【君のカノジョになりたい】
彼女は、月に1回、心を洗いに行く。ピカピカにする。
彼に会うと、心も身体も綺麗になる気がするのだ。だから、二人の好奇心が、ちいさく波打つようなごはん屋さんを、彼女は念入りに探す。
その朝、彼女はいつもより少しだけ時間をかけて靴を選んだ。
夜が近づくと、胸のなかがざわざわと波立ってきた。髪、崩れてないかな。たぶん、肌は荒れてない。首筋にじんわり汗が吹き出してきた。
チークはいらない。すぐに顔が赤くなるから。でも、リップだけはお気に入りのものを、つけ直した。
「よっ! おひさ!」
彼――孝太朗は、珍しくジャケットを着ていた。パティシエをしている彼は、いつも甘い香りがした。
「いい匂いがするね。何の香りだろう?」
「ごめん、少しワイン入ってます。試飲会の帰りなんだ」
孝太朗に触れたくなった。もっと、香りを嗅ぎたくなった。彼の背中から漂う甘い香りに、心拍数が規則正しさを失っていった。
彼と手を繋いだことがない。シラフの時は。
人混みに流されないように、彼が私を引き寄せてくれていた。なのに、手だけが遠くて冷たかった。
今日は、酔おうか、やめようか悩んだ。
酔ったら、勇気は出せる。でも、酔ったら自分の神経が鈍くなってしまう。それが惜しかった。
彼との時間は、どうしようもなく緊張した。一生懸命、格好つけたかった。
白ワインの香りがする、彼の唇が好きだった。ナッツの香りも、ほんのりした。自分が上質なチョコになったような気がした。
彼の、子どもみたいに熱い体温に、いっそ溶かされてしまいたかった。
(スキ)
(孝太朗、スキだよ)
声には出さない。ただ、見つめた。
「あゆこ、どうした?」
「ふふ。想いを送っていたの。届いた?」
「おうよ。届いた」
「何にも受け取ってないじゃん。鈍感!」
「だからさ。今日は疲れてるから、添い寝してほしいんだろ?」
「違う!」
「俺は仙人になるぜ」
……
彼と話すほど、喉の奥が苦しくなった。私が欲しいのは、あなたなんだよ。孝太朗。
仙人じゃなくて、私を欲しがってほしかった。それじゃないなら、いらない。
まどろみの中で、彼と溶けたかった。
帰り道は、少し離れて歩いた。後悔した。帰りの電車で、涙が出てきた。
「帰りたくない。もう会いたいよ」
LINEを開いた。何も打てなかった。
駅前のスーパーで、2Lの水を買った。何度も、息が苦しくなって足が止まった。
「ただいま。遅くなっちゃって、ごめんね」
「おかえり。あゆこ、いい匂いする」
「……孝ちゃん、起きてたの?」
