
足の血管を数える
サントリーの、酸化防止剤無添加のワインを一本、飲み終えた。香り爽やか晴れやか白。一本。
格別においしい。値段の割に、ではなく、ただ、おいしい。
最初は、いつものように考えていた。雑味がない。コスパがいい。手軽に酔える。次の日に残らない気がする。職場で高いワインを飲ませてもらったこともあるが、ああいうのは格式張っていて、他人の金で飲んでいるという事実が、どうしても舌のどこかに引っかかる。その点これは、安くて、雑味がなくて、ちゃんと酔える。費用対効果として、極めて優秀だ——と、そこまでは、いつもの私の計算だった。
サントリーのサイトに、酔いの程度を判定してくれるものがあった。やってみた。酩酊期、と出た。まあ、そんなこったろうと思った。
私は、酒に弱いほうではないと思っている。
そう思っているのだが、酔うと、静かになる。普段あれだけ理屈をこねる人間が、何も言わなくなる。コスパも費用対効果も、急にどうでもよくなる。そういう言葉は、酔うと、舌の上で溶けて、消える。
代わりに、足の裏が、あたたかくなる。
じんわりと、下から温もりが上がってくる。私はそれに、集中する。気づけば、それだけを感じている。雑味がどうとか、値段がどうとか、ついさっきまで一生懸命に勘定していたことが、全部、足の裏のぬくもりの前に、引いていく。
おかしな話だ。
私はいつも、何かを測っている。挨拶の質を、扉の矛盾を、人生の損得を。立ち止まっては、理屈をこねて、採点して、並べ替えている。それが私の、起きている時間のほとんどだ。なのに、安いワインを一本空けただけで、その全部が、足の裏一点に集約されてしまう。
そして、気づく。
今、私が集中すべきことは、足の裏のぬくもり、ただそれだけだ。
お金の不安があるわけではない。いまは、家族の死に怯えているわけでもない。なにかに泣いているわけでもない。痛いところもない。差し迫った何も、ない。だから私は、安心して、足の裏のぬくもりだけに、集中できる。
これは、たぶん、とても贅沢なことだ。
人間が、足の裏の温もり一点に意識を預けられるというのは、その人の人生から、ひとまず、喫緊の悲しみが取り除かれている、ということだ。今この瞬間、私を脅かすものが何もない。だから、こんなにもどうでもいい、小さなぬくもりに、私は全神経を傾けることができる。
幸せだ、と思う。
理屈ではなく。コスパでもなく。ただ、足の裏が、あたたかい。それだけのことが、こんなにいい。
明日になれば、私はまた何かを測りはじめるのだろう。挨拶を採点し、扉に文句を言い、人生を勘定する。それでいい。それが私だ。
でも、今夜は、もう何も測らない。
足の裏が、あたたかい。今夜は、それだけで足りる。