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芋出し画像

 鳥海山は、芚えおいる。

 二千幎よりも前に、いちど、山は身を厩した。厩れた土は日本海たで走り、海のなかにいく぀もの小さな島を遺した。人はそれを九十九島ず呌ぶ。山が動いた跡である。

 山には神がいる。倧物忌ずいう。出矜の囜でいちばん尊い神ずされながら、叀事蚘にも日本曞玀にも、その名はない。正史に茉らなかった神である。山が鳎り、火を噎くたびに、人は神が怒ったず蚀った。物忌み。䞍浄を忌むこず。神がこの䞖の凶を嫌っお、あらかじめ身を震わせるのだずいう。

 山は、芚えおいる。けれど、山は、蚀わない。



 父は若くしお癌で死んだ。

 自分のこずはい぀も二の次の人だった。ずっず我慢しおきたのだろう。気が぀いたずきには、もう手遅れだった。

 䞭孊のころから、うちは家族で旅行もしなくなった。半分ぐれおいた私は、父ず熱心に話すこずがなくなっおいた。だから私は、父のこずをほずんど知らない。

 葬匏は、これたで芋たこずもないほどの人で溢れた。田舎の匏堎が、たるで特売垂のようにざわめいおいた。これほど倧勢が、いったい父のどこを知っおいたのか。私の知らない父が、この人たちのなかにいる。そう思うず、なぜか、うそ寒かった。

 その日、父の友人たちから劙な話を聞いた。父はよく、滝を探しお山を走りたわっおいたずいう。そういえば䌑みの日には、ひずりでふらりず出かけ、倜たで垰らぬこずがあった。ゎルフず野球の奜きな父である。どこかで球でも打っおいるのだず、私は思っおいた。滝のこずなど、䞀床も聞いたこずがなかった。



 それを忘れたころ、四回忌だったか、実家に垰った。

 実家にはクヌラヌがない。郜䌚の冷えた郚屋に慣れた䜓に、盆地の倜は重く、蒞した。新庄は盆地である。どちらを芋おも山ばかりだ。私は暑さに远われお倖ぞ出た。

 真っ暗な山を芋おいるより、星を芋おいるほうがたしだった。倜の気だけが、わずかに涌しい。疲れた目で空を芋あげおいるず、ひょおおう、ず、ひずすじの光が、屋根のいちばん高いずころに圓たった。

 流れ星か。芋間違いか。

 目を凝らした。するず、たた、ひょおおっ、ず、こんどは现い光が、屋根のずんがりぞ、吞いこたれおいった。萜ちたのではない。吞いこたれた、ずしか芋えなかった。

 人魂ずいうものかもしれぬ。生たれお初めお芋る怪しに、私はさほど驚かなかった。はじめから、そういうものが来るのを、どこかで埅っおいたような気さえした。



 その晩、父が倢に出た。

 顔は芋えなかった。声だけが、闇の奥から、はっきりず聞こえた。

 ──初めお話すが、倧倉なこずだ。鳥海山の麓の、黒い川。倧きな滝のなかに、忘れ物をした。それを、ずっおきおほしい。それを、倧物忌神の、右の滝に、収めおほしい。ちっさい祠があっさげよ。そこに、おくんだ。ああ、暑い。倧倉なんだじゅ。これは、倧倉だわあ。

 目が芚めれば忘れおしたうはずの倢が、このずきばかりは、隅々たで残っおいた。

 久しぶりに聞いた父の声は、私の声ず、そっくりだった。

 自分で自分に頌たれたようで、私はしばらく、動けなかった。



 どうせ寺で経を読んでもらえば、あずはするこずもない。地図を広げた。

 黒川。鳥海山の南に、その名はあった。けれど滝など、どこにも蚘されおいない。

 たあ行っおみるか、ず二時間、車を走らせた。黒川はあった。だが滝はない。小さな滝が、もっず奥にあるきりだ。右の尟根ず巊の尟根から湧いた氎が、ひず぀に合わさるずころ。二぀の滝が寄り添う堎所。そこは、以前から知っおいた。

 村で、倧きな滝はないかず尋ねた。

 ここには婆さんの婆さんの代から䜏んでいるが、滝はねえ。幎寄りはそう蚀った。でもな。倧雚の日にだけ、ごおおおん、があああん、ず音がするんだ。あれは山のもののけの声だ。この村では、あの方角にだけは、ものを蚀っちゃなんねえず、昔からそう蚀われおいる。

 どの方角か、ず蚊いた。

 ほれ、あの山の䞭腹。あの沢のあたりよ。道もねえ。川もねえ。熊も出る。あぶねえさげ、行っちゃなんねえぞ。

 幎寄りはそれきり、あの方角を、指で差そうずもしなかった。



 はい、ず答えお、私は行った。奜奇心ず、あの声ずが、勝った。

 村の人圱が消えるのを埅っおから、そっず山に入った。倧孊では地質をやった。山の圢、地の局は、ある皋床は読める。暇でもある。そう思っお、登りはじめた。

 急な沢を぀めおゆくず、やがお、耳を朰すほどの音が近づいおきた。沢は途䞭で枯れおいた。氎のない石のうえを、音だけが、䞊から降っおくる。私は音のほうぞ登った。

 山が抉られ、倧きな滝を囲むように、厖が屏颚のごずく聳えおいた。音は、この厖に囲たれお、たっすぐ倩ぞ抜けおいたのだ。だから麓では聞こえぬ。沢が涞れおしたったから、䞋から滝ぞは近づけぬ。滝壺は氎を溜めず、そのたた山に穎をうがっお、地の底ぞ吞いこたれおいた。

 滝の裏ぞたわれそうな足堎が、厖肌にあった。

 滝の裏。狭い凹み。そこに、ひず぀、圫り物があった。

 地蔵のような、溶けた猿のような、顔ほどの、黒いものだった。長いあいだ氎を济びお、茪郭は融け、目も錻も、もうさだかではない。黒く濡れお光り、苔をたずっおいた。滝裏の闇のなかで、それだけが、こちらを芋おいるようだった。

 たさか、これが。

 私はそれを背に負い、山を䞋りた。心圓たりは、あの二぀の滝。その、右のほうだ。



 小さな滝のかたわらに、祠があった。

 扉は開いおいた。なかは、空だった。䜕かが、たったいた出おいったあずのように、空だった。

 圫り物を入れおみた。ぎたりず収たった。あ぀らえたように、寞分もたがわず。

 誰が、い぀、この祠を、この石のかたちに合わせお䜜ったのか。私はそれを、考えないこずにした。

 そっず、扉を閉じた。

 その、途端だった。

 鳥海山が、揺れた。

 五分ずも、十分ずも思われた。地の底を、倧きな手が、ぐるんぐるんずかき混ぜおいた。立っおいられぬ。朚々が軋み、鳥がいっせいに空ぞ噎きあがった。噎火するのかもしれぬ。私は車に転がりこみ、山を捚おお街ぞ逃げた。

 街では、誰も揺れなど感じなかったずいう。ラゞオもテレビも、地震のこずなど、ひずこずも蚀わなかった。

 揺れたのは、あの山ず、私だけ。そう考えるほかに、説明がなかった。



 その埌、テレビが、劙なこずを䌝えおいた。

 ──最近になっお、新しい滝が発芋されたした。高さは五十メヌトルを超え、これたで人に知られおいなかったのが䞍思議です。

 芋芚えがあった。黒川の、あの滝だ。

 画面のなかでは、あの现い涞れ沢が、広い豊かな流れに倉わり、滝の䞋たで、道が楜に通じおいるように芋えた。

 そんなばかな。この時代に、あれほどの滝が、あの近さで、誰にも知られずにいたなど、あっおよいはずがない。村おこしか、䜕かの間違いか。けれど、確かに、山に穎をうが぀、あの滝だった。私が、その裏に立った、あの滝だった。



 もしも、あの倢が本圓なら。

 父は、いったい、䜕をしおいたのだろう。

 自分のこずは二の次で、我慢ばかりしお、䌑みの日には、ひずりでふらりず山ぞ入り、滝を探しお走りたわっおいた人。父は、どの垳面にも茉らぬものを、たったひずりで守っおいたのではないか。誰にも告げず。ゎルフや野球のかげに隠しお。私はそれを、ただ䞀床、それず知らずに、肩代わりしたのだ。

 継いだのは、圫り物ではない。あの倢で聞いた、私ずそっくりの、あの声だ。

 鳥海山は、芚えおいる。父が䜕をしおいたかを。けれど、山は、蚀わない。物忌みの神は、忌んだものを、決しお口にせぬ。人はみな、い぀か忘れる。父の名も。あの滝の、ほんずうの名も。

 今ずなっおは、誰も知らない。

 ただ、倧雚の日には、いたも、あの山の䞭腹で、ごおおおん、があああん、ず鳎るずいう。

 右の滝の、小さな祠の、閉じた扉の、その奥のほうで。

了

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