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『鳴石』  その1

         1

     「ガス点けてみれ」
     外から声がして、遥子はガス台を点火してみる。
     「大丈夫」
     朝東京から出て、昼過ぎに到着した氷見駅まで迎えにきてくれた叔父は、配管業を営んでいる。
     氷見駅にほど近い燃料店で小さなプロパンガスのタンクを借りて、スーパーであれこれ買い物をして、氷見市の山間部にある祖母の家に送ってもらった。
     叔父が勝手口から台所に入ってくる。
     「灯油も玄関に置いたけど、うちに泊まったらどうや」
     叔父の家は少し坂を降って歩いた先、鳴石地区の入り口隣の辺りにある。
     「風は通しとったけど、さすがに埃っぽかろ」
     「なん。覚悟しとった」
     「雪降っとる」
     「少ないなか」
     「そっか。飯は」
     「スーパー寄ってもろたし」
     「鍋で米炊くがか」
     「炊けるよ。ずっとおるし、顔出すちゃ」
     「明日でも、軽四取りに」
     「ありがと。ペーパーやぜ、車おとろしいわ」
     「こんな山で車無しでちゃ」
     「そうやけど」
     「事務所に佳子おるし、土曜日になりゃ、宏太も晃子も休みやから、練習しれ」
     「ありがとう」
     玄関が開く音がして、少し間延びした声が聞こえてくる。
     「勲、来とるがか」
     「ちょっこし待って」
     叔父が靴を履いて勝手口から出ていく。外から玄関に回るのだろう。
     遥子も玄関に向かう。
     玄関先には、作業着の老人が立っていた。遥子の祖父の従弟にあたる馴染みの顔だ。
     「遥子ちゃんか」
     「ご無沙汰です」
     「なんや、東京から来たがか」
     「うん。年明けるまで、しばらくおる」
     「ほおん」
     「トモは」
     父、知之の名前を省略して呼ぶ呼び方は、氷見の訛りのせいで「も」にアクセントがある。名前の呼び方で言えば、氷見に戻って会う人は概ね、遥子の「う」をろくに発音しないせいで、かぎりなく「ヨコ」に近い音になる。そこだけ突然舌足らずな具合になる様子で、氷見に来たことを強く感じて、遥子自身も自然に方言が出る。
     「なん、年明けたら」
     「愛想んないの」
     「文彦さん」
     外から回った叔父の声がする。
     老人の名前を武内のじいちゃんとだけ記憶していた遥子は、彼の名前を初めて聞いた気がした。
     「勲。車上がってくるからよ、宮の話しせんなん思て」
     「神主さんから聞いとるよ」
     「宮のポンプの調子悪いわ、水、見といてくれや」
     「あれポンプでないわ」
     「ありゃ。井戸の方か」
     「うん」
     「ここの家もそうやわ。いよいよ井戸の出ぇな悪なっとっての。水道来とるからいいがだれど」
     「そのこたなぁ」
     「この家、井戸やった?」
     「井戸やぞ。覚えにないか」
     「なん。知らんだ」
     「水な細なってきてもうて、水道も引いてある」
     文彦が会話を元の要件に戻す。
     「宮に簡易トイレやら言うとったがどうした。どこ置くがだ」
     「境内はあれやけど、表の公園どうかな」
     「はぁん。どうもないかのう」
     「年末ちょっこしだけなら、なっとんなかろ」
     「禰宜に言うか」
     「禰宜に言うたら、余計さら便所どころでなかろ。役所やもん」
     「ややこしいか」
     二人のやりとりは、速度を増してどんどん氷見弁がきつくなっていき、遥子の手に負えなくなっていく。ぼんやりと、役所に勤めている宮司の息子が、いまひとつ融通が効かないことについて、あれこれ言っていることはわかった。
     所在なく立っている遥子に、文彦が向き直る。
     「ずっと居るがなら、宮の釜番かかりにこりゃどうや」
     「釜番?」
     勲がすかさず解説を入れる。 
     「大晦日に宮でストーブ点けとかんにゃ、初詣寒かろ」
     「餅焼いて、燗もつけっし、つまむもんも用意しとくわい。正月らしいことせんがか」
     「ああ、ありがとう」
     「夕方から寄るから、宮、行かん先に呼ぼりにくるわい」
     「うん」
     「まだ先やな。仕事は」
     「私は、パソコンあれば」
     「仕事持って来とるがか」
     「仕事しいしい、ここ片付けようかと思って」
     「はぁん」
     「空き家バンクに登録しようかと思って」
     「そらぁおまえ」
     「空き家バンクは、禰宜に言うたわ」
     勲が口を挟むと、文彦が苦笑いする。
     「便所と違うて、喜ぶわのう」

