
上座仏教は「断見」ではないと思いたい
南伝上座仏教に傾倒している人が時々名前を出すアルボムッレ・スマナサーラさんという方と曹洞宗僧侶の方の対談書籍の紹介記事みたいなnoteを読みました。
霊感を持つ立場の人間からすると、感想はこの一言に尽きます。
霊能力を持たない人が何か言ってる
阿含宗も南伝上座仏教も漢訳阿含経、パーリー語経典の違いはあっても経典の源流は同じなのだから同じようなことを言っていると思ったら、全然そのようなことはありません。
対談内容には、いくつかツッコミをしたいところがありますし、この人は霊能力が無いということも読むとわかります。
色々あるなかで、仏陀になるとはどういうことなのか?については書いておこうと思い、このnoteを書きました。
どうしても批判になってしまい、申し訳ないので元のnoteへのリンクは貼りません。
最終目的の誤認識
仏教の最終目的は「仏陀」になることであり、「仏陀」とは自分自身のカルマを消滅させて輪廻転生をしなくなった特殊な霊的進化を遂げた存在のことです。
仏陀に至る過程も定義されていて、ただの人から、シュダオン→シダゴン→アナゴンという霊的進化を経て、最終的に「仏陀」になります。
これは阿含経やパーリー五部を学んでいる人ならば、必ず知っていなければいけない「四沙門果」という基礎知識です。
参照したnoteは切り取りの引用ですし、相手に合わせて語った対談なので、御本人の真意のほどはわからないのですが、例えばこれ。
ブッダとは、「目覚めた人」という意味でしょう。ということは、輪廻転生している生命は睡眠中で、夢の世界に閉じ込められているのです。その人が目覚めたら、夢の世界は直ちに消えます。今まで現実だと思っていた世界は単なる夢であった、と発見します。
リンクは貼りません
夢から目覚めるというレベルのものでは無いのですが・・・
そしてこれは「借金は無いと思えば無いんだ!」という思想です。
「今、自分が多額の借金を抱えている現実世界は、単なる夢であった!」と「発見」したら、多額の借金は夢の世界である現実世界とともに直ちに消滅して、その人の人生は救われて仏陀となるのでしょうか?
また、切り取り引用された範囲だけを見ると、
この人、本当は輪廻転生も霊的な存在も認めていないのではないか?
と思ってしまいます。
輪廻転生や霊的な存在を認識していれば、仏陀とは何か?を語る時、必ず霊的な観点から説明をする必要があります。
しかしながら引用の箇所には霊的存在を認識した上で説明をしている部分が見当たりません。
ちなみに輪廻転生や霊的な存在を認めない思想は「断見」という名前まで付いている仏陀釈尊が誤りであるとした思想です。
預流果の境地に達する
預流果という解脱の境地に達するために、必ず瞑想しなくてはならないわけではありません。哲学的なアプローチでも、預流果に達することはできます。自我の錯覚が破れたらOKです。
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預流果、即ちシュダオンに到達して「四沙門果」の世界に入るには「哲学的なアプローチ」で到達することはできません。
「四沙門果」の世界は自分自身の魂が清められて、高められて、霊的に特殊な成長をした結果として到達する世界です。
霊能力を持たないから、そういうことがわからない。
だから「自我の錯覚が破れたらOKです」という発言が出てくるのでしょう。
神仏の助力を得る
大乗仏教の世界では、「修行し続けると、大日如来が向こう側からやって来て目覚めさせてくれる」というところまで、話が飛躍するのです。もしかすると、自我中心に、自我主義で修行するのは邪道だと教えたかったのかもしれません。
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このnoteを読んでいるあなたは、自力で仏陀になり多くの人々を救う使命を与えられてこの世に生まれてきた特別な人ではなくて、普通の人なのだから仏道修行には必ず高次の霊的存在の助力が必要です。
もし輪廻転生や霊的な存在を認めていない「断見」の思想であるならば、仏陀やそれに準ずる高次の霊的存在がサポートしてくれて自分の修行、霊的進化が進むということが理解できないので、当然、助力も得られません。
仏道修行を進めてシュダオンに到達すると、どこかの時点で必ず高次の霊的存在からのアプローチがあり、どうやら自分は「四沙門果」の世界の入り口に立つ資格を与えられたようだという自覚を促されます。阿含宗で「霊性開顕」と呼ぶ現象です。
まとめ
仏教の修行において、霊的な存在である神仏の存在を認め、その助力を得るという宗教的な思想は必須です。
そもそも自分が仏陀になるということは、自分が神仏という霊的な存在となって人々を救う側に回るのだ、ということに思いが至っていますか?
神仏の行う人々を救う活動の中には、一生懸命に仏道修行をする人に向かって高次の霊的エネルギーを注入して、その人の霊的進化を促すために頑張るということも含まれているであろうことを想像できていますか?
そこに思いが至れば、現世で生きる我々が神仏の助力を得るという宗教的な要素が出てくるのは当たり前のことでしょう。
上座仏教に傾倒している人たちは、自分たちが何を学び、何を実践しているのか再確認してほしいと思います。
輪廻転生や霊的な存在を認めない思想は「断見」という仏陀釈尊が否定した思想です。
大丈夫ですか?
「断見」になっていないですね?
輪廻転生や霊的な存在を認めているならば、仏陀、如来といった高次の霊的存在から助力を得られる確実なツテ、触媒、経路もありますね?
つまり本尊に該当する物理的なモノがありますか?と質問しています。
「縁」が無ければ「果」は生じないのだから、あなたと高次の存在を紐付ける「縁=物理的な本尊」がなければ高次のエネルギーは、あなたに届きません。これは縁起論を理解していれば、わかるはずです。
自分の人生がかかっていることなのですから、もう一度、こういったことを理解した上で、自分は何を信じて、何を実践し続けるのか、考えてみていただければと思います。
漢訳阿含を学ぶ
下記に紹介する書籍は阿含宗開祖が極めて重要と考えている阿含経の解説本です。漢籍原文の阿含経、書き下し文、阿含宗開祖の解説という構成になっています。
上巻
阿含宗開祖がまず最初に知ってほしい「八法十六法」という修行法について書かれた経典がトップバッターとして掲載されています。もしどこかの仏教者が「仏教は自分が瞑想して自分が救われることであり、他者を変えることはできない」と主張していた場合、その説明は完全に誤りであるということを堂々と指摘できる阿含経典です。是非、読んでほしい仏教の本当の教えです。
中巻
「意生身」という、現代の我々が一般的に幽霊と思う存在をお釈迦様がはっきりと認めている経典が掲載されています。お釈迦様は霊魂を説かなかったという一部の人の説明は誤りです。それをこの書籍でご確認いただければ幸いです。
下巻
仏教は道徳・哲学であって、お釈迦様は輪廻転生も死後の存在も認めていないと本気で考えている人は、この本を読んで、今までの自分が何を学んできたのか、改めて考え直してみる機会を持ってほしいです。この書籍は、お釈迦様が認識している輪廻や死生観をテーマにした阿含経典が多く掲載されています。