
悲しき妄想スタジアム。
体感的には桜木花道のフンフンフンディフェンスを彷彿とさせるであろう常軌を逸した素早さを披露しているつもりでいても、それはわたしの思い違いに過ぎず、傍目には相変わらずゆっくり動いているようにしか見えないらしい。なんなら「モタモタしている」「見ていてイライラする」まである。自分にガッカリする。本当にガッカリである。かつて一度だけ友人に「なんか動作が優雅なんだよね」と言われたことがあるがモノは言いようだと思う。
以来「あーモタモタしててごめんね見ててイライラするよね!育ちの良さが隠し切れないのかなんか知らんけど動作が優雅になるもんで!いやあどうもどうもすんませんねえ!!」と思うようにしている。育ちの良い人間は「すんませんねえ」とか言わない気もするが、ヒソヒソされたりクスクスされたりして傷ついてしまわないために編み出した苦肉の策である。うっかりすると泣けてくるからな。
このようにわたしは自分がイメージしたとおりに身体を動かすことが全然まったくこれっぽっちもできないので、学生時代は体育の授業を憎んで過ごしていた。必ず無様さを晒すことになるのだから「体育タヒね!」と思わないほうがむしろおかしいと思う。あと運動会と体育祭とマラソン大会と球技大会も追加で。オトナになったらオトナになったでつらいこと満載だが、体育の授業と運動会と体育祭とマラソン大会と球技大会がないだけマシである。
にもかかわらずわたしはスポーツを観るのが好きだ。わたしがいろいろと壊滅的なせいでヒソヒソクスクスされるから惨めになるってだけでスポーツ自体には何の罪もないのである。おのれスポーツこの野郎!この!わたしに!このわたしに余計な恥をかかせやがって!!というような逆恨みをする人間にだけは絶対になりたくないし、育ちの悪さが丸わかりである。
スポーツは何でも観る。節操がなさすぎると言えなくもない守備範囲の広さが自慢である。野球もバレーボールも卓球もフィギュアスケートも相撲も競馬も観る。もちろんサッカーも観る。ワールドカップは4年に一度のお祭りである。オフサイドトラップを「キャプテン翼」で知ったタイプで手紙の書き出しが、
ボールを持ったら一直線だ!
でぃあああああッ!!◯◯ちゃんへ(はあと)
だった頃が懐かしい。翼くんや岬くん、若林くんを描く練習を熱心に(主に授業中に)していた仲間たちは今どこで何をしているのだろう。そんなふうにきっかけがたとえC翼であったとしても、A代表の試合は早朝であれ深夜であれ欠かさず観るようにしているので、ひょっとしたらわたしは自分が思っている以上に熱狂的なサッカーファンなのかもしれないと思うことがある。青いユニフォームを着てスタジアムに駆けつけてもいいのかもしれない。頬に日の丸を描くなどして、おーーーーーにーっぽーーーーんと歌い、びよんびよんと跳ね続けてもいいのかもしれない。周囲のサポーターの方々が飛び上がっているときにわたしだけひとり着地、わたしが飛び上がっているときに周囲のサポーターの方々が全員着地という、たいへんお恥ずかしい現象が起こる可能性は否定できないし、何より歌い出しのおーーーーーのあたりで早くもぐきりと足をくじきかねないのが悲しい。