
休職day139|休職後はじめて上司と会ってこれからのことを話してみて
仮に1日1時間少しずつの働き方をあなたが望むなら、
私はできる限り実現できるよう動きます。
業務で何をやるかは後の話でいい。
まずは、あなたの心と体が一番。
よく食べて、よく寝れることが、一番。
そして、ご家族で安心して過ごせることが一番。
働くことは、それを守った上の話です。
この先私がどんな人生を辿るにせよ、休職中の会社の上司に伝えていただいたこの言葉たちを、私は大切にした方がいいと自分に言い聞かせた。
単なる同僚。
単なる部下。
単なる上司。
仕事の人間関係なんて、そんなものかもしれない。
それでも。
建前ではない言葉に感謝の念が湧いて、「どんな形であれ、ゆっくりなぎさんのベストを考えてみてください」と伝えてくれた上司に、「ありがとうございます、承知しました」と私は答えていた。
◼️休職後初めて上司と会う
その日の朝。私の体は重たかった。
休職後初めて、上司と顔を合わせて話す日だったから。
「当日でも具合が優れなければキャンセルで構わないので、遠慮なく言ってください」
そう言ってもらっているけど、行かない選択肢は自分の中に微塵もない。
会うことに抵抗はないのだ。
どんな話が主題でも、お会いして今の私を見ていただくことが私にできる最善最良と思っているから、必ず行くと決めている。
重たい体を起こして、自分自身に伝える。
「大丈夫よ、怖いことなんて何もない」
「そのまんまの私で会えばいいだけよ」
「だからそんなに私を引き留めなくて大丈夫」
体に反して心は落ち着いている気がする。
上司に会うべく身だしなみを整えて、私は家を出た。
◼️休職期間の上限の通知
上司と落ち合い近くのスターバックスに入る。
経費で落とすから好きなもの選んでいいですよと言われ、お言葉に甘えてオーツミルクのラテを頼んだ。
席について、しばらくたわいもない話をする。
たわいもないというか。
休職直前の心身の変化が実はこんな感じだったとか、休職後どんな風に過ごしていてやっと本を読めるようになったとか。
休職直前は24時間眠れないまま仕事をしていた日も多く、めまいと耳鳴りがひどくてたまらなかったり、最終的に呼吸さえうまくできなくなってしまったとか。
「この状態で仕事していたら、自分はいつか大きなミスを犯すと思うと、怖かった。手遅れになる前に休まなきゃと思いました」
とも話した。
顧客の情報資産を扱う仕事だ。
クリックのミス一つで、それを吹っ飛ばすことも起こり得る。
私には、それが恐ろしくてたまらなかった。
「もし自分の奥さんが同じ状態になったら、たとえ収入が減ったとしても、自分が働くからもう好きなだけ休んでほしいと私は言うし、なぎさんの旦那さんもそう思っていると思います」
「旦那さん、絶対に気が気じゃなかったと思う」
「よく、ご自身で休む決断をしてくれましたね」
上司は続ける。
「ただ立場上、私はなぎさんに休職期間の上限を伝えなければなりません」
想定していた通りの話。
就業規則上、10月末までは休職できるとのことだった。
つまり、その時までに復職できなければ、退職。
この話のためだけにわざわざ足を運んでくれたのだと思うと、ちょっと胸が痛い。
それが上司たる者の業務のひとつとわかっていても。
その上で、と上司は復職についての話を続けた。
◼️リハビリのように復職する可能性
「私は、なぎさんの誠実さや責任感ある姿勢を、採用面接で初めてお会いした時からずっとずっと尊敬している」
「その性質を自ら緩めることは、きっとあなたにとって至難の業でしょう。もっと適当になっていいと言われても、バランスが難しいですよね」
上司は、いつもそうして私を称えてくださる人だった。
本部長もそうだ。
「あなたのそれは、取ってつけたようなものじゃないとわかる。言葉選びや所作、一朝一夕に身につくものじゃない。あなたの生き様なのでしょう。それは、本当に素晴らしく貴重なものです」
