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Photo byqkoqkoqko888

「お母さんだから」と言われて、ケーキを切った日のこと

    職場の会議室で、ホールケーキを切ったことがあります。

    誰かの誕生日だったのか、何かのお祝いだったのか、もうよく覚えていません。

    覚えているのは、テーブルの上に置かれたケーキと紙皿と、プラスチックのフォーク。

    そして、誰かが私に向かって言った、

    「〇〇さん、お母さんだからケーキ切るのもうまいよね、お願い」

    というひとこと。

    いやいやいやいや、そんなわけないじゃん。

    …と思ったけど、そのままナイフを受け取るしかない空気に…。

    本当は言いたかった。

    「お母さんだからって、そんなにケーキは切らないですよ」
    「お母さんがみんなきれいにケーキを切れるわけじゃないですよ? 
    子どもがいることと、ホールケーキを上手に切れることのあいだに、どんな関係があるんですか?」(おそらく会議室が即炎上)

    もちろん、そんなことは言いませんでした。

    その場の空気がしらけてしまう、と思ったから。

    そして、言った相手にも悪気はない。
    場を和ませるための軽い一言だったのだと思います。

    だからわたしは、うっすらとした笑顔のまま、ケーキにナイフを入れました。
    うまく切れたのから覚えていませんが、その瞬間
    「心のどこかがほんの少し麻痺したなぁ」
    と思ったことを今でも覚えています。

    「お母さん」という言葉には、なんだかいろいろなイメージがくっついているような気がします。

    みんなをサポートする人。
    料理が上手な人。
    掃除が上手な人。
    片付けが上手な人。
    人の世話を自然に引き受ける人。
    場の空気を読んで、足りないものに気づいて、誰かが困る前にそっと動ける人。

    そして、ケーキを切るのも上手な人。

    ………んなわけない。

    わたしは、母になってもケーキをきれいに切れるようにはなりませんでした。

    包丁を入れる位置に迷うし、最後の一切れはだいたいボロボロに。
    責任をとって自分が食べます。

    母になって身についたものがあるとすれば、ケーキを美しく切れる技術ではなく…。


    洗濯物の山や洗い物の山、娘が散らかした荒れた部屋を見ても、いったん見なかったことにする能力。
    冷蔵庫の中身から、なんとか夕飯らしきものをひねり出す能力。
    「あしたお弁当が必要だった」に、心の中で白目をむきながらどうにかする能力(過去にはおかずに干しいもを入れたこともあります。野菜だからね)。

    そういう、あまり人に誇れないけれど、生活の中ではそこそこ役に立つ能力ばかり。

    職場の会議室でホールケーキを切る係を任せてもらえるほどの「母スキル」を磨いてきたわけではありません。

    それなのに、子どもがいると知られた瞬間から、職場でも「母」のような役割を求められることが気がつくと増えていました。

    「お母さんだから」という一言で、家庭の役割が職場にすっと持ち込まれる。

    「お母さんだから、気が利くよね」
    「お母さんだから、面倒見がいいよね」
    「お母さんだから、慣れてるよね」

    それらの言葉は、一見ほめているようですが、わたしには「刷り込み」のように聞こえました。

    あのとき嫌だったのは、ケーキを切ることではなかったのだと思います。

    ケーキくらい、切ればいい。切るよ。
    上手ではないけれど、切れないわけではないから。

    嫌だったのは、「お母さんだから」という理由で、それがわたしの役割のようにされたこと。

    その場には、ほかにも大人がいました。
    絶対に、わたしより上手に切れる人は何人もいたはずです。

    でも、
    お母さんだから。

    それだけの理由で、わたしがケーキを切ることになった。

    なんで? と思ったけど、

    (大人になれよ!)

    と、自分の中の違和感を見なかったふりをしてグッと飲みこみました。


    正直に言うと、どこかで計算もしていました。

    「母っぽい人」として振る舞ったほうが、職場では立ち回りやすいのかもしれないなぁ…。

    頼みやすい人。
    空気を読んでくれる人。
    ちょっとした面倒なことを引き受けてくれる人。
    みんなのために自然に動ける人。

    そう見られることは、悪いことばかりではありません。

    角が立たない。
    人間関係が円滑になる。
    「感じのいい人」になれる。

    そう思った自分がいました。


    こういうことは他にもあるような気がしています。たとえば、

    「女性だから」
    「男性だから」
    「お母さんだから」
    「ベテランだから」
    「若いから」
    「詳しそうだから」
    「やさしそうだから」
    「しっかりしているから」

    そんなラベルを貼られること。

    何が得意そうか。
    何を頼めそうか。
    どんな役割を引き受けてくれそうか。

    そうやって、相手を少し「都合よく」設定するようなこと。

    そして、わたしもきっとそれと同じことをしていると思います。

    若い人だからSNSに詳しいだろう。
    ベテランだから大丈夫だろう。
    あの人は明るいから、これくらい言っても平気だろう。

    そう考えると、あの日の会議室でナイフを持った自分だけがモヤモヤしているわけではきっとないい…。せめて自分はできるだけやらないように気をつけたい。

    わたしは母親ですが、職場でも「母」でいたいわけではありません。
    誰かの世話をするために会社に来ているわけでもありません。
    そして、ケーキを切るのがうまいわけでもありません…。むしろ苦手。

    子どもを産んだら今まで不器用だった人がいきなり器用に何でもできるようになるわけじゃないからね! 
    いきなりおせちとかも作れるようにはなりません!

    と、娘から
    「ママって、ボタンつけできたんだね!」
    と本気で驚かれているくらい不器用なわたしは思うのです。

    母であることを否定したいわけではない。

    ただ、母だからといって勝手にスキルや役割を決めないでほしい、と感じた日のことを、5年以上経った今でも時々思い出します。

    親になって19年。
    わたしはいまだに、ケーキを切るのがうまくなってはいません。

    でも今なら、
    「お母さんだから(ケーキを切るのが上手ですよね)」
    と言われたら、
    「いや、全然上手くできないんですよ~わたしに切らせたらボロボロになっちゃいますけどいいですか? なら切りま〜す」

    と、笑って言えるような気がします。

     
     
    会社員、ライター・編集者。ときどき整理収納アドバイザー。モノや仕事・家事、心を「片付ける」ことで、もっと上手に「なまける=楽に、機嫌よく過ごす」ことができ、心地よく生きられるのではないかと思っています。

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