音」なのか、僕にはよくわからないんだ。
「鹿さんは、この噴水の音が本当の水の音だと思ってるんだね?」
鹿の目が、少しだけ大きくなった。
「本当ってなんだい? ニセモノがあるのかい?」
鹿は心の底から、僕の言葉の意味がわからないみたいだった。
「だってこの噴水の音と、鹿さんの目の前にある水が入ったお皿から出る音は、全然ちがうでしょ?」
僕の言葉に、鹿の目が今度は少し細くなった。
ちょっとだけ、優しい目になった。
「そうか、そうだね」
それから鹿は、首を下に向けて水を飲んだ。
「うん、たしかに違う音だ」
僕は鹿の言葉の続きを待った。
「だけど、どれがニセモノってことでもないんじゃないかな。いろんな水があって、いろんな音がする。全部ホンモノの水だよ」
全部ホンモノ?
それじゃあ僕が困るんだ。
嫌いな水の音がホンモノなら、僕は水の音が嫌いって答える。
好きな水の音がホンモノなら、好きって言える。
「どれかがホンモノでなくちゃ、僕は好きかどうか答えられないよ」
鹿は「なるほど」とつぶやきながら、小さく頷いた。
「キミの言うとおりだ。どうやらワタシは質問の仕方を間違ったみたいだね」
少しだけ間をおいて、鹿は僕に「どの水の音が好き?」って質問をし直した。
それなら答えられる。
「この噴水の音が好きだよ」
鹿は嬉しそうに、首をちょっとだけ上下に動かした。
「ワタシもこの噴水の音が好きなんだ」
だから僕は「一緒だね」って言った。
そうしたら鹿が、また首を動かしながら言った。
「同じ気持ちの子がいてくれてうれしいよ」って。
「水にたくさんの顔があるって、ワタシに教えてくれてありがとう」って。
たくさんの顔……。
そっか、いろんな顔があってもいいんだ。
今度は僕がお礼を言う番だった。
「こちらこそ、全部が本物だって教えてくれてありがとう。好きな顔も嫌いな顔もあっていいって、教えてくれてありがとう」
元気な僕、落ち込む僕、怒っちゃった僕。
どれも本当の僕でいい。
そう思ったら、急に家に帰りたくなった。
「鹿さん、またね!」
僕はフェンスの向こうの鹿に向かって、大きく手を振ってから駆け出した。
帰ったらママに謝ろう。
それから明日、ダイキくんにも謝ろう。
明日の僕は、ちょっと優しい僕かもしれない。
たぶん優しい僕の方が僕は好きだけど、怒りんぼの僕も僕の中にいてもいいって、僕が僕に言ってあげなきゃね。
だって全部がホンモノの僕だから。