一年前の評価面談で、私の在り方を生き様と言ってくれた上司と本部長の言葉を思い出しながら、また同じようなことを言ってくださるのだなと聞いていた。
上司は続けた。
「なぎさんが復職を考えてくれるなら、まずは短時間勤務でリハビリからと考えています。
たとえば"1日1時間少しずつ働きたい"となぎさんが望むなら、私はそれを実現できるように動きます。
全部テレワークにして、出社をなくしてもいい。
何の業務をやるかは、後の話でいいと思っている」
驚いた。
それではお世辞にも戦力にならない。
それでも、リハビリのように少しずつ復職する方法を検討してくださると上司は言う。
「まずは、なぎさんの心と体が一番。
よく食べて、よく寝れることが、一番。
そして、ご家族で安心して過ごせることが一番。
働くことは、それを守った上です」
「どうかなぎさんにとってのベストをご家族や主治医と一緒に考えてみてください。なんでも相談は聞きます」
社員一人の代わりなどいくらでもいる。
短時間勤務をさせて少しずつリハビリをはかるなど、コストがかかって仕方ないはずだ。
単純に退職を促すことができないからかもしれないけど、そこまですると言ってくださっている。
上司の言葉に私は自分のこの先の人生の選択肢が広がった感覚を抱いていた。
◼️社会復帰の方法は色々だからこだわらない
「ありがとうございます」
「承知しました、考えてみます」
上司に私はそう返した。
そして8月末にまた改めて面談すること、それまでにゆっくりでいいから今後のことについて考えてみてほしいこと、何かあれば必ず相談に乗ることを伝えられ、上司と別れた。
別れてすぐ再びスターバックスに向かって、ドリンクを頼んで腰掛ける。
持ってきたRollbahnに頭の中のことを書き綴って、整理する。
「退職するしか手はないと思っていた」
「でも、元通りの働き方じゃなくとも復職できる可能性があるならば、復職も選択として考えてみていいのではないか」
「自分の心身の健康を守りながら働く方法を、もっと色々模索してみていいのではないか」
元々図書館司書資格は、無理なく働きながら取得を目指すつもりだった。
ただ、書店や図書館など本に囲まれて働ける環境を中心に求人を見ていたけど、新しい環境に身を置くことはそれなりの負荷がかかることは間違いない。
一から仕事を覚えて、一から人間関係を築き、その上勉学にも励むとなると、それなりだろう。
その点、元いた環境で、メニエール病や適応障害があることを理解いただきながら無理のないよう働くことが許されるならば、もしかしたら負荷は少ないのかもしれないとも思った。
ただ、私の主観だけでなく、第三者であり家族である夫や、医師としての意見も聞いて決めた方がいいだろう。特に医師は、適応障害発症の要因からはスパッと離れた方がいいと常々言っているし。
今回の話を報告して、意見を聞いて、私が私のために一番無理なく過ごせる方法をゆっくり吟味すればいい。
タイムリミットはどうしてもあるけど、それまでに結論を出せなければ、その時は仕方ない。
退職したっていい。
上司の言葉に応えなきゃと無理に頑張る必要もない。
有り難く言葉を受け取るし、上司に出会えたことは私の人生の財産だし、本当に恵まれているけど。
なんというか。
私は私の人生についてまったく考えていないわけじゃないから、自ずと道は開けてくるだろうとかなり楽観的になっている。
「本と人生を編む人」
私の生きる道はあくまでこれであり、すべてはそのために必要なプロセスの一部だから。
◼️私よ、感謝だけは忘れるな
ただ、やはり雇用してくれている会社、とりわけ本部長と上司への感謝は忘れてはならないと思う。
これを忘れたら、私は私でなくなる。
戦力ならずともなんとか働ける環境を共に模索しようとしてくれている人が上司であることの有り難みを、忘れるな私。
それだけは忘れないで、周りの方々に素直に相談しながら、ゆっくりと先のことを考えたいと思う。