社会 × 町内会 ―今を活きるとは……
ある瞬間、
そこにあったはずの時間が、
なかったことにされてしまう。
フルタイムで毎日働いていることも、
生活を回すために使っている時間も、
そこには存在しないものとして扱われてしまう。
これは、文句を言いたい話ではない。
誰かを否定したい話でもない。
ただ、
今を活きている人の現実と、
昔の前提のまま動いている仕組みが、
少しずつ噛み合わなくなってきている。
その違和感について、書いてみたいと思った。
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町内会の話
町内会でよく聞く言葉に、
「できる人がやればいい」というものがある。
けれど、実際は少し違う。
現実には、
「順番だからやってください」
という形で役割が回ってくる。
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最近、町内会のことと、会社での働き方のことが、
私の中で同じ線の上に重なって見えるようになった。
一見すると、まったく別の世界の話に思えるけれど、
どちらも「人が集まって運用されている場所」であり、
そしてどちらも、
今を生きて生活している人の事情が、置き去りにされやすい。
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町内会では「順番だからやってください」と言われ、
会社では「担当だからお願いします」と言われる。
そこに、
フルタイムで毎日働いている事情や、
生活を回すために使っている時間は、
ほとんど考慮されない。
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一方で、
時間に余白がある人は周りがよく見える。
誰がやっていないか、
何が遅れているかに気づきやすい。
けれど、
朝から晩まで外で働いている人の生活は、
どうしても見えにくい。
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見えている行動だけが基準になり、
見えていない時間は、存在しないものとして扱われてしまう。
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「みんな忙しい」という言葉も、
この状況では少しズレているように感じる。
忙しいかどうかではなく、
生活条件が違う。
その違いを無視したまま、
「順番だから」と役割が割り振られるとき、
そこにあるのは平等ではなく、ただの画一化だ。
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この構造は、会社でも驚くほどよく似ている。
会社では、
「担当だからお願いします」
「前例なので」
「今回はあなたで」
そうして仕事が割り振られていく。
時間に余白がある人、
残業できる人、
席に長くいる人が、
いつの間にか“基準”になっていく。
逆に、
時間で区切って働く人や、
家庭や別の責任を抱えている人は、
やっていないように見えてしまう。
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町内会で「顔を出していない」「参加していない」と言われるのと、
会社で「いない」「関わっていない」と言われるのは、
本質的には同じ構造だ。
どちらも、
見えていない努力は評価されない。
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じゃあ、どうすればいいのか。
必要なのは、
仕組みを今の生活に合わせて考え直すことなのかもしれない。
今は無理な人、
できない役割、
その代わりにできること。
それを拒否ではなく、調整として扱うこと。
そして、
ひとりで抱え込まないこと。
問題を言語化し、
代替案を考え、
必要なら仲間と相談する。
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それができて初めて、
町内会も会社も、
ただの集まりではなく、
仲間の集まりになるのだと思う。
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町内会も会社も、
人が集まって運用されている以上、
時代と一緒にアップデートされなければ続かない。
「順番だから」
「昔からそうだから」
「みんな忙しいから」
その言葉で誰かの生活を無視したとき、
仕組みは静かに歪み始める。
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私は、
文句で終わらせたくない。
代替案を考えたい。
ひとりで無理なら、仲間と相談したい。
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それが、
今を活きるということなのかもしれない。