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『地中儀』|創作大賞2026応募作品


    第1章

    この取るに足らぬ生き物ほど、世界の歴史に大きな役割を果たした動物はいないかもしれない

    ——チャールズ・ダーウィン

    私の根元に今、ニンゲンが座っています。

    あ、正確には私ではなく、私が宿っている樹の根元なんですけど。私たちの種族は、樹とか石、水や火などの自然物に宿って暮らしています。宿ることができる自然物にはそれぞれ条件があって、樹の場合はですね、森や林全体の植物と”繋がる”ことができた個体が対象になります。

    繋がっているのは根っこなんですが、地中の微生物の力を借りなければ“繋がる”ことはできません。だから、地中の微生物と仲良くなるコミュニケーションの高さが求められるんです。

    ニンゲン族の世界では「mother tree (マザーツリー)」「御神木」などと呼ばれて注目される樹もあれば、全然注目されていない樹もあります。”繋がる”ことについて理解しているニンゲン族はかなり少ないようですが、いずれにせよそう呼ばれるような樹には私たちが宿っているんですよ。

    話を戻して、私が宿る樹の根元に座ったニンゲンはかなり疲れているようですね。体よりも心が。時間は20時37分。汚れを少し気にしているのかビニール袋を敷いて座っています。

    ホントにたまにしか使わないんですけど、ちょうどエネルギーが溜まっているし、このニンゲンに私の力を使ってあげようかな。私たちの種族の力を受けたニンゲンには幸福が訪れると言い伝えられていまして、幸福とは正反対の顔をしたこのニンゲンに、役に立てばいいなという衝動が湧いてきました。

    どんな力を使うかって?まあちょっとだけ、ニンゲン族を離れてもらうだけですよ。自然界の別の種族と同じ目線になってもらうんです。

    ニンゲン族って、たびたび自分たちが自然界に属していることを忘れてしまう生物ですよね。

    自然界に属しているのに、その影響力が別種族と比べて大きすぎるから、私たちの種族の間で”ニンゲン界”という新しい区分けが必要ではないかと議論されているほどです。

    でも、私は反対なんです。なぜかってニンゲン族を見ていると、ニンゲン族が抱える問題の本質や答えは、自然界にある気がしてならないからです。

    答えがあるというか、真理があるというか、属している場所を忘れているだけなので、他の種族と同じ目線で自然界を見たり経験したりすると、なにか思い出したかのように行動が変わるんです。

    幸福が訪れるという言い伝えは、そうして行動が変わったニンゲン族に訪れる必然なんじゃないか、と私は信じているんです。あと、個人的にニンゲン族は嫌いじゃないので。

    私たちの種族のニンゲン族を嫌悪している多数派は、新たに”ニンゲン界”を作ってしまえば自然界の恩恵をニンゲン族へ与えなくて済む、という思想を持っている者もいます。

    ニンゲン族の生命活動って他の種族にはない特異なものですから、ニンゲン族からの不利益を経験した者はそのような意見になってしまうのです。仕方のないことだと私も理解はしていますが、本来属する場所を忘れてしまっただけなのに”ニンゲン界”なんて分断してしまったら、ますます思い出せなくなっちゃいますよ。なんとか上手くやっていけないものですかね。

    ね、そう思いません?

    またまた話を戻して、この疲れ切ったニンゲンをですね、私の力で別種族と同じ目線まで連れていきます。私にできるのは連れていくことと無事に帰すことなので、その先で案内するのは別の生物なんですけどね。

    あ、そういえば、私が何者かまだ言ってなかったですね。私は樹の妖精です。自然界に属するヨウセイ族、自由を愛する種族です。



    ——ようやく仕事が終わった。やっと家に帰れるというのに気分が晴れない。こんな状態になったのはいつからだったっけ。帰ってしまったら、また明日がはじまってしまう。

    少なくとも今は、目に見えない何かから解放された貴重な時間だ。少しでも長く感じたいと思って今夜は公園に寄ることにした。コンビニで缶ビールを買ったけど、そういえば缶の味が好きではなかったのを後から思い出した。

    ここは都内でも緑が豊かで評判の公園だ。公園なんてほとんど来たことはなかったけど、確かにあたりには木々が生い茂り、ここだけビル街とは違う爽やかな空気が流れていて、普段どれだけ息が詰まっていたのかを実感させられる。

    ただ、平日の夜だというのにベンチはどこも埋まっていた。おまえの居場所はないと言われているみたいで、心の中で舌打ちをした。メインの広場から少し離れたエリアにひときわ大きな木が目についたので、吸い寄せられるように木に向かった。汚れを気にするのも今は面倒くさいけど、最低限はやろうと思ってコンビニのビニール袋を敷いて木の根元に腰かけた。

    缶ビールはプルタブを開けた瞬間が一番おいしかった。飲み進めるほど缶の味がしてくるからやっぱりあまり好きではない。飲み干した缶を意味もなくペコペコへこませながら、ボーっと風にそよぐ木の葉っぱを眺めた。いつもより時間がゆっくり過ぎているように感じる。胸が膨らむほどたっぷりと息を吸い込んだ。

    10年経つか経たないか、長く働いている現在の会社は、給料が低いことと責任感のない上司がいることと真面目に仕事しても評価されないこと以外はホワイト企業だ。

    具体的に何が疲れたのか説明することができないくらいには、全体的にもう疲れた、というのが僕の現状だ。

    ここから立ち上がったら、また明日が始まる。寝て起きて仕事して、その繰り返し。いつまでこれが続くんだろうか。そろそろ帰らないと寝る時間がなくなってしまうけど、さっきから地面に吸い付かれる感覚があって立ち上がることができない。腰が重いってこういうことを言うのか。

    ふんわりとアルコールが回った肌に、葉が擦れる音をまとった風が通り過ぎる。このまま時間が止まってくれたらどんなにいいだろう。帰りたいけど帰りたくない。無理やり缶ビールを飲んだのがいけなかったのか、急に強い眠気が襲ってきた。そこからまぶたを閉じたことはもう覚えていない。



    ——ふと目を開けると、チカチカときらめく無数の星の中にいた。星と星を結ぶように張り巡らされた線もそこかしこにある。まるで星座のようだ。

    「プラネタリウム?」

    星って近くに見えるけど、実際は遠く離れているんだっけ。それにしても星の数が多い。キラキラしていてきれいだ。夢か現実かわからないまましばらく星を眺めていると、目の前になにかがウネウネと泳いできた。見覚えのある生き物だ。僕と同じくらいの大きさであること以外は。

