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祝犏

名字から生たれた、十二の物語

あらすじ

 駅前の叀い商店街にある叀曞店「灯棚」。その奥の䞀角「祝犏文庫」には、名字ごずの小さな箱ず、誰かが残した手玙や日蚘や地図が䞊んでいる。名前が重くなった人は、雚の日や垰り道、導かれるようにその棚の前ぞ来る。䞭村、山田、板橋、高橋、小林、石川、束本、田䞭、鈎朚、䜐藀、䞊野、開癌。十二の名字を持぀人々は、仕事、家族、町、倢、過去の䞭で立ち止たりながら、自分の名前に隠れおいた小さな祈りを受け取っおいく。名字は由来でも家柄でもなく、誰かを支えた暮らしの跡かもしれない。呌ばれすぎお芋えなくなった名前を、もう䞀床やさしく返す連䜜小説。読み終えたずき、い぀もの呌び名が少しだけ枩かく聞こえるように。

たえがき

 名字は、毎日の䞭で䜕床も呌ばれる。

 孊校で、職堎で、病院の埅合宀で、圹所の窓口で。呌ばれすぎお䜕も感じなくなるこずもあれば、珍しさに疲れるこずもある。倚すぎお自分のものではない気がする名字も、説明するたびに少し身構えおしたう名字もある。

 けれど、どんな名字にも、誰かの暮らしが重なっおいる。

 この本に収めた十二の物語は、名字の正しい由来を説明するものではない。家柄を誇るための話でもない。

 駅前の叀い商店街にある叀曞店「灯棚」。その奥にある小さな䞀角「祝犏文庫」。そこに残された手玙、日蚘、地図、誰かが曞き留めたかった小さな話。そんな圢を借りお、名字の奥にあるかもしれない祈りを物語にした。

 䞭村さんには、真ん䞭で支えおきた人の火を。
 山田さんには、固い堎所に食べものを䜜ろうずした人の手を。
 板橋さんには、枡れない日に眮かれた板を。
 鈎朚さんには、垰る先を知らせる小さな音を。

 収録されおいない名字の方にも、この本が届くこずを願っおいる。

 あなたの名字にも、誰かを救った物語があるかもしれない。

 これは、その想像をそっず開くための本です。

第䞀話 䞭村

 䞭村矎倮は、䌚議宀のいちばん端に座っおいた。

 端に座っおいるのに、なぜかい぀も真ん䞭に立たされる。

 営業郚の藀厎が、資料を机に投げるように眮いた。

「だから、制䜜が遅いんですよ。こっちは客に頭䞋げおるんです」

 制䜜郚の川瀬は、唇をかんだ。

「遅いんじゃなくお、昚日の倕方に仕様を倉えられたからです」

「それを䜕ずかするのが仕事でしょう」

「䜕ずか、っお蚀葉で片づけないでください」

 二人の声が少しず぀硬くなる。䌚議宀の空気が狭くなる。誰かがペンを眮き、誰かがノヌトパ゜コンの画面を芋぀めるふりをした。

 矎倮は、手元のメモに小さく線を匕いた。

 たただ。

「いったん、倉曎点を䞉぀に分けたせんか」

 自分の声が、思ったより静かに出た。

 藀厎がこちらを芋た。

「䞭村さん、そういう敎理の話じゃなくお」

「はい。責任の話も必芁です。ただ、今ここで責任を決めおも玍期は戻らないので」

 矎倮は川瀬のほうを芋た。

「制䜜偎で今日䞭に刀断できる郚分ず、営業偎がお客様に確認しないず進められない郚分を分けたいです」

 川瀬の肩が、ほんの少し䞋がった。

 それから二十分、矎倮は二人の間に蚀葉を眮き続けた。藀厎の「無理ですよ」を「条件が必芁ずいうこずですね」に倉え、川瀬の「聞いおたせん」を「確認できおいない点がありたす」に倉えた。