     二人が帰ってほどなく、この家のどこに腰を据えたものかと考えながら、みぞれ混じりの空模様をよそに、あちらこちらの窓を開け放って思案していると、玄関から遥子を呼ぶ声がする。
     玄関の広い土間の真ん中に、文彦の妻の菊江が、段ボールを抱えて立っていた。
     文彦から長逗留と聞いて、あれこれ調味料を持って来てくれたのだ。
     「あらら、ばぁちゃん」
     「コートも脱がんと、なんと寒いことしとる」
     「空気入れ替え」
     「風邪ひかれんよ。ちゃんと味噌とか醤油とかあるが?」
     菊江が携えて来た段ボールには、酢や砂糖や煮干しや干し椎茸まで入っている。
     「あんた、料理できたやろ。正月過ぎまで居るがなら、使われ」
     遥子はお返しにと、実は文彦に渡しそびれていた土産に添えて、特に渡す宛ても考えずに漠然と東京駅で買った土産物の箱も菊江に渡す。
     「あらら、そんながでないがに……」
     「なん。さっき爺ちゃん来たがに渡すが忘れとったん」
     海老で鯛やねと言いながら菊江は笑うが、菊江がくれた段ボールの中身の方がよほど鯛だと、遥子は返す。
     今日ぐらいは、夕食を食べに来てはどうかと菊江に誘われたが、遥子は台所のものに不足がないかを確認したいからと辞した。
     「ありがとう。今、ばぁちゃんにもらったやつやけど、お茶でもいれようけ」
     「なんなん。足らんもんないか言うて行ったがに、どんだけ時間かかっとるがや言うて、やめかれるわ。また来るちゃ」
     「うん。ありがとう」
     「なんなん。ようこそ」
     氷見に戻ってこの「ようこそ」を聞くと、遥子はこの言葉を入れる棚を自分の中にも作ろうと思うが、なかなか自然に出てくる様に馴染ませることはできない。
     それでも少しだけと、菊江を招き入れ、台所に移動する。
     ストーブをつけ、ガスコンロにヤカンをかけたところで、菊江が箱を開けて遥子に言う。
     「あんた、そんでねぇ。この味噌、ちょっこし味見てみられ」
     「味噌?」
     「うん」
     タッパーにいっぱいの味噌が詰めてあった。蓋をあけると、ふわりと味噌の香りがする。
     「毎年きくさんと佳子さんと一緒に味噌つくっとったがだけど、去年、きくさん体の都合悪いいうて、佳子さんと二人だけで作ったが」
     佳子は勲の妻だ。勲の会社の事務を担っている。
     「菊江さんの味噌け」
     「なん。葬式の後で、台所のもんつまつまと片付けたときに、きくさんの味噌、まだ結構残っとったもんで、みんなで分けたが。うちのがと混ぜたら、なんやら今までにないほど美味しなってねぇ」
     「へぇ」
     「佳子さんも、これは美味しいがわかるいうて、そんでももう、きくさん居らんから、この味噌はこっで終わり。佳子さんも、自分の味噌と混ぜてみたけど、こんな感じでない言うてね」
     「違うもん?」
     「置いとく場所の加減やろか」
     少し舐めてみたが、手作りの味噌のふわっとしながらも力強い味噌臭さと塩味で、学生の頃、よく荷物の中に入れてもらっていた味だと思い出す。ただ確かに、待ち受けていた感じと違う香りの具合も、僅かに感じた。
     「おお。美味しいね」
     「そんなが」
     ドン。
     不意に屋根から大きな音がして、家全体が聞いたこともない音を立てて震える。
     遥子は慌てるが、菊江はなんでもない顔をしている。
     「地震?」
     「天狗やろがいね」
     「天狗?」
     「冬ながにね」
     「天狗」
     要領を得ない遥子の様子を見て、菊江が言う。
     「夏、たまに降りてこんだけ。忘れた?」
     顔色ひとつ変えずに言う菊江の声を聞いているうちに、遥子もこの不思議な音と家鳴りのことをほんのりと思い出した。
     いきなりドシンと屋根に降りる様な音がしたり、地震とは全く違う様子で家がガタガタ音を立てる家鳴りは、この界隈では全て「天狗が降りた」ということで片付けられていた。
     「ああ、ムササビじゃないやつ」
     ムササビなら、屋根に降りたあとの移動の音もわかるし、天井にハクビシンでも入れば、それはそれでまた、別の音だ。
     「……ちょっと見に出てもいいけ」