    「うわあ、めずらしい。君はニンゲンだよね?ボクは物知りだから、なんでも知ってるんだ。ニンゲンと話すのは初めてだけど」

    でっかいミミズが僕に喋りかけている。ミミズって、そっちが顔なんだ。じゃなくて、なんだこの状況。夢にしては意識がはっきりしている気がする。

    「なんで空にミミズがいるんだ」

    ミミズが喋ったことにもっと驚けよ、ともう1人の自分が脳内で言った。

    「空?ここは空じゃないよ。土の中さ」

    「土の中?星がキラキラしてるじゃないか。星じゃないとしたら、このキラキラはなに?たしかに色や大きさが少しずつ違うけど」

    「このキラキラはサイキン族だよ。たくさんの線で繋がってるのはシンキン族。他にもいるけど、キラキラしているのは土の中にいるたくさんの生き物たちさ」

    「サイキン?シンキン?よくわからないし、僕だってじいちゃん家の畑で土を掘ったことはあるけど、こんなキラキラした生き物なんていなかったぞ。それこそミミズを見たことあるくらい…」

    「彼らはボクたちミミズ族より10万分の1くらい小さいから、ニンゲンの目には見えないはずだよ。見えなくても彼らは、ここにいるだけでも何十億って個体がいてね——」

    「いや、難しい話はいいや。疲れてるんだ。こんな夢はやく覚めてくれよ。明日も会社に行かなきゃいけないんだから…。あ、いや行かなくていいならそのほうがいいんだけど」

    夢の中でまで仕事のことを考えてしまう自分がいやになる。

    「ボク、カイシャって知ってるよ。ニンゲンが毎日入っていく建物のことだよね。どうして行きたくないの?」

    「そりゃあ、やりたくもない仕事を朝から晩までやらなきゃいけないからだよ。もういろいろと疲れちゃって」

    「ふうん、やりたくないのにどうしてやっているの?」

    「生きていくために決まってるだろ?仕事をしてお金を稼がなきゃ生きていけないんだ。好きなことだけやって生きていけるならそうしたいけど、それができるのはほんの一握りの人だけ。ミミズはいいよな、仕事なんてなくて」

    「ボクたちは生きるのが仕事さ。ボクたちがいなきゃ他の生き物は生きられないし、ボクたちも、他の生き物がいなきゃ生きられないからね。ニンゲンも同じじゃないの?」

    「そんな単純じゃないんだよ。ただ生きているだけじゃ社会は回らないよ。はあ、なんでミミズなんかに愚痴を話してるんだろ」

    「ニンゲンさんにはボクたちが単純に見えるのかい?たしかに生きているだけなのは単純だけど、だからこそ複雑なんだ。土の中ではね、それはそれは複雑な情報や物質のやりとりが行われてるんだ」

    「はあ?土の中に情報?物質?しかもやりとりだって?インターネットでもあるまいし」

    「そうそう、ネットワークさ。特に樹木の根とシンキン族を通じたウッド・ワイド・ウェブは巨大な情報と物質のネットワークだよ。そしてボクたちミミズ族は、そのネットワークを支える基礎工事を担っているんだ。すごいだろう!」

    「ちょっと、何言ってるかわかんないよ。土の中にネットワークなんてあるはずないよ。人間はさ、複雑な人間関係やら社会のシステムの中に生きていて、それはそれはたくさんのストレスを抱えてる。複雑だから大変なんだ。土の中がそんなに複雑なわけないだろう」

    「そうなのかい?ボクたちはシステムが複雑なことにストレスを感じることはないよ。自然界のシステムはね、複だけど元をたどればみんなシンプルに生きているだけなんだ。ストレスがあるとしたら、熱いとか寒いとか息が苦しいとか、生きていくことに支障があるときかなぁ。ボクはニンゲン族も同じだと思うな。だって、自然界に生きているんでしょう?」

    複雑であり単純。サイキン族やシンキン族、ウッド・ワイド・ウェブ。意味の分からないことをでっかい喋るミミズに聞かされて、夢の中でも眠くなってきた。

    「ミミズのくせに生意気な…」

    気が付くとプラネタリウムが徐々に明るくなってきていた。そしてさっきまで動いていなかったキラキラが意思をもって移動しているように見える。キラキラが目指す先にはぼんやりと大きな光の玉が滲んできていた。

    「おや、朝が来たね。今日はとってもいい天気みたいだから、忙しくなるぞ」

    土の中でなんで天気がわかるのか疑問に思ったところで、また強い眠気に襲われた。よほど疲れていたんだな、と目を閉じると、ふっと意識が遠のいた——。

    ——目が覚めるとベッドの上で朝を迎えていた。やっぱり夢か。あれ、でもどうやって帰ってきたんだっけ。脱ぎ捨てられたスーツはソファにかけられギリギリしわになっていない。

    散らかった1Kの部屋に朝日が入り込んでいる。

    カーテンを開けると、雲一つない快晴だった。


    第2章

    我々は天体の動きについての方が分かっている、足元にある土よりも

    ——レオナルド・ダ・ヴィンチ

    はい、無事にニンゲンを土の中に案内することができました。最初は誰も現実だと思いませんから、受け入れてもらえないんですけど。

    さっそくミミズと出会ったんですね。土壌生物を代表する種族です。土の中を縦横無尽に動き回るので、案内役にぴったりですね。

    ミミズは基礎工事と言っていましたが、彼らの生命活動は土の中を改善して”良い土”にする力があるんです。

    ミミズって、1日で自分の体重と同じくらいの土を食べちゃうんですよ。ミミズが通った道はすき間ができて空気や水の通り道になるし、食べた土を上部に排泄するため、自然と土が撹拌されます。排泄したフンはコロコロとしたちょうどいい固まりになって土の水はけ、水持ちを向上するんです。

    こうやってミミズがただ生きる行動をするだけで、ニンゲン族の学校の校庭くらいの広さに年間25t以上もの”良い土”を生みだしています。この”良い土”が、他の生物や植物の根っこが生きやすい環境になってるわけですね。だから土の基礎工事ってわけです。

    私が宿っているこの樹も、たくさんのミミズ族による基礎工事が無ければ今ほどに根を伸ばせていないでしょう。

    そしてニンゲンが混乱していたサイキン族とシンキン族、土の中のネットワーク。これらはミミズの基礎工事も含めてすべて自然界のシステムでつながっているんです。ニンゲン族の目には全く見えませんから、信じられないという反応で当然なんですけど。

    星のようなキラキラはサイキン族ですね。ニンゲン族は”細菌”や”バクテリア”と呼んでると思います。めちゃくちゃ小さい生物で、他種族のフンや柔らかい有機物を分解して主食にしています。分解された残りものは主に植物が吸う養分やシンキン族のエサになります。

