
中卒インテリ芸人
一
東京で開かれた全国規模のお笑いグランプリの決勝大会、それはテレビで生放送されていた。
司会者の左隣にある出場者名が書かれたボードには芸人としてすでに売れている、有名人の名ばかりが並んでいた。しかし、その中に一つだけ「中卒インテリ芸人」という全くの無名人の名があった。
彼の出番になり、司会者は言った。
「それでは、中卒インテリ芸人さんです!」
舞台袖から現れたのはフロックコートを着て、鼻眼鏡、それも金縁のをかけた男だった。彼は開口一番に言った。
「私といふ現象は假定された有機交流電燈のひとつの靑い照明です」
中卒インテリ芸人が日本語、しかも口語体の日本語を舞台上で発したのは後にも先にもこれだけだった。
そのまま彼はほとんど間を置かずに、
「15-12.61-25.211-03.23-06.13-01.127-21.1112-11.110-03.103-02.111-08.142-04.146-24」
と言うのだった。彼はネタのほとんどを暗号で行うのだ。彼がのちに詠んだ歌によれば、「暗号を 使いし者は 手に入れる インテリジェンスの 富士の頂」とのことである。しばらく暗号だけで話した後、彼は突然自然言語を口にした。ラテン語だった。
「jacta est alea (賽は投げられた)」
そう言うとインテリは舞台から立ち去った。お笑いで必ず決まっている「ありがとうございました」の代わりに「valete(さようなら)」と言って。
それから数十分が経った。司会者が審査員の出した点数を発表した。インテリの点数は700点ちょうど、7人の審査員全員が100点満点をつけた点数だった。もちろんグランプリ1位だった。
二
グランプリが終わった後、そのまま優勝者は次の番組に出てインタビューを受けることになっている。中卒インテリ芸人もその例にもれず、すぐにスタジオに移動した。
インタビューが始まり、インタビューがにこやかな笑顔で言った。
「中卒インテリ芸人さん、優勝した率直なお気持ちをお聞かせ下さい」
インテリは少し考え込むようにしてから、
「veni vidi vich(来た、見た、勝った)」
とだけ言った。インタビュアーの顔は、みるみるうちに曇っていった。
「…… 5ヶ月前の1回戦から長い戦いを勝ち抜いてきたわけですけれど、これまでのこのお笑いでの戦いを振り返ってみていかがでしょうか」
インテリは両手を合わせて申し訳なさそうに答えた。
「Ignosce mihi. Lingua mea vernacula Latina est, et Iaponicam ex libris veteribus didici, itaque solum "Bungotai" scio. Ergo, recte respondere non possum si Iaponice "Kougotai" utens interrogor.(すみません。私はラテン語が母語で、日本語は古い本で学んだため、文語体しかわかりません。なので口語体の日本語でインタビューされてもうまく答えられません)」
どこからどう見ても日本人なのにラテン語が母語であると言う、その衝撃的な告白は後に語り草になるのであった。無論インタビューの場にラテン語を解すものはいなかったから、インタビューが地獄と化したのは言うまでもない。
三
数日後、テレビ番組でインテリのことが取り上げられた「グランプリ優勝者 ナゾの『中卒インテリ芸人』に迫る‼︎」
番組には、暗号研究者、ラテン語研究者が出演していた。
「宮沢賢治の引用から始まり、暗号とラテン語のみでネタを行い優勝してしまったと言うこの芸人さん、一体どのようなことを言っていたのでしょうか? そこで今日は専門家のお二人に来ていただいています」
カメラが司会者から、暗号研究所のH氏とラテン語研究者のN氏に切り替わった。
「Hさん、中卒インテリ芸人さんの使う暗号についてどのようにお考えでしょうか?」
「まず言っておきます。彼は意味不明とかそういう芸ではないので」
「と言うと……?」
