
「note読んだよ」宣戦布告ではじまった、奇跡のような物語
「知ってるよ。岡崎さんのnote、全部読んだから。」
それはまるで、宣戦布告のようだった。
おそるおそる、となりに座る彼を見る。どうか聞き間違いであってほしい。さもなくば、今すぐここから逃げ出そう。
***
2021年、4月最後の日曜日。わたしたちは、恵比寿ガーデンプレイスのベンチに並んで座っていた。人がひとり間に座れるかどうか、そんな絶妙な距離感で。あたたかな夜風が心地よい、満月のきれいな夜だった。
彼は会社の同僚で、できればあまり関わりたくない部類の人だった。動物にたとえるなら、ライオンかオオカミだろうか。近寄ったら、噛みつかれそう。そんなヒリヒリとした空気をまとっている。ぱっと見はさわやかな好青年にもみえるけれど、瞳は挑発的で、どことなく威圧感がある。社内会議ではいつもやたらと早口で話しているし、誰に対しても遠慮のない口調のせいか、なんとなく人のことを見下しているような感じがした。
ああ、この人、わたしの苦手なタイプかも。
それが、彼の第一印象だった。
そんな彼と、どうして日曜日の夜にふたりで会っているのだろう。冷静に考えると、自分でもわからなくなる。少なくとも、会社の人には絶対に見られたくない現場だ。どうして、ふたりが?と聞かれたら、返事に困ってしまう。魔が刺した、としか言いようがない。正直なところ、相手は誰でもよかった。コロナ禍に突入してまる1年、自粛の空気がゆるんでいた頃。そろそろ外で食事がしたい。でも、仲のいい友人たちは誘いづらい。そんなとき、彼にタイミングよく誘われた。ほんとうに、ただそれだけだった。
そんな彼が、わたしのnoteを読んだらしい。それも「全部」。認めたくはない。だけど、たしかにさっきそう言った。ええと、わたしは、noteになにを書いていたっけ。そう逡巡するまでもなく、答えは分かりきっている。恋の話。それも、報われない恋の話だ。すべて実話で、主演はわたし。
いや、いやいや。この人にだけは、ぜったいに読まれたくない。仕事でミスをした現場を目撃されるほうが、よっぽどましだった。
きっと彼は、会社では真面目なふりをしているわたしの不器用な一面を知って、さぞかし馬鹿にしていることだろう。こんな生産性のない恋愛やめなよ、なんてド正論を言われるかもしれない。この人、正義感強そうだしなあ。どちらにせよ、きっとマイナスなことを言われるに違いない。でも、まあ、べつにいいか。この人とわたしは、そもそも生きている世界が違うんだし。
これまでも、これからも。わたしたちは、ただの同僚。もう、こうして会社の外で会うこともないだろう。なんなら社内で関わることだってない。noteのことも、きっと明日には忘れるはずだ。というか、お願いだから忘れてほしい。わたしがしばらく黙っていると、彼はまた口を開いた。
「岡崎さんは、どうしてそんなに自信がないの?こんなに完璧なのに。生きてるだけで可愛いんだから、そのままでいいんだよ。そのままが、いいんだよ。」
…ん?今、なんて……?
なにを言われたのか分からなくなって、言葉が出てこない。そもそも理解が追いつかない。わたしは今、何を言われたんだ?
“そのままが、いいんだよ。”
数秒遅れで、その言葉の意味をようやく理解する。つぎの瞬間、気づくとわたしは涙を流していた。
木々の隙間から、月がふたりを照らしている。わたしは最後まで、彼のほうを見ることができなかった。

***
「春から、わたしたち。…友達に戻った方がいいかなって、思ってる。」
ああ、言えた。ようやく、言えた……。やっとの思いで絞り出したひとことが、脳内で再生される。この言葉を口にするために、どれだけ頭のなかでシミュレーションをしてきたことか。心臓は爆音で鳴りひびき、声はふるえ、自分のものじゃないみたいだった。
冷や汗と水滴が混ざり合って境目がわからなくなったビールグラス、ぬるくなった黄金色の液体、遠くで聞こえるおしゃれなBGM。あの日のすべてを、今でも鮮明に覚えている。
彼と恵比寿で会った夜から、3ヶ月ほど前のこと。長いあいだ大切にしてくれていた恋人に、別れを告げた。嫌いになったわけではない。わたしにとっても、大切な存在だった。それでも、別れを選んだ。選ぶしか、なかった。限界だったのだ。一緒にいる意味が、わからなくなってしまうくらいに。
悪いのは、わたしのほうだ。「いい恋人」でありたくて、ふたりにとって不都合なことはすべて飲み込んできた。そして「物分かりがよくてやさしい恋人」を演じた。そうしてほしいと言われたことは一度もない。ただわたしが、勝手にそんな期待を背負っていただけ。
ああ。わたしって、ほんとうに馬鹿だなあ。
悪者になりたくなくて、いい子のふりをして。結局それに耐え切れず、いちばん大切な人を傷つけてしまったのだ。まったく笑えないし、救いようもない。
それでも、言えなかった。弱い部分を、わがままな自分を、好きな人に見せることができなかった。ありのままの自分をさらけ出して、愛されないのがこわかったから。嫌われたくなかったから。
だめな自分でも愛されるなんて、おとぎ話だ。フィクションの世界だ。そうやって諦めていたほうが、期待するより楽だった。本音を言うと、もう、傷つきたくなかった。
だれかと深い関係性を築く。その気力と体力が、わたしにはもう残っていない。大切だった恋人にすらほんとうの理由も言えず、身勝手に別れを告げたわたしには、その資格もないような気がした。
25歳。あたらしい1年のはじまりに、「これから先は、ひとりで強く生きていこう」と決意した。

***
え、ちょっと待って、なにこれ。どうしてわたし、泣いてるんだ……?
