
【エッセイ】村上春樹が11歳の女の子を救った話
突然ですが、みなさんはなんのために読書をしますか?
小説なら、ストーリーを楽しみたいからとか、文章のきれいさを味わいたいからとか、そういう理由で読む人もいるだろう。
ゾクゾクしたいからホラー小説を、わくわくしたいから推理小説を読む。
あるいは、知識をつけるためとか、歴史を知りたくて、とか。人それぞれだと思う。
わたしが読書をする理由。
それは「自分が住んでいる世界の外側にも、べつの世界があると知るために」である。
今から、わたしが11歳の時、村上春樹の小説「海辺のカフカ」を読んだ時の話をする。
この本を初めて手に取った夜のことを、今でも覚えている。
わたしが小学校5年生のとき。
父が図書館から本を何冊か借りてきて、母の鏡台の上に置いていた。
子供向けの小説(それは父が買ってくれたハリーポッターの全集だったり、母がくれた青木和雄さんの本だったりした)に飽きていたわたしは、何気なく一番上にあった小説を手に取ってみた。
それが「海辺のカフカ」。
わたしが生まれて初めて読んだ、大人向けの小説だった。
ページをめくるたび、衝撃を受けた。これまでに読んできたどの本とも違う。文体も、キャラクターも、話の展開も。
セックスの仕組みも初めて知った。性の目覚めが村上春樹。なかなかに悪影響な導入。
11歳だったわたしは、2年前に母を亡くして、そのあと家庭環境がしっちゃかめっちゃかになった。家庭裁判所に持ち込まれるほどのトラブルが起きた。
当時、わたしの日々は混乱のさなかにあった。
母を亡くしてすぐ、それまで別居していた父と暮らすことになった。小さい妹を守らなければと気張っていた。
強いストレスから皮膚炎になった。
転校を余儀なくされ、友達とは離れ、転校先では皮膚炎のことでいじめられた。
子供なのに、誰も心の傷のケアをしてくれる大人がいなかった。
今から、このエッセイで一番伝えたいことを書く。
わたしが「海辺のカフカ」を読んで感じたことは、わたしの住む世界の外側にも、ちゃんと別の世界があるんだ、ここがすべてじゃないんだ、ということだった。
それは長年かけて育った、大樹の幹にそっと手を触れる感覚にとても似ていた。
重ねてきた歳月、生命のいぶき、不動のもの。その大樹の幹にふれていると、とても心が落ち着いた。本を読んでいる時間は、現実世界の不条理な混乱を忘れられた。
「海辺のカフカ」は、難しい物語だ。わたしは34歳になったが、いまだに細部(大島さんの語ることとか)を理解できていない。ギリシャ悲劇、呪い、古典小説。いろんな要素が話に散りばめられている。展開も謎めいている。
同時に、残虐な物語でもある。血が流され、女性はひどい目に遭い、罪のない動物が殺される。生々しい性描写もある。思わず顔をしかめたくなる。
でも、物語が混乱と難解さに満ち溢れるほどに、11歳のわたしは嬉しくなった。わくわくした。内容はよく理解できなかったけど。
(そうだよな。世界ってめちゃくちゃだし、理不尽だし、わたしたちって孤独だよな)と、共感した。田村カフカくんにではなく、物語全体に共感を覚えた。
この読書体験は、間違いなくひとりの少女を精神的に救ったと思う。
あれからもっと本が好きになったけど、大好きな江國香織の「東京タワー」を徹夜して読んだ高校時代も、大学の授業でレイモンド・カーヴァーに出会ったときも、村上春樹を初めて読んだ時の衝撃を超えられなかった。
「海辺のカフカ」は、決して教科書に載るような作品ではないと思う。
村上春樹は嫌いだ、という友達も周りにいた。そう言われてもわたしは納得するし、「わたしは好きだけど、その気持ちもわかる」と言ってきた。
だけど、今でもわたしの本棚には、22年前に購入した「海辺のカフカ」の文庫本が、大事にしまわれている。
いまでもこの本を開くたびに、あの頃のわたしは孤独で、混乱の中にあって、それでもよく11歳ながらに現実をサバイブしたね、と、手を繋いであげたくなる。
そしてあの大樹はまだそこにある。文字を目で追い、この手でふれて、その堅さと呼吸をわたしはたしかめるのだ。
きっと本には、人が現実を生き抜く支えになる力がある。
わたしはあの頃11歳だった自分のために、そう信じたいのです。