    星座のように張り巡らされた線はシンキン族。ニンゲン族では”糸状菌”や”キノコ”でしょうか。この線は菌糸と言って、土の奥深くまで張り巡らされています。菌糸は植物の根やサイキン族が届かない場所までその交通網を広げ、代わりに水分や物質を運んでくれますし、周辺の植物の根とも繋がり合うので、ネットワークの要と言える生物です。

    私が冒頭で話した”繋がる”能力を獲得した樹というのは、このサイキン族やシンキン族とのコミュニケーションが発達していて、パートナーになることができた樹のことを指します。

    これらの種族がそれぞれ生きる行動をする中で、”繋がり合っている”ということがミミズが言った土の中のネットワークです。

    自然界って、複雑なんです。

    まあもう少し他種族の目線を体感すれば、あのニンゲンも何かが変わってくるのではないでしょうか。

    1~2週間ほどしたら、また樹の根元に来ると予想します。こうやって予想を立てる遊びができるので、ニンゲン族を観察するのは嫌いじゃないんですよね。



    ——ガタンゴトンと揺れる動く箱に押し込まれたあとは、息が詰まる動かない箱へと向かう。今日も憂鬱バロメーターは絶好調だ。出社して早々、先輩に呼び止められた。

    「なあ、お前が進めてたプロジェクトってまだ3社の比較段階だったよな?」

    「あ、はい。3社のなかで条件が整えばいよいよ…という状態で課長に経過報告していたところです」

    「あ~やっぱりか。そのプロジェクト、課長が勝手に成果報告してたぞ。B社との古いつながりで個人的に連絡とって条件そろえて契約してる。今朝の会議でまるで自分が進めたかのようにプレゼンしてたからおかしいと思ったんだ」

    「本当ですか!?これまで一度だって打ち合わせに参加していなかったのに。僕はそれでも確認とらなきゃと思って経過報告していたのに…」

    「あの課長、前の部署でもそうやって部下の成果を横取りしてきたらしい。それ思い出したから、おれ会議で言ったんだ。担当者が他の条件も検討中のはずだと。だけどそのまま押し通されちまった」

    「そうだったんですね。言ってくださってありがとうございました。先輩で無理ならもう、何もできませんね…」

    「気の毒だけどあんまり気を落とすなよ。あと1,2年もすればあの課長も異動になるさ」

    「はは…そうですね」

    デスクに座っていられなくなり、自分の意思で動いている感覚がないまま自動販売機へ向かう。缶コーヒーを買って無理やり頭を落ち着かせる努力をしてみる。

    強い思い入れがあって仕事をしてきたわけじゃないけど、やるからにはいいものを目指してそれなりに頑張ってきた。プライベートだって犠牲にして残業もした。だけど何も報われなかった。なんのために頑張ってきたんだっけ。

    「シンプルに生きるだけ」

    夢の中でミミズが言っていた言葉を思い出したら、悲しみを通り越して腹が立ってきた。

    「ほらな、単純じゃなかっただろ」

    体調不良を理由に、殴り書きした早退届を提出した。

    ——早退してからコンビニに寄り、公園を目指して歩き出した。昨日は暗くて全体像がわからなかったが、開けた芝生広場のエリアと木が生い茂っている林エリアがはっきり見えた。林エリアがあるおかげで全体的に緑が多く、見た目からしても涼しげな公園であることがわかった。

    ベンチは相変わらずどこも埋まっていた。神様は座る場所すら僕に与えてくれないのかと心の中で悪態をつきながら、仕方なく林エリアのあの大きな木へ向かう。

    林エリアの入り口付近には、カフェ建設予定地と書かれた工事看板が立っていた。エリア一帯に、位置出しとみられる赤い印のついた杭が何本か打ち込まれているのが見えた。

    早足で歩いてきたので少し汗ばんでいたが、木陰に入ると心地いいそよ風が汗をさらっていく。長すぎず短すぎない草原のような緑の絨毯が、気持ちよさそうに風を受け流している。

    夢だとわかってはいるけど、もう一度あのミミズに会ったら文句を言ってやりたい。そう思いながら、木の根元に弁当のビニール袋を敷いて腰掛けた。

    満腹になるといつも眠くなってしまうから気を付けていたのに、今日は普段より多めの昼食をかき込むようにして食べてしまった。案の定、食後に強烈な眠気が襲ってきた。



    ——目が覚めると、またプラネタリウムのように星がキラキラ輝いている。この前と違うのは、うすぼんやりと光る玉に無数のキラキラが集まっていることや、高速道路のように張り巡らされた線が発光していることだ。前は星座を結ぶ線のように見えたが、今はまるで空から見たネオン街のようでとてもきれいだ。

    空、に見えるけどまた土の中に来たのか?だとしたら…。

    「おーい、ミミズ。この前のミミズはいるか?」

    人生でミミズを大声で呼ぶことになるとは思いもしなかった。

    「あ!ニンゲンさん!」

    ニュル~っと優雅にミミズが泳いできた。

    「今日はとってもいい天気だから、みんな活発に動いているよ。土の中の温度もちょうどいいんだ。ウッド・ワイド・ウェブの情報によると、最近はニンゲン族が周りにたくさん来たみたいだね。あんまり土を踏まれると、息が苦しくなっちゃうんだけどなぁ」

    「そのウッド・ワイド・ウェブとかいうよくわからないものはなんなんだよ。ここは土の中なのに、地上の情報を誰がどうやって流してるわけ?」

    「木の根っこからだよ。光の玉にみんなが集まっているでしょう?あそこは根圏と言って、根っこから地上の情報や太陽のエネルギーを栄養に変えて土の中に送ってくれる場所なんだ。サイキン族やシンキン族たちはその情報と栄養をもらう代わりに根っこが欲しがる別の栄養を与えてるんだ。

     太陽エネルギーを変換する光合成は植物のスーパー能力だし、物質の分解や輸送はサイキン族とシンキン族の得意技だから、お互いにできることをして助け合ってるんだ。

     光合成が盛んだとあの光の玉も大きく広範囲になるんだよ。だからその日の天気も朝が来たタイミングもわかるんだ。」

    「それだ、腹が立つのは。助け合ってるなんて聞こえのいい言葉だけど、そんなのお互いに利用し合ってるだけだろ。用済みになったら切り捨てるに決まってる。結局みんな自分の利益が一番大事なんだ。