落ち着け、わたし。状況を整理しよう。今夜は、できれば関わりたくなかった同僚と、恵比寿に来ていた。食事をして、そこそこお酒を飲んで、散歩をして、それで──。
戸惑うわたしにお構いなしで、彼はつぎの話題にうつっている。久しぶりのお酒で、わたしの頭がおかしくなっていたのだろうか。今度こそ、聞き間違いだったのかと混乱する。いや、それはないはず。たしかにさっき、彼は言った。恋愛小説とか、月9ドラマでしか聞いたことがないような台詞を。
なにやら楽しそうに話している彼を横目に、だんだん腹が立ってくる。あんなことを言っておいて、こちらの反応が気にならないのだろうか。それとも、彼にとってはよくある社交辞令だったのか。なんだか急に悔しくなり、月を見上げるふりをして、あふれた涙をごまかした。
それからの記憶はほとんどなく、気づいたら山手線に揺られていた。日曜日の夜特有の、気だるい空気が車内に充満している。窓に映る自分の姿をぼんやり眺めていると、すこしずつ現実が戻ってきた。そのとき、ふいにこの感情の正体に指先が触れた。
ああ、もしかして。今、わたし、幸せなのかも……?
最初はその感情を、どうしても認めたくなった。だって、彼はわたしのことをなにも知らない、わかり合えないと思っていた同僚だ。片想い中の相手でも、あこがれの先輩でもない。今までまともに話したこともないし、苦手とすら思っていた。そんな相手が口にしたひとことで、「幸せ」なんて大げさな感情を抱いている。その事実に、戸惑いを隠せなかった。
でも、突然降ってきたその感情が、わたしをやさしい気持ちにしたことはたしかだった。使い古されたありきたりなフレーズなのに、当事者として受け取ってみると、感じ方がまったく違う。だれかに自分の存在をまるごと肯定されるのって、こんなにも嬉しいものなんだ。そう思ったら、心の奥底にしまい込んでいた傷が、静かに癒されていくのを感じた。
冷静さを取り戻していくなかで、ふと疑問が浮かぶ。どうして彼は、ほぼ初対面のわたしに、あんな言葉をかけてくれたんだろう。そもそも、わたしのnoteの何をどう読んだら、あんな言葉が出てきたんだろう。
お世辞か、社交辞令だったのかもしれない。騙されている可能性だってある。それでも──。
彼のことが、知りたい。そんな気持ちが芽生えはじめていた。

***
それから1ヶ月後。わたしたちは、逗子海岸を歩いていた。絵に描いたような晴天。初夏というのがぴったりな、爽やかな風が吹く日曜日だった。
ほんとうは、彼の誘いをいちど断っていた。申し訳ないけれど、2日前に「明後日、海行かない?」なんて、あまりにも急すぎる。暇だと思われているのだろうか。だとしたら、ちゃんと訂正しないといけない。すでに予定があることを伝えたら、きっとほかの日程を提案してくれるだろう。そう思って、丁寧にお詫びを伝えた。すると届いたのは、あまりにもあっさりした返事だった。
「そっか、残念!明後日は久しぶりに晴れるのにな。じゃあ、また今度!」
え、ちょっと!思わず、心の中でツッコミを入れてしまう。ちょっと待ってよ。ふたりで海、行きたいんじゃなかったの?ちゃんと約束、取り付けなくていいの?わたしってこう見えて、けっこう忙しいんだよ。だいぶ先まで予定、埋まってるし。今度って言われても、また誘われたときに空いてる保証なんてないのに……。
はたしてこれは、駆け引きなのだろうか。わたしは彼に、試されているのだろうか。だとしたら、素直に負けを認めるしかない。彼のことが気になり出したら、もう止められなかった。数時間後に「予定が空いたから、やっぱり行ける!」とメッセージを送り、クローゼットから初夏の海辺に似合いそうなワンピースを引っ張り出した。
待ち合わせ場所に現れた彼は、白いTシャツに紺色のジャケットという、海辺にふさわしくない格好をしていた。いつも会社で見ている姿と、なにも変わらないじゃないか。拍子抜けしながら、いや、むしろわたしが気合を入れすぎたのかもしれない、と恥ずかしくなる。だって、会うのは今日で2回目だし、彼はただの同僚だ。
