「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」2007年公開、家族の希薄化時代に響いた昭和の残響
2007年、
『東京タワー』が映したもの――昭和の家族が
記憶になる瞬間、
というタイトルを仮に置いてみたい。
この作品を語るとき、
まず押さえておくべきは時系列である。
原作小説
『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』は2005年6月に刊行され、
発売直後から異例の売れ行きを記録し、
その年のベストセラーの一角を占めた。
軽妙なエッセイストとして知られていた
リリー・フランキーが、これほど生活の細部に
まで踏み込んだ自伝的長編を書いたこと自体が
話題となり、書店に平積みされたその分厚さは、当時テレビでよく見かけていた著者のイメージとは対照的なものだった。
ふざけた雰囲気の人物が真剣に母を語るという
ギャップは、読者に、家族を語ることへの照れを越えさせたのだろう。
原作のヒットを受けて、まずフジテレビ系で2006年11月18日、大泉洋主演、田中裕子・
蟹江敬三共演による単発スペシャルドラマとして映像化された。
続いて年をまたいだ2007年1月8日から3月19日にかけて、同じくフジテレビの月9枠で、
速水もこみち・倍賞美津子・泉谷しげる主演による全11話の連続ドラマが放送される。
そして2007年4月14日、松岡錠司監督による
映画版が公開され、こちらはオダギリジョーが
息子役、樹木希林が晩年の母親役、
内田也哉子が若い頃の母親役を演じた。
つまり同じ原作が、
2006年11月から2007年4月までの約5か月の間に、単発ドラマ、連続ドラマ、映画という3つの異なるフォーマットで立て続けに映像化されたことになる。
この3段階のリレーは、単なる商業的な便乗と
見ることもできるが、むしろ1つの物語がなぜこれほど複数のフォーマットを必要としたのかという問いとして捉えたほうが実りがある。
原作の文章は読者それぞれの記憶を喚起する
装置として機能し、単発ドラマはその世界を初めて映像に翻訳する試みとして機能し、連続ドラマは11話という時間をかけて生活そのものを描き、映画は142分という尺のなかに人生を凝縮する。1つの原作が、
性質の異なる3つの器によって、
3通りの仕方で語り直されたのである。
なぜこの時期に、
これほど立て続けに映像化が進んだのか。
2000年代半ばの日本では、携帯電話やメールが急速に普及し、人々のコミュニケーションのあり方が変化していた。
家族の生活時間も分離し、個食や孤食という言葉が広く意識されるようになっていた。
都市部では家族それぞれの生活圏が分かれ、
親と子が互いの日常に踏み込む機会そのものが
減っていた。
家族の記憶がまだ家のなかに残っていたその時期に、あえて母と息子の濃密な物語が求められた
ことは、時代の空気を考えれば自然な流れだったといえる。
同年の日本映画に目を向けると、
『それでもボクはやってない』が冤罪と司法制度を扱い、『夕凪の街 桜の国』が広島の被爆二世を
描き、『キサラギ』がオタク文化と共同幻想を扱うなど、個人の生活と社会構造を結びつける作品が多く生まれた年でもあった。
その中で『東京タワー』は、家族の情感と昭和から平成にかけての生活史をもっとも丁寧に描いた作品として位置づけることができる。
映画版に絞って見ていくと、
まず監督の松岡錠司と脚本の松尾スズキが選んだのは、説明を尽くさない語り口だった。
母がなぜそこまで息子を思うのか、息子がなぜ
素直になれないのか、映画はそのどちらにも明確な理由を語らない。
長回しで映される台所の場面や、
静かに閉じていく場面の呼吸は、観客に間を委ねる演出だったと見ることができ、感情を強く煽るのではなく余白を残すことで、観る者それぞれが自分自身の家族史をそこに重ね合わせる隙間を
生んでいたと考えられる。
松尾スズキの脚本は湿っぽさを避けながら笑いを適度に挟み、142分という長さを成立させている。
この湿度の調整があったからこそ、
感情を押しつけることなく、
自然に涙を誘う構造が生まれたと言えるだろう。キャスティングも作品を特別なものにした。
オダギリジョーが演じた息子像は、
母を愛しながらも素直になれない距離感を、
感情を爆発させることなく静かに表現していた。当時の彼はクールで掴みどころのない俳優として認識されており、その曖昧さが現代の若者像と
昭和の母親像をつなぐ媒介として機能していたように見える。
母親役の樹木希林は、演技をしているというよりも生活そのものを画面に置いてきたような存在感を放っていた。
料理をする手つき、立ち上がるときの身体の
重さ、何も言わずに息子を見つめる目、
これらが演技を超えた生活のディテールとして
積み重なり、映画の情感を底から支えていた。
若い頃の母を内田也哉子が演じ、
晩年の母を樹木希林が演じるという二重構造も
見逃せない。
この顔の連続性が、時間の説得力を生み出し、
母の人生が1本の線としてつながって見える効果を生んでいる。
主題歌を歌った福山雅治の声もまた、
昭和歌謡を思わせる湿度と、平成のポップスらしい透明感が同居し、昭和の母と平成の息子という2つの時代を結びつける役割を果たしていたと
感じられる。
ここで映画版と連続ドラマ版を比較してみると、同じ原作でありながら両者はまったく異なる構造で母子の物語を立ち上げていたことが見えてくる。
映画は142分という限られた尺のなかに
母の人生を圧縮するため、どうしても物語の山をつくる必要があり、結果として母の死へ向かう
情感の構造をとっている。
