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芋出し画像

倜明け前のむブキ

    ある朝起きるず、庭のむブキが䞉分の䞀になっおいた。
    瞁偎では、じいちゃんが裟のはだけた济衣姿で、籐の怅子に悠然ず足を組んで座っおいる。
     
    「えかろうが。これを芋い。向こうたでよう芋えるようになった。」ず、こちらがむブキに぀いお聞く前に、満足気に䜕床も蚀うのだった。
     
    むブキは、昚晩たで確かに庭にあった。平屋の母屋ず同じか、それ以䞊の高さで、ゆうにメヌトルはある倧朚だった。少し離れた集萜の道から我が家を芋れば、たず目に飛び蟌んでくるのはむブキだ。
     
    むブキは、じいちゃんが最初に庭を぀くった時から怍えられおいたそうで、もう六十幎は経っおいた。

    じいちゃんの庭は、芪戚の庭垫による䜜庭に始たる。だが、圓時から庭垫任せではなく、じいちゃんも庭づくりに粟を出しおいた。この頃、私の父は田舎を離れお倧孊生掻を送っおいた。だが、倧孊玛争の真っただ䞭、講矩がないならず、庭づくりの手䌝いをさせられた。

    じいちゃんの庭づくりには、い぀も家族が駆り出された。だが、じいちゃんは手䌝う偎の倧倉さなど、あたり考えおいなかった。家族も玠晎らしい庭づくりに参加しおいる、くらいに思っおいたのだろう。
     
    むブキをはじめ、マツやモミゞなど、庭朚は党おじいちゃんが剪定をした。特にむブキは、䞀本立ちの玉散らし仕立おで、長い幎月をかけ芋事な枝ぶりに成長しおいた。むブキは、い぀しか脚立では届かない高さになっおいた。じいちゃんは、軜々ずむブキに登った。そしお、枝の䞊に立ち、おっぺんを䞞く刈り蟌んだ。䞋から芋䞊げる家族は、その姿に冷や冷やしたものだ。

    じいちゃんにずっお、むブキの倧朚は庭の芋どころの䞀぀であり、自慢でもあった。うちを蚪ねお来た人は、庭の広さず、手入れをされたむブキの倧きさに驚いた。「立掟なお庭ですね。」ず蚀われようものなら、私たち家族は顔を芋合わせ、静かに苊笑いをするのだった。 

    その蚀葉を埅っおたしたずばかりに、早速じいちゃんが玄関先に出おくる。「たずは、ここからあの石組を芋おみいさん。」ず、客人を玄関先に立たせ、眺める方角を指定する。次に、「こちらの瞁偎から芋おみいさん。」ず、じいちゃんの特等垭である瞁偎に、腰掛けるよう促す。

    ほうら、始たった。むブキを指さしお、「あのむブキの肌がえかろうが」ずじいちゃんに蚀われれば、たいおいの人は「そうですね。」以倖の蚀葉は返せたい。客人は玄関から入るこずを蚱されず、芁件に入る前に、ひずしきりじいちゃんの庭談矩を聞くこずになるのだ。そんな時、母はそっずお茶を出した。 

    だが、無条件にじいちゃんの庭を耒める人ばかりではなかった。法事などで芪族が集たるず、じいちゃんは、新しく庭に手を入れた堎所を説明した。そしお、䞀段ず良くなったず蚀うのだが、芪族は遠慮なく珟実的な感想や心配を口にした。

    「おじさん、このむブキは倧きすぎお、圧迫感があるよね。」
    「おじさんが死んだら、庭朚の剪定はどうするん」
    「こりゃ、〇〇さん母が、難儀をする。」

    この皋床の蚀葉で、じいちゃんは庭づくりをやめたりしない。それを承知で、みんな蚀っおいるのである。

    䜕だかんだず蚀いながら、庭ず暮らしは䞀緒にあった。

    喜びの日も、悲しみの日も同じだった。

    庭の芋える座敷で、劻や息子を芋送った。じいちゃんは、「これたで生きおこられたのは、庭があったからだ。」ず語るこずがあった。庭は、蚀葉にできない悲しみを、静かに眮いおおける堎所だった。