     「居ったら大騒動やぜ」
     と、菊江も笑いながら遥子の後に続く。
     この辺りの家に比べれば、やや小さい平家は、遥子が生まれる前、父が結婚を決める前に祖父が建て直し、これからの時代、泊まりにくることがあっても、こんな山で暮らそうと思うなということで、余分な部屋が少ないのだと、祖母に聞いたことがあった。
     実際、父は転勤で北陸と甲信各県を転勤する様な仕事に就き、叔父もこの地区の中とはいえ、早々に独立している。
     遥子が小学四年生の時、父が年度の途中で長野の松本に転勤になった。父の職場としては異例のことだし、年度が明ければまた富山市に戻るということだったので、二学期と三学期をこの家から小学校に通うことになって、母、弟と一緒にこの家に来た。
     幸い、夏や冬の間に顔馴染みになっている近所の子供たちも居て、困ることはなかったが、「帰ってこられる」という予定だった父の任地は、年度明けには新潟市に決まっていた。
     遥子はこのまま小学校はここでと主張し、祖父と祖母の後押しもあって、遥子の母と、まだ小学校も低学年だった弟は新潟に行き、遥子は祖父母と暮らすことになった。
     中学にあがるときには、と言っていたものの、その年は父の任地が金沢に変わるなど、引っ越しの動きも重なって、結局は高校を卒業して進学で東京に行くまで、この家で暮らすことになったのだった。
     遥子が東京に行くのを見計らって、「爺ちゃんの家に居るのが、なんだかうらやましい」と、そんな理由は、遥子にだけ明かしたことだが、弟の知也が遥子が占有していた部屋に入る形で、この家から高校に通った。
     勲の息子、従弟の宏太も知也のひとつ歳上で、知也も宏太と同じく氷見高校に通った。
     父母は現在金沢で暮らしている。来年には父が定年を迎えるが、そのまましばらく金沢で仕事を継続する見込み。弟の知也は結婚して氷見市の隣の射水市に住んでいて、鳴石の家では通勤にも不便すぎるということで、春に祖母が亡くなってから、家は空き家になった。
     防風林とまでもいかないが、何本か植えられた杉の木と、昔に比べるとかなり大きくなった樫の木を背景に、ほんのり煤けた様な濃いベージュの外壁の家だ。
     真冬の氷見らしい雲が低く垂れ込めた曇天の空。屋根には、もちろんのことだが、なんの気配もない。
     「この家やと、どの木から降りてくるがかねぇ」
     菊江の呑気な声になんとなく生返事をして、遥子は天狗が屋根に降りる音について記憶を手繰る。
     「夏やったね天狗」
     「普通なら、夏やわ」
     菊江は菊江で、ずっと屋根の上のあちらこちらを見ている。
     「ばぁちゃん。家入ろ。寒い寒い」
     家中の窓を開け放って、上着も脱がずに居て寒いもないかと話しながら、二人で家に入る。
     通り土間の左手は、二間続きの座敷の奥の仏間につながり、廊下とも縁側ともつかない作りの通路の少し外側に、一面ガラスドアを付けた作りになっている。雨戸を全て開け放てば明るいし、まさに今も、ドアも障子も全て開け放って、家中を冬の外気が通り抜けている状態だ。
     冬はここが物干しにもなるが、サンルームの様な役割はまるで果たさず、ただ明かりと冷気を入れるだけの作りだった。
     とても寒い家だが、この作りのおかげだろうか、勲がいうほど埃っぽさは感じない。
     窓を閉めてくると菊江に伝えて、遥子は座敷から順に家の中を回る。
     「お茶はいったよ」
     台所から菊江の声が聞こえる。
     確かにもう、家具も多くは残っていない。祖母が亡くなってから夏頃までには知也と宏太も手伝って、大きなものは整理したそうだ。
     祖母と祖父が使っていた部屋にはもう、祖母が使っていた小さな鏡台が残っているだけだ。
     普段は台所に居ることにして、続きの居間で寝ることにしようと、遥子はこの家の自分の居場所が決まったことに、なんとなくほっとした。
     台所に戻る。
     残った箪笥の類はすでに空になっているが、和箪笥の中の着物の類は、佳子に相談すれば良いだろうと、菊江が言う。
     「捨てるがも惜しいがだけど、なん着んちゃね」
     遥子がパッと捨てたら、それで解決かしれんと菊江は言うが、遥子にもそんな度胸はなかった。