けれど、あの問題発言から1ヶ月。彼からはなにも音沙汰がなかった。ただでさえあの日のことが気になっているのに、何も明かされないまま今日だ。海なんて見ている場合じゃないし、はやくあの話の続きを聞かせてほしい。
そんなこちらの気持ちをよそに、彼はまた、やけに楽しそうに口を動かしている。この人、ほんとによく喋るなあ。初夏の海に目をきらきら輝かせている彼は、少年のようだった。いや、子犬かな。少なくとも、いま目の前にいる彼は、周りを威圧するライオンやオオカミではなかった。
こんな純粋な一面、あったんだな。案外かわいいところもあるじゃん。はしゃぐ彼のとなり、自分だけやきもきしているのがだんだん馬鹿らしくなってくる。潮風をめいっぱい吸い込んで、きらめく海に目を向けた。
「俺も、note書いてるんだよね」
波の音に耳を傾けていると、彼は唐突に言った。へえと相槌を打ちながら、心のなかでは知ってる、とつぶやく。
あれから連絡がなかった代わりに、わたしのnoteの通知欄には、何度か彼からの「スキ」が届いていた。興味本位でそのアイコンをクリックすると、わたしより何倍も多いフォロワー数が表示される。記事一覧をスクロールすると、ビジネス系の記事がずらっと並んでいて、いずれもわたしの記事とは「スキ」の桁が2つも3つも違っていた。
やっぱり、彼はただわたしのことを馬鹿にして、面白がっていただけなのかもしれない。だれの役にも立たない、心の内をあけすけと書いて、恥ずかしくないなんてすごいな。俺には考えられないよ。そんな嘲笑の声が聞こえてきそうだった。
アカウントを閉じようとしたそのとき、ふと、タイトルの系統が他のものとは違う記事に目が留まった。スキの数も、そんなに多くない。野次馬のような気持ちで覗いてみると、そこに書いてある言葉に、なぜか親近感を覚えた。
「岡崎さんって、おもしろいよね。」
彼の楽しそうな声が聞こえて、我に返る。まっすぐで純粋なまなざしが、こちらを見つめている。
「岡崎さんの話、もっと聞きたいな。」
その言葉をどう受け取ったらいいのかわからず、戸惑う。本気で言っているのだろうか。この人は、ほんとうに、わたしのことを知りたいと思ってくれているのだろうか。
25歳にして、堂々とビジネス系の記事を書いてバズっている彼。ひっそりと、ポエムのような言葉を綴っている彼。どちらが、ほんとうの彼なんだろう。わたしも、聞きたい。彼のほんとうの言葉を。
彼のむこうで、逗子の海がきらきら輝いている。その青は、どこまでも透きとおっていた。

***
「そんなこと、はじめて言われた。俺ずっと、孤独だったから。」
遠くのビル群にぽつぽつと灯りがともりはじめた、夕暮れの港町。そこに向かって放たれた言葉は、となりに座る彼の口から出たものだった。寂しそうな、それでいて安心したような。これまでに見たことのない、ふくざつな表情。
ふたりで逗子海岸を歩いたあの日から、1週間後。「誕生日、一緒にお祝いしようよ」という彼の提案で、わたしたちは横浜のみなとみらいに来ていた。これまで、この街には恋人としか来たことがない。「特別な日といえば」と、ここを希望したのはわたしのほうだけど、朝からそわそわと落ち着かなかった。
中華街であつあつの小籠包を食べ、赤レンガ倉庫をぶらぶら歩き、バラが見頃の公園を散歩する。笑ってしまうくらい王道のデートコースを経て、今。海を眺めながら、たわいもない話をしていた。そのなかで、彼と一緒に進めているプロジェクトの話になる。
「いろいろ大変だけど、これからも一緒にがんばろうね。」
たしか、そんなようなことを言ったはずだ。「そうだね」とか「いいね」とかと同じ類の、そんなに大きな意味はない、あまりにも何気ないひとこと。だからわたしは、そのあと彼がしばらく黙っていたことにも気づかなかった。海から吹いてくるやさしい風に、ああ、気持ちいいなあ、なんてのんきに目を細めていたくらい。
そんなわたしに返ってきたのが、さっきのひとことだった。「え?」と思わず聞き返す。わたしそんなに、すごいこと言ったっけ。並んで座るふたりの影をみつめながら、彼は続けた。
