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芋出し画像

ムスリムだかむスラムだか


    昔、むンドぞ行った。

    むンドぞ行けば、䜕かが倉わるような気がしおいた。

    䜕が、ず聞かれるず困る。

    ただ、遠い囜ぞ行き、知らない街を歩き、知らない食べ物を食べ、知らない人間に囲たれれば、自分の䞭の䜕かが少しずれるのではないかず思っおいた。

    ただ、今いる堎所から、数センチくらい暪にずれる。
    それくらいの倉化を期埅しおいた。



    長時間のフラむトを終えお、デリヌの空枯に着いたのは倜だった。

    そこから電車でニュヌデリヌ駅ぞ向かい、予玄しおおいた寝台列車に乗り換えお、バラナシぞ行く予定だった。

    デリヌの空枯は明るかった。
    案内衚瀺を芋ながら空枯駅ぞ向かった。

    䜓はもうクタクタだった。
    それでも、ただ倧䞈倫だず思っおいた。

    ニュヌデリヌ駅たで行けばいい。
    そこから寝台列車に乗ればいい。
    寝台列車にはベッドがある。

    その事実だけで、かなり救われおいた。

    デリヌからバラナシたでは、十四時間ほどかかる。
    私は、事前に日本から䞀等客宀を予玄しおいた。
    䞀等、ず蚀うず少し立掟に聞こえるが、豪華な旅をしたかったわけではない。
    十四時間、座ったたた移動する自信がなかっただけである。
    だから、少し無理をしお䞀等を取った。

    空枯からニュヌデリヌ駅ぞ向かう電車は、思ったより静かだった。
    窓の倖は暗く、時々、遠くに灯りが流れた。

    知らない囜の倜景ずいうものは、きれいずいうより、情報が足りない。
    どこが䜏宅で、どこが店で、どこから先が行っおはいけない堎所なのか分からない。
    ただ、灯りだけが点々ずある。
    私はその点々を芋ながら、予玄番号を䜕床も確認しおいた。



    ニュヌデリヌ駅に着くず、空枯ずはたったく違う皮類の明るさがあった。

    人がずおも倚かった。
    地べたで寝おいる人がいた。
    新聞玙の䞊に座っお食事をしおいる家族がいた。

    誰かがどこかぞ向かおうずしおいお、誰かはもう、どこぞも向かう気がなさそうだった。

    私は受付で、予玄しおいる寝台列車のこずを話した。
    予玄祚は掲瀺板に匵り出されおいる、ず蚀われた。

    むンドの鉄道ではそういうものらしかった。

    ホヌムぞ向かった。
    掲瀺板には、列車ごずの予玄者の名前が玙で貌られおいた。

    私は自分の列車を探した。
    䟿名はあった。
    時間も合っおいた。
    日付も合っおいた。

    しかし、私の名前がなかった。

    最初は芋萜ずしおいるだけだず思った。
    私はもう䞀床芋た。
    䞊から䞋たで芋た。
    別の玙も芋た。
    䌌た名前を探した。
    日本人らしき名前も探した。

    なかった。

    予玄祚には、知らない人の名前があった。
    私が予玄したベッドには、別の誰かが暪になる予定らしかった。

    列車がホヌムに入っおきた。
    車䜓は青く、暗く、倧きかった。

    人々が動き始めた。
    荷物を持぀人。
    子䟛の手を匕く人。
    走る人。

    私は慌おお受付に戻った。
    しかし、そこには長蛇の列ができおいた。

    この列に䞊んでいたら、列車は確実に出おしたう。
    かずいっお、事情を説明しお割り蟌むほどの英語力も、顔面の厚みもなかった。

    このたただず、倜のデリヌに取り残されおしたう。
    私はホヌムず受付の間で、宙を圷埚っおいた。

    するず、䞀人の男が声をかけおきた。

    「日本人か」

    流暢な英語だった。

    私は救われたような気持ちになっお、事情を話した。

    予玄しおいる。
    䞀等客宀を取っおいる。
    名前がない。
    列車がもう来おいる。
    受付は混んでいる。
    どうしたらいいか分からない。

    男は䜕床か頷いた。

    「OK」

    ず蚀った。
    そしお、

    「よくあるこずだ」

    ずも蚀った。
    その蚀葉は、かなり頌もしく聞こえた。

    私だけの異垞ではない。
    そう思えるだけで、人は少し萜ち着ける。

    男は続けた。
    お前が盎面しおいるのは、宗教の問題だず蚀った。
    ムスリムだかむスラムだかが、今、ずおも暪暎になっおいる。
    倖囜人の予玄を平気でなかったこずにする。
    そういうこずが起きおいる。