「なんとなく試しに最新の人工知能とやらに彼のネタを入れてやります。そして何かしらこっちでしますと、そうするとどうにかなるかも。それでむちゃくちゃに彼は言っているのではない。そういうことで解析的な何か」
「……つまりAIによる解析で、彼の暗号がちゃんと意味を持っているとわかったということでしょうか」
「違います。でも大体そういう理解でよろしいかもしれません」
司会者は苦笑いをしながら、
「……なるほど……」
それからしばらくの間、場は静まり返った。その静けさを破るようにして、司会者は言った。
「では、Nさん。ラテン語研究者として、中卒インテリ芸人さんが使ったラテン語についてどのようにお考えでしょうか?」
「彼が舞台の上で言ったのは『jacta est alea』と『valete』の2つだけ。『賽は投げられた』と『さようなら』という意味」
「……なるほど、それぞれに何か特別な意味などはあるのでしょうか?」
「アレクサンダー大王の言葉と、ただの挨拶」
「中卒インテリ芸人さんは、他にもインタビューで『ラテン語が母語』と言っていますが、この古代ローマの公用語であり、現代においては母語としては使われていないこのラテン語が母語と言うのはどのようにお考えでしょうか?」
「ユニーク」
「……深いですね……」
司会者が頷いたその時、突然H氏が話し出した。
「まさしく彼こそ『ユニーク』と言う言葉が似合う、そうかもしれない」
司会者は急いで、
「っ! Hさんもやはりそう考えていらっしゃるのですね」
「わからないですね。プラグマティックで無い、価値がないとさえ思える、無価値な暗号にこそ意味がある」
絶句している司会者の顔をカメラが捉えた。
「……とてもわかりやすいですね!」
N氏が呟いた。
「わかりやすい」
司会者は慌てて場を取り繕うかのように、
「……なるほど! 研究者同士で通じ合うものがあるんですね!」
「それは違う」
司会者が困り果てているその時、
「またこんど」
H氏はスタジオから出て行ってしまった。
四
中卒インテリ芸人がグランプリで優勝してから200年後のこと、国立言語研究センターC棟地下37階にて研究員のKは言った。
「Aさん、やはり定説を覆す必要があります」
「と言うと?」
「ラテン語からのアプローチだと解読は不可能なのではないかと」
「なるほど、そう考えたものは数知れずいるだろう。しかし、皆解読できなかった……」
「もちろんわかっています。私は口語体の日本語からのアプローチで行うんです」
「そんな! 彼は、文語体しかほとんどわからないはずだ。唯一彼が読んだことのある口語体の文は、『春と修羅』だけだと言われているが、それだけで抗体を完全に理解することができるだろうか」
「とにかくやってみます」
Kはコンピュータを立ち上げ、作業に取り掛かった。
それから数日後のこと、体調を崩し仕事をしばらく休んでいたAは久しぶりにC棟地下37階へと足を踏み入れた。
「……っ! K、どうしたんだ!」
床に倒れているKを見つけたAは叫んだ。
「K、大丈夫か」
Aが近づくとKは笑って言った。
「……解け……まし……た……」
それきりKは動かなくなった。Kのデスクにあったコンピュータを覗き込んだ。
「うちの……おかん……? コーン……フレーク……? 鯖の塩焼き……?」
画面上には完全に口語体の日本語文があった。
五
Kは過労死だった。Kの死から49日目、Aの手により、解読結果は学会で発表された。
同年同月、中卒インテリ芸人のマネージャーの子孫を名乗る人物から、研究所へと1本の映像資料が送られてきた。
「Ita tandem meus codex decipheratus est」
映像を再生すると、中卒インテリ芸人の姿が映った。
「……『私の暗号がついに解かれたのですね』と言う意味のラテン語です」
映像の中のインテリは、流暢な口語体の日本語を話していた。
「私のネタなんて何も新しい事はやっていない。グランプリで王者になれたのもマネージャーがテレビ局のお偉いさんの親友だから。コネですね。日本語も十分話せます。あと最後に1つ言っておきますが、中卒じゃないです。帝都大学、出ています。騙して悪かった。それじゃ……」
映像はそこで終わっていた。なお帝都大学なる大学は、どの時代においても存在していない。
終