「みんな、俺が見てる世界がわからなくて、何言ってるんだって顔をしてくるんだよね。どう考えても正しいことを言ってるのに、批判されたり馬鹿にされたり…。絶対にうまくいくってわかってるのに、邪魔されることもある。だからずっと、戦うしかなくて。正しいって、証明するために。ずっと敵ばっかりで、孤独だった。」
思わず、彼をまじまじと見る。こんなふうに弱音を吐いている彼のことを、わたしはこの日、はじめて見た。会社では、どんな仕事もそつなくこなし、わたしが緊張してしまうような立場の人とも臆せず対等に議論する。大人数の前でも堂々としているし、発言にはいつも自信があふれていた。不器用で、周りに流されやすいわたしは、そんな人に目の敵にされることが多かった。だから最初、彼のことも苦手だったのだ。
だけど、ほんとうの彼は違ったのかもしれない。自分が見ている世界をだれかと共有したくて、手を取り合って一緒におなじ方向を目指したくて。それなのに、わかってくれる人がいなくて。寂しかったのだろうか。探していたのだろうか。ほんとうの自分のことを、わかってくれる人を。
「だから、一緒に頑張ろうって言ってくれて、うれしかった。」
彼の口から出てきた素直な言葉が、まっすぐ心に届く。となりに座る、彼と目が合う。
ああ、この人は。わたしと同じ、なのかもしれない。
今まで見てきた「彼」という人間のさまざまな姿が、走馬灯のように次から次へと現れる。そして、カチッと音を立てた瞬間、目の前でひとつの形になった。彼の心が、ようやく分かった気がする。
深い藍色の夜が、ふたりを包む。暗くて表情がよく見えないけれど、不安はなかった。むしろ、確信めいた感情が心のなかに広がってゆく。海からあたたかな風が吹く。遠くで光る観覧車が、鮮やかに点滅する。
もしかして、この人なら。この人となら──。
夏のはじまりを知らせる夜風が、頬をかすめる。彼も今、わたしと同じ感情を抱いている。不思議とそんな予感がした。

***
あれから、半月後。わたしたちは恋人同士になっていた。
病的なまでに、相手に合わせて「いい人」を演じてしまう臆病なわたし。強い孤独を感じながらも、それを上回るプライドの高さと頭の回転の速さで、まわりを威圧しまくっていた彼。
noteの存在がなかったら、わたしたちはきっと、恋人どころか友達にすらなれていなかっただろう。それくらい、わたしたちには共通点がない。
「結婚するなら、価値観が同じ人を選ぶべき」という話を聞いたことがある。金銭感覚、食の好み、時間の使い方。そんなことにはとどまらず、お互いのことを知れば知るほど、すべてが正反対だった。
一緒に街を歩いていると、次の青信号まであと何秒で到着すべきかを常に計算している彼。いま通り過ぎたお店のメニューに釘付けになっているわたし。アラームが鳴った1秒後には起きる、朝型の彼。1時間鳴り響いても気づかず爆睡しているわたし。はじめて恵比寿で会った夜にふたりで訪れたお店は、彼にとって人生でいちばん高かったらしい。それを聞いて、カジュアルなお店だと思って選んだことを、しばらく彼には言い出せなかった。
将来の話になったときは、こんな壁も立ちはだかった。地方に移住したい彼と、東京を離れるなんて考えたこともないわたし。はやく子どもがほしい彼と、若いうちは仕事を頑張りたいわたし。お互い、こだわりも相当強い。一歩も譲れない。
「話し合い」という名の価値観のぶつかり合いは、日常茶飯事だった。そのたびに、あまりにも交わることなく平行線であり続ける議論に、ふたりで絶望した。
……それなのに。
わたしたちは、恋人すらも超えて、とうとう夫婦になってしまった。あの恵比寿の夜から、2年後のことだった。

振り返ると、別れを考えてもおかしくないタイミングは何度もあった。それなのに、わたしは「彼ではない人との人生」を想像したことが一度もない。
金銭感覚や住む場所、子育て、キャリアのこと。それらに対する価値観の違いがちっぽけに思えるくらい、彼はわたしにとって唯一無二の存在になっていた。あの夜のわたしが知ったら、さぞかし驚くことだろう。
目の前の相手とまっすぐ向き合うことをせず、逃げてばかりだった25年間。そんなわたしに、彼はめげずに向き合い続けてくれた。