     なんだっけ、畑で野菜を育てている時に雑草が生えてくると、栄養や水を奪われるって聞いたことがあるし、自然の世界って弱肉強食だろ?」

    「う~ん、それは根圏やウッド・ワイド・ウェブなんかの自然のシステムが機能していないところだよ。自分が生きるのに精一杯で、共に生きる余裕がない状態だね。システムがちゃんとしていれば奪い合う必要なんてないし、仮に奪う生物が出てきたときにはシステムが抑え込むからね。そしてみんな、自分だけ何かを独占すると全体のバランスが崩れて、結果的に自分も生きづらい環境になってしまうことを理解しているんだ。」

    「そんなに都合がいいシステムが本当に成り立つのか?高い知能を持った人間が作る組織だって抜け穴ばかりのシステムしかないっていうのに、知能を持たない植物や微生物にそんなことできるはずないよ」

    「本当だよ。特にたくさんの種類の健康な植物があるところでは、あっという間にシステムが構築されるんだ。たったの2、3年くらい!そして、そのシステムの基礎を作ってるのはボクたちミミズ族さ!すごいだろう!」

    「わかったわかった。ああもう、文句を言ってやろうと思ったのに調子が狂うなぁ」

    「何か嫌なことでもあったの?」

    「ああ、人間の複雑でいやらしい内面に襲われた出来事があってね。もうなんのために頑張ればいいかわからなくなっちゃったよ。シンプルに生きるなんてことが出来たら、どれだけ楽になれるんだって感じ」

    「そう、大変だったんだね。そうだ、じゃあ今日は遠いところまで案内してあげる!ひんやりしていて気持ちがいいし、いろんな生物の姿を見れば、シンプルに生きることの本質がわかるかもしれないよ」

    ミミズに励まされた人間はこの世に僕しかいないんじゃないか。他にやりたいこともないし、ずっと夢の中にいられるなら都合がいい。僕はミミズについていくことにした。

    はじめは空と勘違いした土の中であったが、もっと広大な宇宙が広がっているとは、この時は想像もしていなかったんだ——。


    第3章


    人類がいなくなったら、世界は一万年前に存在していた豊かな平衡状態に戻るだろう。昆虫が消えれば、環境は崩壊して大混乱に陥ってしまうだろう。

    ——E・O・ウィルソン

    やはりミミズは案内役にぴったりですね。うじうじしたニンゲンも半ば強引に連れ回してくれます。だいたい10m先くらいまで行くんじゃないでしょうか。正確な深さや場所は私にもわかりませんが。

    ミミズが言っていた根圏。植物の根と土が接している360度の範囲を言いますが、幅はせいぜい数ミリ。それに活発に細胞分裂が行われている若くて細い根に限るので、樹で言えば根元ではなく枝先の方へ遠く離れた位置に多く分布しています。

    ニンゲン族にとってはほんの数ミリでも、根圏にはそうでないところと比べて10~20倍の微生物が集まっていて、植物とのやりとりが活発に行われているんですよ。

    ニンゲン族を嫌悪しているヨウセイ族が言っていたのは、ニンゲン族の生命活動は根圏における植物と微生物との共生関係を断ち切るもので、自然界の理(ことわり)を全く無視した剝奪の種族だ、という主張でした。

    ヨウセイ族の中でも樹に宿る私たちって、”繋がる”能力を持った樹がなくなってしまうと生きていけないんです。だから、根圏のことを誰よりも大事に思ってるんです。

    ニンゲン族が剥奪の種族だと思われてしまうのって、自然界に属する多種多様な生物を、”それ単体で生きている”ように扱うからではないでしょうか。

    ミミズが言っていたように、自然界に属する種族は皆、助け合うまたは巡り巡って”繋がる”ことでそれぞれの本来持つ機能を発揮できるのです。

    私は樹の妖精なので植物の話ばっかりでごめんなさいね。たとえば植物で言えば、植物は自分の根っこだけでは吸収できる養分や水分が限られています。まったく生きていけないわけではないですが、植物が本来持つ光合成や外敵からの防衛能力などの機能を健康的に維持していくには、地中の微生物から提供される養水分が必要なんです。

    反対に微生物も、植物の根から分泌される”液体炭素”と呼ばれる光合成産物を貴重な食料源にしています。この”液体炭素”をエネルギーにして物質を分解することで、植物が吸収しやすい形に変えてくれます。

    この関係性って、一度形成されるとお互いにとってどんどんプラスになると思いませんか?ただ生きている生物同士が”繋がる”ことで機能が発揮されるから、わざわざ奪う必要ってないんだと思います。

    自然界って、シンプルなんです。

    このネットワークのすごいところはまだあるんですが、喋り疲れちゃいました。聞いてくれるニンゲン族がいるとつい喋りすぎちゃいます。

    あ、そういえば、ちょっと嫌な予感がしています。土の中の案内が継続できるかどうか、わからなくなってきました。無事に最後まで見届けられたらいいのですが。



    ——ミミズが進む道を後ろからついていく。土の中のはずなのにどこからかサーっと風が吹いてくる。途中、大小さまざまなサイズのミミズに何匹も出くわした。ミミズはそのたび、友達なんだと自慢気に話かけてきた。

    「うんしょ、このあたりは少し硬いなぁ」

    そうだ、人間だって土を掘るためにスコップを使うのに、手足も持たないミミズにとって踏み固められた土はどんなに固いのだろう。今まで考えたこともなかったな。ミミズはどんどん先へ道をつくっていく。

    「よし、到着だよ」

    ぱっと見渡すと、さっきは遠くに見えていたネオン街の近くまで来ていた。キラキラは近くで見ると膨大な数がうごめいていて、土の中だというのにかなり明るい。

    高速道路のような線も、思った以上に緻密に張り巡らされていて、道路の中を多様な色の光が次々と行き来している。この線はどこまで続いているんだろう。

    そういえばミミズは、何十億もの微生物がいると言っていた。そんな天文学的な数の生き物がいる土の上に、僕は立っていたのか。

    「木の根元から遠く離れて、枝先の方向に進んだところにある根圏に近づいたよ。ここは物質と情報のやりとりが最も活発に行われている場所の1つさ。誰かいないかなぁ。キラキラしたサイキン族は、意思の疎通はできないんだよね。でも、根っこからの養分を受け取ったら律儀に有機物を分解して、分解した栄養を根っこに返しているんだ。その活動が活発なほど、輝きも大きくなって、土が豊かになっていくんだ」

    確かに、サイキン族とみられるキラキラはぼんやりした光を受け取ると、色や大きさが違う別の光を押し込むようにして返している。植物って、根っこだけで栄養を吸っているんじゃなかったのか。1つ1つの光が植物や微生物にとって生きるエネルギーであるなら、根圏が無くなってしまったら…。

    「あ、あそこにキンコンキンがいるぞ。お~いキンコンキン!」

    「うわっ、ミミズ!菌糸を切らないでくれよ。さっき普段と違う情報が入ったから、急いでこの菌糸を通して養分輸送しなくちゃならないんだ。いつも戻すの大変なんだからな」

    「ごめんごめん。どうしても体が当たっちゃうんだ。それより、普段と違う情報って?」

    「北側の日当たりが悪いところにある他の木がさ、いよいよ自力では健康に生きていけなくて、弱ってきたらしい。だからこの養分を弱った木に送ってくれってさ。一部はオイラも頂くけどな」

    「へぇ、おもしろいね!しかも、ちょうどいいタイミングだ。ニンゲンさん、これがネットワークだよ。ボクたちがいる場所の木はここらで一番大きくて、シンキン族のキンコンキンを通じて周辺の他の木ともつながってるんだ。そして光合成で作った養分や過去に体験した病気の情報なんかを共有してくれるんだよ」

    「え?1本の木が他の木とつながってるって?自分が作った養分を分け与えるって、何のために?そ、そんなこと信じられないんだけど。いやでも今実際に起きてるしな…。いやいや、これは夢だ…」

    「ん?おい、また別の情報だ。”葉っぱがコンチュウ族に食べられているから、防衛物質を作るのに必要なミネラルを回してくれ”だって!今日は忙しいな!ミミズ、わるいけど今日は話し相手になってやれそうにないな。いつも土を耕してくれてありがとよ!」

    「どういたしまして!またね!そろそろ行こうか、ニンゲンさん」

    ミミズは来た道を戻らずに、パクパク土を食べながら新たに道を作っていく。この道が、植物や他の生物が生きるための土台になっているのか。確かに、僕が1人でここにいたとしても、こんな道なんて作れない。

    「なあ、土の中のおまえたちが、シンプルに生きているだけでも複雑につながってるのはなんとなくわかったよ。でもさ、さっきの情報だと昆虫が木の葉っぱを食べてるって話だったぞ。せっかくの木の葉っぱも、奪われてるんじゃないのか?葉っぱを食べる昆虫は、サイキン族たちと違って木に何もお返ししないんだろ?」

    「う~ん、確かにそこだけ見れば、奪っているように思うよね。でも自然界のシステムはもっと視野を広めてみる必要があって…」

    ゴゴゴゴゴ——。

    遠くから大きな音が近づいてくるのが聴こえる。音が大きくなるにつれて土の中が揺れはじめた。

    「これは地震か…?」

    土の中なら机の下にふせる必要もないのか、なんて考えていたら、近くにいたたくさんのミミズたちの叫ぶ声に、心臓が冷たくなった。

    「みんな!逃げろ!モグラが近づいているぞ!」

    「逃げろー!食べられちゃう!」

    普段はあんなに明るくて、土の中を優雅に進んでいたミミズも、ぐちゃぐちゃと動いてパニックになっている。

    「い、いやだ!く、来るなー!」

    ダメだ。モグラとミミズでは、移動能力が違いすぎる。いくら逃げ回ったところで食べられるか食べられないかは運任せだ。あれ、待てよ。今って僕もミミズと同じくらいのサイズで土の中にいるんだよな。いやいや、違うこれは夢のはず。ゴゴゴ——。夢のはず。ゴゴゴゴゴ!

    「うわあー!」

    叫びながらベッドから飛び起きた。時計を見ると朝になっている。やっぱり夢だ!だけど昨日の昼間に公園にいて、いつどうやって帰ってきたんだ?全く記憶がない。

    頭から離れないのは、宇宙のような土の中の光景、そしてパニックになったミミズの姿だった。



    第4章


    神よ、変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。変えることのできないものについては、それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。

    ——ニーバーの祈り

    あぶないあぶない。いつもは自然と効力が切れるまで放っておくんですが、モグラが通過してしまったので強制的に戻しました。ニンゲンに集中したのでミミズの安否がわからず心配ですが。

    さて、ミミズの案内で根圏に近づき、ネットワーク交通網の要である菌根菌に会ったんですね。植物と共生関係を結ぶ、いわゆるパートナーになるシンキン族です。

    菌根菌の多くは、胞子を飛ばす器官として地上にキノコを生やします。キノコの本体は、土の中の菌糸なんですよ。

    今回ウッド・ワイド・ウェブのすごいところがリアルタイムで行われてましたね。”繋がる”能力を持った樹の本領が発揮されました。菌根菌を通じた養分輸送で、弱った周囲の樹を助ける。まるで母なる樹です。

    さらにコンチュウ族に食害されたことをいち早く察知して、自ら防衛するために必要な養分を菌根菌に要求していました。普段から良好なコミュニケーションがとれているからこそ成せるものですね。

    過去にこの樹が食害にあったことは何度もありますが、こうして防衛物質を作り出しているので大事に至ったことはありません。

    でもニンゲン族が植えた他の樹を見ていると、ほとんどがネットワーク構築ができずにコンチュウ族に食べつくされてしまっています。植物って動けないですから、ネットワークを構築しないと厳しい自然界で健康に生きていけません。

    ですが、葉っぱを食べるコンチュウ族も食料源がないと生きていけないですし、またその昆虫を食べる生物も存在するという食物連鎖が自然界にはあります。一見葉っぱを食べたコンチュウ族は樹にとって略奪者に見えるかもしれませんが、葉っぱを食べられること以上に、コンチュウ族が居なくなってしまうことのほうが問題です。

    広い視点で見ると、ただ奪っているのではなく、循環しているだけなんですよね。そもそも全部食べつくしたら、食べるものなくなっちゃいますから。自然界ってそういうことがないように上手くバランスとれてるし、各種族たちもそれをわかってます。

    何も返さずに奪っていく種族は自然界でただ1種…。いえ、なんでもありません。

    自然界って、残酷なんです。

    ともすれば、自然界のそういう循環って、ニンゲン族からすれば時間がかかりすぎてもどかしいんだと思います。ニンゲン族は結果を早く求める種族ですよね。だから時間がかかる他種族の関わり合いなんて見えなくなるんでしょう。まぁそもそも目には見えないし。

    逆にニンゲン族の活動速度が速すぎるとも言えますよ。地球という惑星の歴史は46億年もあって、地球に属している自然界もそれと同じ時間軸なのに、ニンゲン族の繁栄の歴史はわずか20~30万年ですよ。