対して全11話というまとまった時間を持つ速水もこみち版連続ドラマは、生活の時間がそのまま
流れていく構造をとっていた。
母が働く姿、息子のだらしない日常、
家のなかの音、夕方の光、料理の匂い、
そうした生活の粒が積み重なることで、
母と息子の関係が自然に立ち上がっていく。
映画が母の人生の総括だとすれば、連続ドラマは母の存在の持続を描いていたといえる。
主演の違いも興味深い。
オダギリジョーの醸し出す都会的で掴みどころのない曖昧さに対し、速水もこみちの息子像はもう少し人懐こく、感情の起伏が見える演じ方をしていた。
母親役の倍賞美津子も、
樹木希林の生活をそのまま置いてくるような存在感とは違い、より情感を前面に出す芝居で母を描いている。
連続ドラマ版ではまた、
筑豊の炭鉱町の描写がより濃く、第1話から廃坑の町の風景が丁寧に描かれ、第6話では母親が
東京へ出てくる展開までじっくりと積み上げられている。
町の湿度や家の狭さ、近所付き合いの密度と
いった昭和の生活史そのものが、11話という時間をかけて描き込まれていた。
映画が都会と昭和の対比を強調する構成だったのに対し、連続ドラマは昭和の生活史そのものを
主役に据えていたのである。
母の優しさについても、映画ではどうしても
偉大さが強調される場面が多くなるが、
連続ドラマでは何気ない言葉や小さな料理、
息子の友人への気遣いといった形で、優しさが
日常のなかに自然に散らばっていた。
上京してきた母が息子の仲間たちと屈託なく笑い合う場面は、映画では象徴的な1場面として立ち現れるが、連続ドラマのなかに置けば、それは
生活の一部として自然に流れていく光景になる。
同じ母の姿でありながら、
映画と連続ドラマではその見え方がこれほど違ってくるという事実は、この物語がいかに多層的な構造を内包していたかを物語っている。
そして2006年11月の大泉洋版単発スペシャルは、その両者に先立って原作を初めて映像として世に問うた試みとして位置づけることができるだろう。
田中裕子が演じた母親像は、後の2つの映像化とはまた違う輪郭を持っていたはずであり、この最初の映像化が、続く連続ドラマや映画化への流れを後押しした可能性は十分に考えられる。
映画は2008年の第31回日本アカデミー賞で
最優秀作品賞、最優秀監督賞(松岡錠司)、
最優秀脚本賞(松尾スズキ)、最優秀主演女優賞(樹木希林)を受賞した。
同じ第31回日本アカデミー賞で
『それでもボクはやってない』も多数の部門で
候補となっていたが、こちらはほとんど受賞に
至らなかったことから、当時の映画関係者や
メディアの一部で選考のあり方について議論が起きたことも事実として記録されている。
樹木希林自身が受賞の場で選考をめぐる発言をしたことは広く知られているが、その発言の詳細や文脈については資料によって伝えられ方に幅が
あり、当時そうした議論があったという事実に
とどめておくのが誠実だろう。
こうして見てくると、
『東京タワー』という物語が2005年の原作刊行
から、2006年11月の単発スペシャルドラマ、2007年1月からの連続ドラマ、そして同年4月の映画化へと広がっていった過程そのものが、
この作品が当時の社会に深く受け入れられた理由の一端を物語っているように思える。
団塊の世代が定年を迎え始め、その子どもたちの世代も30代から40代に差しかかっていた時期。親はまだ生きている。
しかし、
実家を離れて久しく、
日常を共有する時間は少しずつ減っている。
そんな世代にとって、
炭鉱町から東京へと移動してきた母と、
都会で自分の人生を持て余す息子の物語は、
決して遠い世界の話ではなかった。
原作は文章によって読者自身の記憶を呼び起こし、連続ドラマは母と息子が暮らした時間をゆっくりと積み重ね、映画はその人生を142分のなかに凝縮した。
同じ物語でありながら、
それぞれが違う方法で家族を見せたのである。
携帯電話が人と人をつなぎながら、同時に家族それぞれの生活を分離させ始めていたその時期、
テレビや映画館に家族や個人が同じ時間を預ける余地が、まだ残っていた。
昭和の家庭を描いたこの物語が、多くの人に自分の家にもこんな時間があったと感じさせたのは、その記憶がまだ遠い過去ではなかったからだ。
台所の音。
夕方の光。
母親が作る料理。
狭い家のなかに漂う生活の匂い。
そして、
離れて暮らすようになって初めて気づく、
親の存在の大きさ。
それらは昭和という時代の風景であると同時に、観客自身の人生の断片でもあった。
あれからおよそ20年が経った。
あの物語を支えていた携帯電話は、
いつの間にかスマートフォンに置き換わり、
家族の連絡手段はさらに細分化された。
それでも、母と息子が同じ家のなかで過ごし、
同じ光の下で言葉少なに時間を過ごすという
情景そのものは、フォーマットが変わっても
古びることがないのだろう。
『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』が2007年に映したもの。
それは、ある母親の人生だけではない。
この作品が描いていたのは、厳密には昭和の家族そのものというより、昭和に形成された家族像が平成の現在から振り返られる瞬間だった。
当たり前に存在していた家族の風景が、
当たり前ではなくなっていく、その境目である。
まだ誰かの記憶のなかで温度を持っていた家族が、少しずつ思い出へと変わっていく。
その境目に、この映画は立っていた。
だから『東京タワー』は、
母を描いた映画であると同時に、
昭和の家族が記憶になっていく瞬間を
記録した映画だったのだと思う。
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