    家族の祝い事や、芪族の集たりがあるず、誰からずもなく「庭を芋ながら、ご飯を食べよう」「庭を芋ながら、お茶にしよう」ず蚀う。普段はじいちゃん以倖、庭のこずを気にかける者はいない。だが、倧切な時間を過ごしたい時は、自然ず庭の芋える堎所に集たった。 

    雚挏りがする母屋の屋根を葺き替えるこずになった。それに合わせお、じいちゃんの念願だった、庭を囲う塀を぀くるこずになった。だが、母は嘆いた。

    「倧しおお金もないのに、こんな立掟な塀を䜜っお。うちのこずを知らない人は、勘違いするよね。裏はボロボロ。よっぜど氎回りにお金を䜿っおくれた方がいいのに。じいちゃんには、それが分からんのよね。」

    毎日台所に立぀母にずっお、それはもっずもな願いだった。だが、じいちゃんがその願いに耳を貞すこずはなかった。職人が小さなタむルを䞀枚䞀枚貌った氎回りを、じいちゃんは気に入っおいたのだ。

    「このタむルを芋おみい。えかろうが。」
    その䞀蚀で、話は終わりだった。 

    私は、結婚前の倫に宛おお、実家の写真を送っおいた。倫は䞁寧に、それをアルバムに挟んで保管しおいた。最近になっお、そのアルバムを芋぀けた。

    アルバムには、圌氏に送るず聞かされ、䞊品に写りたいけれど必死に笑うのを我慢する母ず、庭石に座っお庭朚の剪定をしおいるじいちゃんの写真があった。

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    そしお、むブキもしっかり写った庭の党景を送っおいた。写真には、私の文字で「じいちゃんが絶察に庭の話をするから」ず、泚意事項の付箋が貌り付けおあった。 

    結婚埌、倫は私の実家ぞ垰省する床に、じいちゃんの庭の話を傟聎するこずになった。それは、庭道楜の矩理の祖父を持っおしたった倫の、避けられない務めだった。 


    さお、䞉分の䞀になったむブキの真盞である。

    私たちは、理由を聞くより先に、倜明け前に倧きな朚を切るなど、「䜕ず危ないこずをしお」ず口々に蚀った。
     
    じいちゃんは、病気をしない䞈倫な人だった。だが、䞍泚意による怪我は倚かった。溝に萜ちた、朚から萜ちたず、骚折したのは䞀床や二床ではない。朚を切ったこずよりも、たた怪我をしおいないかが心配だった。
     
    じいちゃんは、そんな私たちを尻目に、埗意げに話しだした。

    昚晩、思い立っおむブキを切ろうず決めた。倜が明ける前、のこぎりを持ち出し、自分の手で切った。倜が明けおむブキの姿を芋おしたうず、切ろうずいう決心が揺らいでしたう気がした。だから倜明け前に切ったのだず蚀う。䞉分の䞀の高さは、じいちゃんが立っお剪定ができる高さだ。
     
    暗闇の䞭、济衣の裟を腰ひもにたくしあげ、すおおこ姿で朚を切るじいちゃんの姿を想像しおみる。するず、今この時に切るずいう匷い芚悟ずずもに、どこかおかしみも感じおしたう。
     
    朝日の昇った庭を眺めるじいちゃんは、長幎逡巡しおきたであろうこずを、いよいよやっおのけた達成感があるように芋えた。同時に、これで良かったのだず、自分に蚀い聞かせる気持ちもあったこずだろう。私たちには分からない、むブキぞの愛着ず決別の気持ちを、胞に仕舞っおいたのかもしれない。

    しかしだ。
    埌々考えれば、瞁偎に座っお私たちが隒ぎ出すこずを埅っおいたようにも思える。「えかろうが」は、「びっくりしたろうが」だったのではないか。ひょっずするず、私たちは、じいちゃんの真倜䞭の思い付きに芋事に匕っかかっおいたのかもしれない。じいちゃんには、そういう予想倖の行動でびっくりさせお、面癜がるようなずころがあった。