    ニンゲン族の生涯に置き換えて、地球が80歳だとしたらニンゲン族はまだ生後2日くらいしか歴史がないことになります。これも、私が”ニンゲン界”新設に反対する理由でして、だってまだ生まれたての赤ちゃんですよって。

    私の仮説では、この異常なスピード感が多くのニンゲン族が疲れてる原因なんじゃないかと考えています。ここから見てますとね、歩く速度、呼吸の速度、モノを作る速度、もう何もかも速いです。

    だから疲れてるニンゲン族は何事も、自然界の速度に落とすといいんじゃないでしょうか。活動に支障が出ると言われてしまえば、そうなんですね、としか言えないんですけど。支障が出るのは社会活動であって、生命活動を健全にするには、ゆっくり自然界に合わせた方がいいと思うのです。

    少なくとも、たまたま私の根元に来た疲れたニンゲンには、幸福が訪れてほしいものです。

    ミミズ、大丈夫ですかね。無事近くに戻ってきていればいいのですが。



    ——今日も体調が優れないと仮病を使い、半休をとった。あの土の中で過ごした時間が本当であれば、ミミズの安否が気になって仕事どころではない。会えるかどうかなんてわからなかったが、とにかく公園のあの木を目指して体が勝手に動いていた。

    穏やかな昼下がり、相変わらず爽やかな公園だ。林エリアの入り口付近に近づくと、建設関係者と思われるヘルメットをかぶった作業員が数人と、側面に工事関係車両と書かれた2tダンプが置かれていることに気が付いた。

    あの木から20~30メートルほど離れた場所で、作業員は三脚で立てた機械を覗き込む人と、覗き込んだ先にもう一人が立って何やら作業をしている。測量というやつだろうか。作業員の足元には作業用スコップ1杯分くらいの土がこんもりと山になっている。

    作業の邪魔にならないよう少し回り込みながらあの木を目指す。

    木の近くに来てみたら、作業員の足元にあったような土の山が不規則に点在していた。このあたりも作業したのか?と不思議に思ったが、どうやら人間が作業したものではない天然の何かに見える。

    普段ひらめきなんて縁がないのに、この土の山がなんなのか、パッとひらめくのに、そう時間はかからなかった。

    「モグラが通った跡だ…」

    モグラ塚と言うんだったか、こんもりとした土の山が木の周辺、しかも枝先から根元のちょうど真ん中くらいに点在している。たしか、ミミズに枝先の方に連れて行ってもらって、その帰り道にモグラに襲われたんだ。

    「夢じゃなくて、現実…?」

    恐怖とも、混乱とも、高揚とも言えない感情が心臓から送られてくる血液に乗せて全身を巡る。ミミズは無事なのか。会って確かめたいが、どうしたらいいかわからない。

    とりあえず木の根元まで行き、幹に手を当てて深呼吸をした。そういえば、土の中に行った2回とも、この木の根元で強烈な眠気に襲われたんだ。ここで眠れば、土の中に行けるのかもしれない。

    幹を背に体育座りのように腰掛け、項垂れるようにしながら目を閉じ、深呼吸を続けた。すると先ほどから聞こえていた作業員の声も、心臓の鼓動も、次第に遠ざかっていくように小さくなっていき、深い暗闇に転落する感覚に襲われた。お、落ちる——!

    ——ハッと目を開けたら、ひんやりとした感触とともに、プラネタリウムが広がっていた。

    「やっぱり、土の中に来れた」

    来ることに夢中で考えていなかったが、現実として土の中にいて、戻れる保証もないという不安は、想像したよりずっと大きかった。遠ざかった心臓の鼓動は先ほどより増して痛いくらいになっていた。

    「ミ、ミミズ!無事か!?返事してくれ!」

    改めて土の中を体感すると、360度全方位からずっしりと湿った圧力を感じる。体が押しつぶされそうだ。もしあのときミミズに会えていなかったら、そしてキラキラと周囲を照らすサイキン族やシンキン族がいなかったら、暗闇と静寂に気が狂ってしまっていたのではないだろうか。

    「お~い、ニンゲンさん!無事だったんだね!あのあと気が付いたらニンゲンさんが居なくなってて、とりあえずこの辺りに帰ってきたんだ。モグラが通ったのはかなり久しぶりだよ。ボクらのすぐ上あたりを通ったみたいでね、友達がたくさん食べられてしまったよ。怖かったなぁ」

    スルスル~っと土の中をミミズが泳いできた。あんなことがあったのに、相変わらず明るいままのミミズだった。

    「おまえが無事でよかったよ。でも友達って、道中で会ったたくさんのミミズだろう?モグラに友達を食べられて、なんでそんなに普通なんだよ」

    「久しぶりで怖かったけど、食べられてしまうことも、不自然なことじゃないからね。モグラも、ただ生きているから」

    「いやいや、お前たちミミズにとって、モグラは侵略者じゃないか。そうだ、話の途中だった葉っぱを食べた昆虫も、なんの前触れもなく奪っていったんだろう?お前たちに何も返さずに。悔しくないのか!?やっぱりシンプルにただ生きていくだなんて、逃げているだけじゃないか!」

    違う、こんなことが言いたかったわけじゃない。土の中の心地よさを、プラネタリウムよりもきれいで広大な宇宙を、もっと見てみたいだけなのに、この圧力が、冷たさが、怖い。

    「ううん、モグラだってコンチュウだって、必ず自然界の誰かの役に立っているよ。一方的に奪ったように見えるかもしれないけど、ボクらは全部、つながっていて、いずれ返ってくるよ」

    「そんなの綺麗事だろう。やっぱり弱肉強食だ。弱いヤツは、奪われるしかないんだ!」

    「あのね、何も返さないで奪っていくのはね、自然界で唯一、ニンゲン族だけだよ」

    「えっ…?」

    「ボクがここに来る前は、違う木の下にいたんだけど、モグラなんて比じゃないくらい何か大きなもので、土ごとさらわれたことがあったんだ。なんとか逃げられたけど、そこに残ったのはサイキン族やシンキン族、もちろんボクたちミミズ族も分解できない冷たい固まりさ。そこにはたくさんの友達も、他の種族の生き物もいたのに、何も返ってこなかったんだ」

    「そ、それはもしかして、この公園の…」

    「あ、ニンゲンさんを責めているわけじゃないよ!やっぱりそれも、ニンゲン族が生きている結果だと理解しているから、ボクは平気さ。だけど、ボク以外のミミズ族や他の種族にはね、そんなニンゲン族を嫌いな友達が多いんだ。返ってこなかったら、シンプルに生きることも成り立たないって言ってね。ボクはニンゲン族も嫌いじゃないって言うと、変わり者扱いされるんだけどね」

