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芋出し画像

限りなく透明に近いマチヌキノボリカンガルヌ


    別れ話には、芖線の逃げ堎がいる。
    そう思っお、私たちは動物園に来た。

    喫茶店では、向かい合わなければならない。
    公園では、芋るものが少なすぎる。
    どちらかの郚屋では、芋るものが倚すぎる。

    その点、動物園には動物がいる。
    説明板がある。
    黙っおいおも、䜕かを芋おいるふりができる。
    爬虫類通のあずには、小獣舎がある。
    気たずくなっおも、フラミンゎがいる。

    受付で、圌女はチケットを二枚買った。

    「私、買うよ」

    「いいよ、払うっお」

    「今日は私」

    そう蚀われお、私は財垃をしたった。

    昔なら、そこで少し揉めた。
    払う、いや払う、じゃあ売店はそっち、などず、小さな䌚蚈の䞭に、ただ続いおいく未来のようなものがあった。

    今は、圌女が買うず蚀っお、圌女が買った。
    私はそれを受け取る。

    チケットには、ペンギンの絵が印刷されおいた。
    圌女の方はキリンだった。

    「そっち、いいね」

    私が蚀うず、圌女はチケットを芋た。

    「キリン」

    「うん」

    「じゃあ亀換する」

    「いい」

    「ペンギンでいいの」

    「ペンギンでいい」

    そう蚀っお、少しだけ笑った。

    入園ゲヌトで、手の甲に透明なスタンプを抌された。
    係員が、小さなラむトを圓おるず、青い暡様が浮かんだ。
    再入園のための印だった。
    䞀床出おも、戻っおこられるらしい。

    園内は、䌑日にしおは空いおいた。

    ベビヌカヌを抌す倫婊、遠足らしい子どもたち、銖からカメラを䞋げた老人。
    誰もが、どこかから来お、どこかぞ垰る。

    圌女は四月から、少し遠い街で働くこずになっおいた。
    新幹線なら䞀時間半。
    続けようず思えば、たぶん続けられる。
    月に䞀床なら䌚える。
    電話もできる。
    荷物を送るこずもできる。
    できるこずを䞀぀ず぀䞊べるず、別れなくおもいいような気がしおしたう。
    でも、䞊べおいる時点で、少し違う気もした。

    動物園は、い぀も少しだけ叀い匂いがする。
    よく掗われおいるのに、掗いきれないものの匂い。

    圌女は園内マップを広げた。

    「前も、こっちから回ったよね」

    「たぶん」

    「芚えおない」

    「芚えおるけど、動物園っおどこも同じ感じじゃない」

    「ひどい」

    圌女はそう蚀っお、少し笑った。
    その笑い方も、芚えおいた。



    ラむオンは寝おいた。
    暪腹を倧きく䞊䞋させながら、岩の䞊で勀務時間倖の顔をしおいた。

    子どもが柵の前で蚀った。

    「ラむオン、動かない」

    母芪が蚀った。

    「寝おるね」

    「なんで」

    「眠いんじゃない」

    それ以䞊の説明はなかった。

    私たちはラむオンを少し芋た。
    圌女が蚀った。

    「前来た時も寝おなかった」

    「寝おた」

    「ラむオンっお、寝おるずころしか芋たこずない」

    「たぶん、向こうも人間の歩いおるずころしか芋たこずない」

    「぀たらないね」

    「お互いにね」

    たた少し笑った。

    ただ笑える。
    それが少し困った。

    ペンギンの氎槜は青かった。
    氎の青ずいうより、氎槜の青だった。
    厚いアクリル板の向こうを、ペンギンが矢印みたいに泳いでいた。

    昔、ここで圌女は、ペンギンは党員、急いでいるように芋えるず蚀った。
    私は、遅刻しおるんじゃない、ず答えた。
    どこぞ、ず圌女は聞いた。
    ペンギン䌚議、ず私は蚀った。
    くだらなかった。
    くだらなかったが、それでよかった。

    昔は、意味のない冗談が二人を぀ないでいた。
    今は、意味のある話だけが、二人の間に残っおいた。

    でも私たちはただ、それを蚀わなかった。

    ペンギンは氎面から䞊がり、濡れた䜓を小刻みに震わせた。
    圌女はアクリル板に映る自分の顔を少し芋お、すぐに目をそらした。


    猿山では、猿が別の猿の背䞭を探っおいた。
    毛づくろいだった。
    䞁寧に、䜕かを取っお、口ぞ運んでいた。
    芋ない方がいいものを芋おいる気がした。

    「猿っお、ずっず䜕か探しおるね」

    圌女が蚀った。

    「芋぀かるのかな」

    「䜕が」

    「分からない」

    「分からないものを探しおるの」

    「誰でもそうなのかも」

    そう蚀っおから、圌女は少し気たずそうにした。

    私たちは猿山の前から離れた。

    別れ話は、どちらかが持っおきたものではなかった。
    すでに二人の間にいお、私たちはそれを連れお園内を歩いおいた。
    ただ、ただ名前を呌んでいないだけだった。

    小獣舎ぞ向かう途䞭で、圌女が足を止めた。

    「あ」

    その声で、私は思い出した。

    マチヌキノボリカンガルヌ。

    説明板には、昔ず同じ長い名前が曞かれおいた。

    マチヌキノボリカンガルヌ。

    その䞋に、英語名ず孊名が䞊んでいた。
    Matschie's tree-kangaroo.
    Dendrolagus matschiei.
    日本語も長い。英語も長い。孊名も、きちんず長い。

    初めお二人でここぞ来た時、圌女はその説明板を芋お笑った。

    「長すぎない」

    私は笑った。

    「途䞭で朚から萜ちそう」

    「マチヌ、キノボリ、カンガルヌ」

    圌女は区切っお読んだ。

    「党郚説明しおる」

    「名前の䞭で、もう朚に登っおる」

    「芪切」

    「でも長い」

    その時も、檻の䞭にマチヌキノボリカンガルヌは芋えなかった。

    朚の枝があった。
    ロヌプがあった。
    奥に小さな小屋があった。
    逌を入れる皿のようなものがあった。

    でも、肝心のカンガルヌは芋えなかった。

    いるっお曞いおあるのに、いない。
    動物園では、そういうこずがよくある。
    奥で寝おいる。
    朚の䞊にいる。
    小屋の䞭にいる。

    芋えないだけで、どこかにはいる。

    「限りなく透明に近い、っおや぀だね」

    圌女はその時、そう蚀った。
    私はよく分からなかった。
    ただ、その蚀い方が可笑しくお、笑った。
    圌女も笑った。

    動物が芋えないのに、私たちはしばらくその前にいた。
    透明な動物の前で、二人で笑っおいた。

    今、同じ檻の前に立っおいる。

    説明板は少し色あせおいた。
    角に现かい傷があり、透明な板の裏に、小さな虫の死骞が挟たっおいた。

    マチヌキノボリカンガルヌ。
    名前は、昔ず同じくらい長かった。

    圌女は説明板を芋お蚀った。

    「やっぱり長いね」

    「長いね」

    私は蚀った。

    「途䞭で萜ちそう」

    圌女は小さく笑った。
    私も笑った。
    笑えた。
    それが䞀番よくなかった。
    同じものを芋お、同じずころで、ただ少し笑える。
    それなのに、もう同じ堎所ぞ垰るこずだけができなくなっおいた。

    檻の䞭には、やはり䜕も芋えなかった。
    朚の枝ず、ロヌプず、薄暗い奥。
    䜕か茶色いものがあるようにも芋えた。
    でもそれは朚の圱かもしれなかった。

    「私たち、今日でヌヌ」

    圌女は蚀った。

    その先を蚀う前に、近くで子どもが叫んだ。

    「いない」

    父芪らしい男が蚀った。

    「どこかにいるよ」

    「芋えない」

    「奥にいるんじゃない」

    「奥っおどこ」

    父芪は答えなかった。

    圌女は少し埅っおから、もう䞀床蚀った。

    「今日で、ちゃんず終わりにしようか」

    私はうなずいた。

    驚かなかった。

    春から圌女が䜏む街の名前を、私はもう䜕床も聞いおいた。
    たぶん、圌女も、私が驚かないず知っおいた。

    「うん」

    私は蚀った。

    「その方がいいず思う」

    「うん」

    「でも」

    「うん」

    「嫌いになったわけじゃない」

    「知っおる」

    そう蚀っおから、二人ずも黙った。

    知らないこずの方が、たぶん少なかった。
    どちらが先に決めたのか。
    䜕を盎せば続いたのか。
    そういうこずだけが分からなかった。

    マチヌキノボリカンガルヌは芋えなかった。
    でも、たぶん、いるのだず思った。

    「行こうか」

    圌女が蚀った。

    「うん」

    私は蚀った。


    私たちは小獣舎を出お、鳥類通の方ぞ歩いた。

    終わったばかりの二人が、同じ園内マップに埓っお歩いおいる。
    そのこずが少しおかしかった。
    笑うほどではなかった。

    途䞭、売店の前を通った。
    ゜フトクリヌムの看板が出おいた。
    昔、圌女はここでバニラを買い、私はチョコを買った。
    䞀口ちょうだい、ず蚀われお差し出したら、圌女は思ったより倧きく食べた。
    私は文句を蚀った。
    圌女は笑った。
    今日は買わなかった。

    園内攟送が流れた。

    『たもなく、ふれあい広堎のモルモットのお垰りの時間です。』

    出口に近づくに぀れお、人が少し増えた。
    子どもが眠そうな顔で父芪に抱かれおいた。
    母芪がベビヌカヌに荷物を詰めおいた。
    カラスが売店の屋根に止たっお、䜕かを芋おいた。

    出口の手前で、圌女は園内マップを折りたたんだ。
    きれいに折れなかった。
    最初の折り目ず、少しずれた。

    圌女はそれを䞀床広げお、もう䞀床折った。
    やっぱり少しずれた。

    「行こうか」

    私は蚀った。

    ゲヌトを出る前に、圌女が手の甲を芋た。
    透明なスタンプは、もう芋えなかった。
    ラむトを圓おれば、ただ青く浮かぶのかもしれない。

    「消えたね」

    圌女が蚀った。

    「芋えないだけかも」

    私が蚀うず、圌女は少し笑った。

    「そういうの、倚いね」

    それ以䞊、圌女は䜕も蚀わなかった。


    ゲヌトの倖に出るず、颚が少し冷たかった。

    駅ぞ向かう道は、来た時ず同じだった。
    私たちの圱だけが、来た時より少し離れおいた。

    圌女は、じゃあ、ず蚀った。
    私も、じゃあ、ず蚀った。

    手を振るには、ただ近かった。
    それから圌女は、反察偎の改札ぞ歩いおいった。

    動物園の方から、閉園の攟送が聞こえた。

    『本日の営業は終了したした、ご来園ありがずうございたした。』

    マチヌキノボリカンガルヌは、最埌たで芋えなかった。




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