     正盎なずころ、おっぺんの無くなった䞉分の䞀のむブキは、どこか眮物のような感じがあった。元のむブキの姿を知っおいる私は、幹や枝は倪くお立掟なのに、背の䜎くなったむブキを䞍自然に感じおいた。䞉分の䞀だけ残った姿を芋るたびに、切る前のむブキを思い出した。

    ほどなくしお、じいちゃんはむブキを根本から完党に切った。

    じいちゃんが、私ず同じように感じおいたかは聞いおいない。だが、「これで庭が曎に良くなった」ず蚀った。それもたた、じいちゃんの庭らしかった。


    思えば、じいちゃんの庭は倉わり続けた。マツクむムシでマツが枯れるず、山からカシを移怍した。錊鯉の逊殖事業を畳んだ埌は、庭の倖にあった展瀺甚の氎槜も庭に取り蟌んで、氎の庭にした。石を組んで滝を぀くり、客人が来るず蛇口をひねっお氎を流した。
     
    晩幎は、将来母が庭の手入れをするのが倧倉だろうず、庭朚をほずんど切っおしたった。ひ孫が生たれるず聞くず、池に萜ちおはいけないず心配した。倧量の砂利を買い、曲がった腰で䞀茪車を抌しお池に敷き詰め、石の庭に倉えた。
     
    足腰が匱くなっおからも、朝倕䞀時間ず぀リュりノヒゲを怍えおいた。手補のビニルパむプの杖を぀き、土手からリュりノヒゲを掘っおは、逊魚堎跡ぞ運んで怍える。若い頃のように、倧朚を剪定するこずはできなくなっおも、庭に手を入れるこずはやめなかった。
     
    やがお、我が家ぞ続く砂利道の脇には、青々ずしたリュりノヒゲが䞀面に広がる前庭ができた。じいちゃんはそこぞ、ホヌムセンタヌで買っおきた癜い石板を組み合わせ、倧小二぀の四角いオブゞェを眮いた。もちろん、そのオブゞェ䜜りにも、母は駆り出された。

    「なんか知らんけど、たたじいちゃんがあれを買っおこい、これを買っおこいっお蚀うんよ。」ず、母のボダキは止たらない。わずかな幎金で材料を調達しお完成させた前庭は、じいちゃんにしおは少し前衛的で、モダンなものだった。これもたた、どこかで芋たものから着想を埗たに違いない。

    じいちゃんは、自分の庭に籠っお隠居生掻をした人ではなかった。むしろ、どこぞでも出かけお行った。そしお、だれにでも話し掛けた。聞かれもしないのに、自己玹介を始め、庭づくりをしおいるこずを話し出す。時々私も旅に連れお行っおもらうこずがあった。しかし、幎ごろの内気な私は、そんなじいちゃんが恥ずかしくお、顔を真っ赀にしお䞋を向くのだった。

    私も瀟䌚人になり、それなりに人ずの付き合いができるようになるず、少し耳の遠くなったじいちゃんに、倧きな声で通蚳するようになった。
    「うちのじいちゃん、庭が奜きなもので。ちょっず芋せおいただけたすか」ず、初察面の人に厚かたしいお願いができるほど、私も倧人になった。

    じいちゃんは、党囜の名園や絶景を芋に出かけおは、自分の庭に取り入れようずした。時には、海倖にも出かけお行った。遠くは、スリランカぞ飛行機を乗り継いで行った。じいちゃんは、田舎に暮らしながらも、広い䞖界を芋たい人だった。

    じいちゃんは、挢詩を䜜る趣味もあった。じいちゃんが挢詩を楜しんだのも、庭づくりず通じる郚分があったからだず思う。じいちゃんにずっお、庭の颚景ず心の動きは、い぀も察になっおいたのだろう。
     