    このミミズの明るさは、当たり前ではなかった。確かに人間の行いによって犠牲になった生物のことを想像すれば、嫌われて当然だった。こうしてミミズと対等に話ができていることは奇跡に近いものだと、ようやく気が付いた。

    「ボクが一番大事だと思っていることはね、ニンゲン族を含めたボクたち自然界の生き物は、自分ができることしか、できないということだよ」

    「自分ができることしかできないって、当たり前じゃないか」

    「そう、当たり前。でもニンゲンさんはとっても苦しそうだよ。それは、自分じゃできないことに立ち向かっているからじゃないかな?たとえばボクが、モグラに勝つために生きていたとしたらどう?出来もしないことで生きていくのは、苦しいと思わない?ボクに出来るのは、落ち葉や土を食べて、フンをして、土の中のみんなの役に立つことだけさ。それってボクらミミズ族にしかできないんだ。すごいだろう!」

    ミミズが明るいままなのは、逃げているからじゃない。ただ前を向いて、精一杯できることをして、生きているから…。

    僕は僕に出来ることを、してきただろうか。誰かのせいにして、逃げていなかっただろうか。そもそも、何に苦しめられていたんだろうか。

    ふいにあたりを見渡すと、ミミズやサイキン族、シンキン族、木の根っこ、ダンゴムシやムカデ、他にも名前も知らない生き物たちがこれまで見たことがない透き通った光を放ち、宇宙を泳ぐように生きていた。さっきまで感じていた圧力はなくなり、どこまでも終わりのない空間に放り出されたように視界が開けていた。

    僕たちは、この足元の宇宙の上に、生きていた。

    どうしようもなく胸が締め付けられて、込み上げてくるものがあった。何とか抑えようと試みるも、だんだんと呼吸が浅くなってきた。

    「ミ、ミミズ…ひどいこと…言って…ご…め…」

    言葉に出せたかわからないまま、意識が遠のいてしまった。



    最終章


    世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
    自我の意識は個人から集団社会宇宙へと次第に進化する
    (中略)
    正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである

    ——宮沢賢治

    うんうん、ミミズが無事でよかったです。ニンゲンが最後になにか言いかけていたみたいですが、途中で効力が切れてしまいました。

    モグラとの遭遇は予想していなかった危機でしたが、ニンゲンが土の中を受け入れてくれるいいきっかけになったのではないでしょうか。なにか自然界の真理を掴んだみたいですし、ミミズはじめ他の種族に感謝ですね。

    このミミズはとても物知りで、考え方も前向きで、大好きになりました。それから健気に生きるサイキン族も、ネットワークの要であるシンキン族も、みんな大好きです。

    私もミミズと同じで、ニンゲン族を嫌悪していないヨウセイ族の変わり者として扱われています。これはどの種族でも同じかもしれませんが、真理を追究することに関心を持つ者は、いつだって少数派なんです。

    これまで偉そうに喋ってきましたが、私だって自然界のすべての事象について知っているわけではありません。でもすべて知っているわけではないからこそ、”あるかもしれない繋がり”を無視できないんですよね、私。

    無視したほうが楽なんですけどね。知らない世界は”無いもの”とした方が、本来は楽なので多数派なんです。だけど私にとっては、そうした通例が真理とはリンクしていない現状を飲み込んで生きていくことの方が、なんかつらいんです。

    このニンゲンも、土の中に行ったことによってもしかしたら少数派になってしまうかもしれません。それが幸福なのかと言われれば、どうなんでしょう。幸福という概念の収納場所を、多数派に置くか、真理に置くかの違いじゃないでしょうか。

    少なくともこのニンゲンは、自然界から離脱しすぎた生活で疲れ切ったときに、公園さらには樹の根元を選びました。それって意識下では自然界に属していることを忘れていたとしても、無意識下つまり本能では、自然界との繋がりを求めたんだと思うんですよね。

    だからたとえ少数派になったとしても、不幸とは感じないと思いますよ。そういうニンゲン族だって、たくさんいるはずです。だってね、剥奪だけではないところも、私ちゃんと見てますから。ニンゲン族も、自然界との見えない繋がり、あるはずです。

    そういえば、この公園を含め外空間に全くニンゲン族がいなくなった時期がありました。なんでしたっけ、ウイルス族によるニンゲン族に起きたパンデミック。しばらくニンゲン族がいなくなったなと思ったら、今度はあふれるほどニンゲン族が公園に来たんですよ。

    あの時はですね、ニンゲン族と自然界との見えない繋がりが”見えた”ように思いましたね~。

    あ、ちょっと待ってください。私が前に言った嫌な予感、ここで的中してしまいました。もっとお喋りしたかったのに。だいたい当たるんですよ、いつもニンゲン族見てるので。

    私が宿ることができる樹には条件があるとお話しましたが、今宿っている樹に、その条件が無くなってしまいました。今夜にはこの樹を離れないといけません。

    まぁ今回は一部無くなっただけなので、どうでしょう、10年くらいすれば繋がりが戻るのではないでしょうか。次に宿るのは私ではないと思いますけど。

    次はどの国のどんな樹に宿ることになるのかな。近くにニンゲン族がいたら、イタズラをして楽しめるのにな~。あ、しまった。力を使えたら楽しいのにな~。

    …えっと、ヨウセイ族が力を使えるのは、自然界に属するあらゆる種族の中でニンゲン族だけなんですよ!これってなにか縁があるんじゃないでしょうか!いい事にしか使ってないですからね、ホントに!

    自然界って、自由なんです!!




    ——あれからしばらく公園に行っていない。ミミズの言葉を改めて考えて、今の目の前の仕事に集中することにした。

    なんてカッコつけたが、早退したりやる気が無くなっていた分、遅れてしまった仕事を片付けなければいけなかっただけだ。

    だけど土の中の光景を見てから、普段見る景色が明るく、視界が広くなった感じがする。心が軽い。目に見えない生き物が、目に見えないところで繋がっていて、自分も例外ではない気がしていたからだ。

    改めて街中をみていると、会社の周りや普段歩く道には木が植えられているところが多いことに気が付いた。これまでは木陰くらいしか気にしていなかったけど、今は見えない土の中を想像する。のびのびと立つ木もあれば、カサカサと乾いていて窮屈そうに立つ木もある。そんなカサカサした木には、土の中の宇宙はイメージできなかった。

    そろそろ仕事がひと段落しそうだ。次の休みに、あの公園へ出かけてみよう。あの公園に初めて行ってから、1か月半が経とうとしていた。

    ——せっかくの休みに公園に行こうと思ったのに、あいにくの雨。天気予報って当たってほしくないときほど当たるものだ。少し億劫だったが、久しぶりにミミズに会いたくて、強めに玄関の扉を開けて家を出た。

    昼過ぎの公園には人がちらほらしかいない。傘をさしているからか、しとしと降る雨にみんな下を向いていて、気分まで下向きになっているようだ。

    水たまりを避けながら林エリアにたどり着くと、思わず足が止まってしまった。以前見たカフェ建設工事の看板は、立派なバリケードへの表示に変わり、バリケードの内側には工事の現場事務所とみられるプレハブが建っていた。

    そうだ、あの時、作業員が測量をしていたんだ。

    作業していた場所は、木の根元からはまだ距離があったはず。木の無事を信じて僕は走った。

    バリケードを回り込むと木の根元まで来れた。木は無事だった。

    「はぁ、よかった…」

    ため息を漏らし安堵したのも束の間、冷たく、鋭利な光景が目に飛び込んできた。おそらくカフェの建設予定地だろう。きれいに転圧され、水平線のように凹凸のない砕石があたりをグレーに染めていた。端には重機が止まっている。

    「まて、あのあたりはミミズと行った枝先の方だ…」

    根圏に集まっていたキラキラ光るサイキン族や、忙しなく動いていたキンコンキンが脳裏に浮かぶ。

    「安否を確かめないと。頼む、土の中に連れて行ってくれ!」

    雨水がつたう幹に手を当て、思わず声に出して叫んだ。睡魔を待って頭を倒し、目を閉じる。だが、どうやっても、睡魔は襲ってこなかった。

    「くそ、どうしてだよ!おーい、ミミズ!返事してくれ!まだ、ちゃんと謝れてないんだ。今頑張っていることも、伝えたいんだ!」

    日が暮れるまで、幹に手を当てたり腰掛けたり、汚れも気にせずひたすら睡魔を待ち続けたが、ついに土の中に行くことはできなかった。

    「…みんな…ごめん…どうか無事でいてくれ…」

    区切りのつかない気持ちに、わざと句読点を打つようにつぶやいた。園路に出来た水たまりは避けることもできないくらい大きくなっている。暗くなった帰り道をトボトボと歩く僕の頬は、雨が当たってとても冷たかった。



    ——あの木の近くには、予定通りカフェがオープンした。木陰を利用したテラス席が広く設けられていることが話題で人気となり、カフェを目当てに公園に来る人が圧倒的に増えているようだ。

    ガラス張りのカフェの入り口には、景観や環境に配慮したランドスケープデザインである”国土交通省「環境・共生デザイン大賞」受賞!”と書かれたチラシが貼ってある。

    一部が公園の維持管理費に充てられるというカフェの売り上げに貢献すべく、いつもチラシに冷たい目線を送りながら店内へ入っている。テイクアウトしたコーヒーを片手に、僕は定期的に木の幹に手を当てに来ていた。

    「僕たちは、お前たちに、何も返すことができないのか?」

    あれから仕事を頑張ってみたものの、会社という組織に息が詰まるモヤモヤした感情は変えられず、軽くなった心とのギャップに悩んでいた。

    街中で見たコンクリートの四角い枠に詰め込まれてカサカサと窮屈そうな木。そして根圏を踏み固められたこの大きな木。木にとってのミミズも、僕にとってのミミズも、息が詰まる土の中では生きていけないのかもしれない。

    土の中の光景や生き物たちが忘れられず、図書館で土に関する本を借りてみたりもした。土、微生物、ミミズがタイトルになっている本は意外とたくさんあった。本の中には、こんなことが書かれていた。

    「スプーン一杯(5グラム)の土壌には、細菌(バクテリア)が50億個体もいるという。そこにはカビやキノコ(まとめて菌類)も同居していて、同じ5グラムの土に10キロメートルもの長さの菌糸を張り巡らせている*¹」

    「地球上に1兆種いると推定される微生物の90パーセントがまだ発見されていない。(中略)これらのまだ存在すら確認されていない地中の微生物たちのあいだをあらゆるシグナルが行き交っているわけだから、何十億年もかけて形成されてきた地中の宇宙がどれほど壮大な研究領域であるか実感されようというものだ*²」

    僕が土の中で見たあの天文学的な数のキラキラですら圧倒されていたのに、もっと数えきれないほどの生物たちが助け合い、関わり合い、生きている。しかもまだ、人間には未知の世界であるらしい。知れば知るほど、土の中の宇宙の広大さに圧倒させられる。

    どうして土の中に行けなくなってしまったのか、そもそもどうして土の中に行ってミミズと会話ができたのか、わからないことだらけだったけど、あの神秘的な体験は、僕に大切なことを教えてくれたような気がしている。

    図書館で本を借りるようになったのと同時に、僕のスマホの検索画面には、「退職願 書き方」「転職」の文字が並ぶようになった。呼吸がしやすい場所を体が本能的に求めているような、ワクワク、そわそわした感覚があれからずっと消えない。

    本を読んでいる時、そして生きる場所を選んでいる時、未だ見ぬ宇宙を探求するような僕の目は、まるで地球儀を回して遊ぶ子供のように、キラキラと輝いていた。



    参考文献

    *¹「土 地球最後のナゾ 100億人を養う土壌を求めて」藤井一至 著 光文社新書

    *²「土を育てる 自然をよみがえらせる土壌革命」ゲイブ・ブラウン著 服部雄一郎 訳 NHK出版

    「マザーツリー 森に隠された「知性」をめぐる冒険」スザンヌ・シマード 著 三木直子訳 ダイヤモンド社

    「ニーバーとその時代 ラインホールド・ニーバーの預言者的役割とその遺産」チャールズ・C・ブラウン著 高橋義文訳 聖学院大学出版会

    「農村青年の文学 昭和初期の農村アマチュア作家と宮沢賢治」牧千夏 著 ひつじ書房

    「サイレント・アース 昆虫たちの「沈黙の春」」デイブ・グールソン 著 藤原多伽夫 訳 NHK出版

    「生きている土壌 腐植と熟土の生成と働き」エアハルト・ヘニッヒ 著 中村英司 訳 日本有機農業研究会

    「シン・オーガニック 土壌・微生物・タネのつながりをとりもどす」吉田太郎 著 農文協

     
     
    でっかい虫にビビる樹木医です。長野県で環境再生型農業に挑戦中。HSP。ペンネーム「なから」で植物知識、農業奮闘記、HSPの生き方、エッセイ、小説などを書いています。「なから」は長野の方言で「そこそこ」という意味。

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