     菊江としばらく話しをして、遥子は荷解きをしながら、携帯でメールを確認する。
     遥子は今、インタビュー記事などを主に扱うライターとして、フリーで働いていた。
     案件によっては企画や編集にも携わり、現在もいくつか継続的に記事を書いている雑誌やウェブ媒体もある。
     どの案件についても、担当者には年末年始長く実家に戻ることを説明して、氷見に戻ってきていた。
     新型コロナウイルスの流行が決定打になって、ちょっとした取材や打ち合わせなら、リモートで済ませることも普通の時代になり、しばらく実家の片付けをすると言っても特に誰からも不都合だとは言われなかったし、氷見市でも山間地域になる鳴石地区ですら、モバイルルーターの有効範囲になっていた。
     インターネットさえ使えれば、おそらく、困ることはないだろう。
     仕事も、時間を潰すものも手元にある。
     年末年始の間に、この家を人に貸すか売るかできる様に片付けてしまうことが、遥子の第一の使命だった。
     あらかた整理が終わっているとはいえ、遥子が使っていた古い事務机は残っているし、奥の六畳間の壁一面の本棚には、びっしりと本が残っている。
     これは、遥子が引っ越しや、本棚があふれかえる度にここに送っていたもので、全面的に遥子が責任を負うものだ。久しぶりに対面したが、東京に送り返してやりくりを考えられる量ではなかった。
     納戸にも、確かにまだ食器などが大量にある。残しておくか捨てるかは、勲によれば、とりあえず禰宜にでも見て貰えば、市の空き家バンクに登録している家が、だいたいどんな風にしているか、アドバイスをくれるだろうとのことだった。
     食器や古道具で、整理した方が良さそうなものを見極めて、一旦、座敷に集めておくことにする。
     他に、たいした仕事はない。
     本については、一旦考えないことにする。思い当たる人間が居ないではなかったが、どう話したものか、切り出し方を考えなければならないし、どちらにしても、きっとなんとかなる。

      (その2につづく)


     
     
    劇団血パンダ団長。白玉古本店店主。富山県でひっそりと演劇の発生する瞬間を模索中。演劇を見たのか実際の自分の経験か、夢でも見たのか。そんな風に記憶に入り込む演劇を作っています。 倉庫 https://wxbdxw.net/ 劇団 https://blood-panda.net/

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