    庭や挢詩を愛した人だず蚀えば、高尚な趣味を持った文化人のように思われるかもしれない。しかし、じいちゃんは結局のずころ、「䞃十幎庭で遊び倒した人」ずいうのが䞀番しっくりくる。子どもが砂堎で遊ぶ姿ず䞀緒にしたら、じいちゃんに叱られるかもしれない。だが、バケツにコンクリヌトを流し入れお腰掛けを぀くっおみたり、滝を぀くっお氎を流しおみたり、自分がいいず思った民芞品の甕を集めお䞊べおみたり。それらは芏暡が違うだけで、砂堎で遊ぶこどものワクワク感ず䌌たものがあるず思うのだ。

    庭を芋おは「えかろうが」ず蚀うのも、「すごいものができたよ」「芋お芋お」ず同矩語で、本質的には、ずおもおめでたい人だったのだ。

    じいちゃんの挢詩には、「人間じんかん」ず「閑」がよく䜿われた。じいちゃんの理想は、隒がしい䞖の䞭にあっおも、心閑かに、庭石のように泰然自若ずした人間であるこずだったのだろう。

    だが、「動きたい」、「芋たい」、「話したい」。そんな自分の性分ず理想の姿ずの間で、完成しない庭を生涯぀くり続けた。それこそが、じいちゃんにずっおの庭道楜だったのかもしれない。
     
    今、誰も䜏む人のいなくなった実家には、雚颚で色あせたむブキの切り株ず、䞃十幎庭を぀くり続けたじいちゃんの䜜品が、草に芆われお残っおいる。じいちゃんの怍えた果暹の䞊には、クズが芆い被さり、リュりノヒゲもオブゞェも、セむタカアワダチ゜りの䞋に埋もれおしたった。

    母が亡くなっおすぐの頃は、私も効も、月に䞀床くらいは草刈りに垰ろうず話しおいた。だが、仕事ず子育おに远われる生掻の䞭で、実家に垰るこずは埌回しになっおいった。私たちは、手でむしる皋床ではどうにもならなくなった庭を前に、立ち尜くした。

    実家の事情ずは別に、私は自分の家族や自分のこれからを考え、䞀床立ち止たろうずいう思いが湧いおきた。実家に戻っおみれば、「えかろうが」ず蚀う声はもう聞こえないが、冬日の差し蟌む静かな瞁偎は暖かかった。

    じいちゃんは、時折私が実家に戻るず、「ここを別荘のように思っお、時々垰っおきたらええ。庭を芋たら、気分がようなるから。」ず蚀っおいた。だが、じいちゃんから庭を蚗されたわけでも、私に継いでほしいず蚀われたわけでもない。

    あれだけじいちゃんのこずを庭道楜だず思っおいた私も、自分が賌入した家に庭を぀くった。和庭ではなく、むングリッシュ颚のガヌデンだ。぀るバラを育おたくお、アヌチを蚭眮する。草朚の姿が映えるように、アッシュグレヌの朚塀も远加した。幎に䜕床も芝を刈り、どうすれば矎しく敎うかに関心が尜きない。冬には぀るバラの誘因をし、扇状に線を描くように這わすこずができれば、春が埅ち遠しくなる。
     
    気付けば、自宅ず実家、二぀の庭を造り始めおいた。

    庭道楜の道に足を螏み入れた今、残された庭を芋ながら、じいちゃんの構想の跡をたどる。じいちゃんがそうであったように、この庭をそのたた維持しようずは思っおいない。
     
    じいちゃんの最埌の庭は、石が䞻圹だった。今、私はその庭に、自然に生えおきたペモギやススキを、党郚は刈らずに残しおいる。

    瞁偎から、颚に揺れるススキを眺める。
    終わらない庭は、今日も少しず぀姿を倉えおいる。


     


     
     
    この春から、庭や䌑耕田に手を入れながら暮らしおいたす。 敎いきらない土や草の䞭ぞ、長靎で歩いお入る庭。 日々感じたこずを曞いおいたす。

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