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Photo bymatsurimusic

雑誌を読むとき広告や編集後記から読む

     今読んでいるのは、入沢康夫『詩の構造についての覚え書』と、現代詩手帖のバックナンバーと、三田文學の2026年春季号。

    『詩の構造についての覚え書』は、なかなか難しいのだが、難しすぎて読むのが辛い、ということはない、わかる部分もあるし、面白くて、詩について書かれている本というのはまだあまり読んだことがないので、これからたくさん読みたい、詩集もたくさん読みたい。

     三田文學のような文芸誌でも、ファッションの雑誌でもなんでも、わたしは雑誌の本文からいきなり読むのでなく、全体をぱらぱらと見たあと、間に差し込まれている広告を読んだり、裏表紙の広告がなにかを見たり(いつかの文藝春秋に福島県のゆべしの広告が出ていてうれしかった、ゆべしが大好きなので)、あとは編集後記を読む。

     編集後記は、その雑誌を編集している人が書いているのだろう、そういうことなのだろうけど、詳しくはわからない。
     編集の人が書いたであろう文章の最後には、書いた人の名前と思われるものが記されているのだが、それが(T)であるとか、(山)であるとか、ほとんどが名前の頭文字かイニシャルがカッコの中に一文字だけ入っていて、その、名前の全部は明かさないぞ、という意思、または、名前の全部を記されなくても構いません、という、控えめな感じ、どちらもいいなと思うし、どちらでもないのかもしれない、わたしの勝手な想像ではあるが、そういう想像が掻き立てられるのがいい。

     雑誌本体には、ばーんと目立って小説や詩やエッセイや評論、ファッション誌ならモデルの方の写真とかコラムとかイラストとか、そういったものが華やかに束ねられている雑誌の、最後に小さな文字で書かれている編集後記、雑誌を買うということは、華やかな本体のほうに惹かれてのことではあるけれど、わたしにはどうしても、すぐに本体を読むことがためらわれてしまう。

     こう書きながら、その理由を自分なりに考えているのだけど、はっきりとわからない。肉まんを、いきなり半分に割って、皮と具を同時に味わうのではなく、さきに皮だけをちょびちょび食べて、濃い味の具への到達までに舌を慣らしておきたい、そういう感じだろうか。

     編集後記を読むと、雑誌を作った裏側なども知ることができて、肉まんどうこうよりそっちが単純に好き、というのもあるし、だけど肉まん要素もあるのだろう、とにかく、自分でもよくわからないけどわたしは雑誌の広告や編集後記を雑誌を買ったら最初に読むのが好きです。

     
     
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