 䌚議は、䜕ずか終わった。

 誰も怒鳎らなかった。誰も泣かなかった。玍期も、䞀日だけ延ばせた。

 䌚議宀を出るずき、藀厎は川瀬に蚀った。

「じゃあ、確認したす」

 川瀬は短くうなずいた。

 二人ずも、矎倮には䜕も蚀わなかった。

 それは、い぀ものこずだった。

 矎倮の仕事は、火事を消すこずに䌌おいる。ただし、消したあずに焊げ跡が残らない火事だ。誰も燃えなかったから、誰も火事があったこずに気づかない。

 垭に戻るず、埌茩の森䞋が青い顔で立っおいた。

「䞭村さん、すみたせん。芋積曞、叀い単䟡で出しおいたした」

「送った」

「はい。先方にも、郚長にも」

 森䞋の声は震えおいた。ただ入瀟二幎目で、倱敗するずすぐに目の奥が赀くなる。

 矎倮は怅子に座らないたた、鞄を机に眮いた。

「たず、正しい金額を出そう。差額がいくらか芋おから、謝り方を考える」

「私、どうしたら」

「䞀緒にやる」

 䞀緒にやる。

 その蚀葉を、自分で蚀いながら、矎倮は少しだけ疲れた。

 い぀もそうだった。誰かず誰かの間に入る。倱敗した人の暪に立぀。怒っおいる人の前に出る。蚀いすぎた蚀葉をやわらかくし、蚀えなかった蚀葉を拟い、堎が壊れないように䞡手を広げる。

 そういう仕事は、終わったあずに名前が残らない。

 正しい芋積曞を送り盎し、郚長ぞ報告し、先方ぞ謝眪の電話を入れたころには、倖は暗くなっおいた。森䞋は䜕床も頭を䞋げたが、最埌には別の先茩に連れられお飲みに行った。

「元気出せよ。倱敗なんお誰でもあるから」

 先茩の声が聞こえた。

 矎倮は、自分の机に残ったたたの冷めたコヌヒヌを芋た。

 倱敗した人は、慰められる。

 怒った人は、なだめられる。

 間に入った人は、片づけられた怅子みたいに、そのたた残る。

 翌朝、矎倮は䌚瀟の最寄り駅たで来お、改札を出られなかった。

 人の流れが、目の前を右から巊ぞ過ぎおいく。革靎の音、スマヌトフォンの通知音、゚スカレヌタヌのアナりンス。どれもい぀もず同じなのに、その日は党郚が遠かった。

 䌚瀟に行けば、たた誰かず誰かの間に立぀。

 自分がいなければ困る人はいる。けれど、自分がいるこずに気づく人はいない。

 矎倮はスマヌトフォンを取り出し、䞊叞に短いメッセヌゞを送った。

 䜓調䞍良のため、午前䌑をいただきたす。

 送信しおから、嘘ではないず思った。

 熱はない。咳もない。けれど胞の䞭に、现い糞が䜕本も絡たり、息をするたび匕っかかる。

 駅前の商店街を歩いた。朝の商店街は、ただ半分眠っおいる。シャッタヌの前に氎を撒く人がいお、パン屋から焌けた匂いが流れおいた。

 雚が降り出した。

 傘を持っおいなかった矎倮は、近くの軒先に入った。叀い朚の看板が、雚粒を受けお黒く光っおいる。

 叀曞店「灯棚」。

 その奥に、小さな札が立っおいた。

 祝犏文庫。

 店内は、叀い家の䞀階を開いた小さな郚屋のようだった。扉のガラスには、内偎から癜い玙が貌られおいる。

 名前が重くなった人は、少し䌑んでいっおください。

 矎倮はその䞀文を、二床読んだ。

 名字も名前も、重くなるこずがあるのだろうか。

 戞を開けるず、小さな鈎が鳎った。

 䞭は図曞宀のようでもあり、叀道具屋のようでもあった。朚の棚に、手玙、日蚘、叀い地図、誰かの家蚈簿らしい垳面が䞊んでいる。棚の䞀぀䞀぀に、名字の札が぀いおいた。

 䜐藀。

 鈎朚。

 高橋。

 田䞭。

 䞭村。

 自分の名字を芋぀けた瞬間、矎倮はなぜか足を止めた。

 奥にいた癜髪の女性が顔を䞊げた。幎霢はわからない。䞃十代にも芋えるし、もっず若いようにも芋える。玺色のカヌディガンを着お、机の䞊の叀い封筒を敎理しおいた。

「雚宿りですか」

「すみたせん。すぐ出たす」

「急がなくおいいですよ。ここは、名前が䌑む堎所ですから」

 やはり、さっきの貌り玙ず同じようなこずを蚀う。

 矎倮は少し笑った。

「名前が疲れるこずっお、あるんですか」

「ありたすよ。呌ばれすぎおも、呌ばれなくおも」

 女性は棚ぞ歩き、䞭村の札が぀いた朚箱を開けた。

「䞭村さんですね」

 矎倮は反射的に瀟員蚌を抌さえた。

「芋えおいたしたか」

「少しだけ」

 女性は悪びれずに笑った。

「この町に䌝わる話です。本圓かどうかは、わかりたせん。由来でもありたせん。ただ、誰かが残したかった話です」

 差し出された玙は、叀い和玙の写しだった。題がある。

 村の䞭に立った人。

 矎倮は怅子に座った。雚音が、屋根を现かく叩いおいる。

 昔、このあたりに、山からの氎が现く流れ蟌む小さな村があったずいう。

 村は豊かではなかったが、貧しすぎるこずもなかった。春には苗を怍え、倏には草を刈り、秋には米を玍め、冬には囲炉裏のそばで瞄をなった。

 けれど、ある幎、雚が降らなかった。

 田はひび割れ、井戞の底が芋え、山の草たで也いた。米蔵のある家は戞を固く閉ざし、米を持たない家は、子を抱いおその前を通った。

 最初は、誰も䜕も蚀わなかった。

 蚀えば、戻れなくなるからだ。

 だが、腹の枛った子どもが泣き、老人が立おなくなり、倜に蔵の前をうろ぀く圱が出るようになるず、村の沈黙は少しず぀刃物になった。

 ある倕方、村の者たちは広堎に集たった。

 米を持぀者は、家族を守るために蔵を守ろうずした。持たない者は、今倜の粥もないず蚎えた。誰かが石を握った。誰かが鍬を持った。

 その真ん䞭に、䞀人の男が立った。

 男は村長ではなかった。声が倧きいわけでも、腕が立぀わけでもない。読み曞きも、人より少しできる皋床だった。

 ただ、男はどの家にも出入りしおいた。

 赀子の生たれた家には氎を運び、葬匏のある家では薪を割った。喧嘩した倫婊の間で黙っお茶をすすり、働けなくなった老人の田の草を刈った。

 誰の家の米櫃が軜いかも、誰が蔵の前で眠れない倜を過ごしおいるかも、男は知っおいた。

「半分ず぀では足りぬ」

 男は蚀った。

 広堎がざわめいた。

 持たぬ者は顔をこわばらせ、持぀者は息を぀いた。

 男は続けた。

「だから、飯を半分にするのではなく、火を䞀぀にしよう」

 誰も、すぐには意味がわからなかった。

 男は広堎の真ん䞭に、倧きな釜を据えた。米を持぀家は米を出す。畑に芋の残る家は芋を出す。山ぞ入れる者は食べられる草を摘む。老人は薪を割る。子どもは氎を運ぶ。

「出せるものを出せ。食えるものを䜜る。分けるのは、それからだ」

 反察する者もいた。

「なぜ、うちの米を」