わたしが心を閉ざしても、議論がどんなに平行線から抜け出せなくても。知りたい。そう言って、簡単には口にすることのできない本音に耳を傾けてくれた。重い口を開くまで、何時間でも待っていてくれた。たとえそれが、彼にとっては不都合で、心が痛むようなことだとしても。「だって、ななみの感情が大事だから」と。
どんな感情も、言葉も。取りこぼさずに拾いあげてくれたから、彼と自分の間に「違い」があっても、寂しさを覚えることがなかったのだと思う。むしろ、自分の感情をなかったことにして衝突を避け、「表面上はうまくいっている」人間関係を築いていた頃のほうが、ずっとずっと寂しかった。
気持ちを伝えても、面倒くさい、重いと突き放されることがない。弱いところや汚い部分、情けない姿を見せてもがっかりされない。むしろ、自分との違いをおもしろがって「また新しい一面を知れた」と喜んでくれる。彼はそんな人だった。
「結局、俺たちは根っこのところが似てるんだよ。はじめてななみのnoteを読んだときから、そう思ってた。」
彼がわたしのnoteを読んで、初対面にもかかわらず「そのままで、いいんだよ」なんて言葉をかけてくれた理由。当時は、なにか裏があるのでは…と疑っていたけれど、今となっては理解できる。彼も、わたしと同じだったのだ。そのままでいいと言われたくて、でも叶わなくて。鎧をまとって生きてきたのだ。
誰かにありのままの自分を受け入れてもらえたら、どんなにいいか。そう期待しながらも、他人を恐れ、弱みを見せられず、自ら線を引く。彼は、強いふりをして戦うことで。わたしは、心を殺して黙り込むことで。この世界の荒波を乗り越えてきた。
わたしたちは、似たもの同士だったのだ。でもそのことに、お互い気づいていなかった。自分とは、生きている世界が違う人。ずっとそう思っていた。
noteの存在がなかったら。きっと、わたしたちは今も、別々の世界で生きていただろう。

***
幼い頃から、言葉は、文章は、この世界をなんとか生き延びるための手段だった。言葉を紡いでいる間だけは、自由に呼吸することができる。noteを始めてからは、ここがわたしの安全地帯になった。
だから。あの夜彼に「noteを読んだ」と言われたとき、わたしの心の平穏が、おびやかされるんじゃないかと身構えた。彼はわたしと正反対で、わかり合えない相手だと思っていたから。
出会うはずのなかったふたりは、けれど「痛み」でつながった。同じくらい、誰かにわかってほしくて。期待しては傷つき、それでも諦めきれなくて。
じつは、彼がわたしのnoteをみつけたのは偶然ではない。わたし自身が公表したのだ。社内の自己紹介で、noteを書いています、と。知られるのは、こわい。でも、すべてを知ってほしい。そんな壮大な矛盾を抱えながら、それでもわたしは書くことをやめなかった。どこかに、わかり合える人が存在するかもしれない。性懲りもなく、そんな出会いを待っていた。
だれかに自分の弱さを見せることは、あまりに難しい。こわくて、不安で、めんどくさくて。いっそのこと、「他人は他人だから」と線を引いて諦めてしまったほうが、よっぽど楽になれるのに。そう思うこともある。だけど、人間そう簡単に割り切れるものじゃない。寂しさや怒り、もどかしさ。他者とかかわる中で、どうしてもそんな感情が生まれ、欲がちらりと顔を出す。
だから、人は表現するのだろう。文章で、写真で、音楽で。「これなら」と思える方法で、自分の大切なものを、すこしだけ世界に差し出してみる。その先で、自分をみつけてくれる人がいるかもしれない、と信じて。たったひとりでも、きっと、この世界のどこかに。
表現はわたしにとって、祈りのようなものだ。まだ見ぬだれかと出会うための。心から、手と手を取り合うための。
だから、わたしはこれからも書き続ける。出会うために。わかり合えるはずの誰かと、すれ違わないために。この広い世界にむけて、言葉を紡ぐ。
このnoteは、「note創作大賞2026」応募作品として執筆しました。わたしたちの長い長い物語を最後まで読んでくださり、ありがとうございました𓂃𓐍𓋪