
能動的に『休む』― 毎日6時間お風呂に籠る双極性障害の私が、ヴァージニア・ウルフから学んだ脳の守り方
スマホを開けば、遠くの国の戦火がリアルタイムで流れ込んでくる。それだけではない。
日々繰り返される事件や誰かの悪意、逃げ場のない速報。爆発の音や叫び声は、デジタルな枠を越えて、私の部屋や脳の中にまで入ってくるように感じる。
双極性障害を抱える私にとって、これらはただのニュースではない。
外部の刺激を大きく受け取ってしまう過敏な脳にとって、それは神経に負担をかけるような強い入力である。一度熱が上がり始めると、夜中に目が覚めてもその残像が消えず、身体が重くなるような感覚に包まれる。
なぜ私はこんなに影響を受けやすいのだろうと自分を責めてしまう夜、一人の女性の足跡を辿ってみた。

第一章:1940年、爆撃機の下で続けられた思考
ヴァージニア・ウルフは、20世紀モダニズム文学を代表する作家である。
それと同時に、生涯を通じて激しい精神の嵐と戦い続けた人でもあった。
幼い頃に母や父、兄を立て続けに亡くし、そのたびに深い精神的危機に陥った彼女は、現代で言う双極症のような、制御不能な躁と鬱の波の中にいた。
1941年、戦火のなかで自ら命を絶つ半年前。ロンドン大空襲によって自宅を失い、サセックスの別荘へ避難していた1940年8月の記録がある。

暗闇に横たわり、スズメバチの羽音のような爆撃機のズーム音を聞きながら、いつ刺されるかわからないと思うのは奇妙な体験だ。それは平和について冷静に考え続ける思考を中断させる。だがその音こそが——祈りや賛美歌以上に——私たちに平和について考えさせるべき音なのだ。
爆撃機の音が頭上を回る中、彼女は思考を途切れさせなかった。死の気配の中で、平和を思い続けようとする姿勢は彼女の抵抗だった。
私も、世界の報道に心が揺れるとき、あえてキッチンに立ち、コーヒーを淹れる。豆を挽く音、立ち上る香り。
「今、ここにある感覚」を丁寧に味わう。それは決して逃げではなく、外部の情報に脳を明け渡さないための私なりの守り方だ。
第二章:皮膚のない心と熱暴走への自覚

ウルフは自身の過敏さを『skinless(皮膚のない)』と表現した。幼少期から続く神経の敏感さ、音や光や批評への強い反応、そして躁と鬱の交代。彼女の人生は、フィルターの薄い心で世界を受け止める難しさと常に隣り合わせであった。
1912年にレオナルド・ウルフと結婚してからも躁と鬱の波を繰り返しながら、生涯にわたって日記を書き続けた。彼女にとって日記は「自分を繋ぎ止めるための錨」であり、書く行為そのものが脳の熱を静める冷却の作業でもあった。
私の脳も似ている。情報のフィルターが薄いため、SNSの断片が棘のように刺さり、脳の中で繰り返され、熱が上がりやすくなる。
みんなが耐えているのに、私だけが弱いのだろうかと責めてしまう。私たちの脳は、情報を大きく受け取ってしまう性質を持っているのだ。
ウルフは日記にこう書き残した。
「I need solitude. I need space. I need air.」
(私は孤独を、空間を、空気を必要としている。)
過敏な心は、ただ静けさを求めているだけなのかもしれない。ウルフが日記やエッセイを書き続けたのは、自分を繋ぎ止め、脳の熱を静める作業であった。
私も、こうして言葉を綴ることで、押し流されそうな自分をそっと支えられていると思っている。
第三章:6時間のお風呂という自分ひとりの部屋

ウルフは1929年の『自分ひとりの部屋』で、こう説いた。
女性が小説を書こうと思うなら、お金と自分ひとりの部屋を持たねばならない。……鍵のかかる部屋。それこそが、精神の自由を得るための最低限の条件なのです
現代では、私たちの脳に鍵をかける一番の妨げは、スマホから次々と入ってくる悲しいニュースや悪意である。
私が毎日6時間お風呂に浸かるのは、身体を洗うためではない。
浴室の扉を閉め、スマホを離すこと。それはウルフが言った鍵のかかる部屋を水と蒸気と沈黙で作る行為である。

もう一つの鍵のかかる部屋は、ノイズキャンセリングのイヤホンだ。
音楽を流さず、ただノイキャンだけをオンにする。部屋にいても外を歩いていても、周りの音量が下がり、爆音のようなニュースも工事音も話し声も遠のいていく。
今私が愛用しているのはAnkerのSoundcore P31iである。軽くて長時間つけていても疲れにくく、音楽なしの静寂モードとしてとても心地いい。
第四章:アイス枕とコーヒー 、物理的な冷却と静かな抵抗

双極症の熱が上がりやすい状態は、精神的な工夫だけでは抑えきれないときがある。
だから、夜は毎日アイス枕を抱いて眠る。熱をもった脳を、冷たさで物理的に冷ましていく。
日中は、丁寧に淹れたスペシャルティコーヒーの香りが大きな支えになる。豆を挽き、お湯を注ぎ、ゆっくり味わう時間。
ウルフは『波』の中でこう書いている。
沈黙がどれほど良いことか。コーヒーカップ、テーブル。ひとりで座っていることのなんと素晴らしいことか……
私が毎日飲んでいるのは、The Boost Coffee というスペシャルティコーヒーブランド。
このコーヒーカップを前に、静かにひとりで座っている時間は、私にとってとても優しく大切な儀式である。香りと味わいが、そっと心を落ち着かせてくれる。

悲劇の報道を少し遮断するのは、冷たいことではない。体と脳を物理的に冷やすのはとても合理的だ。
休むことを自分で選ぶことは、無力になることではなく、自分の手で静けさを守り取る、静かな抵抗である。
ウルフが空襲の下で「思考することは私の戦いである」と書いたように。
私がお風呂で脳を休め、ノイキャンで音を遠ざけ、夜はアイス枕で、日中はコーヒーの香りで落ち着きながら、少しずつ静けさを取り戻しているように。
おわりに

正直に言えば、私はまだ全然完璧にできているわけではない。ニュースを見て胸が苦しくなり、自分を責めてしまう日もたくさんある。
ヴァージニア・ウルフは、1941年3月、迫りくる戦争の恐怖と再発した幻聴、精神の悪化に抗いきれず、コートのポケットに石を詰め、近くの川へと入っていった。彼女の戦いは、あまりにも過酷な結末を迎えた。
だからこそ、彼女が最期まで守ろうとした「自分ひとりの部屋」を、私たちはもっと執拗に守り抜かなければならないと思った。
自分が倒れてしまえば、世界のことを思う余裕すらなくなってしまう。
世界を思う前に、まず自分の脳を大切に守ること。
それが今の私にできる、静かな抵抗だと思う。
結局のところ、大事なのは私自身と、私のすぐ周りの平穏なのだと、最近はそう思うようになった。
参照ソース抜粋
ヴァージニア・ウルフ 著 / 出水浩子 編訳『ヴァージニア・ウルフ日記』(みすず書房)
ヴァージニア・ウルフ 著 / 片山亜紀 訳『自分ひとりの部屋』(平凡社ライブラリー)
Quentin Bell 著『Virginia Woolf: A Biography』
補足:「脳の熱暴走」は医学的な正式用語ではなく、当事者間で使われる比喩的な表現です。