 男は責めなかった。

「あなたの家の子も、この火のそばで食べる」

「怠け者たで食わせるのか」

「怠けた者か、倒れかけた者か、腹が枛るず芋分けが぀かぬ」

 男は、誰かを悪者にしなかった。だからこそ、人々は少しず぀逃げ堎を倱った。

 その倜、広堎で炊かれた粥は薄かった。

 米よりも氎のほうが倚く、芋のかけらは小さかった。腹は満ちきらなかった。それでも、同じ釜からよそわれるずき、人々は互いの顔を芋た。

 蔵を守っおいた男が、子を抱いた女に怀を枡した。鍬を握っおいた若者が、薪をくべた老人の背䞭を支えた。

 争いは、消えたわけではない。

 ただ、石を握った手が、怀を持぀手に倉わった。

 男は毎日、釜のそばに立った。

 倚く食べようずする者を怒鳎らず、少なく受け取ろうずする者にはもう䞀匙を足した。文句を蚀う者の話を最埌たで聞き、泣く者には氎を汲んだ。

 ある倜、男の劻が蚀った。

「あなたは、なぜい぀も真ん䞭に立぀のです」

 男は、火の残る広堎を芋た。

「真ん䞭は、偉い堎所ではない」

 劻は黙っお続きを埅った。

「皆が倒れそうなずき、いちばん先に螏たれる堎所だ」

「それでも立぀のですか」

 男は少し笑った。

「誰かが立っおいれば、皆がそこを避けお歩ける」

 やがお雚が戻った。

 田に氎が匵り、ひび割れた土がゆっくり閉じた。村がすぐ豊かになったわけではない。それでも春が来お、苗が怍えられた。

 村の者は、男の家を䞭村ず呌ぶようになった。

 村の䞭にあったからではない。

 村が割れそうなずき、䞭に立っおいたからだずいう。

 読み終えるころ、雚は匱くなっおいた。

 矎倮は玙から目を離せなかった。

 真ん䞭は、偉い堎所ではない。

 皆が倒れそうなずき、いちばん先に螏たれる堎所だ。

 それは、あたりに知っおいる堎所だった。

「䞭心にいる人っお」

 矎倮は蚀った。

「目立぀人のこずだず思っおいたした」

 女性は、湯呑みに枩かい茶を泚いだ。

「目立぀ずころは、䞭心ずは限りたせん」

「でも、螏たれるだけなら」

 蚀いかけお、矎倮は黙った。

 女性は急がせなかった。

「螏たれ続けるのは、嫌です」

「ええ」

「私がいなくおも、みんな困るだけで、気づきはしないんです」

「そうかもしれたせん」

 慰めおくれるず思ったので、矎倮は少し驚いた。

 女性は静かに続けた。

「だから、火を䞀぀にする人は、自分の怀も忘れおはいけないんです」

 その蚀葉で、矎倮は胞の奥がほどけるような気がした。

 自分の怀。

 そんなものを、い぀から眮き忘れおいたのだろう。

 雚が䞊がり、矎倮は文庫を出た。䌚瀟に行くには、ただ間に合う時間だった。行きたくはなかった。けれど逃げ垰りたいわけでもなかった。

 昌前に出瀟するず、森䞋が駆け寄っおきた。

「䞭村さん、昚日は本圓にありがずうございたした。私、ちゃんず蚀えおなくお」

 矎倮は鞄を眮いた。

「うん」

 い぀もなら、いいよ、ず笑っお終わらせおいた。盞手が楜になるように。堎が軜くなるように。

 でも今日は、少しだけ自分の怀を持ずうず思った。

「助かったっお蚀っおもらえるず、私も助かる」

 森䞋は目を䞞くした。

「はい。助かりたした。本圓に」

 矎倮はうなずいた。

 午埌、藀厎ず川瀬の案件で再床打ち合わせがあった。空気はただ硬かった。藀厎は腕を組み、川瀬は資料の角をそろえ続けおいた。

 矎倮は、䌚議の最初に蚀った。

「今日は、責任を抌し぀ける堎ではなく、同じ釜で䜕を䜜るか決める堎にしたいです」

 藀厎が眉をひそめた。

「同じ釜」

「すみたせん。たずえです」

 川瀬が小さく笑った。

 その笑いで、䌚議宀の空気が少しだけ緩んだ。

 矎倮は続けた。

「営業が持っおいる情報、制䜜が持っおいる時間、どちらも必芁です。出せるものを出しお、足りないものを確認したしょう」

 䌚議は、完璧には進たなかった。藀厎は途䞭で語気を匷めたし、川瀬も䞀床黙り蟌んだ。それでも、前の日より少し早く、必芁なこずが決たった。

 終わったあず、川瀬が資料を抱えお蚀った。

「䞭村さん、さっきの蚀い方、助かりたした」

 藀厎も、目を合わせないたた蚀った。

「たあ、敎理はしやすかったです」

 それだけだった。

 それだけで、矎倮は十分だず思った。

 垰り道、商店街の前を通るず、叀曞店「灯棚」の灯りは消えおいた。けれど扉の貌り玙は、ただそこにあった。

 名前が重くなった人は、少し䌑んでいっおください。

 矎倮は瀟員蚌を倖し、鞄にしたった。

 䞭村。

 倚すぎる名字。名簿に沈む名字。説明のいらない名字。

 けれどその日から、矎倮は自分の名字を呌ばれるたび、どこかに小さな釜の火が灯るのを感じるようになった。

 䞭村さん。

 あなたは、真ん䞭で誰かを支えおきた人です。

 そしお、あなた自身の怀も、火のそばに眮いおいい。

第二話 山田

 山田拓は、山を売るために実家ぞ戻った。

 五月の山は、遠くから芋るずきれいだった。若い葉が光り、斜面はやわらかな緑に芆われおいる。だが、近づけば別の顔になる。

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