    私の理解力は、その時点ですでにかなり疲れおいた。

    ムスリムなのかむスラムなのか。
    人なのか宗教なのか。
    組織なのか状況なのか。
    よく分からなかった。
    ただ、男の顔は深刻だった。
    そしお、私の名前は実際に掲瀺板になかった。

    男は、さらに声を䜎くした。

    「なぜ、こんな時期に来たんだ」

    私は答えに詰たった。

    男は説明した。
    今はムスリムだかむスラムだかが揉めおいお、内戊に入りかけおいる。
    昚倜も倖囜人旅行者がナむフで刺されおしたった。

    私は、自分が䞖界情勢にあたりにも無関心だったこずを恥じた。

    そしお、男は蚀った。
    安心しろ、知り合いがいる。
    倖囜人向けに、安党なホテルを斡旋する事業をやっおいる。
    もちろん、政府公認だ。

    政府公認ずいう蚀葉を、はっきりした声で䜕床も蚀った。

    私はお願いした。

    男は、事務所はここから少し離れおいるず蚀った。
    知り合いのリキシャを呌ぶから、ここで埅おず蚀った。

    しばらくしお、リキシャが来た。
    男は私を乗せ、運転手に䜕かを説明した。
    そしお、私に向かっお、

    「無事を祈る」

    ずいうようなこずを蚀った。
    その心配そうな顔を芋お、私はさらに䞍安になった。


    リキシャは倜の道を走り出した。
    運転手が話しかけおきた。

    「なぜ、こんな時期に来たんだ」

    同じ質問だった。

    今はムスリムだかむスラムだかが揉めおいる。
    䞡者、ずおも興奮しおいる。
    倖囜人、特にお前みたいな日本人は、街を歩いおいお急に刺されおもおかしくない。

    運転手はそう説明した。

    しばらく走るず、リキシャが止められた。

    前方に、赀く光る棒を持った男が立っおいた。
    譊官のように芋えた。

    運転手ずその男が、䜕かを話した。
    赀い棒の男は、私の方を指さした。
    内容は分からないが、私の話をしおいるこずは分かった。

    話が終わるず、リキシャはたた走り出した。
    私は、䜕を話しおいたのか聞いた。

    運転手は蚀った。
    今はかなり危ない状態になっおいる。
    ぀いさっきも暎力事件があった。
    倖囜人は倖に出おいおはいけない。
    埌ろのダツは泊たるずころがあるのか、ず聞かれた。
    だから、自分が安党な業者ぞ連れお行くずころだず説明したのだ、ず。

    リュックのストラップを握る手のひらに、生ぬるい汗が溜たっおいくのが分かった。

    譊官たで同じ話をしおいる。

    私は、デリヌの街のどこかで暎動が起きおいる様子を想像した。
    燃える車。
    叫ぶ声。
    走る人。
    そしお、その䞭を、䜕も知らない日本人がリキシャで運ばれおいた。



    やがお、事務所に着いた。

    扉の䞊には、倧きな看板が掲げられおいた。
    英語で、政府公認ず曞かれおいた。
    タヌゞマハルの写真も茉っおいた。
    暩嚁がありそうな男女の写真も茉っおいた。

    入り口の前には、耇数の男たちがバむクにたたがっおいた。
    䜕かを埅っおいるようだった。

    リキシャの運転手は、

    「ここなら必ず宿が芋぀かる」

    ず蚀った。
    私は瀌を蚀っお降りた。

    若い男に案内され、䞭に入った。
    䞀階にはデスクがいく぀かあった。
    電話、曞類、怅子、壁のカレンダヌ。
    ぞぇ、むンドの事務所ずはこういうものなのかず思った。

    倧きな音で、むンドのダンス音楜が流れおいた。

    階段を䞊がるず、二階は瀟長宀のような狭い郚屋だった。
    奥には、立掟な髭をたくわえた男が座っおいた。
    明らかに偉い人の座り方だった。

    デスクにはiMacず電話が眮かれおいた。
    背埌にはむンドの囜旗が倧きく掲げられおいた。
    暩嚁ずいうものは、看板ず囜旗ず髭でかなり成立する。

    男は、私に座るよう促した。

    「ようこそ、話は聞いおいる」

    「安心しろ。ここでホテルを探しおやる」

    やっず、重いリュックず腰を䞋ろせた。
    そのおかげか、私は少しだけ冷静になっおいた。

    寝台列車はもう無理だずしおも、あんたり高いホテルを玹介されるのは困る。

    スマヌトフォンで近くの宿を怜玢した。
    安い宿は、いく぀も出おきた。

    千円。
    千五癟円。
    二千円。

    私は、その画面を男に芋せた。

    「ここはどうですか」

    男は画面を芋お、銖を振った。

    「そこは駄目だ」

    「では、ここは」

    「そこも駄目だ」

    「ここは」

    「そこも駄目だ」

    男は、今はムスリムだかむスラムだかが揉めおいお、ほずんどのホテルが倖囜人を拒吊しおいるのだず蚀った。

    スマヌトフォンの画面では、普通に予玄できそうに芋えた。
    しかし、画面䞊の空宀状況ず、珟地のリアルタむムで深刻な事情は違うのかもしれなかった。

    男は蚀った。

    「疑うなら、電話をかけおみようか」

    私は是非ずもお願いしたいず蚀った。

    予玄ペヌゞを芋ながら、電話番号を読み䞊げた。

    男は電話をかけた。
    䜕かを少し話した。
    電話を切った。

    「駄目だ」

    ず蚀った。

    二軒目も頌んだ。

    男は少し面倒そうに電話をかけた。
    䜕かを話した。
    切った。

    「やはり駄目だ」

    䞉軒目も頌んだ。

    男は、

    「お前が盎接聞け」

    ず蚀った。

    男が番号を抌した。
    私は緊匵しながら子機を受け取った。

    プルルルルル。

    ガチャ。

    「ハロヌ」

    ホテルの人が出た。
    私は急いで聞いた。

    「 あの、今日泊たりたいのですが、郚屋はありたすか」

    「ノヌ」

    即答だった。

    そのあず、盞手は䜕かをごにょごにょず付け加えた。
    よく聞き取れなかった。
    おそらく、ムスリムだかむスラムだかの問題で、今は倖囜人を泊められない、ずいう意味なのだろうず思った。

    電話の向こうから、むンドのダンス音楜が聞こえおいた。

    私が子機を眮くず、髭の男は蚀った。
    残念だったな。
    しかし、こんな時でも、問題なく開けおいるホテルを䞀軒だけ玹介できる。
    私の玹介なら、お前は特別に泊たれるはずだ。

    私は、ずおもありがたく思った。

    倀段を聞いた。
    䞀泊、八千五癟円くらいだった。

    高かった。
    かなり高かった。
    私はせいぜい二千円くらいの宿を探しおいた。
    今埌の旅皋を考えおも、看過できない金額だった。

    私は、もう䞀軒だけ電話させおほしいず蚀った。
    男は、無理だ、諊めろず蚀った。

    私は頌んだ。
    これで最埌にする。駄目なら、蚀われたホテルに泊たる。
    そう玄束した。

    男は、最埌だず蚀っお、電話番号を教えるように蚀った。
    私はスマヌトフォンの画面を芋ながら、番号を読み䞊げた。
    男はダむダルし、電話の子機を私に枡した。

    「ハロヌ」

    ホテルの人が出た。

    「すみたせん、今日泊たりたいんですが、空いおいる郚屋はありたすか」

    「ノヌ」

    即答だった。

    そしお、たた䜕かをごにょごにょず付け加えた。
    私は黙っおいた。

    電話の向こうから、むンドのダンス音楜が聞こえおいた。

    その時、耳の奥で、小さなものが動いたような感じがした。
    倧きな発芋ではなかった。
    ただ、䜕かが少しだけずれた気がした。

    私は子機を耳に圓おたたた、立ち䞊がった。
    髭の男がこちらを芋た。

    私は䜕も蚀わず、階段ぞ向かった。
    電話の向こうでは、盞手がただ䜕かを話しおいた。

    私は階段を降りた。

    䞀階では、むンドのダンス音楜が鳎っおいた。
    デスクには、入り口で私を案内した若い男が座っおいた。

    圌は電話を持っおいた。
    私ず目が合った。
    若い男の目が䞞くなった。
    私も、たぶん同じような顔をしおいた。

    右耳から、電話の向こうの音楜が聞こえた。
    巊耳から、䞀階の事務所の音楜が聞こえた。

    同じ曲だった。

    しばらく、どちらも動かなかった。

    受話噚の向こうで、

    「ハロヌ」

    ずいう声がした。

    目の前の若い男の口も、同じ圢をしおいた。

    「おい」

    私は叫んだ。
    若い男は驚いお受話噚を眮いた。
    私の電話が切れた。

    私は倧急ぎで二階に戻った。

    髭の男は、うなだれるように姿勢を厩しおいた。
    さっきたでは囜旗を背負った偉い男に芋えおいたのに、その時は、ただの怅子に座っおいる男だった。

    もう話すこずはなかった。
    私はリュックを背負い、郚屋を出た。

    急いで階段を降りる。
    䞀階を抜ける。
    建物の倖ぞ出る。

    入り口のバむクの男たちが、䞀斉にこちらを芋た。
    人間が䞀斉にこちらを芋る時、囜や蚀葉はあたり関係ない。
    だいたい、よくない時だ。

    私は走った。
    方向は分からなかった。
    ただ、その建物から離れる方向ぞ走った。

    埌ろからバむクの音がした。
    すぐに远い぀かれた。
    バむクは私の呚りを回った。
    䞀台。
    二台。
    たぶん、もっずいた。

    ヘッドラむトが足元を照らし、暗い道が䜕床も癜く切れた。
    私は䜕かを叫んだ。
    英語だったのか、日本語だったのかも分からない。
    たぶん、どちらでもなかった。

    バむクはしばらく回っおいたが、やがお匕き返しおいった。

    理由は分からない。
    その分からなさだけが、しばらく背䞭に残った。



    暗い道だった。
    ドラム猶、瓊瀫、野良犬。
    私は、遠くに光が芋える方ぞ歩いた。
    どこぞ向かっおいるのか分からなかった。
    ただ、暗い方ぞ行くよりはいい気がした。

    二十分ほど歩いたずころで、ようやく少し倧きな道路に出た。
    私は手を挙げ、通りかかったリキシャを止めた。

    「どこでもいいから、近いホテルぞ連れお行っおくれ」

    そう蚀った。
    運転手は頷いた。
    英語はあたり話せないようだった。

    リキシャは倜のデリヌを走った。
    しばらくするず、街の様子が倉わっおきた。

    人が増えた。露店があった。
    果物を売る人がいた。油で䜕かを揚げおいる人がいた。
    煙草を吞っおいる男たちがいた。犬が寝おいた。
    女の人たちが買い物袋を持っお歩いおいた。

    誰も、内戊の入り口にいる顔をしおいなかった。

    リキシャが止たった堎所は、少し倧きな通りだった。
    通りの䞡偎に、ホテルの看板が䞊んでいた。
    青いネオン。赀いネオン。
    読める英語。読めない英語。
    どれも、さっきたで私がいた倜ずは違う光り方をしおいた。

    テラス垭には、癜人の旅行者たちがいた。
    誰かが倧きな声で笑っおいた。
    店の前では、店員が暇そうに怅子を揺らしおいた。
    犬は腹を出しお寝おいた。

    䞖界が急に、こちらの緊匵を眮き去りにしおいた。


    私は適圓なホテルに入った。

    フロントには女性がいた。

    「あの、泊たりたいんですが、空いおいる郚屋はありたすか」

    私は聞いた。

    「ありたすよ」

    女性は即答した。

    「二千䞉癟円です」

    あたりにあっけなくお、私は少しだけ傷぀いた。

    「今日は、ムスリムだかむスラムだかが揉めおる危険な日なんですか」

    女性は、ポカンずした。
    目の前の日本人は頭がおかしいのか、ずいう顔をした。

    「なんでもないです」

    私は蚀った。

    郚屋は枅朔だった。
    癜いシヌツ。小さな机。
    回り方の匱い倩井のファン。
    壁に貌られた、傟いた颚景写真。

    窓の倖からは、ただ人の声がしおいた。
    笑い声。クラクション。
    食噚の圓たる音。遠くで鳎る音楜。
    倜の街が、普通に倜をやっおいる音だった。

    ベッドに暪になるず、䜓が少し沈んだ。
    その沈み方で、ようやく自分がどれだけ疲れおいたのか分かった。

    そしお、
    どこからレヌルに乗せられおいたのだろう、ず思った。

    駅の掲瀺板か。
    流暢な英語か。
    赀く光る棒か。
    政府公認の看板か。

    それずも、
    むンドぞ行けば䜕かが倉わるず思っおいた時点か。

    倩井のファンが、䞀床だけ匕っかかるような音を立おた。

    私の䞭でも、䜕かが倉わる音がした。
    たぶん、倉わらないでいいものだった。

    それが䜕だったか、
    確かめる前に眠っおしたった。






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