
【入院】病室でずっと星野源「地獄でなぜ悪い」を聞いていた話
みなさんは、入院中に聞きたい曲ってありますか?
(入院なんてしないに越したことはないというのは一旦脇に置いておいて)
私はあります。
それは表題の通り、星野源さんの楽曲「地獄でなぜ悪い」です!
私は昨年、突然の致死性不整脈により、心肺停止を経験しました。
毎年の人間ドックでは特に問題なかったのに、本当に突然です。
えっ、人間こんなに簡単に突然死ぬんか?と復活後に大変驚きました。
しかしいろんなラッキーが重なって電気ショックによる除細動が間に合い、ダッシュで此岸に戻ってきました。カナヅチだし六文銭なんて持っていないので、きっと三途の川の浅瀬を探してバシャバシャと逆走したのでしょう。
もしかすると人生のどこかで1UPキノコを食べていたのかもしれません。
この記事はそんな蘇り人間の、その後の入院生活で命の儚さを噛み締めながら、「地獄でなぜ悪い」を聞き入ったというお話です。
※この記事に、宗教やスピリチュアルな考え方を否定する意図はありません!一体験としてゆるっと読んでいただけると幸いです
スマートフォンという利器
心肺機能が復活してから、一週間程度のほぼ寝たきり状態の ICU 生活を経て、晴れて一般病棟へ移動した日のこと。
ICU ではスマートフォンの使用を禁止されていたため、そこで漸く自分の iPhone に触れることができました。
ICU でもイヤホン付きのテレビは視聴できて、「相棒」や「孤独のグルメ」、昔のサスペンスドラマ等の再放送で暇を潰すネットデトックス期間も、それはそれで得難いものがありました。
焼肉を旨そうに食べる井之頭五郎さんを見て、なんとか己の食欲を刺激しようと試みたり(寝たきりなのでお腹がなかなか空かず、残飯が発生してしまうのが忍びなく…)。やっぱり神戸くんは麗しいなと尊んだり。
寝返り厳禁で爆発しそうな腰の辛さを紛らわすためにも、普段あまり見ていなかったテレビの存在はありがたいものでした。
そんな日々を乗り越え、約一週間ぶりにインターネットを利用できたときは、心の底から嬉しかったです。玉石混交の情報の海、それは最低限の健康があって初めて泳げるものだったのだと痛感しました。
ここでやっと、「心室細動って結局なんなんだ?」といった疑問を、自分で調べることができるようになりました。
もちろん、スマートフォンはネットサーフィンのためだけの道具ではありません。
ICU ではひたすら脳内再生するしかなかった楽曲たちを、実際に、音として耳で聞くことができるのです。あ、ありがてえ…!
入院中に私の心を励ましたり寄り添ったりしてくれた楽曲はたくさんあるのですが、今回はそのうちの一曲、「地獄でなぜ悪い」をピックアップしました。
地獄でなぜ悪い
言わずもがな、星野源さんの名曲のうちの一つです。
入院する前から大好きな一曲で、カラオケに行った際はよく歌っていました。MV に下ネタ要素が含まれるため、人前で若干歌いづらいことでお馴染み。
厭世的なフレーズをポップなメロディで押し進める、その妙な明るさが好きでした。この世を「楽しい地獄」と言い切りながら生きていくしかない、そんな諦観と逞しさがないまぜになっている奇怪な曲です。
そして一口に「地獄」といっても、人それぞれの「地獄」があることに思いを馳せたりもして、聞けば聞くほど味わい深い曲だなと感じていました。
一般病棟に移り、体調も少し落ち着いてきた頃。
そういえばこれが、源さんが入院されていた時期に作詞されている作品だったことを思い出して、病室で改めて聞いてみようと思ったのです。
そこで初めて、下記のフレーズにものすごい衝撃を受けました。
幾千もの 幾千もの 星のような 雲のような
「どこまでも」が いつの間にか 音を立てて 崩れるさま
そ、その通り過ぎるのでは…?
それまでは「地獄」というワードを軸に、この曲を聞いていたと思います。
けれど心肺停止を経験した私には、何よりもこのCメロが突き刺さりました。
今思うと能天気すぎて恥ずかしいのですが、倒れる前は当たり前のように、これからも生きていくのだと思っていました。
人生100年なんて言われつつある長寿時代で、90代の祖母は今も元気に家庭菜園を楽しんでいます。
30代になり、時間の流れを早く感じるようになってきたとはいえ、健康には気を遣っているし、長寿家系のようだし。日本の行先は不透明ではあるけれど、きっと人生はまだまだ長く果てしなく続いていく。
まさに幾星霜。
しかし突然、その当たり前が信じられなくなってしまいました。
この後すぐにでもまた、私の心臓はおかしくなってしまうのかもしれない。もしかすると今夜、眠っている間に心肺停止してしまうかもしれない。それでもう、二度と目が覚めないかもしれない。
上記で三途の川についての想像を述べていますが、実際には心肺停止していた間、「走馬灯」も「あの世」も「三途の川」も見ることはありませんでした。何も見ていないし感じていません。
人生はただただそこで終わるのだと、強烈に実感することになりました。
プツンと途切れる。
無になる。
意識や感覚はなく、もはや「地獄」すらない。
だから、「どこまでも」なんてあり得ないのだと。
生物に終わりがあることも、誰しも突然の事故や災害に見舞われ得ることも、もちろん頭ではわかっていたけれど、それが経験によって強烈に裏打ちされてしまった形です。
私の中の脆い常識が、どこか達観しているような源さんの歌声に包まれながら、彼方に散り散りになりました。
当然のことながら、これは私の個人的な解釈であり感じ方であって、きっと正解はありません。
ただ、とにかく入院前後で心に刺さる歌詞が変わったというだけの話です。それでも、心の整理をするとき、源さんのそのフレーズがとても助けになりました。大変感謝しています。
死後の世界はないけどある?
この出来事以降、なんというか、足元の土台がグラグラと揺れているなぁと感じます。生き物って、自分って、いつか必ず死ぬんですねぇ。
それが一時間後なのか来週なのか来年なのか数十年後なのかわかりませんが、どうも死後の世界はなさそうだしいつ死ぬか分かったもんじゃないなと実感したので、不器用ながらもなんとか今生を精一杯楽しみたい!動けるうちに動こう!という吹っ切れが発生しました。
ただし、それはそれとして、一昨年亡くなった大好きな祖父には極楽浄土的なところでエンジョイしていて欲しいという気持ちもめちゃくちゃあります。
どっちなんだい! \ヤー!/
勝手なもんで、上述の個人的な実感と、故人を偲ぶ気持ちは併存できるようです。人間の頭、妙に柔軟で面白い。
いずれにせよ、私の心臓がまだ動いていることは事実です。
しかし心臓を守るための機械を入れることになって、運動制限もあって、頻繁に動悸がして、微妙に不便。
S-ICD(いざという時に電気ショックを起こしてくれる機械)を植え込んでいるとはいえ、再発した時に果たして残機があるのかは誰にもわかりません。
それでも今、ご飯が食べられて、キーボードが打てて、散歩ができています。家族に会うことができます。
生きているとさまざまな困難や鬱々としてしまう出来事がたくさんあるけれど、ここは元から楽しい地獄。
日常の些細な喜びや、なにかを楽しいと思える気持ちを、飴玉のようにじっくり味わいながら生きていきたいなと思います。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました!